第三十六話
「人形を……創る人形?」
「そうだよ。人形が自ら新しい人形を作る。歯車も骨組みもすべて作るんだ。ある人形が壊れたり朽ちたりしても、けして人形の世界は滅びない。それが人形師ジザベルと時計職人アントーニオがたどり着いた理想なんだ」
それを語るエリオの顔には喜の感情が濃い。天から遣わされた獣や、雲の上の王国について語るように目を輝かす。
「それが時計塔さ。時計塔にその人形はあるんだ。その名を理想人形というんだ」
カンテラを高く掲げる。ガス燈やショウウインドウの光に照らされて、鐘楼にある鐘がわずかに見えている。円形の時計も。
「理想人形は自分で自分を造ることもできる。常に自分を改造して、より良い人形を作ろうとしてる」
「時計塔……」
リラは足元を見る。あの針金をねじった蔦と、銀歯車の華はあちこちにある。
「この歯車……華は、何なの?」
「それが理想人形の御業さ。万能の人形が生み出す、万能の歯車なんだ。見てごらん」
エリオは一枚を摘み、リラの真横に来てカンテラの光を当てる。熱い息づかいに少し気圧されそうになりながらも、リラもそれを見つめた。
水滴のような真円。鈍く光るように見えたのは表面の模様のためだ。
そこにはおそろしく細緻な模様が刻まれている。文字なのか絵図なのかも分からないが、何らかの意味があることは感じられる。
よく見れば歯車は一枚ですらない。透かし彫りのようになっている模様の奥にはさらに模様がある。数枚あるいは十数枚もの円盤が重なっているのだ。
歯車のツメと思われる部分は黒い突起であり、よく見れば一つ一つ形状が違っていた。尖っているツメ、丸いツメ、数本の針が並んでいるツメなども。
「この華はね、どんな機械のどんな仕組みにも噛み合うようにできてる。機械に食べさせると、それが完全なものであれば排出されて、どこか不調があればこの歯車が壊れた部分の代わりをするんだ。そうやってどんな機械でも直すことができる。人間の体もね」
「すごい……」
リラは素直な驚きを示す。しかし同時に違和感もせり上がってくる。
どんな機械にも適合し、人の肉体すら直す歯車、それが現実離れしていることはリラにも分かる。
だが存在している。そこに混乱がある。
「あ、やばい」
エリオが背後を見て、リラの手を取って路地に連れ込む。
少し遅れて足音が聞こえてきた。体を左右に揺すりながら、太った壮年の男が歩いてくる。かなりの千鳥足である。
「ど、どうしたの」
「鍛冶屋のおじさんだよ。だいぶ酔ってるな。この華は酔いざましにもなるんだ」
男は地面にぺたりと座り込み、銀色の華をむしる。エリオに比べるとずいぶん乱暴な捕りかたで、次から次と食べている。
「地面は冷たいけど寝ちゃったりしないよな。うん、大丈夫そうだ、僕たちも帰ろう」
※
「時計台の近くに、銀色の華ですか」
ニールと話ができたのは翌日のことだ。彼は夜通し酒場にいて、村の人々と話をしていたという。
「そ、そうなんです。針金を束ねて捻じったみたいな蔦があって、そこに、一株ごとに二つか三つの華が」
「エリオが吐いていたものと同じですね」
ソファの間には木製のローテーブルがあり、ニールがぱらぱら、と、落とすのは鈍色の円盤である。
「それって……」
「夜明け前に街を探索して拾ってきました。時計台の周りに多く落ちていましたが、リラさんの言うような蔦は見られませんでした」
形や大きさ、薄さなどは銀の華に似ている。
だが銅に近い褐色であり、欠けたり割れたりしている。
「拾ったときはもう少し輝きがありました。どうやら空気に触れると数時間で劣化してしまうようです」
「夢の中で金貨を拾ったと思ったのに、目が覚めたら枯れ葉だった、そんな話を思い出すわね」
ギンワタネコは撒かれたものを餌だと思ったのか、テーブルに登ってくる。しかし匂いをひと嗅ぎして興味を失ったようだ。リラの膝へと移動する。
「ど、どうすればいいんでしょう。王都にはまだお役人さまがいると聞きます、それを頼るとか……」
「リラ、私はしばらく越冬官としての職務に徹します」
ニールはそのように言い、脇に置かれていた背嚢から本を抜き出す。
「黒槍樹の利用に関する覚え書きです。クロノガレルでも黒槍樹は利用されていますが、樹皮や木端材は焚き付けにしか利用されてないようですね。利用に関する指導と、設備の建設の手伝いをします」
