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38 お人形

 にっこりと微笑んだまま、その微笑みに似つかわしくない言葉を告げるマリアに、トリスタンは絶句する。


「……なぜ?俺が愛しているのはマリア、君だけなんだよ?キャロラインはあくまでも第二夫人だ。一緒の屋敷に住むのが嫌だと思うなら、別邸に住まわせよう。もちろん、キャロラインにもなに不自由させないと約束する。君たちはとても仲の良い友人だからね」


 慌ててスラスラと言葉を並べていくトリスタンを見ながら、マリアは否定するように首を振った。


「そういうことではありません。キャロライン様をさも物のように扱おうとしていることが嫌なのです。私のことだけを愛している?それは当然ですわ。それなのに、お父様に逆らえないからとキャロライン様を第二夫人にする?キャロライン様の気持ちも、クローク様の気持ちも、何より私の気持ちも考えないで?……馬鹿にしないでください」


 マリアはもう微笑んでいなかった。軽蔑するような瞳でトリスタンを見つめている。その表情に、トリスタンはただ大きく目を見開くしかなかった。


「そ、れは……」


 まさかマリアにもう会わないと言われるだなんて思ってもいなかったのだろう。トリスタンはマリアの言葉に絶句し、ただマリアの顔を見つめることしかできない。そんなトリスタンへ追い打ちをかけるように、クロークが口を開いた。


「兄上は俺とキャロラインを離縁させたがっているようですが、なぜそんなにも簡単に離縁させることができると思っているのです?」

「それは、お前たちが……」


 そこまで言って、トリスタンは何かに気付いたように両目を見開く。それを見たクロークはニヤリと笑みを浮かべ、キャロラインの肩を抱いて愛おしそうに引き寄せた。


「まさか、白い結婚ではなくなった……!?」

「ご名答。俺たちはもう、白い結婚ではありませんよ。全てで愛し合っているんだ、なあキャロライン?」


 うっとりとした顔でキャロラインを見つめそう問いかけるクロークに、キャロラインは戸惑いつつも頬を赤らめながら小さく頷く。それを見てマリアは両手を顔の前で会わせながらまあ素敵!と嬉しそうに微笑み、トリスタンは口をあんぐりと開けたまま凝視していた。


「それに、先日父上がここに来て好き放題言って来たので返り討ちにしてやりました。兄上も、父上から聞いているのでしょう?もう二度と俺たちに近づくなと釘を刺しておいたので、父上は兄上とキャロラインを結婚させようなどとは思わないと思いますが」


 クロークの言葉にハッと意識を戻したトリスタンは、恨めしそうにクロークを睨んだ。


「そのことだが、父上は今まで見たことが無いほどお怒りだった。お前もお前だぞ、実の父親をあんなボコボコにして」

「実の父親?その父親に、息子だと思ったことは一度も無いと言われ続けて来たんですよ。そんな男を父親だと思うわけがないでしょう。むしろぼこぼこにして何が悪い?しかもあいつはキャロラインに手を上げようとしたんだ。……殺されなかっただけありがたいと思ってほしいくらいですよ」


 その場の空気が一気に変わる。クロークからは一瞬で殺気が漂い、トリスタンは思わず息をのむ。クロークの尋常ではない雰囲気にトリスタンは冷や汗が流れるのを感じた。だが、すぐに正気を取り戻すかのように目を瞑り、大きく息を吐く。


「父上はあんな目にあって、むしろキャロラインを絶対にお前から引き離すと言ってきかなかった。逆効果だったよ。何が何でもキャロラインを連れて帰れと言われて来たけれど……それももう無理だな」


 トリスタンはそう言って顔を伏せると、顔を両手で覆う。それから、しばらくして小さな唸り声が聞こえてきた。


「……何もかもが上手くいかない。どうして、どうしてだ!どうして誰も俺を選んでくれないんだ!?どうしてみんなクロークを選ぶんだよ!レオもキャロラインも……マリアでさえ、俺から離れようとする!どうしてだ!ふざけるなよ!俺がどんな思いで父上に逆らわず今までやって来たと思ってるんだ!」


 両手を顔から離し、両目をひん剥いてトリスタンは大声で喚く。それから、頭を抱えると髪の毛をぐしゃぐしゃとかき乱し始めた。


「ああああ!もう!ふざけるなよ!嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ!どうして俺が跡継ぎなんだよ!双子なのにどうして俺なんだよ!ちょっと先に生まれただけだろうが!どうしてお前はオッドアイなんだ!お前がオッドアイじゃなければ、お前の方が優秀なんだから俺は跡を継がなくても良かったはずなのに!あんなクソ親父の言うことを聞かず、あんな家!すぐに出て行くのに!」


