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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第六章 翼展げし山
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第三十三話



「爆薬が……」

「私の足に振動が伝わってる。それが持続してる。おそらく氷の層が崩壊して大規模な地崩れが起きている」


ぶわりと横薙ぎにされる丸太。ニールの眼前を百の剣が横切るような感覚。あのささくれた部分が触れれば鎧ごと全身ずたずたになるだろう。回避しながらも問いかける。


「雪崩が発生していますか」

「間違いないわ。落下する氷と岩が雪の表層を動かし、流動性を得て雪崩になる。速度を上げながら谷のような地形を走り始める。距離から考えておそらく2分と少しで到達する」


ぎ、ぎ、と。


奇妙な声を漏らすのは四本腕の大猿。麦の袋を踏みつけるような声である。笑ったのか、とニールは思う。


「お前、救えない」


その目は血のように赤く。全身を熱湯のような狂気が循環している。


「何も、救えない」

「グラーノ、あなたが守ろうとした村も雪崩に押しつぶされるかもしれない。私と戦っている場合ではないはず」

「関係、ない」


それは受け答えという実感が乏しかった。大猿は人間らしい思考を失いつつあるのか、瞳は左右でまったく違う方向に動き、犬歯は三日月のように伸びて顎の骨に突き刺さらんばかり、体毛は針金のように硬化し、全身の肉が縄を巻きつけるように締まっていく。


「村、など、また、建てる」

「しかし」

「ニール、話してる余裕はないわ。それにグラーノは夢現ゆめうつつの向こう側にいる。言葉で呼び戻せる段階はとっくに終わっている」


「お前、は、邪魔」


迫る。その指が丸太にめきめきと食い込み、振り上げる腕は大きく伸びてやぐらのよう。逃げ回る羽虫を叩き潰そうとする、それ以外に何の理性も残っていない。


「お前は、何にも、間に合わない」

「グラーノ……」

「ニール、聞いては駄目。あれは夢現ゆめうつつの言葉。あれはグラーノの言葉でありあなたの言葉でもある。夢現ゆめうつつの世界では自分と他者の境界が曖昧になる。他責の言葉と自責の言葉は等しいのよ」


「間に合わない、救えない、あの時と・・・・同じ・・


地響きが。

村に迫らんとする雪崩が足元から、そして村のあらゆる建物が揺れるという事象によって伝わる。


ニールは紙一重で丸太をかわしつつ、ふと、目に冷静さの光を宿す。


「グラーノ、私もあなたと同じです。ゆめうつつの境目にあるもの」


腰の剣に手を添える。大猿の腕が振り下ろされるまでの一瞬が、なまぬるい風のように間延びして感じる。振り下ろし始める瞬間には回避を終えている。


「輝きの剣とは夢にありて目を開くもの。斬るべきものと、斬るべき道理と、斬るべき時が定かになれば、けしてそれを逃すことはない」


それは言葉としては発せられない、ニールの穏やかな眼差しに宿る言葉。


「斬るべき瞬間は今。そこに差し迫った背景など意味を持たない」


踏み込む。


剣を抜く。


丸太がニールの影を打ち抜く一瞬。


「その輝きより」


世界に咲く、光の華。


太刀筋がグラーノの正中線に沿って走り、刀身は無限小の時間の中で無限大に加速。大猿の体を無数の剣閃が疾走はしり、それは波動となって広がる。光が爆発するような光景。おおきく膨らんだ街も、揺らめく建物もすべてを薙ぎ払いちりに変える。数億条もの太刀筋が一気にはじけるような感覚。


