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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第一章 汝、遠吠えを恐れよ
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第三話



夜が這いずるように通り過ぎ、曇天の向こうから朝日がすかし見える頃。


三人がまず始めたことは、村中から物を集めることだった。


ガラスの瓶に金属の缶、絨毯に古着に古い釘、ガラスくずなども。


大まかな家具は「魔法の本」に持ち込まれていたが、それでも村にはかなりの物資が残されていた。ニールは金槌を使って遠慮なく鍵を壊し、村の家々を回る。


「でも、本当に持ち出していいの?」

「物資はなるべく一つにまとめて保管します」


特にニールが集めていたのは本である。商家の棚から、民家の机の上から本を集めてくる。ケルトゥも手伝い、背負いかごで本を運ぶ。


「ねえ騎士さま、ぼく本は苦手で……字もあまり読めないし」

「ネルハンシェラに習うといいでしょう。本は生きるすべを与えてくれます」


かき集めたのは百冊あまり。ケルトゥも手伝ったが、物語の本などをつい手に取ってしまう。


「あ、これ童話集だ……越冬官さまの出る話もあるよね」


ぱらぱらとめくれば毛皮を貼り付けた赤い鎧。刀身のない剣。冬守りのいる村を訪ね歩いて生きるすべを伝える騎士の物語である。家の造りや服飾などが、シェズ村のそれよりかなり古めかしい。


「そっか、長い冬は何度も起きてるんだよね……」


ニールはもっと厚く重い本を集めていた。表紙を読むと料理の本や医学の本、大工仕事についての本なども。


「大工? 家でも建てるの?」

「村を改造して一つの家にするのです」


路地を指さす。


「路地に壁を作るといいでしょう。最低限の通路だけ残して道をふさぎ、屋根を作り、村全体を蜂の巣のような一つの家にします。こうすることで暖房の熱が逃げにくくなり、家の劣化も抑えられます」

「へえ……」

「百年後、「本」から出てくる人々のためにもなります」


それぞれの家には食料も残されていた。忘れ去られたような干し芋に香辛料に漬け込んだ魚、そして酒類。全部をまとめればそれなりの量になる。すべてを倉庫に移すのは時間もかかるため、場所のみ記録しておく。


ニールは特に塩を探していた。台所に残されていた塩壺などを確認していく。


「塩は食べすぎると腎の病になります。しかし塩を摂らなすぎるのも良くなく、百年を生きる間は塩を無駄にはできません。塩漬けの食材はなるべく塩抜きせず、食べる量を少量にして調整すべきでしょう」

「塩が足りなくなるの? 樽にいっぱいにあるのに……」


シェズ村から海までは歩いて一日、村で塩が不足したことはなく、塩が手に入らないというイメージは想像しにくかった。ニールは医学の本を開き、塩の関わる項目にしおりを挟む。


ケルトゥを連れて森へも行く。槍のように黒く尖った樹を探した。


黒槍樹ジンガルの樹はどれほど寒冷な気候でも少しずつ成長を続けます。しかし幹は青銅のように固く、燃えにくく、薪として使うには加工が必要です」

「これ薪になるんだね。昨日、越冬官さまが使ってたけど……」

「風化した枝はそのまま燃やせますが、幹を使うなら小さなチップ状に加工する必要があります。これからの百年で、この森に少しずつ黒槍樹ジンガルを増やしてください」

「増やすって、どうやって……?」

「冬の土には種を植えても育ちません。2年ほど暖かい室内の鉢で育てて、それを植えるのです」


ケルトゥへは罠の作り方、樹のり倒し方、家の補修についての本を選り分け、ネルハンシェラの小屋まで運んだ。


「越冬官さま、狼が」


その間、二度ほどケルトゥが山を振り仰ぐことがあった。神の振るうのこぎりのような山脈。白く冠雪した剣が峰ははるか遠くに見える。


「狼の声が、聞こえなかった?」

「いえ、何も聞こえませんでした」


ニールも山を見るが、それは数秒だった。見つめると山に吸われるとでもいうようにさっと目をそらす。


「さあ、次はあの家に行きましょう、本を集めなければ」

「うん……」





「ネルハンシェラ、この瓶詰めのどこが良くないか分かりますか」


食料庫から運び込んだ瓶詰めを前に、ニールが問う。


「ええと……魚のオイル漬けですよね。魚がはみ出してる、ということですか?」

「そう、液面から出た部分がやがて腐ってしまう。世界が寒冷に沈むとは言っても腐敗はゆるやかに忍び寄ります。食材には常に気を配ってください」


ネルハンシェラには保存食の作り方や燻製のやり方、暖気を逃さない家の作りや、肉体の健康を保つために気をつけることなど。やはり本を選り分ける形で伝える。


「病気には気をつけてください、医学の知識は本に頼ることができても、薬はそうはいかない。怪我をしたあとも適切な処置が必要です。傷口は火酒をふりかけて、よくないものを遠ざけるように」

「はい……」

「凍傷にも気をつけて。防寒着は毎日きちんと乾かし、外を歩き回った日は、湯を沸かして手足を温めると良いでしょう。また、家でじっとしているのもよくありません。吹雪が続くときは、建物の中だけでも歩き回ると良いでしょう」


