第八話
「アネモネの花園は、こんな感じかしら」
赤と紫を散りばめた花園。花は小さいけれど高貴に咲き、身を寄せ合うさまに睦まじさを覚える。それを幾何学的な図案として織り込む。
ラウルバンの村に伝わる伝統的なタペストリは、一定範囲における結び目の数。ノット数が比較的細かく、かなり密な模様を描くこともできた。ロゼレッタは描いた図案を元に織り方の手順を書き起こし、設計図通りに織っていく。
長さ1.5メートル。幅は80センチあまり、これがラウルバン村での一般的なタペストリである。完成したものは倉庫に積み上げていく。本音を言えば温室の外側に貼って冷気除けにしたかったが、商人に渡す品に手を付けることはできなかった。
清々しい印象の青の花園。日なたのごとく咲き乱れる黄色い花園。毒々しい美しさがひそむ紫。退廃的な黒。純粋さと貞節を示す白。あらゆる花を描いていく。
ゴーを育て、毛皮とミルクを得て、村の建物を守り。
吹雪に耐え、屋根の雪を下ろし、凍った食材をゆっくりと溶かして。
長い夜に紬車を回し、曇天の昼の中で働き。
歳月は、無限のごとく流れる。
「村の大人たちが、言い争ってた覚えがある……。長い冬はせいぜい数年で終わる。いいや、百年は続くって噂がある、そんなふうに……」
夏とはどんな季節だったろうか。春とは。
もうあまり覚えていない。日々の忙しさの中で忘れつつある。忘れたことを物悲しく思う暇もなく、ロゼレッタはもくもくと手を動かす。
長い歳月の間には大変なこともあった。山から降りてきた熊を弓で殺した。原因の分からない高熱に何日もうなされた。崖が崩れて村の墓の一部が埋まり、毎日少しずつ石と土をどけた。すべての石と土を取り除くまで何年かかっただろうか。
そして、日々の暮らしは少しずつ安定しだした。
ゴーのもたらす恵みは大きく、貯蔵庫にはまるまると大きなチーズが何十個も並び、薪にするため運んだ黒槍樹は数十本にもなった。
ゴーのものを用いた肥溜めはいつも湯気を放っていた。それを用いて温室では薬草や青菜が毎月採集できるようになり、わずかに小麦なども育てるようになった。黒槍樹を砕くための大きな石臼を作り、それはゴーの力で回すことができた。青菜を多く食べたゴーの尿から鮮やかな黄色の染料が得られることを知った。
そして。
タペストリの数は、50枚を超えた頃に止まってしまった。
「もっと本はないかしら……」
村中の建物を探すが、本は見つからない。他の職人の工房を見ても図案はない。
花園の図案。
それも、一つとして同じものはない、すべて異なる花の図案。
それが困難であることは数年前に気づいていた。ロゼレッタの知っている花はすべてデザインに起こしてしまったのだ。大輪の花、可憐な花、記憶の桶の隅から隅まで。
だが、それでも百枚には遠かった。
「黒槍樹は数年に一度。赤い血のような花を咲かせると言うけど、花園ではないわね……」
大都市の図書館ならあるのだろうか。珍しい花をイラストで記してあるような植物図鑑が。王室で作られているという植彩図絵が。
だがロゼレッタは村を出ることはできない。ゴーたちを連れていけないし、数日でもゴーたちから離れることはできないのだ。
「花の、絵。花園の……」
ゴーのまるまるとした姿にハサミを入れつつ独りごちる。毛刈りのハサミもいくらか改良して、半日で2頭の毛を刈れるようになった。
糸を紡ぎ、染色し、糸束として倉庫に収める。
村にあった本はもちろん、ハンカチーフや服までも探すが、ロゼレッタの知らない花は描かれていない。 村の近くを歩き回って、雪の隙間に咲いてる花がないか探してみる。やはり見つからない。
あるときは村にある「魔法の本」をめくってみた。中にあったのは人と家具と、それとゴーである。
機織りの村ではたくさんのゴーを飼っており、それは一頭残らず本に記されていた。カッタヒルが下働きをしていた男のページもあり、ほとんどすべてゴーで埋め尽くされていた。
花は見つからない。ページの面積は限られており、花を持ち込むような酔狂な人間はいなかったようだ。
数年が過ぎる。
