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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第七章 銀華遊宴
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第四十話



時計台は変わらず街の中心にある。ニールは空を足でつかむように飛び上がり、屋根伝いに時計台の鐘楼へ。


ギンワタネコの鳴き声がして、それにかぶせるようにニールがつぶやく。


「ニール、ここよ」


階段を降りて階下へ、リラがぐったりと倒れていた。その場にかがんで脈を見る。ギンワタネコがリラの鼻先の匂いを嗅いでいる。


「大丈夫よ、気絶してるだけ」

「下まで運びましょう」


リラを背負って階段を下りる。ギンワタネコはリラを主人と認識してでもいたのか、それとも高いところは飽きたのか、すぐ後をついてくる。


「騒ぎは止んだようね。街の人達は駄目だったのかしら」

「すべて人形でした。あの歯車は、人間を生きた人形に変えるものだったようです。いつの間にか体のすべてを木の人形に置き換え、かりそめの肉を与えるのです」


「ニール、さん」


背中でリラがつぶやく。


「リラさん、いま休めるところに運びます」

「ニールさん、エリオを」


リラは、どうしても今それを言わねばならぬとの決意を込めて、ニールの肩をぎゅっと掴む。


「エリオは、歯車を吐いてたんです。まだ、人形に、なってないかも」

「そうですね、人形師ジザベルはこう言っていました。まれに歯車に耐性のある人間がいると」


ニールはすでにエリオの家も把握している。リラを背負ったまま、その方向へ。


少年は、家を出てすぐのところに倒れていた。


「エリオ」


リラがニールの背中を離れ、もつれる足でそちらへ向かう。


その傍らには男が。それは人形と生身の人間が混ざり合ったような、木に変じる呪いをかけられた者の最期の瞬間のような人物がいる。


「あなたは、エリオの父親ですね」


ニールが呼びかける。人形に変わりかけている男は体に力が入らぬ様子で、ただ悲しげにニールを見上げた。


「捨て子だ」


いつ話せなくなるか分からない、そんな焦りが短い言葉となって出てくる。


「哀れな、この時代に、わしらは、なんとか育てて、とおを過ぎた頃に、華を」


ぱきぱきと、手足が木に変じてひび割れていく。生命を火にくべて口を動かしている。そうとしか思えない懸命さがあった。


「だが、十分に、食えない、ようだった。アントーニオと、同じ。華が、歯車が、毒になる。肺の、やまいに」


びし、という核心的な音がして、男は動きを止める。その体も、服も人形のそれになり、石畳の上にばらばらになった。


「やっぱり、エリオは人間」

やまいのことが心配でしたが、それも歯車のせいであれば、一緒に解決できるでしょう」


冷たい石畳に寝かせるわけにはいかなかった。エリオを揺り起こすと、彼はうっすらと目を開ける。時間をかけてニールとリラを認識しているようだ。


「越冬官、さま、なんだか、街が、すごい勢いで、回って……」

「エリオ、よく聞きなさい」


エリオの声には枯れた音が混ざっている。ニールはその音に危険なものを感じた。急がねばならない。


「あなたは肺の病です。あなたが食べていた銀の歯車。それは人間に永遠の命を与える薬となりますが、耐性のある人間には毒になるようですね。あなたの中で歯車が悪さをしているのです」


剣を抜く。その刀身はまた白い揺らぎとなって、どこか遠くから現世に現れようとしている。


「今から、私はこの街に存在しているありえざる・・・・・法則・・を斬ります。歯車の華という神秘を、それが人にもたらす作用を斬ります」


エリオの眼はだんだんと開いてきて。

そして確信とか理解というものが、ゆっくりと降りてきているようだった。その眼は悲しみの色に染まる。


「越冬官さま……斬ったんですね、みんなを」

「それが私の役目なのです。あなたに理解してほしいとは言いません。ですが、あなたは人間なのです。御伽おとぎの時代、すべての作り事が本当になる時代において、世界を人間の手に引き留めるのが私の使命。今はあなたを生かすことが使命です」


