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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第六章 翼展げし山
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第三十話



シェルマットの村で一番大きな家。冬守りの二人はそこで寝起きしていた。


夕飯は銅の鍋で青菜と獣肉を煮込んだもの。底の方にはすり潰した大麦を敷いており、肉とともに粥状になったそれを木の匙ですくって食べる。


「越冬官さま、ほんとにごはんいいの?」

「ええ、気になさらないでください」


ニールは村の書庫にあった本から何冊かを持ち出していた。ぱらぱらとめくって中身を確認している。グラーノは時々そちらに視線を送るが、1秒ほどで逸らしてしまう。


「良い記録です。過去に霊峰スワニエルで起きた雪崩がきちんと記されていますね」

「当たり前だ、ここはそういう村だった」


グラーノはぶっきらぼうに言う。ニールから見ると鍋から白い湯気が沸き立っており、グラーノの巨体がその向こうにある。


「毎年、春先になると大きな雪崩が起きていたらしい。このシェルマットの村は雪崩の通り道にあり、丸太で盾を組んで雪崩を西の谷に落としていた」

「雪崩は気象条件によって規模も方向も違います、そんなに精妙にコントロールできていたのですか?」

「できていた、じゃない。今もできている」


「ねね、越冬官さま、模型を見たらいいよ」


リラが取り皿を持ち上げて言う。


「模型ですか」

「うん! それもグラーノが作ったんだよ! 村にあったやつをもっと丁寧に作り直したの!」


それは村の建物の一つ。集会所の中に作られていた。いくつかの机を釘で連結し、粘土で作られた模型が飾られている。大きさは縦1メートル、横3メートルほどもある。


「これが霊峰スワニエルだ」


やや仏頂面のまま、グラーノが説明する。槍の穂先のような山は模型の端に作られている。


「見ての通り、このあたりは東側と西側を山に挟まれた谷間のような地形になっている。雪崩が起きやすい地点からシェルマットの村までは2000メートルほど。雪崩は少し減速しながらも村まで届く」


そこで村の西側を示す。そこは深い谷になっているが、スワニエルから直接に谷には向かえない。岩山があるためだ。


「あの盾で雪を左側、つまり西側にそらす。こうしなければ雪は谷間をずっと進み、南方にあるクロノガレルの街まで届くおそれがある。盾は数十年おきに新しいものが作られている」


