婚約破棄する正当性をダラダラと並べられているが、そんな事より出ている鼻毛が気になる私。
「アリアンヌ・ド・ルフォール! お前との婚約を破棄する!」
学園のパーティーで私はそう告げられた。
目の前に立つ婚約者ボドワン・ド・カピュソン侯爵子息はギャエル・ド・デュショーソワ子爵令嬢を傍に連れている。
「お前はギャエルを虐め、彼女を自殺に追いやろうとした! そんな腐った女と婚約を続ける事など出来ない!」
そういったボドワンはギャエル様を虐めた罪とやらをつらつらと並べていく。
勿論身に覚えのない事ばかりだ。
「お前のような性根の腐った女と結婚すれば、我が家の顔に泥を塗られる事になる! よって婚約は破棄だ!」
婚約破棄の宣言を大衆の面前でする必要などない訳で。
敢えて人前で私を責めるボドワンのわざとらしさにこそ周囲が怪訝そうな顔をしている事に彼は気付いていないようだ。
また、ギャエル様が異性に色目を使う話も彼女の傲慢さや我儘っぷりも有名だ。
彼女が虐められるたまではない事も、また彼女の言動を真っ向から注意していた私がわざわざ裏で彼女を虐める必要がない事も、殆どの生徒が知っている。
なのでこの場で私の罪を信じる者はボドワンとギャエル様くらいのものだった。
因みに婚約破棄についても気にするような事はない。
元々、落ちぶれつつあったカピュソン侯爵家を立て直す為の支援金と我が家が持つ政界への影響力を目的とした政略結婚。
こちらは私達の祖父が学友であったという繋がりから、婚約の申し出を受け入れたに過ぎない。
そもそも婚約破棄というのは両家の承諾と書面を介する事で成り立つ物であり、この場で何を言おうと成立するものではないのだが……ここで騒ぎを起こしたことでボドワンは自身の発言を撤回することが出来ないだろうし、私もこんな相手と生涯を共にするなんてのはごめんだ。
……と、普段ならば顔には出さずとも内心で苛立ちを覚えるくらいはするのだが。
今日の私はそれどころではなかった。
今の私は大層間抜けな顔をしていた事だろう。
険しい顔で話しているボドワン。
私の視線はその鼻へ向けられていた。
ぽかんとしたまま言われっぱなしの私。
「おい、何か言ったらどうだ!」
私が言い負けているとでも思ったのか、ボドワンは勝ち誇った笑みを浮かべている。
しかしそれでも何も言えない私。
彼の話が一切頭に入って来ないのだから、仕方がない。
「待て」
そこへ、一人の男子生徒が野次馬の中から姿を見せた。
学友の、ディオン・アルヴィエ公爵子息だ。
恐らくは、私が一方的に言われっぱなしになっている事を気に掛けて傍まで来てくれたのだろう。
「その主張の殆どは偽りだ。俺はそれを証明できるし……周囲にも同様に彼女の無実を証明できる者はいる」
至って冷静にそう話したディオン様。
それから彼は私を怪訝そうな顔で見て囁いた。
「おい、今日は随分大人しいじゃないか。普段なら簡単に相手を言い負かすというのに。……まさか、未練がある訳でもないだろう?」
ぼんやりとしていた私は、ディオン様の問いに無意識に答えてしまった。
「…………鼻毛」
「鼻毛ぇ?」
ディオン様が素っ頓狂な声を上げた。
相当大きな声だったので、恐らく周りも聞こえていただろう。
ディオン様は私の視線を辿り、ボドワンを見て――それから思わずといった様子で吹き出した。
そう――彼の鼻からは鼻毛が見え隠れしていたのだ。
「ヒ、ィ……ッ」
ディオン様はゲラである。
彼は瞬く間に目尻に涙を浮かべ、腹を抱えて笑い出した。
彼の『鼻毛』という言葉のせいで生徒達の視線が一斉にボドワンへ向けられる。
そして前列にいた野次馬達は次々と
「鼻毛……」
「……鼻毛だ」
「鼻毛ねぇ」
と囁き始めた。
一方で、一体何の話をしているんだと困惑するボドワン。
しかし終いには、隣にいたギャエル様がボドワンを見て顔を引き攣らせ、後退った。
そこで漸く彼は気付いたのだろう。
自分の鼻毛が出ている事に。
「な……ッ!!」
顔を真っ赤にし、自分の鼻を手で隠すボドワン。
最早人前で罪を暴く者の威厳は存在しない(そもそもなかったという点はおいておいて)。
「フ、ハハハッ、君、格好を付けたかったのならばせめて身だしなみくらいは整えてからにしなければ!!」
皆が笑いを堪える中、ディオン様だけが大きな声で笑い続けている。
それから、私の肩を抱くと出口を顎で示した。
「さて。お二人の婚約はこの場を以て解消という事でいいのだな? であれば、彼女は借りて行こう。――元婚約者の愉快な話にでも花を咲かせなければならないからな」
更に顔を赤くし、震えるボドワン。
しかし掛ける言葉も見つけられない彼は、ディオン様と、彼に連れられて行く私を黙って見送る事しかできなかった。
***
パーティーの会場を後にしても尚、ディオン様は笑い続けていた。
「君……っ、暢気に他人の顔の細部を眺めているなど……ッ」
「すみません。一度気になるとなかなか忘れられない質でして」
ディオン様が一層大きく笑う。
「全く、こんなに清々しい気持ちになる事もそうそうない。君はやはり面白い女性だな」
「はぁ」
「それで、婚約の方はどうするんだ」
「どうすると言われましても……。まぁ、白紙でしょうね。家族も怒る事はないでしょう」
「では、婚約者の席が空くわけだな」
「まぁ」
私が適当に返事をしていると、ディオン様は満足そうに頷いた。
それから私に手を差し出す。
「ではその立場、俺に譲ってはいただけないだろうか」
「……は?」
「一生分と思わせる程の笑いを何度も提供してくれるような女性だ。他の男の元に行かせるなど惜しすぎる。……何、そちらの家にとっての利益なら充分だろう?」
正直、悩む余地などなかった。
彼ほどまでに好都合な婚約相手もいないだろう。
アルヴィエ公爵家は国でも有数の大貴族。
おまけにディオン様と話す時間は……私にとっても替えが効かない程貴重なものだと思えていた。
とどのつまり、私は太陽のように明るい彼に惹かれているのだ。
私はディオン様の手に触れる。
「……喜んで」
「では、これからもよろしく頼むよ。アリアンヌ?」
私達は笑い合った。
その後彼が『俺は鼻毛を出さない男で居続けよう』など訳の分からない誓いを唐突に立てた為、澄ました態度をとっていた私も流石に声を上げて笑ってしまうのだった。
尚、ボドワンはその後、勝手に婚約破棄を告げた事を両親から詰められ、またギャエル様には逃げられ、私に再婚約を申し出てきたのだが……。
私が断るよりも先に、冷たい眼差しのディオン様に追い払われていた。
その後、彼は『鼻毛の侯爵子息』という不名誉極まる仇名が出回る事となったのだった。
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