36 未来へ
深々とお辞儀をして礼を言うレオの額は、今にもテーブルにつきそうなほどだ。
(レオが、こんな風に思ってくれていただなんて……!)
レオの主であるクロークに対する気持ちは小説を読んでいる頃からわかっているつもりだった。だが、それだけでは知り得ないほどの大きな気持ちを、目の前にいる現実のレオは持っている。
レオが思っていたクロークの救い方とは全く違うキャロラインのやり方に対して礼を言うばかりか、少し悔しいとまで言ってきたレオの思いは相当なものだろう。そして、それを素直に言えてしまうあたりがレオの人の良さをあらわしているようで、キャロラインは胸が熱くなった。
(これだからレオのことを推さずにはいられないのよね)
「レオ、お願いだから頭を上げて。気持ちはじゅうぶんにわかったわ。だから、ね?」
キャロラインがそう言うと、レオは少し間を置いてから静かに顔を上げた。視線が合うと、キャロラインはレオを気遣うように優しく微笑む。
「レオがそんな風に思ってくれているなんて知らなかった。ちゃんと気持ちを伝えてくれてありがとう。レオは私なんかよりもクローク様のことをよく知っていて、ずっとそばにいて支えていたでしょう。そんなレオに、お礼を言われてすごく嬉しい。それに、悔しいだなんて言われるなんて思わなかったわ」
キャロラインの言葉に、レオは思わず苦笑する。そんなレオの瞳を、キャロラインは真っ直ぐに見つめて言葉を続けた。
「クローク様はずっと誰にも愛されずに生きてきたと言っていたけれど、私はそうは思わない。誰よりも、レオがクローク様に愛を向けてくれていたじゃない。私とは違う種類の愛かもしれないけれど、レオのクローク様に対する気持ちは、紛れもなく愛だと思うわ。クローク様も、それが愛だとは気づいていなかったかもしれない。でも、それでもちゃんとクローク様はレオに愛されていたし、クローク様だってそれに応えていたはずよ。だから、お二人はそんなにも素晴らしい主従関係を築き上げてこれたんだと思うの」
キャロラインの言葉に、レオの瞳が大きく見開かれる。小説内でのクロークとレオの主従関係は各方面からたくさんのファンがいた。クロークの墓標で嘆き悲しみ、自害するレオの姿に涙を流した読者は多く、キャロラインの転生前であるユキもその一人だった。
そして、実際にレオとクロークの関係性を目の当たりにして、キャロラインは二人の強い絆を確信していた。二人のお互いを大切に思い合い信頼し合う気持ちを愛と呼ばずしてなんだと言うのだろう。
「小説内ではクローク様もレオも死んでしまう。小説自体はハッピーエンドだったけど、二人の結末は私にとっては悲しいことだったの。どうしてかわからないけれど、ここでこうして私は生きていて、そんな結末は絶対に嫌だって思う。だから、二人には絶対に死んでほしくない。いつまでも、二人の素敵な主従関係を見ていたい。私は、クローク様にもレオにも、明るい未来を見つめて生きてほしいって思っているの。だから、これからもどうかクローク様のことをよろしくね」
そう言ってフワッと微笑むキャロラインから、レオは目を離せないでいた。キャロラインのいる席は窓からは遠く、日の光が直接当たっているわけではない。それなのに、キャロラインがなぜか神々しく光っているように見えて、その眩しさにレオは思わず目を瞑る。その瞑った瞳からは、ぽたり、と涙がこぼれ落ちた。
「はは、参ったな……人前で涙を流すなんてあり得ないことなのに。はあ、全く、キャロライン様には敵いませんよ」
レオは聞こえないほど小さな声でそう言いながら目元を袖で拭い、静かに席を立つ。
「話ができて本当によかったです。ありがとうございました。俺は執務室に戻りますね」
そう言ってレオがお辞儀をし、退室しようとしたその時、バターンと大きな音が聞こえて、扉が乱暴に開かれた。
驚いて振り向いたレオの目には、ものすごい形相のクロークが映っている。レオが唖然として固まっていると、クロークはレオを一瞥してからレオの前を通り過ぎると、キャロラインの前にズンズンと歩いていく。
(え?クローク様?)
ポカンとしてクロークを見上げるキャロラインの手を強引に引き寄せると、クロークはぎゅうっと強くキャロラインを抱きしめた。
(は?え?何!?)