エリオはニールの手からのがれ、立ち上がる。


「いつか、そうなると思ってたんです。街のみんなは、優しかったけど」


涙を流し、そして言葉を重ねる。


「僕が歯車を、食べられないことを、悲しんでいた。何となく、仲間に入れて貰えないような、寂しさが」

「エリオ、街に赤い旗を掲げなさい。それは街に人が少ないという信号旗。クロノガレルを訪れた人が、新たな住人となり、冬守りとなってくれることを願っています」


剣が完成しようとしている。濡れたように光る刀身。甘い顔などけして見せぬ断絶の意思。


「あるべき姿を示せ」


それを突き立てるのは、石の大地。

そこに走行する針金の根を、銀の歯車を、剣がとらえる。


「クロノガレルにありし、銀華ぎんかことわり。剣の輝きより逃れること能わず」


煙が噴き出す。


それは銀色の煙。無数の歯車が石畳の隙間から噴き出し、錆色に染まって朽ちていく。おそらくは、クロノガレルのすべての場所から。


同時にエリオの体からも歯車がこぼれる。垢が落ちていくかのように、肌が薄くはがれて歯車に変わっているのだ。


「越冬官さま、これって」

「大丈夫です。すぐに終わります」


そして錆びついた歯車が剥がれるごとに、エリオの血色は少しずつ良くなるように見えた。


ようやく終わりなのだと、リラがほっと胸をなでおろすと。


その手は木に。


「え……」


リラは、それが自分の口から出た言葉だと分からなかった。


手足が木の棒に変わっている。胴体も、首も、体の内側はがらんどうに。


自分の過去のこと。今の己の姿への感情。自分は何物だったのか。


それらの思考は形を結ばなかった。石畳に倒れる。その一秒にも満たない時間の中で、すべてが消える。


街に残っていた夢現ゆめうつつの気配も、この世ならざる華も、命ある人形たちも。


リラという人物も。


「な……」


ニールは、目を見開いて固まっている。


「越冬官……」


エリオは、その姿をどこか冷静に見つめていた。リラが消えたことや、街の人々と別れたことは悲しいけれど、それを上回るような寒々しい気配が目に宿っている。この街で起きていたすべてのことが、エリオの認識から急速に遠ざかっていた。夢から醒めた人のように。


「あんた……何も気づいてなかったんだな」


もちろんエリオにも気づきなどなかった。しかし、責める言葉を投げるべきだと感じた。この場で言うべきことはそれしかないのだと思われた。


地面に落ちたパンに向けるようなまなざしを投げて、くるりと振り返って己の家に戻る。ぱたりと扉が閉ざされる。


「リラ、さん」


ばさり、と音がする。はっとニールが振り向けば、ガス燈の上に白い影。


きわめて大きな白いフクロウ。昼日中ひるひなかにあってその体は輝くかのよう。


「あなたは……スワニエルの意思、ですね」

「こんなはずではなかった、とでも言うのか、冬ごもりの騎士よ」


ひとりでに口が動く。その唇は寒さを受けて青ざめ、寒風に揺れる朽葉くちばのように震えている。


「リラは人形であった。この街で生きている人間はエリオただ一人、それだけのことだろう」

「そんなことが……。リラさんは、歯車など食べてなかったはず」

「グラーノという男は言っていた。リラは大きく・・・ならない・・・・と。あの男はリラが人間ではないことに気づいていた、少なくとも無意識の範囲では」

「それは、錯覚です。リラはグラーノの呪縛から解放された時、何歳も成長したように見えました。幼子のままであるという幻想が彼女自身を縛っていた、それから解き放たれたために……」

「冬ごもりの騎士よ、それこそがお前の錯覚だろう。お前はリラという娘をどれほど知っているというのだ。何年も観察し続けたわけでもなく、本当は何歳なのかすら知らない。女性の、いや人間の外見などいかようにも変わる。永い冬において、リラの自己認識すらまったく信用ならぬ」


白いフクロウは射かけるような目でニールを見る。これほどに大きな動物がまだ生き残っていたのか。なぜニールの前に現れたのか。そもそも今は、永い冬が始まって何年なのか。冬はあとどれだけ続くのか。あらゆることが定まった位置を失い、ニールの認識からこぼれていく。


「お前は夢現ゆめうつつを断ち切った。この世ならざるものをすべて斬ったのだ。役割はつつがなくまっとうした。不満を抱く必要もなかろう」

「リラさんが失われたことを、喜べとでも」

「失われただと? 最初からどこにもいなかったのだ。永い冬が終わればこの世ならぬ者たちに居場所などない。まして生き残ってしまえば、世界にどれほどの歪みをもたらすことか」


ニールの一人問答は続く。その一人二役は拷問のようだった。荒縄を捻じるように全身からぎちぎちと音を鳴らす。無意識の注力が体をこわばらせている。


「私は……グラーノを輝きの剣で斬りました。彼は人間であるはず。彼は、リラが人形だなどとは言っていなかった」

「どの時点で人形に変わっていたのか、それとも最初から人形だったのか、そんなことは些末なこと。グラーノに気づかれずにスワニエルに爆薬を仕掛けられるのだ。リラに歯車を食べさせることなど造作もないと思うべきだろう。リラはとうの昔からクロノガレルの意思で動いていた。私はその体を借りていたまで」

「そんな、ことが」

「何が意外なものか。お前はとうの昔に気づいておったのだ。なればこそリラをこの街まで連れてきた。なればこそ気づかない・・・・・でいた・・・のよ。気づいてしまえば斬ることが辛くなる。今この瞬間まで、気づかぬふりをしていた」