その街は模型の端。スワニエルから見て対角線上にあった。シェルマットよりもずっと大きな街である。

そこまで聞いてニールが口を挟む。


「なるほど、長い長い雨どいのような地形ですね。しかし通常、雪崩は数キロも進めば止まるはずです。この街まで届くでしょうか」

「かつて700年前。前回の永い冬の時代には届いた記録があるらしい。通常の数倍もの雪が一気に崩落し、シェルマットの村は半壊。クロノガレルの街にも大きな被害が出た」

「前回の……」


グラーノはニールの反応は見もせず、棚から紙の束を取り出す。スワニエルをスケッチした絵のようだ。


「スワニエルの雪がどういう状態かは絵で分かる。山の状態から雪崩の前兆を掴もうと、過去の人々が残したのがこの絵だ」

「これは……白くのっぺりとした印象ですが」

「そうだ。のっぺりとした状態が良くない。山体にあるいくつかの溝が雪で埋まっている状態だ。張り付いた雪の厚みが一定量を越えるとこうなる」


いくつかの絵を見せる。並べてみるとそれは実に細かく凹凸が描かれている絵だと分かる。最初に見せたものは描かれる山肌の溝が少ないのか。


「湿った雪が氷となり、何年もかけて分厚く育っている。今の山の状態がこれにあたる」


「確かにそんな姿だったわ。とても分かりやすい絵ね」


突然、女の声音が聞こえたことにグラーノがぎょっとする。部屋の隅ではギンワタネコが眠っていた。


「私はドナ。ギンワタネコのドナよ。あまり深く考えなくてもいいわ。ニールが持っている女性としての視点とでも考えなさい」

「お前も」


言いかけて口を押さえる。

脇ではリラが首を傾げていた。


「ほええ、越冬官さまのそれ腹話術? 上手だねえ」


ニールはリラとグラーノを何度か見るが、何か言いかけたグラーノはその気配を体の奥にしまい込んだようだ。岩のような無表情に戻っている。


「とにかく……次の雪崩は少し大きいかもしれない。だから盾を作り直しているんだ」

「あの盾は立派なものですが、街の北側をすべて覆っているわけではありません。シェルマットの村にも多少の被害がでるかと思いますが」

「すべての家は補強している。特に街の北側の家は永い冬の前から鉄と石で補強されてあるんだ。あれも盾の一部になる」

「なるほど。では私は、それを確認することが責務のようですね」

「勝手にしろ。扉のある家もあるが、どこも鍵はかかっていない」

「あ、見に行くんだ。じゃあ私が案内するよ」


リラが勢いよく手を挙げる。


「リラ、お前はもう寝る時間じゃないのか」

「ぶー、いいじゃない、今日は月も出てるし、静かな」


びくん、と、リラの全身が震える。

背筋に鉄の棒を通されたような一瞬。首を思い切り後ろにそらし、彼女の黄金の髪がばさりと揺れる。


「リラ……?」

「まずい」


グラーノが机を回り込んで彼女に手を伸ばす。それをするりと抜けて。窓へと飛ぶ。押し上げ式の窓だったが、換気のため半分ほど開けられており、その数十センチの隙間を水のようにくぐり抜けて外へ。


「リラ、どうしました」

「待て越冬官! 何でもない!」


ニールはグラーノをちらりと見たが、無視してリラを追う。扉を抜けると夜の村。石造りと木造りが混在する開拓者の村。月明かりに照らされ、屋根を飛ぶ影が。


リラが屋根にいる。ノミのように身をかがめ、両脚で跳躍して屋根から屋根へと。


「あの方向は……」


おそらくは村の見張り台。

ニールは村の石壁に向かって飛び、石組みの隙間に爪先を突き入れる瞬間にさらに跳躍。屋根の上に二手で飛び上がる。


「な……」


グラーノのあっけに取られる声を置き去りにして走る。今はあの巨大な背嚢を背負っていないが、軽鎧は着ている。だが重量など物ともしない勢いで飛び、黄金の影を追う。


そして村の広場に着地。振り仰げば、見張り台の上にリラがいる。


高さにして4メートルほど。月を背負って立つ姿は白と金。片足で傘のように立ち、衣装が夜風を受けて広がる。髪は月の光に輝く。


「愚かな人間ども。山の羽ばたきを聞くがいい」


怒りのこもった声。リラの声より何段階も低く、胃の底からはい上がってくるような声。


「スワニエルに座すは神にも等しきフクロウ。その鉤爪は岩を砕き。ひろげた翼は八つの山を覆う。スワニエルは人の往来を望まぬ。人の踏み込むを許さぬ。永き冬にあって浅ましくも命を繋ぐ人間ども、山を脅かさんとする怪物よ。山の怒りは白い翼となりて果たされる。ゆめゆめ忘れること無かれ」


「あれは異言いげんとか神がかりと呼ばれるものね。夢現ゆめうつつの存在から影響を受けてるのかしら」


ギンワタネコは広場の片隅にいて、リラをじっと見上げている。


「彼女に住まうものを斬るべきでしょうか」

「まだよ。精神の病かもしれない。グラーノからも話を聞くべきでしょうね」


「山は這い回る人間を許さぬ。山を脅かす怪物を許さぬ。スワニエルが翼をひろげ、雪がお前たちを一呑みにする」


リラは両手を広げる。白い衣装はフクロウの翼のように優雅で軽やか。その身に重みなど無いように見える。眼光は鋭く口元は艷やかさをたたえ、何百年も生きた魔女のような、という形容がニールの脳裏に浮かぶ。

ギンワタネコはしばらくリラを見ていたあと、また眠りの体勢に戻る。


「それより気をつけなさい。あのようなトランス状態のあとは、急に意識を失うこともあるのよ」

「……!」


それは即座に現れた。リラが前触れもなく倒れ、見張り台の屋根から落ちたのである。


さすがにニールの顔にも緊張が走る。もちろん落下地点に一瞬で回り込んでいたが、子供とは言え数十キロある肉体である。万一にもケガをさせぬように、膝を十分に沈めながら柔らかく受け止める。


