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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第九章 仄白き虚ろ
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第四十九話



翌日より、シャルロットは村の仕事を手伝いはじめる。


とはいえリハットという村は、長き冬の時代においては稀有なほどに平穏だった。冬守りは山を歩き回り、薄い雪を押しのけている若芽を集め、温室と鶏小屋の世話をする。黒槍樹ジンガルを加工して薪にする。食糧庫の食材を使って日々の食事をこしらえる。


「本当に嬉しいです。誰かと食卓を囲むのはとても久しぶりのことだから」

「それはよろしいことにございます。雪惑いシャルロットが退屈のなぐさめになりましょうとも」


オークーの肉体にはたくましいものが残っていたが、力仕事においてはシャルロットがかなり助けになった。崩れていた炭焼き小屋を直し、暖炉の配管をやり直して、すべての屋根に登って瓦を点検する。割れている瓦はほとんどなかった。


そして夜には暖炉の前で、オークーの言葉を書き留めた。この土地の歴史、村の起こりから長き冬が始まり、冬守りが選ばれるまでの物語。そしてともに過ごした冬守りたちの話。


「オークーさまの頭脳はとても優れてございますね。たくさんのことを色鮮やかに覚えておいでです」

「いえ、私など平凡な人間です。ただ、思い出は宝と言いますからね。いつも思い出しては懐かしく感じていたものです。こうして誰かに話せるのは楽しいですね」


冬守りたちにも個性があり、それぞれの人生があった。


弓の名手だった男は冬が深まる前に百頭の鹿を捕らえ、木こりの男は一振りの斧でマダラグマと戦った。


宝石細工師だった女は山を歩き回って宝石を集め、見事な首飾りを作った。何十年もかけてかなりの数を、女の家の壁一面を飾るほどに。


「首飾りですか。素晴らしいですね。一度拝見して、雪惑いの日記に記録しておきたいものです」

「申し訳ないのですが、もう無いのです」


オークーの案内で細工師の家へ。物入れや絨毯はそのままになっているが、壁には首飾りを吊るためのフックがあるだけで、宝石の輝きはない。


「その冬守りが消えたとき、首飾りもすべて消えてしまいました。きっと、ナパイアに捧げたのでしょう」

「そうですか。残念でございます」


シャルロットは常に日記を持ち歩くようになり、あらゆることを記録する。独特の速記文字で、大きめの紙にびっしりと文字を刻む。


「オークーさま、もっと冬守りたちの話が聞きたくございます。どうかお話いただけますか。どんな些細なことでも構いません。毎日、毎夜、暖炉を囲んで話しましょう」

「ええ……私は、かまいませんが」


それから、90日ほどの時が流れる。


長き冬の時代であっても、わずかに夏と冬の気配はあるという。だがリハットの村は何も変わらなかった。山から出て山に沈む、その太陽の軌道がずれていくのみ。

気温は安定しており、空模様が急に崩れることはない。村の井戸は枯れておらず、常に日の差す場所には薬草も自生していた。


オークーとシャルロットは冬守りとしての仕事をこなし、日々のかてを集め、料理をする。


食事は多彩であった。主食は固く焼いたパンであり、肉が出ることもあれば塩漬けの野菜や魚もある。

シャルロットの楽しみはスープだった。カビ干しの魚をヤスリで削り、その粉をスープの味付けとする。具は野菜くずや氷漬けの小魚。ひとつまみの粉で贅沢なスープに変わる。


オークーの話は尽きることがなかった。

冬守りたちで祭りをしたこと。空がルビーのように赤くなったこと。旅人が村を気に入って居着くまでのこと。山でひときわ大きな宝石の原石が見つかったこと。冬守りたちの人間関係。劇的な恋などはないが、大きないさかいもない。


