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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第十章 命なる紅
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第五十二話




まぶたに残る記憶。


空は完成された青、大気は針のごとく冴え渡り、雪が膝丈まで積もる中。林檎りんごの樹がひとつ。


頑健そうな男。


かごを抱えた女。


赤く赤く。血華けっか散るごとく目に焼き付く果実。


凍てつく寒さと、燃えるような赤。


生でもなく死でもないような、一枚きりの記憶。







雪を踏みつつ歩く。


深く積もった雪は体力を奪う。旅人は緑のコートの中で大量の汗をかき、口からは白い息を吐いて歩く。


腹で燃えている懐炉はあまり助けにならない。寒さよりは疲労のほうが大きかった。長い冬の時代、村と村を結ぶ道はほとんど機能しておらず、旅人は優れた方向感覚によって旅をする。渡りをする鳥のような心地になる。


なだらかに続く丘は白一色に染まっていたが、遥か遠方には何やらきらびやかな建築物が見える。七宝細工のように様々な色が使われた建物である。旅人はさらに2時間ほど歩いてそこへ到達した。


板壁である。


ごくありふれた木材。しかし赤から黄色、桃色にだいだい、青や緑と多様な色に染め分けられている。壁は左右に広がっており、大きな建物の一部だと感じられる。


「日記に記述ございますね。板材を特別な溶液に沈めることで不燃性と耐水性を持たせる。その溶液にはさまざまな顔料が使われ、このように色鮮やかな建物が生まれると」


旅人、雪惑いシャルロットは何度か家主を呼ぶが返答がない。仕方ないので建物に入る。


中は回廊である。細いカラフルな通路が奥に伸びており、途中で何度か二股に分かれている。回廊には暖気があり、天窓つきの温室もあった。


「これも記録ございます。円楼えんろうというものですね。複数の家族が一つの建物を共有する集合住宅。円形になっており、中央に中庭があると」


だが一つの円で終わりではなく、枝分かれした回廊を歩くとまた別の中庭に至る。どうやら蜂の巣のように円が繋がった構造のようだ。


ある中庭には果樹が植えられていた。

天窓の下、中庭いっぱいに手を広げた林檎の樹。目に映るのは深い緑と心を焦がすべに


空気が濃くなったような気がする。千万の葉の中に一滴の血のような赤。それは目から忍びいる情動。長い冬の時代において、命あるものという概念だけでも人の心を震わせる。


「……間引かれている。摘果てきかされてございますね。では、世話をしている冬守りがいるはず」


建物を歩く。随所に飾られたタペストリや漆喰画には歴史が感じられ、壺などの調度も他ではあまり見ない意匠デザインである。そして環状の集合住宅は、熱を内部にしっかりと閉じ込める。


いくつかの円楼を渡り歩いて、やがて人が現れる。


そこもまた中庭だが、天窓はなかった。暖炉の熱も来ておらず、壁によって風は防がれているものの、氷を押し当てられるような冷たい空気が満ちている。


そしてやはり樹が植えてある。こちらも林檎のようだが葉はついておらず、枝だけの姿である。


「お客様ですか」


少年、という言葉が浮かんだ。


年の頃は15になるならず。背丈はシャルロットと同じぐらい、顔立ちは随分と若い印象を受ける。

月のようにつぶらな瞳、赤みを帯びた頬と唇。金茶色の髪はうなじにかかる程度の長さで、指は硝子細工のように繊細に見える。


着ているものは灰色のコート。表面には刺繍がなされているが、一センチほども浮き上がるような立体的な刺繍である。コートというよりはレンガと石で作られた建築物を思わせる。


少年は浮かない顔であった。うろんげにシャルロットを振り返ったかと思えば、すぐにまた樹に向き直る。


「私は雪惑いシャルロットと申します。あなた様はこの村の冬守りでございますか?」

「はい。ユウエン村の冬守り、シェットといいます」


シェットは手に大判の本を持っていた。中の図版を目の前の樹と見比べている。


「何をなされてございますか?」

「研究です。冬でも実をつける林檎を開発しています」

「冬でも……」


「シェット」


はっと、背後からの声に振り向く。


そこにいたのは女性である。シェットよりわずかに小柄で、やはり立体的な刺繍が施されたコートを着ている。シェットが灰色に白や銀の刺繍なのに対して、女の方は黒地に濃い緑という刺繍だった。時間をかけて作られたと思しき、重厚なものである。