「違う!」


ニールの目が左右に揺れている。石畳をなめるように動く視線。ギンワタネコを探しているのだが、ニール本人にそんな意識はない。


「なぐさみを求めるか。あのドナという人格に言葉を求めるのか。哀れなことだ。あれはお前が生み出したドナに過ぎぬ。その名はすでに打ち捨てられ、雪の中で忘れ去られた。その人物の現在の名はアルムだ。黄金の術理をきわめ、あらゆる価値をもてあそぶ冬の商人だ」

「違います……ドナは、商人の怪しげな魔術に惑わされただけです。私は、ドナの心を夢現ゆめうつつの世界でかき集めたのです」


ばさ、と、フクロウが翼を広げる。哀れがましい男に打擲ちょうちゃくを加えるような気配。ニールはびくりと腕を構える。


「冬ごもりの騎士よ。夢を覗けるからといっておごりが過ぎるな。お前には何も見えておらぬ。夢の中ならば本音が聞ける、夢を斬るならばこの世の不条理を除ける、そのような奢りがお前を盲目にしている。定命じょうみょうの人間のほうが。昼の目しか持たぬ人間のほうが、まだずっと見ることに対して誠実だぞ」

「わ、私、は」

「冬守りたちをうやまえ。日々の生活というものを守る冬守りたち、現実に立ち向かう、彼らの偉大さを畏れよ。お前などしょせん、夢の住人に過ぎぬのだ」


白いフクロウは、翼を広げて飛び立つ。


向かう先は三叉のほこ、霊峰クロノガレル。


ニールはそれを長らく見つめ。

やがて膝を折って、しばらくその場を動かなかった。









岩を持ち上げるとき、意識が岩に吸い上げられる気がする。


満身の力を込めて持ち上げられる岩は、シェルマットを守る盾となるものだ。


霊峰スワニエルは少し影が細り、細かな渓谷や山肌の岩が見えている。あの状態の山ならば、10年は大きな雪崩は来ないだろう。


グラーノは「盾」を作り直そうとしていた。より大きく、より重く、どのような大雪崩にもけして屈しない盾を作ろうと岩を運ぶ。


崖下から切り出した岩を運んでいると、村に誰かがいるのが見えた。井戸の縁に座っている。水脈が凍っているため、ずっと昔から枯れている井戸だ。


女性である。黒い長裾の服を着て、顔をやはり黒いヴェールで覆っている。未亡人という知識がグラーノには無く、どこかから流れてきた人間だろうか、とそれだけを思う。


「誰だ」

「あなたは……この村の冬守りでしょうか」


グラーノはうなずく。


「そうだ」

「私は、遠い北の果てから流れて参りました。そこは濡れた雪と凍りついた森の村です。私たちの村は狼に、無法者たちに襲われ、私だけが生き残りました」


狼、という言葉は動物を指すこともあれば、「魔法の本」に入らずに身を隠した無法者たちのことも指す。女性が言っているのは後者のようだ。


声は砂をまぶしたようで、見るからに痩せ細っている。

かなり長く旅をしてきたと思われる。起毛革ツイードの靴は酸を浴びたようにぼろぼろになり、ほとんど荷物も持っていない。


「それがどうした」

「赤い旗をお見かけしました。私を、この村に置いていただけないでしょうか」


確かに赤い旗を出している。それは信号旗、村に人が不足しているというしるしである。

グラーノは少しの沈黙を挟んで言う。


「わかった」


ありがとうございます。と女性は言う。座ったままで手を組む。もう立ち上がることすら難しいほど体力を使い果たしていたのだろう。


「何か食べたほうがいい。俺の家まで行こう」

「はい、ありがとうございます」


女性を案内しようとした、その時。


視界の果てに、赤い影が。


「……」


雪の彼方にいる悪霊のような、大気の揺らぎにかすむ立ち姿。


グラーノはその姿と向かい合った。奇妙なことではあるが、数百メートルもの距離を隔てて向かい合ったのだ。赤い影は一人きりであり、大きな背嚢を背負っている。肩の肉に食い込み、骨をきしませるような重い背嚢。それは遠目にもきわめて重そうで、罰を受ける罪人のように見えた。

グラーノは瞑目する。体のうちより吹き上がる無数の言葉を、あたりの空気に放散させようとする。そしてすべての意思を、一つの言葉に束ねる。


「来るな!」


叫ぶ。声は槍となって雪の上を走る。


「もうお前のやるべきことはない! 二度とシェルマットの村に近づくな! この地に二度と足を踏み入れるな!」


天よりの陽光が、雪をきらめかす。

その光の中に溶けるように、赤い影は消えた。


立ち去ったのか、グラーノの錯覚だったのか、それとも、本当に陽光の中に消えてしまったのか。


「どうか、されましたか」

「何でもない。白昼夢というやつだ」


グラーノは天を仰ぐ。

空は平穏の青、大気は天罰のように冷たい。


グラーノは最後に誰かの名を呟いて、目の端に涙のきらめきが残り。




そして霊峰スワニエルは。

何万年も変わらず、すべてを見続けていた。

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