「シャルロットはこの村に住むのですか?」


ある日、そのように言われる。


「住んでいただけるなら歓迎します。私はもう、いつお迎えが来てもいいと思っているのです。あなたがリハットの冬守りになってくれるなら安心できます」

「残念ながらそれはできません。冬守りは旅することがすべてにございます」


温室の土を耕しながらそう答える。オークーは怪訝なというより、不思議そうな顔になる。


「でも……もうかなり長く村にいるでしょう?」

「いずれ旅立つことが定まっているなら、滞在の長さは問題ではございません。冬の長さに比べれば一瞬にございます」

「そう……なのかしら」

「それより、今日はどんなお話をしていただけますか? 雪惑いシャルロットはそれが楽しみでございます」

「ええ、そうね、村に生まれた赤子の成長と、その子のためにみんなで服を仕立てたことを話そうかしら……」


さらに、何十日も経った頃。


リハットの村に珍しく大雪が降った。音もなくはらはらと落ちてくる雪。窓から空を見れば、闇夜の中にひらめく羽根のような雪。大地に染み込むように降りて、白絵の具を少しずつ塗り重ねるように積もっていく。久しく忘れていた、厳しい寒さの日だった。


この日の仕事は昼過ぎで切り上げ、二人はオークーの家に行く。オークーはたくさんの話をして、シャルロットはそれを書き留めていた。


「とても充実していたの」


オークーは吐息を漏らす。長い年月というものが壁一面の絵となり、それを眺めるように言う。


「そう、充実なのでしょう。冬守りの仕事を嫌と思ったことはないし、魔法の本に入れなかったことを嘆いたこともない。日々の仕事があって、食事があって、何より冬守りの仲間がいた。何一つ不足なものはない。冬守りたちが穴に消えたことは悲しいけれど、別れもまた人生の必然というもの。私はきっと満ち足りていた。きっと幸福だったのでしょう」

「とてもよろしいことです。自己の人生をそのように見つめられる冬守りはさほど多くはなかろうと思います」


オークーは珍しくお酒を飲んだ。温めた白ワインに干し果と砂糖を加えた飲み物。配管を直した暖炉の熱は強く、窓の雪は宝石のように輝く。


「シャルロット」


ふと、手を取って言う。


「お願い。どうかリハットの村の冬守りになって。私のあとを継いでこの村を守って。あなたもきっとここの暮らしが気に入る。だってこの村には欠けているものなど何もないのだから。ただ、ナパイアを見なければいいだけ。あの穴にさえ近づかなければ、何一つ不安などないの」

「そうですねオークーさま。それはきっと素晴らしい提案でございます。ですが私は、旅することがすべての雪惑いですので」


シャルロットの声に悲しい響きがあるのを見て、オークーもまた悲しげにかぶりを振る。


「ごめんなさい。久しぶりにお酒を飲んで、酔ってしまったのです」


オークーの頬は赤らみ、体の芯から熱が昇ってきていた。オークーはふらつきながら立ち上がり、寝床へと入る。


「旅することがすべての雪惑い、でもそれは幸福よりも優先されないでしょう? それに、雪惑いはおとぎ話の住人。まさか、本当にいるなんて私は……」


言葉が曖昧になっている。眠りがオークーを支配しようとしていた。シャルロットはその身体に毛布をかける。暖炉をちらりと見たが、火はだいぶ小さくなっていた。夜明けまで適度な熱を放つだろう。


「オークーさま、また明日」

「シャルロット……どうか、どうかよく考えて」

「ええ、考えます。今はゆっくりお休みください」


シャルロットはオークーの家を出て、大穴を横目に見ながら雪を踏む。


息は白く、世界には何の音もない。脇の大穴にすべての音が吸い込まれるかのようだ。


「オークーさま、好ましい冬守りです。このリハットの村も万人がうらやむほど素晴らしい。この世でもっとも価値のある宝とは、あるいは安定かもしれません。雪惑いとは対照的でございますね」


日記を開く。厚手の装丁と大きめの紙で作られた、雪惑いたちの日記。


風にあおられ、ページが立ち上がる。


それは錯覚の風だった。この夜に空気の流れはほとんどない。

だが紙がめくれている。次々とめくれて半円を描く。日記をじる絹糸がほどけて紙が宙を舞う。


重さを失ったかのように紙が舞い上がり、鳥か蝶のように旋回して、ひとつながりの螺旋となって上昇していく。空の果てまで、雪雲を越えてさらに高みまで。もう二度と大地に落ちることはないかのごとく。


