5 瞳の色のドレス
(あれは本当にキャロライン本人なのか?)
キャロラインの部屋から自室に戻ると、クロークは昼間の会話から食事、先ほどのキャロラインの部屋での会話を反芻し神妙な顔で床を見つめていた。
昼間、わざとキャロラインが怒るであろうことをしてみた。いままでのキャロラインであれば、恐らくは喚き散らかしてティーカップ、もしくはティーポットごとこちらへ投げつけてきただろう。それなのに、ただ淡々とこちらへ説教をして、去り際にはメイドへ気遣う様子を見せた。
食事では、あんなにまずいと言っていた料理を本当に美味しそうに食べ、クロークが同じ席にいても嫌がるどころか失礼なことを言ったと謝罪までしてきた。
キャロラインの部屋では、絶対に触れるなと言っていたくせに、嫌がるどころかまるで初心な少女のように顔を赤らめ戸惑う様子を見せる。
(信じられない。頭を打つだけであんなにも人が変わってしまうものなのか?だが、顔合わせの時に俺へ向けた失礼な言葉を覚えていた。あれは間違いなくキャロラインなのだろうな)
信じられないが信じざるを得ない状況にクロークは戸惑う。キャロラインを観察すると言ってはみたが、これは観察のしがいがありそうだ。
それに、頭を打った翌日、キャロラインの部屋でキャロラインが机の引き出しに慌てて隠したものも気になる。あれは一体なんなのだろうか、もしかしたら自分たちを騙すための策があの中に秘められているのかもしれない。
(実は我々を欺いている可能性もあるし、そうでなくとも頭を打って人が変わったとなれば、もしかしたら日が経てばまた元に戻るかもしれない。油断はできないな)
◆
「社交パーティーへ連れていく?私をですか?」
キャロラインが頭を打ってから二週間後。応接間に呼び出されたキャロラインは、目の前にいるクロークへ素っ頓狂な声をあげながら聞き返した。
クロークは絶対にキャロラインを社交の場へ連れて行ったりはしなかったし、キャロライン自身も絶対に連れていくなと言っていた。キャロラインたちがヒロインに出会うのは社交パーティーの場だが、それはキャロラインの実家がパーティーの主催だったからで、そうでなければクロークが社交の場にキャロラインと一緒に出るわけがない。それなのに、どういう心境の変化だろうか。
「ああ。それとも、俺と社交の場に出るのはやはり嫌か?」
「い、いえ。むしろクローク様がお嫌なのではありませんか?私のような人間と一緒に出歩けば、クローク様の名に傷がつきます」
悪女と名高い自分と一緒にいれば、元々あまり評判の良くないクローク自身の評判がさらに悪くなる。
「別に俺の評判が悪くなろうがなるまいが、今更なことだ。君が嫌でないのであれば問題ない。社交パーティーは三日後だ。ドレスはあるもので君が着たいものを着ればいい。それじゃ」
そう言って、クロークは応接間から出ていく。クロークに続いてレオも出て行こうとするが、ドアから出る間際、キャロラインの方をみてにっこりと微笑んでいった。残されたキャロラインはポカンとしている。
(え、待って、本当にいいの?私がクローク様と一緒に社交パーティーなんかに行っていいの?しかもドレスは好きなものを着ていいって言われたけど……どうしよう?どれを着ればいいのかわからない!)
頭を打つ前のキャロラインは派手好きだったが、今のキャロラインはむしろ派手なものが苦手だ。クローゼットの中からドレスを選び出すのも一苦労しそうで眩暈がする。
ハッとして、近くにいたユリアに視線を向けると、ユリアは首を傾げた。キャロラインが頭を打ってから屋敷の人間とは少しずつ打ち解けてきたが、一番打ち解けるのが早かったのがユリアだ。
最初はかなり警戒していたが、最近は警戒心も解けつつあり、キャロラインとは良好な関係を築いている。
「ユリア、私の持っているドレスの中で、一番控えめなドレスってどれかわかるかしら?」
「……控えめなドレスですか?うーん、以前のキャロライン様はそれはそれは派手なものがお好きでしたからね……。あっ、すみません」
「ふふっ、いいのよ。その通りだから」
ユリアが思わず謝ると、キャロラインは苦笑して首を振った。それをみて、ユリアはホッと胸を撫で下ろしてまた考え始める。
「キャロライン様がお持ちのドレスの中で一番控えめなドレスと言ったら……ああ、そうですね!」
ぽん、と手を打ってユリアは目を輝かせた。
◆
社交パーティー当日。クロークは礼服に身を纏い、応接間でキャロラインを待っていた。
(頭を打つ前はかなりの派手好きだったが、今は果たしてどんなドレスを選ぶだろうか。もしも俺たちを騙そうとしているのであれば、せっかくの社交の場に派手なドレスを選べなくて悔しがっているかもしれないな)
ふん、と椅子に座りながらそんなことを考えていると、応接間のドアがノックされる。
「キャロライン様のお支度が整いました」
「ああ、入れ」
ドアが開き、キャロラインが部屋に入ってくる。その姿を見て、クロークは目を見張った。
(あのドレスは……)
キャロラインが身に纏っているのは、紺色の生地に翡翠色の細かい宝石が散りばめられた刺繍が施されたドレスだった。それは、キャロラインとクロークの結婚が決まった当初、クロークがキャロラインへ送ったドレスだ。紺と翡翠色、クロークの瞳の色であり、クロークにしてみれば呪われた瞳の色として嫌味を込めて送ったドレスだったし、当時のキャロラインは失礼にも程があると大層怒っていたものだ。
「どうしてそのドレスを……」
「えっと、クローゼットの中にあるドレスはどれもこれも派手なものばかりだったので。一番控えめそうなものを、と思って着てみたのですが……似合いませんでしょうか?」
申し訳なさそうにキャロラインが言うと、クロークは目を見開いて絶句する。
「とてもお似合いですよ。ね、クローク様」
レオが咄嗟に助け舟を出すと、クロークはハッとしてすぐにキャロラインから視線を外す。
「あ、ああ。問題ない」
「それならよかったです」
ホッとしたように胸を撫で下ろしクロークに微笑みかけるキャロラインを見て、クロークはなぜか胸の中にこそばゆさを感じた。
(は?なんだ、この感情は)
クロークは一瞬顔を顰めるが、すぐにいつもの無表情に戻り、応接間から出ようとする。
「支度が済んだなら行こう」
「は、はい……っきゃ!」
慌ててクロークの後をついて行こうとするキャロラインが、思わずつんのめって倒れそうになる。既のところでレオがキャロラインを受け止めた。
「大丈夫ですか。キャロライン様」
「う、あ、えっ、あ、はい!だ、大丈夫です!ごめんなさい!」
転生前、最推しと崇めていたレオに抱き止められたことでキャロラインは顔を真っ赤にし、すぐに体を離す。そんな二人の様子を見て、クロークはまた胸の中によくわからない、モヤモヤしたものを感じて顔を顰めた。
(なんなんだ、一体)