ロゼレッタは寝泊まりしている部屋で、火にあたりながら椅子にもたれる。薪ストーブの炎を見ながら、昔のことを思い出そうとする。
子どもの頃、村の近くには花園があった。
ポピーの花、ゼラニウムの花、ダイアンサスの花。
特にラペシードの花は美しかった。大地の底からあふれてくるような黄色の奔流。記憶にある目線は低く、己がまだ小さかったことを感じる。
カッタヒルもいただろうか。ロゼレッタは花冠を作り、遠い記憶の中でカッタヒルに手渡す。少年は恥ずかしがるそぶりを見せたが、何も言わずにそれをかぶった。
「カッタヒルは……優しかったから」
誰にともなくつぶやく。
カッタヒルはゴーを飼う手伝いで忙しく、花園で遊ぶことは少なかった。
それでも覚えている。覚えている自分が喜ばしい。
記憶の中のカッタヒルはいつも笑っていた。日に焼けていて擦り傷が絶えなくて、小さい体でゴーに丹念にブラシをかけていた。
「ゴーをもらったら……ロゼレッタがタペストリを編んでくれよ」
吹雪の音を遠く聞きながら、ロゼレッタがつぶやく。記憶の中にある言葉を再現しようとする。
「ロゼレッタは上手だからな……村で一番の職人になれるよ……俺が遠くの街まで売りに行くから……」
わずかな午睡の中で、夢とも空想ともつかないカッタヒルの姿を見た。
たくましい少年の姿。ロゼレッタの手を握り、ともに冬守りを務めると言ってくれたカッタヒル。
十頭のゴーを残して、いなくなってしまったカッタヒル。
「ゴーがいれば問題はない……ゴーがすべてを与えてくれる……」
その言葉だけを、何度も繰り返す。何度も何度も。
百枚のタペストリ、その困難さを思う。
いつかは完成するのだろうか。
どれほど図案を考えても、織り機を動かしても、タペストリが50枚を超えても、まだ道半ばにも至らないと思われた。
商人はまだ待っているのだろうか。
厳しい冬の中で命を落としたかもしれない。それとも隠居したかもしれない。
美しい商人。山高帽に夜会服の青年。
あの完全性を感じさせる笑み。
目を開ける。
ロゼレッタがうたた寝をするのは珍しいことだった。ゴーたちが騒いでいないか耳を澄ます。
「……待っている、きっと」
命を落とすとか、隠居するとか。
そんな言葉は、あの商人の前ではひどく似合わないものに思える。そんな、人間に起こるようなことが彼に起こる気がしない。
どれほど時間をかけても、たとえ百年かかっても商人は待っている。どこか昏い確信があった。
商人と交わした言葉は、商売の契約。
それは必ず履行されるのだとーー。
※
日々は巡る。
ゴーはいつもあまり変わらない。生まれて1年ほどの体毛の薄い時期を過ぎると、外見がほとんど変わらなくなる。ゴーには時間が流れていないという人もいる。
ゴーたちはこれといった娯楽を求めず、温室をゆっくりと歩き回るのみである。他の個体と喧嘩をすることも少なく、餌を奪い合ったりもしない。発情期はあるが、人間が世話をしてやらないと滅多に交尾をしない。家畜だからではなく、野生のゴーも似たようなものなのだ。
ロゼレッタは薪となる樹を砕き、スコップでストーブへと放り込む。ヒノキやタモの細かな枝葉を集めてゴーたちの寝藁とする。凍りついてもはや流れることのない川で、染料となる鉱石を拾い集める。
タペストリは60枚。
ロゼレッタの手はあかぎれとゴーの世話で皺が目立つようになり、ゴーの寝床を整えるのに息が切れるようになってきた。
急がねばならないと感じていた。冬があと何年続くのか、あるいは永遠に明けないのか、それよりもタペストリの完成だけが気にかかった。
糸はもう十分あり、チーズも燻製の肉も食べ切れないほどにある。一日の半分をタペストリの創案に取り組んでも、それでも図案が浮かばない。
「織るべき花は……」
無くはない。
心の中に浮かんでいる手段がある。それを選べば残り40枚ほどの図案が描けるだろう。
だが、その手段を選ぶべきなのか。商人がそれで満足するのか。それを何ヶ月も考え続ける。織り始めれば取り返しがつかないのだ。
越冬官が村を訪れたのは、その頃のことだった。