突然のことにキャロラインは固まってしまう。そんな二人を見て、レオは苦笑しながら言った。
「話を聞いて、いてもたってもいられませんでしたか?お二人の邪魔をしてはいけないので、俺は執務室でお待ちしてますね。クローク様、早めに来てくださいよ」
くっくっくっと笑いながらそう言うと、レオはドアの方へ歩き出した。
「レオ」
クロークがキャロラインを抱きしめたままレオの名前を呼ぶと、なんでしょうかとレオは首を傾げてクロークを見た。
「……お前が根を上げることなくずっと俺のそばにいてくれたことで、俺は救われたことが何度もあった。お前がどんな結末になったとしても俺と一緒にどこまでもついていくと言ってくれたこと、本当に嬉しく思うよ。お前のおかげで俺はここまで来れたし、救われてきた。だから、キャロラインに対して悔しがる必要なんてない。……俺にはお前がこれからも必要だ。今更疲れましたもう無理ですなんて絶対に許さないからな。だから、これからもずっと粘り強くついてきてくれ」
クロークのオッドアイがレオを射抜く。レオは両目を大きく見開くと、フッと笑って俯き、唇を噛み締めた。
「当たり前じゃないですか。クローク様がお前はもう必要ないって言ったとしても、俺はしぶとくクローク様のそばにい続けますよ」
顔を上げてフハッと嬉しそうに笑うレオの両目には涙が浮かんでいる。そんなレオを見て、クロークは眉を下げて微笑んだ。
「馬鹿か、俺がそんなこと言うわけないだろ」
「ですね!……それじゃ、俺は今度こそ失礼します」
涙が流れ落ちる前にフイッと顔を背けると、レオは足早に部屋を出ていった。レオを見送ったクロークは、腕の中のキャロラインが小さく震えていることに気がつく。
「……キャロライン?」
心配そうに体を少し離してキャロラインの顔を覗き込むと、そこには感極まり涙をボロボロと流している姿があった。そのあまりの泣きようにクロークはギョッとする。
「キャロライン!?」
「うっ、うっ、公式が、と、尊い!目の前でお二人がこんな素敵な会話をするだなんて……うっ、うっ」
「は?こうしき?なんだって?」
(お二人が尊すぎる……!本当に、もう、情緒がぐちゃぐちゃだわ!)
転生前のユキの頃、小説を読んでいた時には二人をブロマンス目線で見てその関係性に感動していたのだ。目の前で二人の強い絆を見せつけられてどうしようもなくなり、キャロラインはクロークの腕の中でボロ泣きしていた。
「うっ、うっ、ずみまぜん……すぐに、お、落ち着きますので」
涙をハンカチで拭い、フーッと大きく深呼吸をする。何度か深呼吸して息を整えると、ようやくキャロラインの情緒は落ち着いた。戸惑いながらもキャロラインの背中をさすっていたクロークは、キャロラインが落ち着いたのを見てホッとする。
「まさかそんなに泣かれると思わなかった」
「お恥ずかしい限りです……でも私、お二人の関係性が本当に好きだったので、感無量でした」
ふう、と息を吐いてキャロラインは胸に手を当てる。
「そんな俺たちの姿を見ることができたのも、元はと言えば君のおかげだろう」
フッと微笑みながら紡がれるクロークの言葉に、いまいち意味がわからないキャロラインは目を瞬かせながら首を傾げる。それに、そういえばどうしてクロークはここにいるのだろうか?
「そういえば、クローク様はどうしてここへ?突然でびっくりしました」
「……!君があまりにも俺の心を掻き乱すことを言うからだろう!全く、自覚なしなのが恐ろしいよ」
そう言って、クロークはまたキャロラインをそっと抱きしめた。
「俺はずっと、誰からも愛されていないと思って生きていた。だけど君の言葉で、俺はちゃんとレオから愛をもらっていたんだと気づくことができた。それに君は、俺がちゃんとそれに応えていた、だから強い絆ができているんだと言ってくれただろう。……俺は、ちゃんと愛を知っていたんだな」
ぎゅうっとキャロラインを抱きしめる力が強くなる。
「それに君は小説のような結末を絶対に迎えさせたくない、俺とレオに明るい未来を見て生きてほしいと言ってくれただろう。君がいなかったら、きっと俺たちは明るい未来など見ることはなかった。俺に、俺たちに希望を見せてくれたのは君だ。暗闇の中にいる俺に光を指し示して、手をとって一緒に行こうと言ってくれた」
「クローク様……」
クロークはそっと静かに体を離すと、キャロラインの顔を覗き込みながら、キャロラインの頬に片手を添えて優しく撫でる。そして、有無を言わさずキャロラインの唇に噛み付くようなキスを落とした。




