39 兄の本当の気持ち
(トリスタン様が、泣いている……)
キャロラインは目の前で起こっている光景に驚くばかりだ。小説内では完璧そのものである絶対的なヒーローなはずのトリスタンが、マリアの腕の中で泣き崩れている。
さっきまでトリスタンへ飛びかかろうとしていたクロークも、兄が泣く姿を見るのは初めてだったのだろう、唖然として固まったままだ。クロークとトリスタンの間へ入るようにして立っていたレオは、トリスタンの姿を見て神妙な顔をしながら、静かにクロークの後ろへ下がっていった。
「兄上……」
クロークがぽつりとつぶやくと、トリスタンはビクッと小さく震える。そんなトリスタンの背中を、マリアはただ静かに優しく撫でていた。
トリスタンはしばらく泣いていたが、ようやく落ち着きを取り戻すとマリアからそっと体を離して、ふうと小さく息を吐く。
「情けない兄だと思っただろう。そうだよ、俺は情けないんだ。マリアの言う通り、父親の言いなりになっていただけのお人形で、それに納得いかないくせに何もできず、優秀なお前にただ嫉妬していただけの哀れな兄だよ」
クロークへ向かってフッと眉を下げ自嘲気味に微笑むトリスタンを見て、キャロラインは胸が痛んだ。
(トリスタン様は優秀なクローク様に嫉妬していた。でも、本当にそれだけ?ううん、それだけではない気がする。もっと何か、別の……)
「……トリスタン様は、もしかすると寂しかったのではないですか?」
いつの間にか、キャロラインの口から言葉が飛び出ていた。突然のことに一同がキャロラインへ視線を向ける。だが、キャロラインは一手に視線を集めていることに気が付かず、ただトリスタンをじっと見つめてまた口を開いた。
「あくまでも私の勝手な想像なのですが、父親の発言が絶対であるレギウス家の中で、唯一心を開けるのがクローク様だった。小さい頃は仲が良かったと聞いています。きっと、トリスタン様にとってクローク様はなんでも話し合える可愛い弟だったのでしょう。ですが学校へ行くようになり、クローク様との距離は離れ、クローク様の側にはずっとレオがいる。もしかして、クローク様をレオに取られたと思ったのでは?」
キャロラインの言葉に、トリスタンは両目を大きく見開いた。クロークもレオも驚いてキャロラインを見ている。だが、クロークはすぐに渋い顔になった。
「何を言っているんだ。学校へ行くようになってから俺と距離を取り始めたのは兄上だぞ。学校に行って、俺のオッドアイがおかしいものだと気がついたからだろう。レオに俺を取られただなんて思うわけがない」
クロークは呆れたように言うが、キャロラインはめげずに話を続ける。
「それはそうなのかもしれません。でも、学校へ行くようになって距離を取り始めたのも、もしかしたら何か理由がある気がして……。以前お茶会で、レオのクローク様へのお気持ちを聞いた時、トリスタン様はどこか寂しげに見えました。オッドアイの弟を毛嫌いしている人間が、あんな寂しそうな顔をするとは思えないんです」
「……はは、まいったな」
キャロラインの言葉を聞いて、トリスタンが両手で顔を覆いながらため息交じりに言った。そんなトリスタンを、クロークは訝し気な目で見つめる。
「まさかキャロラインにそんなところまで見られていただなんて思わなかった。いや、そもそも俺は顔に出していたのか?信じられない。隠しきれていたと思っていたのに」
吐き捨てるようにそう言うと、顔を上げてトリスタンは困ったように首を横に振った。
「兄上?」
「キャロラインの言う通りだよ。俺はレオにクロークを取られたと思っている。レオは出来る男だ。だから側近としてほしいという気持ちはもちろんある。だけど、それ以前にレオとクロークを引き離せば、自然とクロークと俺の距離がまた縮まると思ったんだ。小さい頃のようにね」
「は?」
トリスタンの言葉に、クロークは今度こそ意味が分からないという顔でトリスタンを見つめていた。
