妹
「千里~ご飯の時間ですよ」
お母さんが千里をだき、椅子に座らせる。
「やーい」
千里は満面の笑みで、足をばたつかせた。千里の足がテーブルの裏に当たるかすかな音が、千代の心には心を踏みつぶされるような感覚がした。千代は額にはの字を作った。別に、千里は何も悪いことをしていない。けれど今まで一人っ子だった、千代は両親が自分以外の子にやさしくしていることが憎たらしくてたまらないのだ。
(ふん、いい気になっちゃって)
笑っている千里に向けて、千代はやめろとお言わんばかりににらみつけた。喉元が暑くなって涙が出そうになる。千代はまだ6歳なのにこんなことを思うなんて、それに千里はもう生まれてから1年もたっている。なぜ未だに初めて感覚でいるのだろうか。千代は千里が生まれる前までは、妹が欲しくてたまらなかった。ぷにぷにのほっぺたをいつか独り占めしてみたいと。赤ちゃんは顔もかわいいし、あまり笑わないから笑ってくれたらとてもうれしい。そう思っていたのだ。最初は千代だって千里のことがかわいくて仕方がなかった。でもだんだん、両親が自分一途じゃないことに腹が立ってきた。そんなことにも気づかずのんきに過ごしている両親と千里に。両親といっても千代の父親、忠一は単身赴任中でなかなか帰ってこないから、いつもは母親、香織が二人の面倒を見ている。こんなことを話している間にも千里の離乳食が運ばれ、お母さんが笑いながらスプーンで食べさせる。
「ツルツール!」
千里が離乳食を最近覚えたつるつるという言葉を言いながら、離乳食をぽとっと落とした。
「あらあら」
千代は自分のとんかつ(千代はとんかつが好物なのだ)をおいしそうに食べるが心の中ではイライラが募って仕方がなかった。
(すっかり愛情注がれちゃって。自分でご飯も食べられない子に負けないわ)
そう思いながらとんかつをお替りする千代だった。
5年後の7月末。相変わらず千代は千里に焼きもちを焼いている(っていうと本人に怒られる)が前ほどではなくなった。今日は、お父さんが3連休に合わせて3日お休みなので、千代の心は幸せで満たされていた。ピーンポーンとチャイムが鳴った瞬間、千代は飛び上がり玄関へ駆けてゆく。でもお母さんが先に行き、
「千代、すべてがお父さんなわけないでしょ。」
というと、ドアモニターのボタンを押して「はい~」と高い声を出し外へ出て行った。
「なんだ。詰まんないの」
千代はソファへ寝っ転がると、じっと天井を見つめた。
「バカだねそんなこともわかんないの」
千里がソファの隣にきて、にやにやしながら言った。
(う~むかつく)
最初は千代が言い始めたのだが。
「ねえね。これ読んで」
「ん?」
千代が体を起こしその本を見たときには目を疑った。
【未就学児でもできる!超簡単な算数の本】
「え、千里それ読むの」
「うん!」
千里は満足げに千代の隣に座った。
「いい?まずは足し引き算。ここに鉛筆が4本消しゴムが…」
千代が読み始めると、千里は真剣な顔で話を聞いていたが途中からつまらなくなったみたいで、かえるの歌を歌っているのに鳥のように手を動かしている。
「ということを使うと、5+7は…ちょっと千里聞いてる?!」
一生懸命読んでいた千代もさすがにきづいたようで、少し怒った声を上げた。
「聞いてるよ」
まったく聞いてなかったくせに当たり前じゃんというような顔で言う。
「絶対聞いてないよ。もっと楽しい本にしてきなさい」
「や~だ、や~だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。ねぇねぇのばぁぁかぁぁ!!!!」
絶対そのほうが楽しいのに、千里は大声を上げて泣き出した。千代はいらいらして、「じゃあこれ読む?」
と千里の大好きな、赤ずきんを持ってきた。千里はさっき泣いていたなんて嘘のようにパット顔を明るくして、
「よむ!絶対絶対読む!読まなきゃなくから!泣いておっかあさんに怒られるよ」
と、変なことを言い出したので千代はさっさと読み始めた。
「赤ずきん。むかし、むかしあるところに赤ずきんと呼ばれる女の子が…」
千代がそこまで読んだとき、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「おっとうさん!」
さっき千代のことを馬鹿にしていたのに自分のことはまるで気にしないみたいだ。今度はほんとにお父さんだったみたいだ。そんなことに運がいいやつと千代は少しむかついた。
「久しぶり!千代も千里も大きくなったね」
背の高いお父さんが家に入ってくる。
「もうお父さんゴールデンウィークにあったばっかりでしょ。」
千代が笑い半分で言った。
「3か月あってなかったら、そう思うもんよ」
「まだ3か月じゃないよ。おっとうさん。」
「ほとんど3か月なもんだ。相変わらずだな。千里の呼び方は」
「だから、3か月しかたってないって」
玄関で繰り広げられたどうでもいい会話はリビングで見ていた、1人で育てているお母さんの心をちょっとだけいやす平和な時間だった。しかし平和の終わりは突然というものだった。
「千里、千代。明日どっか出かけるか。」
「海!」
千里が大きな声を出した
「海はちょっと混んでるから無理かな」
行先も決まっていないのに、お父さんがあることをいう
