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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第八章 雪明りの君
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第四十四話





雪惑ゆきまどいのことは両親から聞いた。両親はそれぞれの両親から。それぞれの両親はさらに先祖から。


いわく、彼らは永い冬をさまよう亡者である。


いわく、彼らは大いなる罰を受けた咎人とがびとである。


いわく、彼らは大勢でもあり一人でもある。


それは特定の何かではなく、幽霊とか魔物といった大きなくくりの言葉に思われた。実在するとも、けして出会うことのないお伽噺の住人であるとも言う。


雪惑いは日記である。


雪惑いは本によって繋がる。


雪惑いは読めない文字そのものである。


詩の断片のような言葉が、バウルの脳裏に浮かんでは消える。


「……雪惑いに性別はない。男でもあり女でもある。旅人でもあるし商売人でもある。雪惑いは何かであることを拒む。母さんから聞いた話だったかな……」


ページをどこまでっても横殴りの雨。


かろうじて文字の方向は分かる。左上から右下に下ろすような線が多い。この文字は左から右に、バウルの知る当たり前の文字と同じ方向で書かれている。


「どこか……俺に分かる文字はないのか」


そして気づく。何十行かに一度空白の行があり、そのすぐ下は同じような記号から始まっている。バウルはその記号を日付ではないかと思った。


「これ……日付だとして、なんで読めないんだ。日付まで独特の記号で書かれてるのか」


文字らしきもので埋め尽くされたページ。それは果てのない雪原のようだった。そこには何もなく、歩みだせば即座に己の位置を見失う。どこかに行きつけることなど想像もつかない白い虚無。


「解読するしか……ないのか」


バウルはもちろん学者ではなく、人並みに言葉を操れるとも思っていない。そもそも読み書きが人並みにできるとも思っていない。


「どうしたらいいんだ……」


土を掘るようにひたすらページをめくる。紙は薄手だがしっかりとしていて、かるく300はページある。かなり上質な紙だがバウルにそんな知識はない。


「……ん」


絵がある。

棒のような胴体に四枚の細長いはね。球体に近い二つの目玉。トンボの絵である。その下にはやはり走り書きのような文字が。


「……これ、トンボって書いてんじゃないのか?」


大陸のアルファベットで何文字分に相当するのかも分からない。だがもしアルファベットならば何文字かは判明することになる。


同じページ内に同じ筆記文字がないかを探す。二つ見つかった。見比べてみると微妙なカーブや末尾の跳ね、丸を作る部分など、まったく同じ文字だと分かる。やはりこれは意思を持って書かれた文字なのだ。


「……いける。そうだよ図だよ。他にねえか、絵の下に文字が書かれてる部分」


果樹のような絵、料理のような絵、太陽と雲、石に寝そべる猫、編み上げのサンダル、どこかの地図、何かのうたげの様子なども。


絵はかなり見つかり、バウルは付記されている文字を藁半紙に書き留めていく。


そして3時間ほど経ち、夜の冷気が地上まで降りきった頃。バウルは天井を見上げ。茫然としてつぶやく。


「とんでもねえぞ、これ……」


明らかに、大陸のアルファベットよりも記号の数が多い。


何時間もかけると文字の切れ目が分かってくる。一つの文字の長さはまちまちで、明らかに異なると思われるものだけで百は下らない。


バウルは想像する。これはもしかして音ではなく、単語の一つ一つに記号を当てはめた文字ではないのか。


例えば「おはよう」「ミルク」「黒槍樹ジンガル」などにそれぞれ違う記号を当てはめるとする。そうだとすると記録者は何百何千という異なる文字をすべて覚えてなくてはならない。利点があるとすれば圧倒的に速く書ける事と、ページあたりの情報量が大きい事だろうか。


だがそれを、ゼロから解読するのは気が遠くなるような話だ。バウルは途方に暮れながら、何かの義務であるかのように言葉をこぼした。


「……大丈夫、大丈夫だ、冬守りにはいくらでも時間があるんだから……」





金属のように硬いと言われる黒槍樹ジンガルを伐採するために、先人は様々な方法を残していた。胴焼きと呼ばれる方法もその一つだ。


木の根元に石で囲いを作り、黒槍樹ジンガルの炭を使って火を焚く。およそ15時間ほど火を焚き続けると表面が脆くなり、さらに10時間以内には自重を支えきれなくなり、折れて横倒しになるという。こうして倒した樹はすぐに雪をかぶせて数日おく。そうしなければ木のウロの部分が延々と燃え続け、がらんどうの倒木になってしまうのだとか。


