30 狂気
パシーン!と大きな音が鳴り響く。手を盛大に叩かれたロッグヴェルは驚いてキャロラインを見るが、キャロラインの表情を見てさらに目を見張る。先ほどまで怯えたように青ざめていたキャロラインはどこにもおらず、ロッグヴェルをこれでもかと言うほど睨みつけている。
「キャロライン……!?どういうつもりだ!?」
「どういうつもりだはこちらのセリフです。クローク様に謝ってください」
「……は?」
「クローク様に謝ってください!」
キャロラインが大声で叫ぶ。今まで聞いたこともないほどの大声に、クロークもレオも驚いてキャロラインの背中を見つめた。
「あ、謝れだと?どうして謝らなければいけない!当然のことを言ったまでだ!」
「当然のこと?あんな酷い言葉が、当然のこと?信じられない!どうしてあんなことを、実の息子に平気で言えるのですか?神経を疑います。本当に信じられない」
「は?当たり前だろうが!この男は、呪われた瞳を持っているんだぞ!言われて当たり前だ!」
「呪われた瞳?だから何だというんですか!そもそも本当に呪われているのですか?何も起こっていないのでしょう?古い言い伝え、ただの迷信なだけで何もされていないくせに、オッドアイだというだけで呪われてるだの穢らわしいだの、馬鹿げています!父親なら、どうして寄り添ってあげなかったのですか!?どうして拒否するようなことを!?」
怒りに任せて捲し立てるように言うキャロラインを見ながら、ロッグヴェルは信じられないという顔をしてから、すぐにハハッと嫌な笑みを浮かべた。
「……頭を打って本当に変わってしまったようだな。お前こそあんなにもこの男を毛嫌いしていたではないか!近寄るな、穢らわしい、顔を見せるなと会うたびに罵倒していたのだろう?お前こそ今更なんだ!お前が一番最低で馬鹿げているではないか!そんなお前に、父親がなんたるかを諭す資格はない!恥を知れ!」
ロッグヴェルに反論され、キャロラインはビクッと肩を揺らす。まさに、その通りのことすぎてキャロラインは目が今にも落ちそうなほど大きく見開いたまま微動だにしない。それから、震えるような声を絞り出す。
「……その通りです。あの頃の私は、本当に最低で馬鹿でした。クローク様本人を見ようともせず、知ろうともせず、ただオッドアイだと言うだけで、呪われてるだの、穢らわしいだの、近寄る見るな触るなと罵声を向けて……本当に、最低でした」
そう言いながら振り向き、キャロラインはクロークを見る。振り向いたキャロラインの表情を見たクロークとレオは息を呑んだ。その表情は悲痛で苦しげで今にも泣き崩れてしまいそうだ。あまりにも辛そうで見ていられないほどなのに、クロークは目を逸らすことができない。大丈夫だと言って抱きしめてあげたいのに、キャロラインはそれを許さないというような不思議な空気を纏っていて、クロークは一歩も動けないでいた。
「キャロライン……」
クロークが無意識に名前を呼ぶと、キャロラインはハッとして悲しげに小さく微笑んだ。そして、ロッグヴェルの方を向く。
「私は、本当に馬鹿でした。それなのに、いくら謝っても許されないほどのことなのに、クローク様は今の私を本当に大切にしてくださっています。だからこそ今はクローク様のそばにいたい、その思いに応えたい、クローク様を一生涯大切にしたいと思っています。ですから、クローク様を一方的に怒鳴り散らし罵倒するような人間は、それが誰であろうと絶対に許しません!」
キャロラインはそう言ってキッとロッグヴェルを睨みつけた。
「何を……頭を打ってしおらしくなった、淑女のようになったと聞いていたが、全くそんなことはないではないか!ふざけるな!許さないだ?お前のような女に許されようなどとハナから思っていないわ!そもそも女、しかもこんな男の妻の分際で義父に口ごたえするなど生意気だ!性根を叩き直してやる!」
唾を吐き散らしながらロッグヴェルはそう言ってキャロラインへ手を上げる。叩かれる、そう思ってキャロラインは目を瞑ったが、ロッグヴェルの手はキャロラインへ届かない。
「いい加減にしろよ、このクソ親父」
強圧的な声でそう言いながら、クロークはロッグヴェルの腕を掴み睨みつける。その瞳はもはや常軌を逸し、狂気にも似たものを孕んでいるかのようだ。キャロラインの前にはキャロラインを守るようにしてレオが立っていた。
「貴様、手を離せ……!」
「あ?離してください、の間違えだろう?ふざけるなよ、俺の大切なキャロラインに手を上げようとしてただで済むと思ってるのか?」
ギリギリとクロークはロッグヴェルの腕を掴む力を強めていく。次第に、ロッグヴェルの腕からミシミシッと嫌な音がし始めた。
「グアアッ、や、やめ、離せ!腕が!腕が!」
