第五十三話
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シェットに案内され、円楼のすみずみを見てまわる。
円形の集合住宅が複数個連結した造り、それは有機的なつながりを思わせる。複数個所にある大型のかまどでは黒槍樹の薪が燃やされ、熱した空気が集落のすみずみに届く。
それぞれの部屋には毛皮の壁布が貼られ、また屋根が複層的に作られて断熱を成している。
「この模型は何でございますか」
シャルロットが問うのは廊下の屋根から下がった鳥の模型。翼を大きく広げた猛禽であり、くるくると回転している。
「それは暖気を送るための風車です。かまどで生まれた熱はそのままだと中央でこもってしまうので、模型を回転させて風を送っています」
「この動力はどこから?」
「屋根の上に風車がついています。天井を貫通している車軸が回転するんです」
「なるほど」
ふと後方を振り返る。回廊は中庭に沿って六角形を描いているため、十数メートルの直線の先が鈍角に曲がっている。
誰もいない。気配も感じない。
「どうかしましたか?」
「いえいえ、それでシェットさま、排気はどうなってございますか? 火を燃やして得た空気はこもると息苦しく感じたりもしますが」
「ああ、それはこれです」
部屋の一つに入る。その天井には漏斗型の金属が取り付けられ、中央に穴が空いている。穴の奥からはカラカラという音が聞こえた。
「暖気はそれぞれの家庭の屋根から排出されます。空気の出口には弁の役割をする風車がついていて、外からの風は入ってきません」
「はるほど、効率的です」
よく見ると、それぞれの部屋の扉は上下が大きく空いている。そして各家庭は基本的に一部屋であり、ひらけた空間に寝台と炊事場、書棚や衣装箪笥などが壁に張り付く形で並んでいる。暖気はゆるやかに部屋に入り、また静かに抜けていく。
「ユウエンの円楼は空気の流れを妨げないんです。引き込みまれた外気はかまどで熱されて、無駄なく循環されます」
温室も見る。暖気の来ている中庭では麦や野菜などが育てられ、林檎が植えられた中庭も複数ある。
「昔は、山いっぱいに果樹の木が植わっていたそうですが、今は中庭で育てている分だけです。昔のにぎわいを思い浮かべると、寂しい眺めですが」
「いえいえ、大したものでございます」
また別の中庭へ、そこは近づく前から匂いが濃かった。発酵した堆肥の匂いである。
その中庭は他よりもさらに暖かい。黒っぽい土が山となり、隅の方では古い絨毯が積み重なっていた。
「土を作っているのですね」
「はい」
水桶のなかに麦の色をした液体があり、シェットは柄杓ですくって絨毯にかける。
「それは?」
「麦のもみ殻を石臼でひいて水に溶かしたものです。絨毯の発酵を助けます。1年もすると黒ずんで堆肥になるんです」
シャルロットは鼻を動かす。強烈な匂いだが腐敗臭とは違う、胸がいっぱいになるような存在感、発酵蔵のような酒蔵のような、胃の腑を刺激する気配もある。良い土だと感じる。
「水に溶かす栄養剤も作っています。林檎に栄養のある土と水を与えることで、寒気の中でもたくましく生きるのではないかと」
そう簡単ではないだろう。その感覚は無言のうちに共有されている。
とはいえ堆肥や土を育てることには十分に意味がある。多くの村で温室が作られているが、十分な広さを確保することが難しいために連作障害を起こしがちである。また、何十年と過ぎる間に少しずつ土がやせていく。土に生える雑草や、落ち葉を落とす広葉樹、穴を掘って土に空気を通すミミズや、糞を落とす鳥、そういったものの活動が少なくなるからだ。
「鶏糞なども加えておられますか」
「はい、それだけだと問題がありますので、いろいろと添加しています」
「雪惑いには各地の村での土づくりの知識もあります。お役に立てるかと思います」
シェットはふと上方を見る。中庭の天窓から差し込む日の角度を見ているようだ。
「では僕は午後の仕事に入ります。シャルロットさんは長旅でお疲れでしょう? 浴場もありますので好きに使われてください」
「おやそれは素敵でございますね。遠慮なく利用させていただきます」