「それって……」
リラの頭の中に、うまく言語化できない概念が去来する。
冬を生きるための知恵を伝える。それはおとぎ話にもある越冬官としての仕事。
しかしニールはそれを、街に滞在するための手段として用いている。
それは、つまり。
そこから先が難しくてうまく言葉にできない。ニールという人物が、つまり何者であるのかという部分についての思考。リラには少し荷が重かった。
「リラ、焦りは禁物よ」
ギンワタネコは餌をねだるのか、リラの胴部に頭を押しつけている。リラはほとんど無意識にその背中を撫でる。
「確かに時計台は怪しいけど、錠前と鎖で封印されてて中に入れなかった。それに時計台が事態の中心とは限らない。ニールは数日滞在して、より深く街の人たちを観察するつもりね」
「い、急がないと」
「リラさん、焦りは我々の敵です」
ニールは深く落ち着いた、それでいて悠長さを感じない真摯な声で言う。
「越冬官が見るものは街であり、人々であり、気候であり、見えるものと見えないもののすべてです。必ず、この街の憂いを除いてみせます」
リラを落ち着かせようとしての言葉、それは分かる。
だがリラの不安は消えなかった。
クロノガレルの街に起きている異変。それはあの銀の華なのか、時計台なのか。伝説の職人だったという夫婦なのか。
あるいは理想人形。
それが怪物と、呼べる何かなのかーー。
※
翌日より、ニールは村の男達と行動を共にする。
主に行うのは製材の改良である。リラも様子を見に行った。
製材所の入り口から覗くと、街の男たちに囲まれた鎧の人物、ニールが話をしている。
「黒槍樹の樹皮は銅のように硬く、剥がしたそれは主に焚き付けに使われていましたが、西の町ではさまざまな利用法が模索されています」
ニールはいくつかの書き付けを広げて、街の男たちに説明している。職人の街だからか、筋肉質でがっしりとした体つきの男が多かったが、リラには比較対象となる知識があまりなく、街の特色というものにあまり気づけない。
「例えば樹皮を細かく砕き、麻袋に詰めることで湿めり気を除くことができます。黒槍樹の樹皮は湿気をよく吸うためです」
「ああ。そういや製材所はいつも乾燥してるな」
「食糧庫などに置くと良いでしょう。他にはアルカリ性の薬剤に漬け込むことで柔軟な素材が作れます。靴底などに活用できます」
「へえ、面白いもんだな」
「ええ、硬すぎて加工が難しい黒槍樹ですが、食用にもできますよ。例えばカンナくずを乳酸菌発酵させるとゴーの飼料にできますが、細かい歯のついた金属ですり下ろせば人間が食べることもできます。そのためにはやはり発酵が必要で……」
リラも街の仕事を手伝う。女性に混ざって洗濯をしたり、街の雪を集めて荷車に積む作業なども行う。雪が山積みになった荷車は街の男が引いて雪を捨てに行く。
雪を溶かして真水を作り、村の人々の服を仕立て、ひろびろとした温室でストーブに薪をくべる。仕事はいくらでもあり、それでいて肉体的なきつさは無かった。あまり大きな力を使う仕事をしない、それもまた冬守りの教えだという。
「リラさんはよく働くねえ」
ゴーの毛を紡ぎ車を使って糸にしていく。街の女性たちとその作業をしていたときに話しかけられる。
「シェルマットから来たんだって? 向こうは山に近いから大変だろうねえ」
「いえ、そんなに変わらないです」
シェルマットの村にいたときは、ほとんどの仕事はもう一人の冬守りが行っていた。負い目を感じるということはないが、今の生活のほうが本来あるべき姿に近いと感じる。
「みなさんもたくさん働いてますね」
「他にすることもないからねえ。それに糸紡ぎは単調だけど、服の仕立ては楽しいこともあるし」
「そうそう、刺繍を入れたり、軟玉を削ってボタンを仕立てたりねえ」
若い人では30ほど、高齢な人では70を超えているらしい。そのように年老いた人間を見たのも初めてだった。
紡ぎ車はからからと周り、手に持った糸車は少しずつ太っていく。人が年齢を重ねるようだ、そんな言葉が浮かぶ。
「それに働かないとバチが当たるからねえ、せっかく病気の一つもないのに」
「みなさんお元気ですよね。お年寄りは……足腰が悪くなるって聞きましたけど、そんなこともないし」
「そりゃあねえ、この街ではみんな病気ひとつないのさ」
