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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第六章 翼展げし山
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第三十二話





「爆薬だと……!」


シェルマットの村、中央の家にて。グラーノはその言葉の意味を掴みかねるように言う。


「はい」


どんと置かれるのは南瓜かぼちゃほどの大きさのたる。どうにか一つだけ持ってきたものだ。油を染み込ませたロープで他の樽と連結されている。


「グラーノ、この樽は村のものですか?」

「た、確かにこのあたりで作っていた小樽こだるだ。シェルマットで生産されていて、クロノガレルでも使っている……」

「かなりの量です。それも一箇所ではないかも知れない。おそらくは歯車による時限装置がつけられていて、爆発すれば氷の層が一気に砕ける恐れがあります」

「そ、そんなものを誰が」

「分かりません。だが爆発がいつ起きるのか誰にも分からない。時限装置は氷の奥にあり、装置を解体することは現実的ではありません」

「待て、それ以前に雪と氷に埋まってるんだろう。そんなものが爆発するのか」

「それも、不明としか言えません」


ニールは火薬の専門家ではないが、爆薬を使うためには火薬を濡らさないこと、ある程度の空気が必要なことなどは想像できる。


あの樽はどうだろうか。内部に油紙で目張りをして水気を防ぎ、火薬と空気を封入しておけば爆発するかも知れない。縄には油が染み込ませてあったから、連鎖的にいくつも爆破が起こる可能性はある。


時限装置はどうか。特定の時間になると火を発生させる仕掛けは簡単な工作ではないが、不可能とまでは言えない。


「あの爆薬が起爆するかどうかは二の次です。爆弾があり、巨大な雪崩が起きる可能性がある。今はそれだけを認識すべきでしょう」


ニールはグラーノの右奥に視線を向ける。そちらの方向には村の見張り台がある。日は傾いているが、リラは見張り台にいるだろうか。


「リラを連れてクロノガレルの街まで行きましょう。住民にこのことを知らせます。安全な場所まで避難を、と」

「だ、だが……」


そこで、岩のような大男に疑問の色が浮かぶ。


「そもそも……その爆薬があるとして、なぜそんなものを仕掛ける必要がある」

「分かりません」


ニールの答えには少し断定的な色があった。

そもそもニールは犯人探しなどしようとしていない、動機も考えようとしていない、まして誰が仕掛けたかなど考えたくもない。そんな感情がグラーノにも伝わる。


そしてグラーノは、しばらくの沈黙のあとで顔を紅潮させる。


「お、俺だと言いたいのか」

「いいえ、決して誰かを疑ってなど」


「あら、そうかしら」


口から湧き出す女性の声音。ニールははっと口を押さえるが、元より腹話術でのこと、声はどこからともなく響くように思える。


「仮にクロノガレルの誰かが仕掛けた爆薬だとして、あの量と起爆装置を運ぶには何十人も必要よ。少人数でやるなら何往復もかかる。グラーノに気付かれずに仕掛けられるものかしら」


ギンワタネコはそんな人間同士のやりとりとは関係なく、部屋の隅の椅子にて寝そべっている。


「ドナ、やめてください」

「悪意からとは限らないわ。雪崩を意図的に起こすことはニールも考えてたことでしょう。ただ、あの爆薬の量だと表層雪崩では済まない。氷の層が砕けて地崩れに近いことになる。グラーノが火薬の目算を読み間違えたと考えれば辻褄が合うんじゃないの」

「ドナ、今は誰が犯人かなど」

「な、何をやっている!」


どん、とグラーノが机を叩き、ギンワタネコはゆるりと眠りから覚めて、うるさそうに部屋を出ていく。


「ふざけているのか! こんな時に腹話術なんか!」

「申し訳ありません……ドナは私の意思とは無関係なんです」

「な、何なんだ、お前は」


グラーノは、ニールという男が理解の外側にいると感じる。

外見はグラーノとさほど変わらぬ年にも見えるのに、どこか疲れて錆びついていて、老人のように見える瞬間がある。それでいて女の声色で一人二役の会話をしていたりもする。それに何の意味があるのか、グラーノの理解はまったく及ばない。