倒れた黒槍樹ジンガルは枝打ちを行う。この作業は早ければ半日で終わり、そうしてやっとゴーで運べる。森で見つけたゴーは人によく懐いたが、かつてこの村で飼われていたゴーなのかは分からなかった。ゴーには鼻輪などはつけないから、この個体が野性かどうかを判断する材料はない。


運んだ黒槍樹ジンガルはマサカリで樹皮を剥ぎ、おおぶりな鋸で成形して、材木や炭に加工する。


「バウルさん、お食事です」


炭を焼いているとカコモモが来た。金属製の鍋を布でくるんでいる。肩からは布の袋と水筒を下げていた。


「シチューと黒パンですよ。今年の小麦で焼いたんです。お飲み物は薬草で煮出したお茶です」

「ああ、ありがとう」


バウルは主に炭焼きと建物の補修。カコモモは温室の世話を行っていた。

カコモモは温室を修理し、ストーブの配管を改良したり、温室の土を畑の土と入れ替えたりしていた。畑の土は雪の下でも少しずつ育つため、入れ替えたほうが実りがよくなるという。


「それとヤクシャガの花が生えたんです。これはヤケドの薬になるんですよ。鉢に移して大切に育てようと思ってます」

「そうなのか、しっかり頼むよ」

「もう、他人事じゃないですよ。一緒に薬草のための温室を作るって、そう話し合ったじゃないですか」


現在、カコモモの家には大小さまざまな鉢植えが置かれ、おもに薬草が育てられていた。家だと熱の管理が難しいため、薬草用の小さな温室を作りたいとは前々からの希望である。そうなると金属製のストーブやら天井に使うガラスやら、あらゆるものを作らねばならない。


「それに建物も増やさないと。できれば年に二、三軒、少しずつ作っていきましょうね」


バウルはきょとんとしている。


「家? どうして」

「もう、これも相談したじゃないですか。永い冬が終わったら、きっとたくさんの家が必要になります。冬守りがいなくなった村にも魔法の本はあるんです。そこから出てきた人たちはここに流れ着くかもしれない。住む家が必要なはずです」

「そうかな……みんな適当にやるんじゃないか。冬守りがいなくなると、魔法の本は王都に回収されるなんて噂もあるし」

「それならそれでいいんです。家はきっと無駄にはなりません。流れてきた人が住み着いてくれるかも知れませんし」

「住み着く……」


バウルはどうもカコモモの言葉を飲み込めない。バウルはそもそも魔法の本から人が出てくるという事すら完全には信じていない、少なくとも実感を持っていないところがあった。


永い冬がいつか終わる、暖かい季節が来る、それをどこか絵空事のように考えている。よく言えば地に足のついた、悪く言えば想像力が育っていないとでも言おうか。


カコモモの言葉は続いている。大きな身ぶりと、豊かな表情の変化を伴って村の展望を語る。魚を養殖したい。温室に果樹を植えたい。このあたりの詳細な地図を作りたい。部屋を飾る絵やキルトを作りたい。服や髪飾りを作りたい。行商人を探しに行きたい。


バウルは相槌を繰り返す。カコモモとの間には速度の差があると感じる。カコモモは己の腕を引いて、いつも全力で走っていると。





解読は少しずつ進む。


最初に判明したのは「雪」という言葉だ。日記にはおそらく天候を指すと思われる言葉が冒頭にあり、大雪の絵にもその言葉が添えられていた。


そして「今日」という言葉。「本日」かも知れないが、とにかく今日この日を指すと思われる記号を見つける。


言葉が添えられている絵は52。地図が3つ。


これらに添えられた言葉を日記の本文中から探す。


例えば「今日△△山◯◯◯」という文章があった。これは「山に行く」「山に登る」「山越えをする」のどれかだと考え、全体から◯◯◯の部分を探す。


かなり数がある。このため◯◯◯は「行く」ではないかと見当をつける。


それが大きなとっかかりとなる。多くの単語はそれに対応した速記記号があるようだが、知名や村の名前などはアルファベットで書かれているはずだと考える。そして「行く」の前にごく短い速記記号がぶつ切りになっている場所が多い。これがアルファベットではないかと考える。


