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ヴァルプルギスの一夜

作者: 好意貴方

 3月の夜風が気持ち良い夜。両の手からは鉄の錆びた匂いが薫ってくる。今にも月へと届きそうな靴は、何度も空中を往復して、やがて土埃をたてた。女神の名を冠した運動靴は少しだけ茶色に染まり、またいつもの様子を取り戻した。名は冠しているものの、彼女(くつ)が僕に向けるのは専ら微笑みではなく、嘲笑だ。鉄棒の近くでは買ってきた花火をみんなで囲って、そこから生まれる数多の閃光に見蕩れている。火薬が弾ける音に混じって、シャッターを切る音が鳴るのは、なんともイマドキという感じである。みんなを見る眼や耳はそのままに、再び揺れ始めた体は留まるところを知らず、また、両足が虚空(そら)を切る。家出る前に1枚着込んで正解だった。花火の閃光と夜の闇とを掻き分けるように前後する体躯(からだ)には、少し寒さを感じる。だが不思議と頬は熱を持ったまま、心の中で1人虚しさを感じていた。遊具には「志を共にした(地理選択の)」友人と、「同じ夢を見る(教師を目指す)」クラスメイト、そして、それを写真(フレーム)におさめるその子の友人。僕は身に余るほど幸福な空気を目いっぱい吸って、打ち上げ(よるごはん)後の虚しい雰囲気を蹴飛ばすように、また力強く錆びた鉄の鎖を揺らす。反復した動きは永遠を錯覚させる。でも永遠(それ)が長くは続かないことを知っている僕は、もう一度強く、味わうように虚空(そら)を切った。約1年間、苦楽を共にした最高の友人たちと集合写真を撮り、永遠(それ)は終わりを告げた。


―――――――――――――――――


 女の子を横浜に、二人だけで帰らせるのはなんだか不安で、サッとカバンを肩にかけ、声をかけて後を追った。二人からのちょっとした謝辞を聞いてから、僕は彼女ら(二人)護衛任務(お節介)をすることになった(というより進んでやった)。とぼとぼ帰路についていると、横浜の喧騒が夢の終わりを明瞭にさせる。親に帰宅の連絡をし、しばしの談話を楽しむ。最後のクラス行事、その裏側。いつもは見えないその子の心の内が、ネオンに照らされて陰を晴らした。その子はいつも笑顔を絶やさなかったが、最近はいつものような笑顔は無くなっていた。行事が終わって、いつもの笑顔を取り戻したその子を横目に話は遷り変り、僕の故郷について話すことになった。東北出身の僕はいつしか横浜の空気(よごれ)に染まっていた。祖母の来訪によって呼び起こされた故郷の記憶。再び照らされたネオンの鮮光は、いつもは躊躇うその口を、激しく動かす。幾分か自分語りがすぎたようで、横浜駅に着く頃には気恥しさを心の隅に覚えた。当初の目的である護衛任務(お節介)を終えた僕は、相模鉄道の改札から2人の背中を見て、また、物思いに耽った。


―――――――――――――――――


 二人と別れてから、57分発の特急に乗った僕は、適当に席を見繕い、座った。同じ部活の友人と文通(LINE)を軽く交し、スマホを閉じる。しかし、白色の筐体が再び揺れ、液晶を覗く。クラスラインには多くの思い出が記録され続け、その度に腕に着けたスマートウォッチが揺れた。通知を気にしないように、おやすみモードをオンにしてスマホを閉じ、今夜の総評に移った。


―――――――――――――――――


 最高のクラスで、最高の一時を過ごせた。それだけで僕の心は満たされていたが、打ち上げといえば、1人になった時のあの虚しさである。それを紛らわすためにも、思考は止められない。あの時、あんな言葉をかけたらウケたかな、とか。ああ、あれ頼めばよかったな、とか。そんな些細なことを頭に浮べる内に、僕の頭はいっぱいいっぱいになっていた。日々の疲れが出たのだろう。特に最近は、連日のイベント三昧で体が疲弊していた。さて、一眠りでもしようと椅子にもたれ掛かると、ふと、手の匂いを嗅いだ。薫ってくるのは、錆びた鉄の匂いだ。一度は辞めた、幸せな一時(ひととき)の邂逅。それがまた呼び起こされる。今日という日は明日(あす)にはもう色褪せる。そんな儚いものを今に引き留めるために、人々は液晶を(かざ)し、写真に収める。だが、それすらも時が経てば、その時の心情、気分、雰囲気を思い出すことは、叶わない。




 だから僕は言葉にする。文にする。形にする。文字ならきっと、思い出せるから。虚空(そら)を切ったあの空間も、花火の閃光が飛び散る夜の闇も、心を晴らした横浜の鮮光も、全部。もう一度、液晶に光を灯して、僕はメモアプリを開いた。

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