「と……とにかく、爆薬を仕掛けたのは俺じゃない。おそらくクロノガレルの連中だろう。スワニエルの雪が大きく育つ前に雪崩を起こそうとしたんだ」

「……グラーノ、ここ数日、あるいは数週間か数カ月の範囲で、クロノガレルの人々を見ましたか。あるいは他の村の人々を」

「見ていない……俺はマダラグマを警戒して谷底の森を探り歩くこともあるが、人間の足跡が残っていたことはない」

「分かりました。とにかくまだ日が残っているうちにクロノガレルへ」


「いいえ!」


屋根を突き破って降り注ぐ槍。そんなものを幻視する一瞬。


声が屋根の上から響いた。それも人間が出したとは思えない巨大な響き。硝子の窓がびりびりと震える。


「愚かな人間ども。スワニエルの怒りは近い。フクロウの羽ばたきから逃れることはできない」


「リラ!」


グラーノはまろび出るように外へ。屋根の上に白い衣の少女がいる。空は真っ青に澄んでおり、その中で服をかがる赤紐がくっきりと見える。


「リラ! 落ち着け、降りてくるんだ」


グラーノが言いかける瞬間。屋根にはニールが飛び上がっている。どこに足をかけて登ったのか見えなかった。まりを放り投げるように簡単にリラの前に立つ。


「リラ、あなたは爆薬のことに気づいてましたね」


シェルマットの村から爆薬を仕掛けられた地点までは2キロもない。見張り台に登り、遠眼鏡とおめがねを覗けば見えない距離ではない。


それ以前に、もし爆薬を仕掛けに行く人間を目撃していたなら。


それとも・・・・


「あなたに仕掛けられたものが理解できたかは分からない。しかしスワニエルに何か、破滅的な事態が起こることを感じ取った。それが神がかりの正体でしょうか」

「越冬官。夢現ゆめうつつの彼方からの使者」


リラは。その小さな体でニールをじっと見つめる。その目はするどく細められている。知性の光か、あるいは神性の光とも呼べそうな、恐ろしいほどの冷静さを宿した眼。


黄金の髪と白い衣服が、ふいに巨大な風を受けるような錯覚。

姿が消える。


凄まじい跳躍力で別の建物に飛び移っている。ニールは一瞬遅れて目で追う。

ニールも数歩の助走を伴って飛ぶ。雪の落ちた瓦屋根の上に着地し、滑らぬように重心を掴む。


「やめなさいリラ。あなたはまだ体が未発達。細い手足でそんな力を出しては肉体が痛む」

「浅ましきこと、おとぎの国の住人、夢の住人に条理など無用と知っているはず」


リラの声は低く重い。腹筋を動員しているというだけではない。その小柄な体から、なぜ地獄のような声が出せるのかはニールにも分からない。


「越冬官。あなたは何も分かっていない。怪しげな術で人の本音を引き出した気になっている。そんなものは薄皮一枚を剥いだに過ぎない」

「……確かに夢現ゆめうつつの術は万能ではありません。だから、私は対話を重んじる。冬守りと言葉を交わして、彼らの守ってきた村を見て、彼らを深く知ろうとしている」

「やがて完全な理解が得られると信じる。それこそが傲慢。それこそが錯覚。本当の心の形など当人ですら分からない。夢の時代なればなおのこと」


跳躍。石と土壁で造られた蔵の上を、天板に鉛ガラスのはめ込まれた温室の上を跳びながら逃げる。ニールは一歩の跳躍力では及ばぬながらも、やはり人間離れした身のこなしでついていく。


「覚えているか越冬官。私は何と言っていた。山のフクロウは何と鳴いた。それは怪物を許さないと言った」


奇妙な節回しを乗せてリラが言う。


「言っていました、覚えていますとも」

「では問いかける。山は問いかける。怪物はどこに。怪物は誰のこと。山はすべてを知る。山すらも脅かす怪物を知る」


見張り台。


村の中央にある見張り台。その屋根にまでひと跳びで到達する。ニールは近くの屋根に立つ。


リラは目蓋が降りてきている。意識が薄らいでいると分かる。神がかりが終わろうとしているのか。


「リラ、あなたは何を知っているのです」

「違う、夢現ゆめうつつの世界において、すべての夢は繋がっている。私の言葉はあなたの言葉。私の気づきはあなたの気づき。すべて見通せるようでいて、何一つ明らかなものはない。自分自身の心すらも」

「……それは」


「見誤ることなかれ。あの時の・・・・のように・・・・


「ーー!」


リラはふらりと揺れて、見張り台から落下する。


ニールが落下地点に行こうとして体重を傾けた刹那、足を止める。グラーノがすでに見張り台の下で構えていたからだ。木こり仕事に使う分厚い手袋をしており、リラを受け止める。