「逃れることあたわず」


爆圧と空気の震え、音が全方位に広がる。


沈黙が戻る。

グラーノは衣服も破れておらず、血の一滴も流れず、ただ雪の混ざった土にどさりと倒れ伏す。

村は何一つ破壊されていない。数十年も守り続けてきた冬守りの仕事は、そのままの形でそこにる。


ニールはきびすを返して走る。村の北方、盾の見える方角へ。肩に乗っているギンワタネコが叫ぶ。


「どうするのニール!」

雪崩を・・・斬ります・・・・

「そんな! 無茶よ!」


ギンワタネコが頭に乗り、額の前に逆さまの猫の顔が見える。


「まだ爆薬を仕掛けたのが誰か分かってない! 輝きの剣が斬るべきものが見つかってないのよ!」

「一部でも斬れば雪崩は減衰するはずです」


視界の果て、神秘的な鋭角を見せる霊峰スワニエルから立ち上る白煙。


ひろげる翼。


それは嵐の暴風に匹敵する速度。縦の崩落の勢いを横に変え、白い奔流となって押し寄せる。


ニールが速度を増す。ためらいなく雪崩に向かって走る。


雪崩が斜面に乗り上げ、三角波となって広がる一瞬。


「輝きの剣よ」


迫り来る。すべてを砕き、押し流さんとする白いふくろう。翼は濁流、鉤爪は氷塊。その眼光は破壊の意思。


夢現ゆめうつつて!」


青い閃光。

雪崩を突っ走る太刀筋。梟の翼の根元に吸い込まれ。


羽根が。


綿毛のような羽根が舞い散り、翼の付け根から血しぶきのように吹き出すかに見える。


雪崩が押し寄せる。ニールを飲み込んで村へと。


そして盾に。濁流の前にあまりにも小さく見える盾に衝突。どおん、という巨大な音が響き。


雪崩の流れが西側にそれる。


丸太の何本かは後方にかしいで、それでも全体を西側に押しのけている。西側に勢いを持たされた雪がさらに他の雪を押し流し、斜め後方の谷へと。


さらに大量の雪が。氷が。

盾を乗り越え、シェルマットの村へとーー。











崩落の音がする。


スワニエルの山にて、石片が落下している音だ。表層の雪は失っているため雪崩には発展しないらしい。


山すそはすべて雪に覆われていた。わずかに見張り台や倉庫などは露出しており、石造りの建物などは屋根が見えている。


ギンワタネコがその上を歩いている。


ギンワタネコの体は体毛で膨らんで見えるが、実際はガラスペンのように細いと言われる。硬い鼻を雪に突っ込み、爪で雪をかくことで、深い雪を水のように泳ぐとも。


そして腕が。


赤い飾り布のついた小手が、雪の中から突き出され。一瞬後。ニールが這い出てくる。


「リラ、グラーノ」


息は白く顔色は青い。だいぶ体温を奪われているようだが、村の方へと歩きつつ声を投げる。


どうやらシェルマットの村は半壊程度で済んだようだ。村より南に雪も流れていない。


雪は村のいくつかの建物を襲ったが、中央より南はすべて無事のようだ。


「越冬官さま!」


はっと目を向ければ、リラが走ってきていた。

その姿を見て、ニールは少し奇妙な感覚を受ける。彼女から感じていた幼さが見えない。それはもちろん、村の半分が雪で埋まったのだから、動揺と緊張があるだろう。


「あの、越冬官さま、何があったのですか。向こうでグラーノも倒れてて……」


有り体に言えば、ほんの数分で5歳ほど歳を取った。そのように見えた。


「リラ。一つ聴かせてください」

「は、はい」

「あなたは爆薬を足した・・・のですね」

「あ……」


その時。リラの目に得心のような、納得のような光が見えた。そうだったのか・・・・・・・という深い理解が訪れたような顔になる。


「……そう、ですね。いま、何となく思い出しました……たぶん、そうです」


リラの目には涙が浮かび、それは大粒の落涙となり、やがて止めどない涙の川となる。


「村にあった火薬の樽を……たくさん、足しました。私……どうして、あんなこと。シェルマットの村が、大変なことに、なるのに」

「山の意思です」


ニールは言う。スワニエルの山体は、あれほどの雪崩が起きたにもかわらず何も変わらぬように見えた。確かに山肌のいくつかの溝が見えており、表層の雪が落ちたと分かるが、スワニエルが失った雪と氷など、全体の量に比べればごく一部なのか。


「どういうことなの?」


女性の声音。近くにいるギンワタネコは雪崩によって混乱しているようだった。ニールのそばにちょこんと座っている。


「おそらくこういう事です。リラはある時、山肌に存在する爆薬と。それを起爆させるための時計仕掛けを見つけた。その量を考えると、雪崩は起きるものの表層の雪をはがす程度だった。リラはそれに火薬の樽をいくつか加え、氷塊がはがれ落ちて大規模な雪崩となり、シェルマットをのみ込むほどの規模になるようにした」


リラはずっと泣いている。恐ろしさに震えている。数カ月。あるいは数年分の感情の動きが一気に押し寄せているような嗚咽。ニールはその背中を穏やかに撫でる。


「だから、どうしてそんなことしたのよ」

「最初に火薬を仕掛けたのは、クロノガレルです」


クロノガレル。


スワニエルから見ればシェルマットの村のさらに下方。丸太の盾で守られた街。


「クロノガレルはスワニエルが雪で育つ前に雪崩を起こそうとした。グラーノに気づかれず、かなりの量の火薬樽を仕掛けた」

「そんなこと可能なの?」

「雪の降る日、おそらくは夜間に行動すれば可能です。グラーノは谷底から斜面を直接登って盾の位置まで来ていた。シェルマットの村を通らずに村の北側に出る道はあるのです。しかし、この時代に真夜中の山野を歩くことは、もはや人間業ではない」


