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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第八章 雪明りの君
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第四十五話





バウルとカコモモは一つの家で暮らすようになり。そして気づくのは、カコモモはかなりの時間を針仕事に割いていることだった。


ゴーの毛から、あるいは綿の花を育てて糸を紡ぐ。村にあった古い織機おりきで布を織り上げ、さまざまな服を仕立てた。空気を含んでゆるやかに流れるドレス、体の線がくっきりと出る肌着、カラフルなスカートに花のような鍔広つばひろの帽子も。


そして暖房も改良する。大型の薪ストーブは配管が工夫されており、家全体に暖気が巡る。また絨毯の下には四角形の凹みが作られ、暖炉で焼かれた玄武岩の石板をそこに入れる。上から鉄板で蓋をして絨毯で覆うと、床全体がじわじわと暖かくなり、その熱は6時間ほども持続した。


バウルは朝に家を出て、さまざまな冬守りとしての仕事を行い、夕方頃に帰ってくる。


「バウル、おかえりなさい」

「ああ……ただいま」

「ねえバウル。玄関が少し寂しいでしょう? 絵を飾りたいけど絵の具が手に入らないんです。白黒の木炭画でもいいかなと思ったけど、やっぱり絵の具を作ろうかな。彫刻とか粘土細工でもいいかもですね」

「ああ、うん」


食卓の上には薬草と花を散らしたパスタ。それに肉料理と、グラタンも並んでいる。


料理はいつも豪華だと思えた。もちろん蓄えを食いつぶすようなことはない。カコモモの料理の腕がいいのだろう。単純なパスタも薬草や食用の花をあしらい、皿もカコモモが焼いた染め付けのものを使う。ガラスのコップにはごく弱いビールが注がれ、ハーブの葉が一枚、浮かべてある。


「それと新しいコート作ったんですよ。ポケットがたくさんついてて、アームホールも広く取ったので腕を動かしやすいですよ。作業用に使ってくださいね」

「ああ、わかった」

「おいしいですか?」

「うん、ああ、まあ」


カコモモは先に済ませていたのか、バウルの食べるのをじっと見ている。食卓は四角であり、バウルとカコモモの椅子は隣り合った二辺に設置されていた。なぜ隣り合って座るのか、カコモモが何か言っていた気もするが覚えていない。反対側の二辺にも椅子があるから、誰か座る予定でもあるのか。


「ねえバウル」

「うん」


とん、と肩に頭を置かれる。


「新しい石鹸作ったんです。ワインが入ってて香りがいいんですよ、一緒に・・・使いませんか」

「……ああ、まあ」

「ふふ、よかった。じゃあ支度しときますね」


バウルのいた村では、あまり湯船に入る習慣がなかった。湯を沸かすぐらいの燃料はあるが、やはりそれは贅沢な行為と考えられていたからだ。


だがカコモモは労力を惜しまなかった。家の隣に浴室と脱衣場だけがある棟を増築し、やはり大型の薪窯まきがまでたっぷりの湯を沸かす。


水は雪を溶かしたもの。雪は溶ける際に体積が5分の1以下になるため、驚くほど大量の雪が必要となる。

飲用や料理用の水は溶かしてから一度、煮沸しゃふつされるが、さすがに風呂用の水は単にかき集めた雪を溶かしただけだった。カコモモは動物の糞などが混ざってないか慎重に見極め、さらに目の細かい網で丁寧にゴミを取る。いざ湯が湧くと、その上に花びらなどを散らして満足そうに頷いた。


「飲み水だけじゃなくて、お風呂のお水もきれいにしたいですよね。濾過装置を作るのはどうでしょう。大きな樽に小石とか綿とかを詰めて、上から水を流すやつです」

「……それでちゃんと浄化できるのかな」

「大丈夫ですよ」


湯船には布の袋が入っている。中には植物の種子が入っており、足で触れるとゴツゴツしている。


「モリアンガって花があるんです。これの種を集めて水にいれると、お腹をくださないんですよ。消毒効果があるんです」


湯船はたっぷりと大きく、カコモモは湯の中で寄り添ってくる。彼女は一度も離れることはなく、湯の中ですら炎のように温かいと感じる。寝床の中でもそれは変わらなかった。


バウルとカコモモの交わりについて、どちらかが積極的に求めることはあまりなかった。ごく自然なというより、気がつけばそうなっている。


バウルはその閨事ねやごとを欲していたつもりはないし、かといって拒むこともなかった。なぜ拒まないのか考えることができなかった。あえてバウルの感覚を言葉にするなら、自分には拒む資格がないというものだ。


