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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第三章 歌満つる谷
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第十五話



「フィーナは村の教師の娘でした」


おとなしく穏やかで、知的な娘であったという。彼女の家にはたくさんの本があり、いつも読書をしていた。


「彼女の父親は大きな都市の学者さんだったの。この村の独特の暮らしに興味を持って、研究するために来たと言っていた。村の子供たちに読み書きを教えるかたわら、古老たちから昔話を集めていた」


その学者がライラザの村に来たのは20年ほど前。古老たちから集めた話を研究資料として持ち帰るつもりだったらしいが、村で結婚して所帯を持ち、そのまま教師として住み着いてしまったという。そしてフィーナが生まれた。


「その学者は……何度か都市に帰ったりはしなかったのですか? 本人が帰らずとも、たとえば原稿だけを送って、論文にするとか、出版するとか」

「いえ、ずっと村にいたと聞いているし、いつしか学者としての活動は無くなったらしいの。この村があんまりにも気に入ったので、学者としての生き方を捨ててしまったとか」

「……」

「フィーナはとても綺麗な子で……天から降り注ぐような金髪にみんな憧れてた。おとなしくて優しくて、父親と一緒に幼い子に絵本を読んであげたりしていた。だけどフィーナは体が弱かったの。あまり外を出歩かず、いつも家にいた。ジオはそんな彼女の体を心配して、よく魚や貝を届けに行っていた。ジオとフィーナは昔から仲が良かった。でもジオはみんなに優しかったから、彼女にも平等に優しいだけだと、私は……そういうものと思っていた」


イザンナの口ぶりは滑らかだが、どことなく固い。けしてフィーナのことを悪く言いたくはないが、その思い出について語ることが苦痛だ、という気配がにじんでいる。


「ある時、王都からの役人が来た。永い冬が訪れるという知らせね。このあたりでは噂になっていたけど、今度の冬は百年続くと言われていた」

「そうですね……大陸中のあらゆる村に魔法の本が配られ、冬守りを置くべしとのお触れが出されました」

「冬守りにはフィーナが選ばれた」


ニールは片目をわずかに歪める。百年のあいだ村を守るという冬守り。本来なら病弱な人間につとまるものではない。

だが、そのような冬守りは何度も見ている。誰の目から見ても永い冬に耐えられないような子に、すべての責任をかぶせる村が存在する。


「ここが石の村だからかしら」


ギンワタネコは部屋の隅に座っている。イザンナの与えた魚のくずをもそもそと食べていた。


「建物の多くは石造り。それなら人が保全せずとも崩れにくい。産業だって魚を拾うのと鳥の恵み、冬守りに村を守ってもらおうなどと考えてなかった。まあ、そういう村も多いわね」


イザンナはその女性らしい口調に眉をひそめる。なぜこの越冬官はときどき腹話術を使うのだろう。

だが、ともかく先を話すべきだと思った。話を進める。


「もう一人は誰にしようかと大人たちが話し合っていたとき、ジオが冬守りになると言い出したの。村のみんなは反対したけど、ジオは頑として聞かなかった。ジオはいずれは網元に、あるいは村長になると期待されていたから、みんな悲しんだけど、フィーナを守ろうとしていると感じて、ジオならそうするだろうと納得するしかなかった」


魔法の本が配られてから、夏が消えるまでには数年の猶予があった。それまでに村のほとんどの人間は本に入った。イザンナと網元の家は最後に入ることになっていたという。


「そんな時だったけど……。フィーナの容体が急に悪くなって、命が危ぶまれたの」


フィーナの体とは積み上げた石。かろうじてバランスを保っていたものが、ある瞬間にがらがらと崩れるような、そんな激変だったという。

もはや近くの村にも医者はおらず、王都まで船で運ぶにはフィーナの体が耐えられないのは明らかだった。ジオは懸命に看病をしたが、わずか数日でその命は燃え尽きようとしていた。


「私も気になって、何度もフィーナの家を訪ねました。そんなとき、二人の会話を聞いたんです」



ーージオ。


ーーもしわたしが世を去っても、悲しまないで。


ーーあの入り江に行って。二人でよく行った、あの一番きれいな入り江に。


ーーあそこには人魚がいる。


ーー私は人魚に生まれ変わって、あなたに会いに行く。



「人魚……と言ったのですね」


確認するようにニールが言い、イザンナはうなずく。


「はい、この村には人魚の伝説が伝わってますから、フィーナもそれになぞらえて言ったんだと思ってました」


イザンナの口調にわずかな恐れが混ざる。昼に見たもの。あの異形の姿と、凄まじい殺気を思い出して感情が震える。


「まさか本当に……! 本当に人魚に生まれ変わるなんて」

「落ち着きなさい、イザンナ」


肩に手を置く。そのニールの手には重みがあった。イザンナを現実にとどめようとするような重みだ。


「イザンナ。この冬の時代において、真実と幻想の境目はきわめて曖昧です。たとえ目で見て、手で触れたものでも現実とは限らない」

「で、でも、さっき確かに」

「いいえ、それでも・・・・です。あなたが人魚の実在を認めれば、ジオは人魚に奪われたまま帰ってこない。まず認識ありき。あなたの認識が真実を左右する、そんなこともあるのです」