「オークーなる冬守り、そのかたることすべていつわり」


確信か、あるいは託宣か、シャルロットの言葉が重々しく流れる。


「オークーは何十年もの歴史を捏造してございます。冬守りたちの物語も、村についての縁起も、膨大な想像の世界を作り上げている。たぐいまれなる人物でございます」


雪惑いたちの日記は、偽りを許さない。


人間は限りなく真に迫った創作を行えるかも知れない。どことして何一つ瑕疵かしのない、何十年もの架空の歴史を語れるのかも知れない。


しかしオークーの語る話は完璧ではなかった。人間の限界か、それともこの世の摂理か、何十日もかけて語られた長大な物語は、整合性の合わない部分があった。オークーの記憶違いであるとか、勘違いとはまた違う。純然たる創作。シャルロットは無意識の領域でそれを見抜く。


「問題は、なぜそのような偽りを語るかでございます」


ただ一人残された冬守りが、過去の思い出をことさら美化して語る。想像の歴史を作り上げ、想念の遊びをたのしむ。最初はそうかと思った。


だが、それだけではない。


シャルロットはその場でふわりと回転する。その体は羽根のように軽く、雪を踏み固める音がしない。


「千々に乱れし言葉の中に、無垢なる白の言葉あり。百万遍のり言は寸言のまことかず。針の山より針を探す、森の中に森を探す……」


腕が。


シャルロットの細腕が垂直に伸ばされ、自由落下の速度で落ちる。その手に握られるのは漆黒の万年筆。手が日記とすれ違うような動き。


あとにはひとすじの線が。世界の裂け目のような速記文字が。



――穴に落ちたものは消える。



「おお」


シャルロットは片足を水平に伸ばす。左右に広げた両腕は白鳥の翼のよう。


光も音もない世界。


そこでシャルロットはまわる。


つま先で大地を蹴って、足首から腿へと力を伝え、全身を使ってくるりと廻る。何度回ろうとも、軸足が元の位置から動くことがない。長衣のスカート部分が、花が咲くように広がる。


「オークーさまはなんと理知的で辛抱強い方なのでしょう。あなた様の言葉はガラスの城のよう。柱は虚構であり城壁は架空。あれほどの言葉の中から真実はたったこれだけ。ですが何物にも代えがたい真実です」


雪惑いシャルロット。


その唇は、歓喜に震えていた。






「オークーさま、私は穴に柵を作ろうと思います」


そのように提案したのは翌日のこと。オークーは緑の肩掛けを身につけ、刺繍仕事をしながら奇妙な目を向ける。


「柵、ですか?」

「はい、あのような崖が放置されていてはとても危険でございます。誰かが落ちては一大事。私が材木を集め、穴をぐるりと囲む柵を作ろうと思うのです」

「誰かが……落ちては」


その概念がオークーに浸透するのに時間を要した。


オークーに限らず、この時代の冬守りが公共事業的な発想を持つのは難しいことだった。生活の中心は自己であり、数人の冬守りだけで世界が閉じている。家々を保存するという役割が冬守りに「公」という概念を持たせていたが、あまり保全の必要がないリハットの村では、いよいよもってその意識は薄い。


「旅人ですとか行商人ですとか、この村に新たに子供が増えでもしたならその子が落ちるかもと危惧してございます。それに、オークー様や私も絶対に落ちないとは言えないでしょう」

「ええ、そう、ですね。確かに……考えてもみませんでした」

「あれだけの穴ですので柵を作るのは何か月もかかるでしょう。とはいえ冬守りのお仕事も大事ですので、1日に2時間ほどの作業としたくございます」

「ええと……それは、ご自由に」


シャルロットはにこりと笑う。満面の笑み、というものを見せられて、ともかくもオークーも笑みを返した。


シャルロットはまず穴の近くへ行き、その周囲をぐるりと歩く。歩幅にて円周の距離を測ろうとする。


穴の底には白いもや・・。雲を注いだコップのようにも思える。この村へ来てから一度たりと変化のない、奇妙で、それでいて安定した眺め。


「穴に落ちたものは消える」



その言葉をつぶやく。

何度も何度も、歌うように。



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