あの夜。

香辛料のたっぷり効いた料理と、強い酒に惑わされたのか。それとも料理と酒が本来のバウルの姿をあばいたのか。二人は果てしない深さで混ざり合った。暦が尽きるまで、草原が砂漠になるまで、長く深く交わって、そしてバウルとカコモモは夫婦となった。ならないことは許されなかった。


カコモモは遥か昔の婚姻の歌を歌い。バウルは求められるままに誓いの言葉を述べた。星々と山々が証人であるとか、二人は他人よりも遠く肉親よりも近いとか、そんな言葉をいくつか覚えている。


大工仕事の小屋にて。

日記に向き合いながらその日のことを思い出す。カコモモは幸せそうに笑っていたが、バウルはどんな感情だっただろうか。


「……夫婦、か」


解読は進まない。長大な日記とは言え、何十回も出てくる単語はそう多くない。ほんの数回しか登場しない単語はその意味を推測できても、断定するのは難しい。


2週間も日記に向き合い続けて、単語一つも解読できない、そんなことも珍しくなくなる。


これから先の解読に求められるものは何か。仮定に仮定を重ねていく慎重な作業か。それとも一種の天才的なひらめきか。


バウルはどちらでもないと感じていた。ここから先の解読に必要なのは、一言で言えば情熱だ。


情熱が大胆さを生む。解読に取り組み始めた数年前は、今よりもっと多くのことをひらめいた気がする。「景色」とか「もう一度」という単語を見つけたひらめきは奇跡的なものだった。あれは全身全霊を解読に注がねば出てこないのだ。


あの頃よりは判明した単語も多く、一部は文章として読めるのに、気持ちが奮い立ってこない。この日記は、人の心を折るには十分なほどに分厚く、重く、そして果てしなかった。


「……カコモモが、あいつが、狼だって?」


自虐的につぶやく。

そんな気配が一度でもあっただろうか。カコモモは働きもので面倒見がよく、正直者で明るい。隠し事をしている様子などカケラもない。


宝石のコレクション。そもそもバウルの母が持っていた首飾りを正確に覚えているわけではない。唯一無二の極上の宝石というわけでもない。似たようなものは大陸中に山ほどあるだろう。


それに、五人の冬守りを殺害した何者か。そのイメージがどうしてもカコモモと重ならない。彼女は手先は器用で、できることも多いが、腕っぷしが立つわけではない。


空虚さを感じていた。


情熱が持続しない。バウルを突き動かしていたものが何なのか分からない。激甚なる怒りか、泥のような怨みか、それが自分の中にあったことが信じられない。


カコモモを憎んでいない。


そう自覚するしかなかった。日々は満ち足りており、妻は美しく、未来への不安も多くはない。  


「……」


まぶたの裏に入り込んだ小石のように、痛みを伴って浮かぶ光景はある。


滅びた村と、横たわるいくつもの死。


冬守りたちのかたきを討ちたい。少なくとも何があったのか知りたい。


だが、あれから何年経っただろうか。永い冬では人の命など砂上の城に同じ。いつ失われても不思議ではない。


村を襲った狼もとっくに死んでいる。その考えは嫌になるほどまっとうな想像に思えた。少なくとも、読めもしない本に何年も向き合ってる自分よりは。


「もう、いいか……」


口に出す。それは実のところ、初めての呟きでもなかった。

口に出してみることで、何かを許そうと、あるいはやり過ごそうとしている。バウルは椅子に背もたれて、そしてしばらく目を閉じた。





カコモモは女の子を産んだ。

村にも出産や育児についての本はあったが、ほとんどのことはカコモモの指示だった。カコモモは娘を母乳で育て、半年ほど経つとゴーのミルクで煮た麦粥むぎがゆを与える。


その1年後には男の子も生まれた。娘の名はラミ、息子の名はバリオ、どちらもあまり手のかからない子供で、7つを迎える頃には家事を手伝うようになった。


カコモモは産後の肥立ちは良かったが、バウルは大工仕事を半分にして、カコモモの仕事の大半を引き受けた。その代わりとしてカコモモはたくさんの服を仕立て、また人形なども作った。ラミのベッドにはドレスや夜会服を着た人形たちが並び、バリオのベッドには馬や鷲など動物の人形が並んだ。


バウルの主観で見ると、カコモモはあまり変わらなかった。彼女はいつも変わらず美しく、愛嬌があり、肌はラミと同じぐらいきめ細かく、その体はいつも熱かった。カコモモは娘たちにそれぞれ家を与えて、自分のことは自分でやれるように教え込むと、またバウルと二人きりで暮らせることを喜んだ。カコモモはいつも手の込んだ料理をこしらえて、ぴかぴかに磨き上げた風呂で湯を浴びて。そしてバウルと交わった。