「……意識はない。これは、眠っていますね」

「越冬官」


そこへグラーノも駆けてくる。


「グラーノ、リラが見張り台から落ちました。こんなことが何度も起きているのですか?」

「そうよ、こんなことが誰もいない場所で起きてたら危険よ」


グラーノはギンワタネコを一瞬だけ見て、やはりただの猫のままだと確認してから言う。


「誰かが聞かないと発作が終わらないんだ。今回はお前が聞いたから終わった」

「そうですか……」


グラーノは両腕を突き出し、ゆるやかな動きながらやや強引にリラを奪う。


「今夜はもう起きない。寝かせてくる」

「……」


グラーノは腕も手も規格外に大きく。捧げ持つリラは猫か花束ほどの大きさに見える。自分たちの家に向かうその背中を、ニールは静かな面立ちで見つめる。


「滅びの予言だったわね。あのリラって子が何かを感じ取ってるのかしら。今までよりも大きな雪崩が来るとか」

「スワニエルの雪の状態は山の質感で分かるようですし、リラも何かを感じ取っているのかも」

「そうかもね」


北を見る。

村を守る盾の向こう。霊峰スワニエルが月光の中にそびえている。


それは神々しく偉大な姿か。あるいは破壊の意思を押し隠した姿なのか。





「あの丸太の盾をさらに補強しましょう」


ニールが提案する。


「あの丸太は地面から1メートルの深さに埋めてあるようですが、雪崩の超重量を受ければ後方に傾いたり、倒れてしまう可能性は残っています。背面から斜めの角度に突っ張り棒となる木を打ち込み、支えとします」

「だが……村にある記録ではあれで十分のはずだが」


ニールは窓を見る。リラはギンワタネコを追いかけて遊んでいた。


「リラは壁が雪崩に耐えるのを見たことがありますか?」

「いや……ない。最後に雪崩が村まで届いたのは14年前らしい。俺も子供の頃だったから、よく覚えていない」

「リラのあの症状は不安から来ている可能性があります。盾を目に見える形で補強してやれば、不安を和らげる可能性があります」

「む……」


しばらくの沈黙。

やがて観念したように項垂れる。


「そうだな……盾を作り直すついでだ、やってみるか」

「グラーノは盾を大きくするといいでしょう。補強は私がやりますよ」


1メートルほどの角材を用意し、盾を構成する丸太の背面に穴を開ける。しっかりとはめ込んだ後で木槌を振り下ろし、食い込ませていく。

軽鎧を着たままの大工仕事というのはいかにも不自然ではあるが、それを指摘する人間はいない。


作業を初めて気付いたが、少し離れた場所に砂利で埋めた穴があった。山に対して斜めに並んでおり、おそらくは以前に盾があった穴だろう。


ニールの目算では穴の直径は25センチ前後。つまり以前の盾に比べて、グラーノが使っている丸太は一回り太いようだ。


「強度は大したものね。破城槌でも簡単には壊せないと思う」


村のギンワタネコは槌音に慣れているのか、すぐ近くで寝そべっていた。


「この盾が雪崩に負けることはあるでしょうか?」

「分からないわね。遠い土地に伝わる話だと、16キロ先まで到達した雪崩が一万人の住む町を埋め尽くしたなんて例もある。それは地震による土砂崩れが加わったものらしいけど、それだけの大雪崩が来たらどんな盾だって耐えられないでしょう」

「そうですか……」

「真正面から耐えるわけじゃなく、左後方にそらすような盾だから見かけ上の耐久力はぐっと高くなるけど、自然が相手だからなかなか万全とは言えないわね」

「スワニエルの雪質はどうでしょうか」

「かなり急な斜面を持つ山よ。湿った風が吹き付けて氷の壁を形成してる。大きな雪崩被害というのは雪じゃなくて氷。氷河とか氷の塊が崩壊したときに起こるの。大量の氷が泥や岩石を含んで流動的になったものなのね」


山のいただきは、ニールの目線から仰角45度の高さに見える。


もし数千メートルの高みから、家ほどもある氷塊ひょうかいがはがれ落ちたら。


それは斜面を転がりながら加速し、大量の岩と雪を引き連れて盾を直撃し、紙の一枚を突き破るように。


頭を振る。今はそれを考える時ではない。


ニールは木槌を振るい、盾を補強していく。


今日は少し日差しが強いようだ。

永い冬の中でも稀に訪れる、温暖な日々だと感じる。



スワニエルは今日も変わることなく、陽光を浴びてきらめいていた。

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