「学校に行ってから距離を置くようになったのは、同級生や先輩たちをクロークに近寄らせないためだ。俺は入学当初、クロークのオッドアイについて呪いなんて何もおこらない、むしろ優秀な弟だと皆に言っていたんだ。だけど、納得しない学生たちは俺がクロークに騙されていると思って、クロークへ嫌がらせをしようと言い出した」
クロークはトリスタンの話を聞きながら眉を顰める。
「学校へクロークを無理矢理連れて来て、痛い目に合わせてやろうと言うんだ。そうすればクロークが呪いの力を発揮して、それを見れば俺の目も覚めるだろうと。全く、馬鹿げているだろう?俺は話が通じないと思って、仕方なくみんなと同じようにクロークのオッドアイを卑しいものだと思っている態度を取るようにしたんだ」
(トリスタン様が学校へ行くようになってからクローク様を避けていたのは、クローク様を嫌がっていたのではなくクローク様を守るためだったのね)
やはり、ちゃんとした理由があったのだ。キャロラインがホッとすると、隣でクロークは険しい顔のまま、複雑そうな顔をしている。
「そうこうしている間に、クロークの側にはレオがいて、いつの間にかクロークにとってレオは無くてはならない存在になっていた。あっさりクロークを取られてしまったと思ったよ。自業自得なのはわかってる。でも、俺にはもう後戻りすることはできなかった。父上の前でもクロークを毛嫌いする態度を取らなければ、父上は俺にわからせるためだと言ってもっとクロークへ酷い仕打ちをするだろう。あれ以上クロークが傷つく姿を見るのは嫌だったんだ」
「……意味が分からない」
クロークが戸惑ったようにぼそりと呟くと、レオは複雑そうな顔でトリスタンを見ながら微笑む。
「大人になり、せめてレオとクロークを引き離せば、クロークも俺を少しずつ頼ってくれるようになるんじゃないかって期待したんだ。でも、そうしようとすればするほど、お前たちの絆は強まるばかりだろう。次第に、何のためにレオをよこせと言っているのかわからなくなっていたな。意地になっていたのかもしれない」
フッと苦笑すると、トリスタンはクロークへ視線を向けた。普段はほとんど視線を合わせることがなかったオッドアイの瞳を、まるで幼いころのように穏やかに見つめている。
「トリスタン様は、クローク様のことを愛してらっしゃるんですね」
キャロラインが小さく微笑みながらぽつり、と静かにそう呟く。その言葉にトリスタンは目を見張ったが、すぐに悲しそうなでも嬉しそうな、くしゃっとした笑顔を見せた。
「そう、かもしれないな。家族として、ちゃんと愛していたよ。いや、違うな……いまでも愛している」
トリスタンの言葉を聞いた瞬間、クロークは息を呑む。キャロラインは心底嬉しそうに微笑み、マリアは両手を顔の前で合わせてまあ!と目を輝かせた。レオは、一瞬大きく目を見開いてから口の端を上げて俯く。
「はあ、話しをしたらなんだか一気に肩の荷が下りたな。もうキャロラインを連れて帰ることはできなくなったし、俺がここにいる意味は無くなった。帰るよ」
そう言って小さく息を吐いてからトリスタンは横にいるマリアへ視線を向け、マリアの片手をそっと掴む。その手は小さく震えていたが、マリアは優しく握り返した。
「マリア、いろいろとありがとう。君からあんな風に言われると思わなかったけれど、言われたことで目が覚めたよ。……あんな醜態を見せてしまったのに、君にあんな風に言われたのに、俺はまだ君を諦めきれないでいる。今は君を口説く資格がどこにもない。でも、その資格を得られるくらいの男になれたら、その時は、……いや、その時まで待っていてほしいだなんて都合が良すぎるし、その頃にはきっと君はもう他の誰かに奪われているかもしれないね」
「トリスタン様……」
マリアの手を愛おしそうに親指で撫でると、そっと手を離してトリスタンは席を立とうとする。だが、キャロラインの声がトリスタンの動きを止めた。
「待ってください、トリスタン様」