「そうそう、けが人だってほとんど出ないんだよ」
「どうし……」
どうして、と言いかけて止める。何か、まだ聞くべきではないような気がする。
「冬守りはね、まず怪我をしない、病気にならない。それが第一なのさ」
「そうそう、あと喧嘩もね。あたしも亭主と喧嘩なんかしたことないさねえ」
「あはは、あんたんとこの旦那とかい。喧嘩したら旦那さん吹っ飛んじまうよ」
「あれま、ひどいこと言うよ。うちの旦那は殴ったらぱりんと割れるんだよ」
陽気な笑いと多少の毒。紡ぎ車は回り続ける。
自然だ。リラはそんな言葉を思う。
何一つ不自然なところはなく、楽しげで平和。少なくとも、紡ぎ車の回転だけは。
※
「いやあ、いいドアだな。家が急に立派になったな」
「ありがとうございます」
ある時はエリオの仕事にもついて回った。彼はまだ10代だったが、一人前の木工職人であり、クロノガレルのこまごまとした家具と建具を作っていた。
生産は完全な注文制であり、一つを作るにはそれなりに時間がかかる。しかし注文が立て込むようなことは滅多になく、納品までに好き放題に彫刻を入れたり、彫金にこだわったりと工夫を凝らすらしい。
料金は銀貨で支払われるが、使う機会はあまり無いとの事だ。
「街の人間は食糧庫のものを好きに取っていいんだ。お金を使うのはエリミューズ・ホテルの食堂で飲む時とか、服屋のおかみさんに凝った服を頼む時とかかな」
エリオの仕事を見たいと言うと、彼は喜んで受け入れてくれた。エリオの工房で仕事ぶりを眺めたり、納品に同行したりする。
こふ。
また咳が出ている。リラは咳のたびに身を強張らせる。
「ごめんよ。どうも近ごろは冷え込んでて、肺に霜でも張ったんじゃないかと思うよ」
笑えない冗談だったが、リラはどうにか微笑む程度の表情を作る。
「何の話だっけ、そうそうお金か。ときどきは行商人が来るから、お金はその時に使うかな。魚とか化粧品とかが買えるんだ」
「魚……食べたことない」
「ああそう? 南方のベルネルク海峡のあたりは海が凍ってないんだってさ。海流が速いと凍らないらしいね。そういう土地では漁もできるらしいよ」
いつの間にか時計台の近くに来ていた。街の中心にあるため、何かと通ることが多い。エリオは時計台を囲む円形の道を歩きながら、知っているだけの外の土地の話をする。
「それで、その庭園には温室でもないのに実ってるリンゴの樹があるらしいんだ。あとは何だっけ、そうそう、氷点下なのに凍らない不思議な湖があって……」
エリオは30分ほどずっと話していた。リラは相槌を打ちながら一緒に歩く。
「ねえ、クロノガレルに住んだら?」
そんな言葉がふいに出てきた時も「うん」と気のない相槌を打ってしまう。
数秒後、言葉の意味がリラに浸透する。
「え……?」
「いや、リラがシェルマットの冬守りなのは知ってるけどさ、別にクロノガレルに移住してもいいわけだし。街には女の人も何人かいるから、交代、そうだ、交代したっていいんじゃないかな」
見ると、エリオは顔を赤くして汗をかいている。そのような様子になっている意味を、リラとしても察しないわけではない。
「シェルマットの冬守りとは。歳が少し離れていたの」
少し考えて、そのように言う。
「向こうは親子みたいに考えてたみたい。冬守りは男女が所帯を持って、子どもを作って役目を受け継いでいくって聞いてるけど、向こうはそう考えてなかった。私が大きくなるのが想像できないって」
「リラは十分に大きいじゃないか」
永い冬の時代。成人の年齢を何歳と考えるかは土地によって異なるが、14となれば大半の土地では大人としての振る舞いが求められる。
そしてリラの年齢は場面ごとに変動するように思えた。エリオの前では少し大人に近づくと感じる。自分が少女なのか、青年期にあるのか、もう成熟した一人の人間のような気までする。客観的な自分の年齢を見失いかける。
「うん、大きいよ。だからそろそろ、自分の身の振り方、考えないとねえ」
そういうことを、考えたことはあっただろうか。
初めて考えるような気もするし、いつも心の片隅にあったような気もする。
自分でも自分のことがよく分からない。それを探している途中だと考える。
こふ。
エリオの咳。二人の間の妙なる空気と無関係に、その音は何度も繰り返された。




