第二章 湖畔の夜(前)
湖面に映る月は、二人の間に静かな光を落としていた。
蒼汰はまだ、目の前にいる少女の正体を理解できずにいた。二〇年前に湖の底へ沈んだ村に住んでいたという千夏――彼女の言葉と存在が、現実なのか夢なのか、判別がつかなかった。
「……君は、どうしてここに?」
蒼汰の声は、かすかに震えていた。
千夏は少し顔を伏せ、手を握りしめる。
「わかりません……気づけば、ここに導かれたようで……」
微かに戸惑いの色を浮かべながらも、彼女の目はまっすぐに蒼汰を見つめていた。
蒼汰は息を整え、少しずつ口を開く。
「君は……本当に、この村に住んでいたんだな……?」
千夏は小さく頷く。
「はい……でも、今、ここは……自分の知っている村じゃない……」
その声に、蒼汰は微かに胸騒ぎを覚えた。目の前の少女は、どうしてか、まるで過去からやってきたかのようだった。
月明かりに照らされ、二人の影が水面に揺れる。
「……困っていることはないか?」
蒼汰が問いかけると、千夏は小さく息を吐いた。
「まだわかりません……でも、この未来で、どう自分を生かしたらいいのか……」
その瞬間、蒼汰は胸の奥に、言葉にできない不思議な感情が湧き上がるのを感じた。
誰かとこんなに心を通わせることが、自分にとって初めてのような気がした。
湖面に揺れる光は、二人の間の距離を少しずつ縮めるように、静かに反射していた。