「ハルニア、もうお昼ごはん?」

「ううん。円楼えんろうに誰かが入った気がしたから探してたの。その人は?」

「いや、僕もいま話しかけられたところ。雪惑いの方でしたか? あれはおとぎ話だとばかり思ってました」

「ええ、雪惑いは真昼の月のように曖昧なものです。単なる旅人と思っていただければ結構でございます」


雪惑いシャルロットは、ハルニアと呼ばれた少女の目が一瞬たりとも自分から離れないことに気づいていたが、柳に風と受け流す。

ハルニアは髪が長く、それを意図的に顔の前に流している。緑の濃い翡翠の髪留め、それが黒髪の中で映えている。黒に緑を合わせる美意識があるのだろうか。


「……シェット、じゃあ旅のお方も一緒にご飯にしようよ。食堂に行ってて」

「うん、じゃあ旅のお方、よければお食事をいかがですか」

「はい、お誘い感謝いたします」


シェットは中庭を出ていき。


姿が消えたと思った瞬間、ハルニアの手が伸び、シャルロットの緑のコートをぎゅっと掴む。


「おおう」

「雪惑い……本当にいたの? 旅することがすべての情報のあきなびと。どこかにあるっていう金盞花きんせんかやかたの住人」

「はい、さまざまに伝わってございますが、旅の身であることは確かでございます」

「ご飯は食べさせてあげる。食べたらすぐ出てって。シェットに話しかけないで」

「ほう、それはなぜでこざいます? 多少、厚かましき発言に聞こえましたら申し訳ありませんが、長き冬の日々、旅人を拒むことは褒められたことではございません」

「シェットは……」


黒髪の隙間から見える顔。


それはやはり少女に思えた。大きく開かれた黒瞳こくどうは少女性というものが渦を巻いている。鼻は育ちきっておらず丸みを帯びており、きめ細かい肌は絹のなめらかさ。奥歯を強く噛みしめており、その表情には激しいけれども単純な、心の機微をまだ会得していない者の見せる実直な感情、一種の幼児性が垣間見える。


「シェットは……かっこいいから」


シャルロットは、目が点になりそうなところを何とかこらえる。


「シェットに色目を使わないで。シェットはいま研究で忙しいの。女に関わってる暇なんかないの」

「はあ」

「いい、ご飯を食べたら出てってね」


突き飛ばすように手を離し、駆け足で去っていく。


残されたシャルロットは、コートのよれを直してから中庭を出る。


その目に光が宿っていた。


好奇の光か興味の光か。


色鮮やかな回廊は、悪い猫のような高ぶりと重なった。





「ユウエンの村といえば、果樹の栽培で栄えた村でございますね」


食堂とは厚手の絨毯を何枚も敷いた部屋であり、絨毯に直接、木製の平皿が並んでいる。そぼろ肉と野菜の煮物であったり、何かの葉を油で揚げたものであったり、スパイスと卵を絡ませた麺料理もあった。

そしてシャルロットの言葉が示すように、食卓には林檎が置かれていた。いろいろな品種があり、片手で掴むのが難しいほど大きなものもあった。それぞれの座布団の横にナイフが置かれており、自分で切って食べるようだ。


「立派なリンゴでございます」

「この村で栽培しています。甘みの少ない品種は料理にも使えますし、糖度の高いものからはお酒も造れます」


銀製の、砂時計のようなメジャーカップにジュースが注がれている。ほのかな甘さの林檎のジュースである。円楼の中は暖房が強めにかけられており、3人ともコートのたぐいは脱いでいた。