シャルロットは円楼の中で適当な部屋を決め、壁にコートをかけて荷物を絨毯に広げる。金属缶に入った酒や煙草、干し肉や薬、足の指に塗り込む軟膏、ランプやロープ、小型のナイフ、そして日記と筆記具、並べると数十個という数になる旅の道具である。
「ひさびさのお風呂でございます、ここはぜひ旅の垢を」
ばあん、と扉が開いて、振り向くとハルニアがいた。やはり黒地に緑線のコートを着ていたが、肩にうっすらと雪が積もっている。
そして両手で斧を握っている。シャルロットもさすがに立ち上がって壁まで後退。
「おおう……落ち着かれてください。そのようなもので人を殺すと血しぶきが大変なことに」
「来て」
斧で肌着姿のシャルロットをぐいぐいと押す。回廊に出てさらにぐいぐいと。そして外へ。
「ハルニア様、外はけっこう寒くございます」
「あれ」
見えるのは小屋である。大人が三人も入ればいっぱいになるほどの大きさで、外に石のかまどがついている。
かまどの横には、真新しい薪が積まれていた。
「あの建物は?」
「入浴はあれを使って」
歯ぎしりしながら喋っているようなだみ声である。前髪の奥から見える目はぎらぎらと燃えている。
近づいてみればサウナだと分かった。かまどには火が焚かれており、室内にある金属の鍋を熱している。
容器にはたくさんの石が入っており、水桶と、青々と葉をつける黒槍樹の枝が。
「ハルニア様、サウナもよろしいですが、できれば湯船に入りたく」
「浴場に女の匂いを持ち込ませない」
音節を一つ一つ区切るような発音。石に刻み込むように話している。
「湯船はそのうち用意してあげる。シェットに肌を見せたら許さないから」
「はあ」
「絶対に許さないから」
「わかりましたわかりました」
ハルニアは斧を構えたまま、後ろ歩きで遠ざかっていく。円楼に入る直前、思いきり地面を踏みしめたのは激情の発露だろうか。
「……ま、とりあえず入るでございます」
服をすっかり脱いで、サウナの外にある木の箱に入れる。
かまどでは火がぼうぼうと燃えており、石がちりちりと焼けている。扉を開けてみるともわっと熱気が流れ出てきた。ハルニアは昼食の後すぐにこれを用意していたのか。
「おお、良い暑さです。そういえばサウナも数年ぶりですね」
木製の長椅子に座り、水を焼けた石にかける。ばちばちとはじける音と、もうもうたる蒸気。体から汗が噴き出してくる。
シャルロットは長椅子に寝そべり、天井に向けて足を伸ばした。
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円楼は快適ではあったが、冬守りとしての仕事は多かった。
円楼に使われている木材は特殊な溶液に浸したもの。高い防水性と耐久性を持つが、それでも百年持つとは言い切れない。古いものを引きはがし、新しいものに変えていく。補修や修繕と言うよりは、何年もかけて建物全体を作り直すような仕事である。
シェットとハルニアは、一日のうち三時間ほどをその作業に充てていた。計画書を丁寧に作り、解体と新造の手順を練り込む。剥がした木材は溶液につけるとまた新たな建材として使えるが、五分の一ほどは焚き付けにされる。
溶液とは樹液だった。温室で栽培している樹に切り傷をつけ樹液を集める。それを油で希釈して、鉱石を砕いた顔料と練り合わせる。漆に似ているが、それよりはさらさらとしており、乾きも早い。シャルロットは雑用を手伝いつつ、溶液の作り方を記録する。
「円楼とは一つの大きな本なんです」
シェットが言う。部屋の壁にモザイク状に板を張っていく。色合いを吟味しながら次に張る木材を選ぶ。
「円楼の壁は集落の歴史であり、物語なんです。色の合わせ方には法則があって伝統があります。壁を見ればそこに住んでいる人が誰なのか、集落でどんな役割を持っているかが分かります。今はみんな魔法の本に入っているので、壊す前の壁を忠実に再現するだけですけどね」
確かに。今いる部屋は高齢の男性、それなりの地位を持つ人物の部屋だと察せられる。シャルロットが自室として選んだ部屋は若い独身女性の部屋だ。無造作に選んだつもりだったが、色味がシャルロットの感性に訴えたのかもしれない。
「円楼は生き物だとも言うよ」
ハルニアが言う。彼女は壁に掛けられた毛皮に櫛を走らせ、細かな汚れや虫を除いていた。汚れていると水で濡らして当て布をして、丁寧に清める。