ふと、ネルハンシェラの手元を見る。ごくわずかに震えているのが見えた。


「大丈夫ですか」

「越冬官さま……私、自信がありません」


それは緩慢な恐怖だった。家の床下を濡らすつゆのように、寒々しい恐れが、己という人格が冷たく濡れていく予感が、ゆっくりとネルハンシェラを支配しつつあった。


「百年という時間が……あまりにも、恐ろしくて」

「あなたがすべてを経験するわけではありません。世代を重ねて……」

「ケルトゥは捨てられていた子なんです」


呼吸は肺の浅いところを行き来して、言葉は震えていた。舌をこわばらせながら話す。


「村に身よりもない……炭焼きの男の手伝いをしていましたが、あの男は乱暴者で、ケルトゥをいつも足蹴にしていた。他の村人もケルトゥにあまり関心を示さなかった。ケルトゥには親と呼べる人がいない。私も、似たようなもの……」


ネルハンシェラは己の感情を制御しようとして、それができずにいた。溢れ出す寸前の水がめのようだった。


「わ、私たちが、なぜこのような仕打ちを受けるのです。私たちにはもう、夏の日差しは訪れない。これから見る景色は、すべて冬だけ……」

「ネルハンシェラ、冬は絶望だけではありません」


ニールはつとめてゆっくりと言う。しかし声にはこわばりがあった。ネルハンシェラのもろく崩れそうな心をなんとかとどめようとする。


「税もない、支配する者もない、ある意味では限りなく自由です。冬の間にはたくさんの労働もありますが、己の楽しみのために使える時間も多い。自由な時間の過ごし方も、たくさん見つかるでしょう」

「ケルトゥを愛することが……想像できないのです」


それは井戸の底に積もっていた砂。最後に絞り出した感情の叫び。声は悲痛の色に染まっている。


「私たちは似たような境遇で。それなりに一緒に行動することもあったけれど、姉弟でもなく他人でもない、どうともつかない相手だったのです。今から関係が変わるという想像ができない。それにケルトゥは、私をそんなふうに見ていない。ケルトゥと歩む百年は想像できない。あの子はまだとても、幼くて……」

「ネルハンシェラ、すぐに答えを出すことはありません。あなたの年齢で、そんな深みまで考えることはないのです」


ニールは言う。


「百年の冬。そこを生きるものの最大の強みとは、時間です」


それは何かしらの経験から出る言葉のようだった。本の言葉ではない、ニールだけの言葉に思えた。


「じ……時間」

「そうです。百年の間に人は様々なことを行う。学び、作り、そして考える。それは枝分かれする道を少しずつ選択し続けることに似ている。これから何年もかけて、少しづつ積み重ね、考えるのです。百年の冬を生きる心構えは、百年をかけて身につければよいのです」

「越冬官さま……でも、私は」

「今は分からなくてもいい。今はただ、本を読んで学ぶのです。それだけが、人の武器となるのです」

「は……はい」


ネルハンシェラは涙に潤んだ目で本を見る。村中から集めて積み上げた技術書、それに混ざる物語の本や童話集。たくさんあるように見えてもその数は限られていた。


これだけなのだ。


この世界に残された知識はこれが全てなのだと、それを思い、ネルハンシェラはまたさめざめと泣いた。





炭焼き小屋は村から10分ほど登ったところにあった。道は細く狭く、かろうじて階段に見える平たい石を踏んで登っていく。


ケルトゥはニールの指導を受けながらも、炭焼きの仕事をこなしていた。森で枝を拾っては炭焼き小屋に運び、皿を伏せたようなドームの中でじっくりと焼く。

それらはもはや使う村人もなく、炭焼き小屋の側に積み上げられていた。


だが長い冬を生きる上で、燃料が重要であることはニールが教えるまでもないだろう。ニールは並べられた炭をしげしげと眺める。


「立派な炭ですね、丁寧に焼かれています」

「いつもやってるからね」


よくよく見ればケルトゥの指先は黒ずんでいた。柔らかい手に隅の粉が染み込むような、この年の子とは思えぬ労働者の手である。それでいて手は小さく腕は細い。


「炭焼きの男に世話になってたと聞きました」

「雇われてたみたいなもんだよ。炭を焼くと食べ物をくれたんだ」

「……」


ニールはつとその場を離れ、手近にあった小屋に入る。大きな寝台が一つあり、その隅にぼろぼろの毛布が残されていた。


「育てていたというより、追い出されな・・・・・・かった・・・って感じね」


寝台にギンワタネコが座っている。透明な針のような柔らかい毛が放射状に広がり、まるまると膨らんで見えた。


「あの子の私物らしきものがまったくない。替えの服も見当たらない。まあ珍しい話じゃないでしょう。そういう子が冬守りを押し付けられるのよ」

「ドナ、ケルトゥの事情を詳しく知ってるわけではないでしょう。親御さんを悪く言ってはいけませんよ」

「いまニールが想像してるより、もっと悪かった可能性もあるわ」

「ドナ」


ギンワタネコは液体の流れるように寝台を降りて、ニールの足をくぐって外に出てしまう。



「どちらにせよ、炭焼きの男ももういない。未来を見据えてくれるといいんだけどね」


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