 常軌を逸した様子で大声を出し喚くトリスタンを、クロークもキャロラインも、マリアでさえ驚愕の眼差しで見つめていた。本当にこれがあのトリスタンなのだろうか?小説内では完璧とも思えるほどの男が、目の前で取り乱し、髪の毛をかきむしりながら喚いている。


「はっ、ははっ……!それが兄上の本性ですか」


 クロークが渇いた笑い声をあげる。それからすぐに冷ややかな視線をトリスタンへ向けた。


「どうして俺がオッドアイだ?そんなの俺の方が聞きたいくらいですよ。俺がオッドアイじゃなければ兄上は跡継ぎにならなくて済んで、あの家から出て行けた?……ふざけるなよ、このオッドアイのせいで俺がどれだけあの家に、あの両親に、兄上たちに苦しめたれてきたと思っている!?それをいとも簡単に、オッドアイじゃなければだと!?勝手なことを言うな!」


 激高し今にもトリスタンへ飛びかかりそうな勢いのクロークを、キャロラインが慌てて腕を掴み抑えつける。クロークとトリスタンの間に入るようにしてレオも立ちはだかった。


「トリスタン様、いくらなんでも先ほどの発言は許容できかねます」


 レオが厳しい表情でトリスタンを見つめながらそう言うと、トリスタンは髪をかきむしっていた両手を静かにおろしながら自嘲気味に笑う。すると突然、マリアがトリスタンの横で静かに言葉を発した。


「……なぜキャロライン様やレオ様がクローク様を選ぶのか、とおっしゃっていましたね。それは、トリスタン様がご自分では何も決めることができず、ただお父様の言いなりになっているお人形だからではないですか?」

「……お人形?」


 眉を顰めながらマリアの言葉へ聞き返す。そんなトリスタンの顔を、マリアはなんの感情もあらわさないまま見つめていた。


「クローク様は、オッドアイゆえに家族からも世間からも疎まれ、忌み嫌われてきました。それでも、クローク様はオッドアイだからということに逃げて全てを諦めることをせず、ご自分の力で騎士になり今の地位を築き上げた。キャロライン様と出会ってからは、明るい未来を見ていきたい、キャロライン様と共に生きていきたいとさらにご自分を磨き上げておいでです。そのおかげで、少しずつ周囲の皆様との信頼関係もできてきているとお聞きしました」

「それは、クローク自身がそもそも優秀だから……」

「そうですね。ですがいくら優秀でも、それを活かすも殺すもご自分次第です。クローク様は、きちんとご自分で選択し、行動しています。ですが、トリスタン様はどうでしょう?どんな時でもお父様の言いなりで、ご自分で決めていない。選択していることと言えば、お父様の言うことを聞くということだけです」

「仕方ないだろう!俺は跡継ぎなんだ!あの家では父上の言うことが絶対で、それに従うのが当然なんだから!俺だって好きでやっているわけじゃない!」


 トリスタンは食って掛かるようにマリアへ言う。だが、マリアは変わらず冷静なままだ。


「そうやって育てられて生きて来たんですものね。そう思ってしまうのも仕方ないことだとは思います。ですが、たとえそうであったとしても、何にも疑問を持たずただそうだと受け入れてしまうのは、ご自分を死なせているようなものではありませんか?あんな風に取り乱してしまうほどだということは、本当はご自分で納得がいっていないということなのではありませんか?」

「それは……」

「ご自分に嘘をつきご自分を殺し父親の言いなりになっているだけの人間に、誰が心から仕えたいと思うのでしょう。誰が人生を共にしたいと思うのでしょう。そんな人間と築き上げる未来が、果たして明るく希望のある未来だとでも?」


 マリアの言葉に、トリスタンは目を大きく見開いて絶句する。顔は蒼白く、今にも泣きだしてしまいそうだった。そんなトリスタンの両手を、マリアはそっと掴み、優しく包み込んだ。


「レギウス家の代々続くまるで呪いのようなしきたりは、どこかで断ち切らなければいけません。トリスタン様は、それを一手に引き受けていたのかもしれませんが、そんなものトリスタン様が一生をかけて背負い続けるものではないのですよ。トリスタン様の幸せは、トリスタン様ご自身が見つけ、選び、掴んでいいものなのです。それがトリスタン様の人生で、それは他の誰かに操作されるものではありません。ご自分の人生は、ご自分で謳歌していくものです。そしてそれは今からでも遅くはありません。いつからでも、遅いなんてことはないのです」


 マリアの言葉に、トリスタンは両目を見開いたままだった。だが、その両目から次第に涙がポロポロと流れ始める。そんなトリスタンをマリアがそっと優しく抱きしめると、トリスタンは堰を切ったようにマリアの腕の中で泣き崩れた。



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