「人の流れは血の流れ、梁は骨、壁は皮膚、中庭は肺」
「肺ですか、なるほど、かまどで生まれた暖気がまず中庭に流れこんで、そこから廊下をつたって各部屋に向かう。だから中庭が肺なのでございますね」
「そう」
ハルニアは常にシャルロットを見ている。シェットとシャルロットが二人きりになるのを警戒しているようだが、よく続くものだと感心すらしていた。
雪の処理も行わねばならない。円楼の周りの雪をスコップで集め、大きな荷車で谷まで捨てにいく。
谷の下は白い大河のように見えた。人の目には分からないほどゆっくりとした流れで、莫大な重さの雪がより低地へと流れていく。
村から少し離れたところには実験用の林があった。そこでは冬枯れた林檎の木が立ち並び、白く凍てついた樹皮のみを晒している。
シェットは土を掘り返して温室で育てた土と入れ替え、地面には炭の粉を撒いた。
「炭の粉ですか、確かに黒い粉を蒔くことで日光をより良く吸収するという技術はございますね」
「ええ、本当は土が凍っていても育つ林檎を開発したいんですが、今はとにかく実をつけて欲しいんです」
「きっとできるよ、このところ晴れの日が多いし、雪をどければ土の温度も上がるよ」
ハルニアはやはり丁寧に雪を片付けている。荷車には人の背丈ほども雪を乗せていた。
周囲は白銀の野である。ぼたん雪がはらはらと落ちてくる。冬守りが丁寧に雪を片付けても、2日もすれば元に戻ってしまうだろう。
それは一種の力である。
いびつな形で固まってしまった恒常性。長き冬の時代を満たす、人の営みなど歯牙にもかけない暴力性のようなもの。天から邪悪な手が降りてきて、世界を冬の檻に閉じ込めようとするような。
「寒冷地で育つ林檎は、秋ごろにぎゅっと糖度を高めて一気に熟すそうです。赤が濃く、小ぶりで、蜜の詰まったものになるとか……そういう林檎を開発して植えているんですが」
秋、という言葉がそのあたりを漂う。透明な蝶のように存在感の希薄な言葉だった。
この場にいる誰も、秋を見たことはない。シャルロットですら雪惑いの日記で知るのみだ。
「あるいは鏡を作ろうかと思ってるんです。あの高台のあたりに設置して、この実験林に光を下ろそうかと」
「気温を上げるほどとなれば何百枚も必要です。しかもかなり大きな鏡が。用意できるでございますか?」
「そうですね、まずガラスの製造から……」
シェットは頭を振りつつうなだれる。
「いえ……求めてるのはそういうものではありませんね。冬に実をつける林檎です。小細工で気温を上げるのではなく、林檎が自らの力で寒さを克服できなくては」
「きっとできるよ」
ハルニアが、シェットの肩に取りすがって言う。
「また文献を調べようよ。まだたくさんあったでしょう」
「そうだね……ハルニアも手伝ってくれる?」
「うん!」
シェットはなるべく前向きであろうとしているようだ。ふとした瞬間に気弱な気配が漂うが、ハルニアにはけしてそのような顔を見せない。シャルロットは咳払いをして言う。
「では私はもう少し薪を集めてきます。お二人は先に戻られてください」
「分かりました。円楼は目立ちますから迷子にはならないと思いますが、あまり遠くまで行かないでくださいね」
「はい」
二人の冬守りは去っていき、シャルロットは冬枯れの支配する実験林を眺める。
そこにはやはり、虚無があると思われた。
冬守りたちの懸命な努力、シェットの聡明さ、ハルニアの献身。
それが何だと言うのだろうか。
水の凍りつく気温とは、植物にとっては無の世界である。その認識は微動だにしない。そこに人の技術が、努力が介入する余地などあるのだろうか。
「冬に実をつける林檎……それは摂理を外れておりますね」
そんなものが実現するのか。
かつては実現したことがあるのか。
「シェットなる冬守りが、かつてそれを見た。ですが、シェットの両親は姿を消してしまった……」
そして、気になることはもう一つ。
「冬守り、ハルニア」
うら若き少女のまなざし。シェットに向ける純朴なる好意。誠実に冬守りをつとめ、かいがいしくシェットの世話を焼き、少しばかり嫉妬深い少女。
「あの方は、なぜ、林檎の完成を信じていないのか(・・)……」