それを絵の但し書きに当てはめる。


スゼリソウ。


カコモモが薬草として育てている草の一つ。バネのようなねじれた葉をつける。この絵が日記の中にあり。スゼリソウと読めそうなアルファベットが付記されていた。


「そうだ……スゼリソウは煎じて飲むと風邪に効く。この記号が「飲む」じゃないのか? 飲み物っぽい絵のあるページにもこの記号が出てきたはず……」


藁半紙のノートを用意し、推測したことを書き留めていく。同時に村にあった本も読んで、植物や周辺の町についての記録を調べる。何か、日記と共通する言葉が出てこないか。


「バウルさん、いますか?」


木戸がノックされる。ここは大工仕事のための作業小屋であり、カコモモがやってくるのは珍しいことだ。バウルは床板の一枚を持ち上げ。その中に素早く日記を隠す。


「どうした? いま開ける」


この小屋は鍵もかかるようになっているため、カコモモが日記の存在を知ることはないと考えていた。何食わぬ顔で木戸を開ける。


カコモモはややふくれっ面で、布をかぶせたカゴと水筒をバウルに渡す。


「もう、今日は新しい石窯を作ったから、パンを一緒に食べようって言ったじゃないですか。ウサギのお肉をローストしたのと卵もあったんですよ」

「そうだったか……? ごめん、ちょっと仕事で忙しくて」


別にそれは嘘ではない。バウルが日記の解読にあてる時間は一日二時間から三時間。それ以外にもやるべき仕事は山ほどあるのだ。大工仕事に関しては練習のための時間もたっぷり取らねばならない。医者のいない状況では怪我が許されない。


カコモモはまだ怒っている。バウルは困惑した顔で言葉を探す。


「……ああそうだ、例の薬草園、なんとか作れそうだ。明日から基礎を作るよ。ガラスの焼き窯もできたことだし」

「それは嬉しいですけど」


じっと、斜め下からの視線が投げられる。


「ねえバウルさん。私たち、もう立派な冬守りですよね」

「……? そうなのかな、まあ、そうかも」

「バウルさん、明日は誕生日ですよね。お年はいくつになりますか?」


カコモモは誕生日を祝うことにこだわった。毎年、貴重な砂糖を使ってケーキを焼き、ニワトリをしめて丸焼きにして二人で食べる。麦芽から作る砂糖ではなく、村の食料庫にあった純白の精製糖を使った。


「いくつって、20だったかな」

「私も次の誕生日で20です。じゃあ、そろそろですよね?」

「そろそろ?」

「結婚しましょう」


もどかしいという感情を顔に乗せて言う。バウルの服をつかんで揺する。


「13から結婚できるんですよ。遅すぎるぐらいです」

「結婚……?」


その言葉を、生まれて初めて聞いたようにつぶやく。


「それは、必要なことなのか」

「もちろんですよ! 冬守りだって結婚するんです。夫婦になって子供をもうけて、この村を次の世代に繋げていかないと!」


バウルは、カコモモの顔をまじまじと見る。

出会って数年が経っていた。いつ見ても丸っこくて若々しくて、顔は雪焼けもしていない。


美しい、そういう感想を持つべきなのだろう。


「……今は考えられない」

「え……」

「まだやることが山のようにある。子どもを作ってる暇なんかないんだ。冬守りの仕事については別に子供に継がせなくてもいいだろう。年を取ったら赤い信号旗を出せばいい。俺たちだってそれを見つけて来たんだ」


それに。


目の前の、この女は。


胸がざわつく。日々の仕事の中に埋めていた感情が湧き上がってくる。この女は狼かもしれない。元いた村の冬守りたちを殺したのかも。


だがそれは、ざわつき以上の感情にはならない。不穏、不安、不安定、そんな感情であり、怒りとかうらみには発展しない。


(まだ、不確定だからな……)


そう考えて感情を抑えようとする。少なくとも本を解読するまでは、カコモモに憤怒の感情を向けるのは間違っている。


だがそれでも。


とても、抱くことは。


「わかりました」


何かを切断するように言葉が振り下ろされる。声の強い調子にバウルは少したじろぐ。

カコモモは目が座っているが、バウルにその意味は分からない。


「その代わり、明日のバウルさんの誕生日はちゃんとやりますからね、お料理もちゃんと全部食べてくださいね」

「あ、ああ、それはまあ」

「ほんとーですね! いま約束してください! 出されたお料理はちゃんと全部食べるって、飲み物も飲むって」

「や、約束するよ」

「楽しみにしてます」


その次の日のパーティーは、見たこともないようなご馳走が並んだ。


薬草を詰め込んだ鶏のロースト。肉がたっぷり入ったシチュー、薬草とハムのサラダ、焼きたてのパンにはスパイシーな風味のジャムが塗られ、とっておきのワインも開けられる。


たっぷりと食べて飲んで、なぜかカコモモが歌っていて。室内はこれでもかというほどストーブが焚かれ、カコモモが汗まみれになって上着を脱いで、鮮やかなタップを踏んで踊っていた記憶があって。



そして数日後。

二人は村の近くの高台で、結婚の誓いを交わしていた。


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