リラが、不思議そうな顔でニールを見上げる。その目は真っ赤に泣き腫らしていて、小さな指はまだ恐れに震えている。


「火薬樽を仕掛けたのは、おそらく夢現ゆめうつつの者」

「あーー」


リラの顔が、何かを諒解するような色に染まる。自分の内側と外側がかちりと噛み合ったような一瞬。


「わ、私、怪物を、山が……」

「リラ、あなたはおそらく夢現ゆめうつつの境界で山の意思に触れた。山は踏み荒らされることを嫌い、山を脅かす怪物を恐れた。怪物とはスワニエルの雪と氷を支配しようとしていた人物、それは」


雪に半ばまで埋まったシェルマットの村。その南側には平原の地形が見える。雪とわずかな立木の他には道もなく、橋もなく大きな畑もない。人の痕跡の絶えてしまった時代。だがシェルマットから真っすぐ下れば。


「真の怪物は、クロノガレルに」





シェルマットの被害は小さくはなかった。いくつかの建物は倒壊しており、北側で残っていたのは固く補強された倉庫や、石造りの建物などである。グラーノたちの住んでいた建物は無事だったため、ニールは彼をそこまで運び、寝台に寝かせる。


「リラ、私はクロノガレルの街に行きます」


膝をついて、後ろにいたリラに言う。


「あなたはどうしますか」

「わ、私も、行きます」


リラは白い装束の上から、心臓のあたりをぎゅっと掴む。


「知りたいんです。クロノガレルの街で何が起こっているのか。私はシェルマットの冬守りだから、村を守るために、そうしないと」


その紅潮した頬には強い意志が宿っており、背筋を伸ばした姿は先刻よりもさらに大きく見えた。


「リラ、一つお聞きしていいですか。あなたの年齢は」

「13です」

「グラーノの年齢は」

「ええと、たしか23です」


やはりそうか、とニールは思う。


最初に会った時の印象はもっと若かった。幼いとすら言えた。グラーノも巨体ながら表情にあどけなさが残っていた。


シェルマットの村は、成長を拒んでいた。


大人になろうとしないグラーノと、大人になることを封じられていたリラ。永遠の停滞と安寧あんねい、不変であることの強制。この村はそんな檻に捕らわれていた。


「グラーノには村で待っているよう手紙を残します。できれば彼が起きる前に出発したい。15分で準備できますか」

「はい、でも……グラーノが、私のことを、心配して、追ってこないでしょうか」

「大丈夫ですよ、さあ早く準備を」

「は、はい」


リラは建物を出て、おそらく自分の部屋に向かっただろう。入れ替わりにギンワタネコがひょいと入ってくる。


「グラーノは追ってこないの?」

「彼はおそらくクロノガレルの街に来ることはできません。人を恐れていましたから」

「リラとグラーノの関係性って、実際はどうだったのかしら」

「分かりません。あまり想像したくない事ですし、もうその必要もないでしょう」


ギンワタネコは後ろ足で首筋をかくと、ニールのすねに体をこすりつける。


「リラはグラーノに支配されていた。リラはそれを受け入れるしかなかった。リラが火薬樽を足したのは雪崩をクロノガレルに届かせるため、というのは、見方によってはうまい言いわけよね」

「……ドナ、真実など誰にもわからないものです」

「本当はやはり、シェルマットの村を雪に埋めてしまいたかった。その可能性は残っている。神がかりが演技というのは少し信じがたいけど、絶対にないとは言えない。さすがにグラーノを殺すのは忍びないので、村から避難するように訴えていた、とかかしら」

「ドナ」

「越冬官は人の夢に触れられる。聞くことのできない魂の声を聞くことができる。しかし人間の心は深淵なもの、時として魂の声すら真実とは限らない。客観的な真実なんて実は無いのかもしれない」


ギンワタネコは、どうもこの部屋はそれほど暖かくないと思ったのか、つまらなそうに部屋を出ていく。


「忘れては駄目よニール。越冬官はすべてを知ることはできず、さりとて知ろうとすることをやめてはいけない。問いかけて、語り合って、魂の声を聴き続けなさい。それがあなたを追い詰めるとしても……」


「分かっています」


ニールは常と変わらない。

憂うような、疲れたような、さびついたような人物。


永い永い冬の時代を生きる、冬枯れの木のような人物。その日々は混迷であり、出会う冬守りたちは複雑で難解。夢現ゆめうつつの境界で出会う怪物たちは、筆舌に尽くせぬほど強大である。


だが、歩みを止めることはない。

旅路の果てに何が待っていようとも。


すべてを諦めて、すべてを諦めようとしない人物、それがニールという男。


彼は最後にひとこと、虚空に向かってつぶやいた。




「分かっていますよ……師匠」


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