「温室で果樹を育てるのはなかなか贅沢なことでございますね。ユウエンの伝統というものでございますか」

「はい、それと研究のためです」

「研究でございますか。先ほどおっしゃられていましたね。冬でも実をつける林檎とか」


シェットは頷く。


「ええ、ずっと研究してるのですが、なかなか難しくて」

「シェットならきっとできるよ」


ハルニアが当然だとばかりに言う。シャルロットは彼女の方にも気を向けているが、やはり睨まれているようだ、黒髪の奥から強い視線が放たれている。


「たくさん本を読んで、林檎の木の掛け合わせを試してるからね。育て方もいろいろ試してるでしょ。わらを巻いたり土壌を改良したり」

「でもダメなんだ、どうしても枯れてしまう。もう8年も研究してるのに」


8年、という言葉にシャルロットは少なからず驚く。2人とも15歳前後にしか見えないからだ。


「お二人は、子供の頃からずっと研究を?」

「ええ、僕の父が行ってた研究です。父はユウエンの村を一人で守っていました」


はて、とシャルロットの頭に疑問符が浮かぶ。


「お二人は兄弟なのですか?」

「似てない」


つぶやくように、というより、胡椒の粒を奥歯で噛み砕くような声が脇から聞こえる。


「いいえ、ユウエンの村を訪れた女性がそのまま居着いたことがあって、ハルニアはその女性の子です。父はその女性、つまりハルニアの母親と……」


一瞬、シェットの視線がハルニアに向く。


「消えたの、かけおち」


ハルニアが言う。

シャルロットはしまったと自省する。そこまで聞くつもりはなかった。


「私の母とシェットのお父さんは村を捨てて消えたの。だから私たちがユウエンの冬守りになった。もう親のことなんか興味ない。どうせ、どこかでのたれ死んでる」

「ハルニア、そんな言い方はよくないよ」

「どうでもいいよ。村は私とシェットだけで守っていける」


箸を噛み締めながら言う。その間も視線はずっとシャルロットに向いている。


「ずっと守ってきた。8年も。そして、これから何十年でも守れる」

「とても立派なことです」


シャルロットは言う。


「幼くして冬守りを務める。それは艱難辛苦の道のりでございます。そのような例をいくつか聞き及びますが、仕事の厳しさと大いなる冬に押しつぶされる方がほとんどです。お二人は8年も村を守ってきた。若葉のようなささやかな手の時代にも、育ちきらぬ手足をもどかしく思う時も、肉体の劇的なる変容を迎える10代の前半にも守り続けた。筆舌に尽くせぬ苦労のあったことでしょう。心から感服いたします」

「ありがとうございます」


シェットはそうとだけ答える。どうもシャルロットの言葉はあまり浸透していないと感じた。常に何か、別のことを考え続けているように見える。林檎の研究についてだろうか。


シェットの、まだ幼さの片鱗が残る目が、つとシャルロットに向けられる。


「シャルロットさん。あなたは聞いたことがありますか? 長い冬でもたくましく育ち、実をつける林檎、そのようなものが大陸のどこかにあるのでしょうか? 誰かが実現しているでしょうか」

「いいえ」


きっばりと断言する。


「そのような林檎は存在しません」

「なぜそう言い切れるのですか?」

「原則というものです。林檎の木は確かにマイナス30度ほどまで耐えて冬を越すことができる。しかしそれは四季の定かなりし頃、冬を越せたというだけの話にございます。どのような植物も、葉をつけて結実するには温度が必要でございます。長い冬の時代では、もっとも暖かい時期でもそこまで気温が上がらない。氷点下の冷気に触れればすべての植物は休眠状態に入り、代謝は極端に落ちます。けして結実はしないのです」

「しかし、黒槍樹ジンガルは」

「そうです。黒槍樹ジンガルだけが唯一の例外。氷点下の世界でもほんの僅かに成長を続け、きわめて高密度な組織を形成する。それ以外で氷点下の世界に育つ植物はありません。わずかに苔やカビが生えるぐらいでしょう」

「……そう、でしょうね」


シェットは、おそらくはそのぐらいの知識は本から得ていたのだろう。うなだれるのみで、それ以上の反論はない。脇のハルニアがドス黒い視線を向けていた。


「……ですが、僕は見たんです。雪の中で、凍てつく寒さの中で実をつける林檎の木を」

「見たのですか? シェット様がお生まれになった頃は、すでに冬が深まっていたはず」

「確かに見ました、本当です」

「なるほど」


シャルロットは林檎を手に取り、重さを楽しむような数秒がある。


「では私も協力いたしましょう」

「? 協力、ですか?」

「ええ、雪惑いはたくさんの知識を持っております。何かしらお役に立てるかと思います。しばらくこの村に滞在し、シェット様のお手伝いをいたしましょう」


シャルロットは力強く胸を叩き。




「た゛め゛」


地の底から響くような声は、とりあえず無視した。


章タイトルの読みは「いのちなるべに」です

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― 新着の感想 ―
お、ドラクエ8で見たことある村だ シャルロット「抱けー!抱けー!」 する展開に期待してよろしいね?
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