8 真実
「……なるほど、君はキャロライン本人だが頭を打って転生前の記憶が蘇り、ここがその転生前に読んでいた小説の世界だった、と。転生前の名前がユキというわけか」
「はい、そうです」
「ユキ……」
クロークは顎に手を添えてしっかりと噛み締めるように呟いた。今の自分はキャロラインなのに、クロークに転生前の名前を呼ばれて思わず胸が高鳴る。
「それで、俺に殺されないようにするために、色々と策を練っていたと」
「自分が死なないためでもありますが、クローク様が死なないためでもあります。私は、クローク様にも死んでほしくありません」
「なぜ?俺が死んでしまった方が君にとってはいいことじゃないのか。たとえ一度死を回避できたとしてもまたいつ殺されるかわからないのに」
クロークのオッドアイが真っ直ぐキャロラインを射抜いた。
「それは……そう言われればそうかもしれません。ですが、私は小説を読んでいた時、クローク様にも明るい未来があったのなら、と思っていました。こうしてキャロラインとしてクローク様のそばにいるのなら、クローク様にも生き延びて、明るい幸せな未来を生きてほしい」
キャロラインの言葉を聞いて、クロークは一瞬目を見開いたがすぐに真顔になり視線をそらす。
「君は随分とお人好しのようだな。大体の話はわかった。だが、ここが小説の世界だということを信じろと言われても信じるわけにはいかない。俺はこうして生きている。生まれた時から今まで、苦渋をなめて生きてきたようなものだ。ここが小説の世界だというのなら、俺をこんな目に合わせているその作者とやらを今すぐにでも殺してやりたいくらいだ」
地を這うような低い声でそう言うクロークのあまりの気迫に、キャロラインは背筋がゾッとする。
「そうだ、もう一つ聞きたいことがあった」
「……なんでしょうか」
「推し、というのは?」
その言葉に、キャロラインは心臓が跳ね上がった。
「そ、れは……」
「あれにはほとんど俺と君自身、ヒロインたちについて書かれていたが、次いでレオについても事細かく書かれていた。その内容はレオを褒め称えるようなことばかりだ。そして、レオのことを推しだと書いてあった。推しとはなんだ?……君は、レオが好きなのか?」
探るような眼差しでクロークがキャロラインを見つめている。そう、レオはキャロラインの転生前であるユキの推し。記憶を思い出してからレオと会話したり目が合う度にドキドキして仕方がないほどに推している。
「す、好きといいますかなんといいますか、好きは好きでも種類がありまして。あの、推しというのは、恋愛の好きとかではなく、存在そのものを応援していて、他の人にその人の良さをすすめたいほど気に入っている人のことを言うのです」
「……それで、君はレオのことを推していると」
「転生前は全力で推してました」
「今は?」
「えっ、……今、ですか?今も……です、かね?」
戸惑いつつも肯定するかのようなキャロラインの言葉を聞いて、クロークはなぜか顔が盛大に曇る。
(え、なんでクローク様そんなに不機嫌になってるの?それに、小説の内容のことをもっと聞かれるのかと思ったら、まさか推しについて聞かれるなんて)
キャロラインが驚いていると、クロークは立ち上がってキャロラインの隣に座った。キョトンとするキャロラインをまたいつものように真顔で見つめている。
「ここが小説の世界だということは納得がいかないが、一つはっきりしたことはある。君の性格がこんなにも変わってしまったのは、転生前の記憶のおかげなんだな。ユキの性格がより強く出ている、そういうことだろう」
そう言って、クロークはキャロラインのローズピンクの髪の毛をゆっくり手に取り、優しい手つきでいじり出した。ほんの少しだけだが、普段見せたこともないような柔らかい表情で髪の毛を弄んでいる。
(んん?えっ?何急に!?)
突然のことにキャロラインが胸を高鳴らせ顔を赤らめていると、クロークはそんなキャロラインを見てほんの少しだけ口角を上げる。
「俺は頭を打つ前のキャロラインが嫌いだ。憎らしいとさえ思う。だが、頭を打った後の君については、少なからず好印象を抱いている。それは、つまりユキに対して、ということなのかもしれないが」
そう言ってキャロラインの髪の毛を優しくいじりながらジッとキャロラインを見つめる。あまりの近さにキャロラインは口から心臓が飛び出そうになる。
(な、な、何を急に!?なんでクローク様がこんなにデレ始めてるの!?)
「俺はユキという人間に興味が湧いた。ユキについてもっと詳しく話してくれないか。君の転生前の人間なのだろう?」
髪に口を寄せながらそういうクロークに、キャロラインはたじろぐ。まさかクロークがこんなにも転生前の自分に興味を持つとは思わなかった。
「……ユキは、こことは全く違う別の世界で二十歳を迎える前に死んでいます。ずっと病気がちで小さい頃から入退院を繰り返していました。病院ではいつも本を読み漁っていて、ここの世界について書かれた小説も、最後の入院の時に読んでいた本なんです。まさか、死んでからその小説の中のキャラクター、しかも悪役令嬢と言われるキャロラインに生まれ変わるだなんて思いもしませんでした。今でもまだ信じられません」
苦笑しつつも、キャロラインはユキだった頃を思い出して少し悲しげに瞼を落とす。
「ユキの頃は体が弱くて本当に何もできなかった。でも、今はこうして健康なキャロラインとして生きることができています。それなら、精一杯この生を生ききって見せたい、そう思うんです。やりたいことだってできるし、美味しいものだって食べられる。見たい景色を見れるし、行きたい場所にも行けるんです。こんなに素晴らしいことはありません」
フワッと嬉しそうに微笑むキャロラインに、クロークの心臓は大きく高鳴った。
「だから、あなたに殺されたくないんです。そして、あなたにも死んでほしくない。あなたにも、この世界で幸せに生きてほしい」
そうキャロラインが言った瞬間、クロークはキャロラインの肩にそっと頭を下ろす。
(へえっ!?何?何?なんで!?)
心臓が早く鳴ってうるさい。身体中の体温が一気に顔へ集まったかのように顔が熱くて仕方がない。あのクロークが、自分の肩に無防備に身を委ねている。ありえないことが起こって、キャロラインはどうしていいかわからず、ただ固まっている。
「まさか、キャロラインにそんなことを言われる日が来るとは思わなかった。君は、ユキであると同時にキャロラインなんだよな。あの気に食わないクソのような女が、まさかこんなに変貌して、俺に……俺に幸せに生きてほしいと願うなんて」
クロークが言葉を発するたびにキャロラインの鎖骨あたりに息がかかってくすぐったい。クロークの息の熱も感じられて、キャロラインはすでにキャパオーバーだ。
「あ、あの、クローク様、そろそろ離れていただいても?」
「どうして?」
「いえ、あの、恥ずかしいといいますか、突然すぎて私も混乱しているといいますか」
キャロラインの言葉にクロークは渋々顔を離すと、キャロラインの顔を見てフハッと笑顔になる。
「まるで茹蛸のようだな」
「クローク様が突然すぎるからです!あ、あんまり見ないでください!」
手をばたつかせてそう言ってから、キャロラインはクロークの笑顔に気づいて目を輝かせた。
(わ、あ……!笑顔だ!クローク様の楽しそうな笑顔……!)
こんなにもはっきりと笑顔を見たのは初めてだ。嬉しくてキャロラインも思わず笑顔になると、クロークはキャロラインの笑顔を見て目を細める。
「……悪くない、な」
ボソリ、と呟いたクロークの声はキャロラインには届かなかった。