ニールは屋根を降り、二人のもとへ近づく。


「グラーノ……私と一緒にクロノガレルへ」

「……行かない」


グラーノは肘を折り曲げ、祈るようにリラの体を抱える。


「お前の言葉は信じない。雪崩など起きないし、たとえ起きたとしても盾が防いでくれる。そもそも俺はお前が越冬官だなどと信じていない。あんなものはお伽噺の中の話」

「グラーノ」


ニールは巨漢の前に立ちはだかる。


「雪崩の真偽についてはおきましょう。だがリラはどうします。彼女は神がかりに襲われている。このままではいつか取り返しのつかない事態になる」

「お前の心配など欲しくはない。俺たちはシェルマットの村を守り続けてきた。これからもそうする」

「リラが恐ろしいとしてもですか」


ぐ、と、グラーノの大きな足が地面を掴む。親指を立てて土に突き刺すような注力。

大男の全身が膨らむかに思える。深く息を吸い込み、太い手足に感情を充満させていくような眺め。


「リラは……リラは変わらない。これからも子供のままだ」

「そんなことはありえない」

「俺がそうする!」


世界が・・・膨らむ・・・


そう思えたのは錯覚か。周囲の建物が大きくなったような気がする。塀は高くなり、瓦の屋根は遠くなり、見張り台は天に届くほど。あらゆるものがニールを取り囲むように思える。


夢現ゆめうつつの境目が……」

「リラはどこにも行かせない! 何に成ることもない! 永遠に俺の娘だ!」

「グラーノ」


ニールは剣の柄に手をかける。建物は踊るように像が揺れている。空はいつしか夕映えの色。あらゆる種類の赤の中に黒雲がまばらにあるような、極彩色の空。


盾を構成する丸太は急に数を増し、村を丸ごと取り囲むかに思える。村が巨大な檻の中に、あるいは虫取りのかごに放り込まれるような感覚。


「分かっているのですかグラーノ。爆薬を仕掛けたのは、リラの可能性がある」

「……リラにできるものか!」

「グラーノ、あなたはリラの成長を恐れている。リラが永遠に子供であればいいという願望に取り憑かれている。だからリラから他の男や、恋愛や結婚という概念を遠ざけようとしている。だがそれは摂理に反している。うつつことわりを歪めようとしている」


グラーノは。もはや城門のようにおおきい。


膨れ上がった手足は服を引きちぎり、肌は茶褐色の体毛に覆われ、両肩はコブのように盛り上がり続け、やがて肉の山を突き破って触手のようなものを生やし、それは硬化して三本目、四本目の腕となる。


四本腕の大猿。


悪魔のような形相の中で白い牙を生やし、胸に抱いたリラの体を戸板のような手で包み込む。


「……リラは言っていましたね。山を脅かさんとする怪物よ。山の怒りは白い翼となりて果たされる。と」


肩から生えた腕はまさに怪物の腕。太さも頑健さも人間の比ではない。それが左右の家に手を伸ばし、その柱を藁のようにむしり取る。大量の石材と瓦ががらがらと崩れ落ち、砂ぼこりとともに二本の丸太が掲げられる。


「怪物はあなたですか、グラーノ」

「潰れろ!」


雷鳴のような声。振り下ろされる丸太が十字の影となって襲う。


ニールがかき消えるような一瞬。衝撃が大地を、建物を、石組みの塀を突っ走り、あらゆるものが外側に吹き飛ばされ、飛沫のように打ち上げられる。


「恐ろしい力ね。完全に夢現ゆめうつつの境目を踏み越えてる」


ニールは大きく飛んで攻撃を回避。避けた先にはギンワタネコがいる。ニールの肩にひょいと飛び乗り、グラーノを見据えている。


「冬守りの武器は時間。時間は変化をもたらし成長と愛別離苦を与える。でも不変を望む冬守りもいる。それがグラーノを怪物に変えている」

「境目を踏み越えているなら輝きの剣で斬れます。そうすれば人間の姿に戻る」

「分かってるのニール、それだけじゃないわ」


ギンワタネコの言葉は口の動きと連動している。今は間違いなくギンワタネコが喋っている。


「本来、人の歪みが夢現ゆめうつつの境目を超えることはほとんどない。永き冬の時代には起こりやすくなるけれど、グラーノの変化はたやすく起こりすぎてる」

「何か、別の要因があるのですか」


グラーノがニールを目の端にとらえ、振り向きざまに丸太の一つを投擲。それは破滅的な威力を宿して飛び、ニールが身をかわす瞬間に建物の一つを粉砕。あらゆるものを氷のように砕いて瓦礫に変える。


「怪物はまだいるのよ。それがシェルマットの村に歪みを与えている」

「それは、リラですか。彼女の夢も斬らねばならないと」

「さあね、まずはとにかくグラーノを」


ぴくり、と、ギンワタネコの耳が後ろを向く。


「ニール、あなたつくづく運がないわね」

「ドナ、どうしました」



「爆発したわね、たった今」

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