「あまり子どもが増えすぎても、食べるものが足りないぞ」

「大丈夫です。もうすぐラミとバリオも働けるようになりますから。温室を広げましょう。そして子供たちが15になったら自分たちの家を作らせましょう。前も言ったでしょう。村にはもっともっと建物が必要だって」


カコモモは肌を真っ赤に染め、背中から湯気を上げながら熱っぽく語る。


「大丈夫なのか。大工仕事は危険なこともあるぞ」

「安全なやり方を考えましょう。それと、そうですね病院も作りましょう。ラミは薬草が好きですからお医者様になれますよ。バリオはあなたを継いで大工になるでしょうか。動物が好きな子だから学者になるかも知れませんね。バリオのために動物園を作るのはどうでしょうか」

「そうだな……このあたりには、ウサギやキツネが生き残ってるみたいだし、そういうのが冬に絶滅しないように守るのも、冬守りの役目かも……」

「そうですよ。あ、それと本を一か所に集めて図書館を作るのはどうでしょう。でも一箇所にあると火事とかが心配ですよね。図書館を作るなら書庫は地下にして、火消し用の水がめなんかも用意して……」


次から次と、カコモモの語る未来はすべてが明るく、展望があらゆる方向に伸びてゆく。そのような妻を優れた人間だとも思うし、誇りにも思う。そして若々しい肉体はいつも深く通じ合う。


そんなある時、浴場を大幅に改造することになった。カコモモが家族四人で入れるように湯船を大きくしたいと言ったのだ。


「おかあさん、お風呂はいれないの?」


ラミはしっかりした子だが、カコモモの前だと少し甘えた口調になる。指で下唇を弾きながら言う。


「そうよーラミ。いまお風呂をおっきくしてるからねー」


カコモモは湯を張ったタライを用意し、柔らかい布で2人の体を拭いている。カコモモ自身は下着だけになっていた。バウルは目をそらすが、その雪の結晶のような複雑なレース編みの下着が目の奥に残り、こんこんと自分の頭を小突く。


「母さん、腰のやつどこに置くの」


バリオは太い帯状の布を腰から股間にかけて巻き付いている。カコモモが仕立てた下着である。


「だめよーバリオ。下はあとで自分で拭きなさい」

「なんで?」

「家の中だからよ。私たちしかいなくても、服を全部脱ぐのは良くないのよ」


確かに、カコモモは裸のままでいることを好まない。バウルが風呂上がりなどに暖炉の前でくつろいでいると、すぐに替えの服を持ってくる。それも彼女のこだわりだろうか。


「そっか、すっぽんぽんは駄目なんだね」

「そうよ。人前ですっぱだかはみっともないのよ。たとえ体を拭くときでも、下着は最後にほんの短い間だけ脱ぎなさい」


妙なこだわりだ、とバウルは心中で苦笑する。

バウルはストーブに薪をくべようと立ち上がり。


(それに、自分は)


そのまま、10秒ほど立ち尽くす。


カコモモはこちらを見ていない。娘たちの体を拭いている。


ごろごろと、目の奥に異物感がある。ストーブによって乾燥した部屋ではたまにこうなる。


目の奥にひらめくのは玉の柔肌。豊かな2つのふくらみを下げて、両手を後ろに回し、はにかんで笑う少女。


「カコモモ。ちょっと出てくる」

「あら、そうですか? そろそろ暗くなるから気をつけてくださいね」


家を出たバウルは数歩だけ歩き、静止する。そしてまた歩く。


(あの時、カコモモは裸だった)


(体を拭くときでも下着はつけるあいつが)


彼女は大ぶりな包丁を持っていた。彼女はそれを背後に隠して、片足をもう片方の足に絡めるような立ち姿で、あまりにも美しい肢体で。


たどり着くのは白い建物。何の建物なのかよく分かっていない。今は倉庫として使われているが、使い道のないがらくたしか入っていない。歳月の間にものは増え、わずかな隙間に足をねじ込むように歩く。


多めの木箱を持ち上げ、使っていない油の圧搾機を脇に押しやる。


現れるのは絨毯。それには黒い染みが。やはり年月の間に全体が黒ずみ、輪郭がはっきり分からなくなった黒い楕円形の染みが。


「ここで、あいつと会ったとき」


カコモモは裸だった。寒さが厳しくない土地とは言え、それでも永い冬であるのに。体を拭いていたとか言っていたが、物音に気付いたとしても裸で出てくるだろうか。


なぜ服を着ていなかったのか。

その理由はすでに思いついている。それが頭蓋の中を動き回り、脳に痛みを与えている。服を大切にしていたカコモモ。合理的で仕事に無駄のないカコモモ。



「返り血が、服につくのが嫌だった……」

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