「こんな腕、無い方が世の中のためだ。そもそも、何のために俺が騎士になったと思っている?家を継げないからか?違う。いつどんな時でもお前をなぶり殺せるようにだ。こんな腕、簡単に握りつぶせるくらいには鍛えているんだよ」
「ぎゃああああ!」
ミシミシッとさらに音がして、いよいよロッグヴェルの腕が使い物にならなくなると思われたその時、クロークの腕をキャロラインが掴む。
「クローク様、これ以上はもうやめてください!もうじゅうぶんです!」
「……キャロライン?じゅうぶんなはずないだろう。この男は君を殴ろうとしたんだぞ?こんな腕、二度と使えなくした方がいい。むしろ今すぐ息の根を止めてもいいくらいだ。そうだな、今ここで殺してしまおう。それがいい」
クロークの目が完全に据わっている。その尋常ではない様子にキャロラインは青ざめるが、すぐに首を振ってクロークへ訴えかける。
「ダメです!こんなクソみたいな人間のために、クローク様がそんなことしなくていいんです!クローク様の手を汚す必要はありません!そんな価値、このクソ男にはありませんから!お願いです!」
そう言って必死に止めようとするキャロラインを見て、クロークは小さくため息をつき、ロッグヴェルの腕を離した。
「ああああああ!」
手を離されたロッグヴェルはそのまま床に転げ落ち、あまりの痛さに腕を抑えながら床をのたうち回っている。腕を離したクロークにホッとしてキャロラインがクロークの腕から離れたのも束の間、クロークは未だ冷ややかな瞳のままのたうち回るロッグヴェルへ足を向ける。そして、ロッグヴェルの腹に蹴りを入れた。
「グアッ!」
「クローク様!?」
驚くキャロラインを尻目に、クロークはロッグヴェルを見下ろしたまま何度か蹴りを入れる。
「うるさいんだよ、黙れ」
「グアッ、ゲホッゴホッ」
のたうち回るのをやめて咳き込むロッグヴェルの腕に、クロークは足を乗せた。そして、足の裏で腕をギリギリと踏みつける。先ほどクロークに握りつぶされそうになった腕を今度は踏みつけられて、ロッグヴェルはあまりの痛さに悲鳴を上げた。
「や、やめろ!やめろおお!」
「黙れと言っただろう、聞こえなかったのか?いいか、キャロラインの慈悲のお陰で命を奪うことだけはしない、ありがたく思えよ。もう二度とこの屋敷に来るな。キャロラインに会うな。俺の前に姿を見せるな。次にその姿を見たとき、今度こそ息の根を止めてやる。呪われた瞳だ?ハハッ、笑わせるなよ。呪いなんて必要ない、お前はこの手で殺してやる」
そう言って、クロークは最後に一発ロッグヴェルの腹を蹴り飛ばした。ロッグヴェルはそのまま壁にぶつかり、気を失う。
「レオ、このゴミを屋敷の外へ放り投げろ」
「……かしこまりました」
レオへ指示をすると、クロークはキャロラインの手をとり歩き出した。キャロラインは急なことに驚くが、クロークの足は止まらない。そのままクロークの執務室へ到着し、中へ入るとクロークは扉に鍵をかけた。
「クローク様……」
「……どうして止めた?あんな男、死んでいいだろう。むしろ死んだ方が世の中のためだ。キャロラインが止めなければ、息の根を止めてやれたのに……」
光のない瞳はキャロラインを見ているようで見ていない。据わった目のままブツブツと小声で言葉を発しているクロークを見て、キャロラインは何も言えずただその場に立ち尽くしていた。
(小説の中の、クローク様と同じ……小説の中ではヒロインを執拗に虐める私をクローク様は怒りに任せて殺したけれど、ここでは私を殴ろうとしたお義父様を怒りに任せて殺そうとした)
展開は違えどクロークが人を、しかも父親を殺そうとしたことにキャロラインは驚くしかなかった。未来を変えられたと思っていたのに、相手が変わっただけでクロークは人を殺めようとしたのだ。
(しかもその理由が、私……)
キャロラインは無意識に自分の体をぎゅっと抱きしめる。そうしていなければ、自分の体を支えきれずその場に座り込んでしまいそうだったからだ。そんなキャロラインに気づいて、クロークはまだ光のない瞳のまま自重気味に笑う。
「ハッ、キャロライン、どうした?どうして怯えている?俺が怖いのか?……それとも、やっぱり君もあの男と同じ、オッドアイの俺を拒絶するのか?君まで?は、はは、ふざけるなよ!いいか!俺から離れられると思うなよ!俺に光を見せておいて、やっぱりお前は必要ない人間だと突き落とすなんて許さないからな!絶対に!許さない!」
焦点の定まらない両目を見開き、我を忘れたように喚き散らかすクロークの体に、ドンッと何かが当たる。クロークが目を見開いたまま下を向くと、そこにはクロークの体にしがみつくキャロラインがいた。