「二人とも。お土産を買ってきたから、これどっちか選んで。」
お父さんが取り出したのは、金シャチ型の最中と外郎。
「お父さん!また違うの買ってきたの?次は同じの買って着てって言ったでしょ!」
「いやいや、ひとつのほうがとくべつかんあるじゃん?」
お父さんがとぼけたように言う。
「こんなん箱のほうが多いんだから、同じの買ってきてよケンカするんだから。」
お母さんがそういったときにはもう遅かった。
「わたし、あんこ嫌いだからこっちがいい。」
千代が外郎を取り上げた。
「あ~。ちさともあんこ嫌い~。そっちがいい!」
千里が届くはずのないものにジャンプする。
「千里はあんこすきでしょ!すぐ真似する嘘つき野郎」
「すぐ真似する嘘つき野郎!」
「真似すんな!ていうかねぇね嘘ついてないし真似してないし?」
むかつくような口調でわざとらしく千代が言った。
「真似した」
「いつ?」
「ん~」
「答えられないなら嘘だよ!べー」
と千代が思いっきり舌を出す。
「べー!!」
千里も負けないくらいの大声で叫ぶ。
「困ったもんねぇ。千代、お姉ちゃんなんだから譲ってあげなさい。」
お母さんがやさしくいったが、それは逆効果になって千代の心に響いた。
「千代は嘘ついて嫌いって言ってるだけだもん。嫌いだったら食べられないけれど、好きではないだったら食べられるでしょ。もし私が譲ったら、二つとも千里のになるわ」
お母さんとお父さんは困ったように顔を見合わせた。二人は下の子なので上の子の気持ちがわからない。二人には優しい姉や兄がいたので、下の子が譲ってもらうのが当たり前だと思っていたからだ。
「もし、千里が11歳になったとしても譲らないで譲ってもらうばかりなんでしょ?そんなん後に生まれたもん勝ちじゃん!」
千代は負けずと声を上げた。
「千代!いい加減にしなさい!たった一つのお菓子でこんなにもめることないだろ。千里もあんこ嫌いって言ってるんだから。さっさと譲れ」
お父さんもついに怒り出した。でも、千代はめげなかった。
「なんで私が譲らなきゃいけないの?」
「でも千代。もし妹に毎回譲ってもらうお姉ちゃんがいたらどう思う?」
お母さんはまだ起こってないが、見た限り明らかに我慢しているという感じだ。
「別に私は毎回なんて言ってないし。でも譲ってもらうこともあるんだったらそっちのほうがいいと思う。」
お母さんとお父さんは深くため息をついた。ところで少しの間忘れられていた千里は、姉と両親の言い争いに巻き込まれてただ茫然としていた。
「千里、譲ってあげて。千里はお汁粉が好きなんだから、あんこ嫌いなわけないでしょ。嘘つかないで。」
やっと呼ばれた千里は、噓がばれたかとあきらめて別の作戦をとることにした。
「ちさとは、あんこよりお持ちのほうが好き!ういろがいい」
「二人ともいい加減にしなさい!お菓子でこんなにもめないで。譲らなかった人は、そのお菓子お母さんがもらうわよ」
「私、お菓子だけでもめてるんじゃない。ずっと我慢してきたんだよ。そんなこと全然わかってくれないから、そのことも含めて今言ったの。私の気持ち、まったくわかってくれない。千里が生まれる前までは楽しかったのに」
声をつらせながらしゃべっているうちに、千代の目からは涙があふれだした。千里は意味が分からないというような表情でぽかんと千代を見ている。千代は涙で視界がにじんで、何も見えなかった。部屋の照明が伸びたり縮んだりして見えるだけだ。
「千代、そんなこと言わないで。お母さんだって千代の気持ちわかってるわよ」
「じゃあ、あんなに怒らないでしょ!」
千代はお母さんに怒鳴り返すと、走って自分の部屋に引っ込んだ。
(もう何もしたくない)
ベッドの上でうずくまると、勝手にごろんとだるまみたいに千代の体が転がった。
(私、うずくまっている元気もないんだ)
いつもだったらだるまみたいと大笑いする千代も今は笑っていられなかった。お父さんは人が快適に暮らせるような開発をしている。さっきは単身赴任といったが実際にはいろんな地方の人々の感覚を得るための旅行だ。千代はそのまま眠りについた。両親が千代を呼びかけたのを気づかなかったわけじゃあないが返事をしなかった。
千代は夢を見ていた。
「千代、お父さんが新しく発明した快適枕だ。」
「これで快適に寝れるの?」
千代はお父さんに怒っていたことも忘れているようだ。
「そうだが、それだけではない。この枕はその人の体温や脳から感情を読み取り、硬さや温度を自動で調節する。AI機能搭載だから、だんだん学んでより快適になる。さらに、リラックスモードにすると感情を読み取った後脳にリラックス効果を与える電気を出しその人はストレスがちょっとだけ和らぐ。」
「すごいね。私もお父さんみたいになれるかな」
「ああ。でも勉強しないと…」
夢の中のお父さんがこの言葉を言いかけたところで千代は夢から覚めた。
「勉強か。考えたことなかった」
これまで受験とか気にせずにいた千代はなぜか心がソワソワする。
「お父さんみたいになれるかな」
千代はそわそわした気持ちのままリビングにもどり、美味しく最中を食べた(結局千代が譲った)。その後千代はさっきのことを両親に謝ると両親も悪かったと言ってくれた。千代が納得いかないような表情なので両親が尋ねると
「ねえ、私今からでも受験できるかな」