「え、越冬官さま、言われていることの、意味が……」


「あの人魚は幽霊みたいなものなのね。美しい幽霊が男を誘惑するなんて話は珍しくもないけど」


また女性のような口調。どこか達観して、落ち着いた大人の女。


「戦えば生きてる女が勝つものよ。だって向こうは幻なんだもの。幻想、空想、妄想、どれだけ強大であっても生きてる女に勝つのは簡単じゃない。向こうも必死だと考えなさい。生身の女と本気で奪い合いになったら、向こうだって大変なのよ」


イザンナは混乱を覚える。部屋の何処かに本当に女性がいるような気がする。ニールとギンワタネコしかいないはずなのに。


「イザンナ。フィーナが世を去ってしまったために、あなたがジオとともに冬守りになったのですね」

「は、はい」

「教えてください。なぜあなたが冬守りになったのですか。村にはもう若者がいなかったのですか。冬守りを務められそうな人間が」

「いえ、村にはまだ5、6人の若者がいました。ですが、私がやるべきだと考えて……」

「それは、ジオのためですか? 彼と添い遂げたかったから?」

「いえ……」


それもあるが、それだけではない。


イザンナは何度か呼吸をして、己の感情を確かめるように胸に手を当てる。そしてニールの目をまっすぐに見る。


「冬守りのための準備をしたのが私だから。私はジオとフィーナのためにできる限りの準備をした。冬を生きるための知識を蓄えて、それは書き付けの形で残すつもりだった。冬の生き方について一番詳しいのが私だった。だから残るべきだと決めたんです。包み隠さず言うなら、ジオと一緒に残れることは嬉しかった。ジオとフィーナが好きあってるとしても、いつかは私にも振り向いてくれる。そういう気持ちがあったことは否定しません。でも、冬守りは村を守る大切な役割です。私は網元の娘として、それを務めるべきと思いました」


「イザンナ」


名を呼ばれる。女性のものだ。ギンワタネコは囲炉裏のそばに来て、もこもこした毛に空気を含んで膨らんで見える。


「一つだけ確認するわ。あなた、フィーナに毒を盛って・・・・・いないわね?」

「な……」


目を丸くして、そして奥歯を強く噛み締める。


「そんなことしません! フィーナは間違いなく病気だったんです! その病気についてはジオも私もよく知ってて、いつ悪くなるかは誰にも分からないって」

「ごめんなさいね。どうしても確認する必要があったの。あなたがフィーナに対して負い目があれば、それは夢現ゆめうつつの世界では致命的な事態を招く。ニールの命も危険になるから」

「あの……さっきからなぜ腹話術で話すんですか。女の人みたいな口調で……」

「私はドナ。ニールの保護者みたいなものよ。納得できないなら、越冬官としての技術だと思いなさい。女性的な視点を持つことも必要なのよ。ニールは一人だけだから、頭の中に女性の人格を飼ってるの。そういう理解でいいでしょ?」

「は、はあ……」


ニールは外を見る。両側に岸壁がそびえる村はもともと日当たりが良くなく、日没すると幕を下ろすように一気に暗くなる。今日はそれに加えて曇天もある。雪もちらついているようだ。


「あまり良くありません。夜半にかけて雪が勢いを増し、海風も強くなる」

「? それだと何かあるんですか?」

「人魚は私を追う途中で足が鈍りました。何らかの理由で追ってこられなかったのでしょう。しかし夢現の者は世界が曖昧になるほど力を増す。日の暮れる誰彼時たそがれどき、あるいは月のない夜。足音に気づけない風の強い日などにその力が現実を侵食してくる」

「……まさか、夜の干潮時に、村に上がってくる」

「干潮が12時間おきとすると、あと3時間ほど……いえ、人魚だけなら満潮でも活動できるのでしょうか。いずれにしても今夜、何かが来る確率は高い」


人魚は村の高さまで上がってくるだろうか。

その推測は意味がない。上がってくると想定して行動するべきだろう。


「私も戦う!」


囲炉裏端にあった火かき棒をつかみ、イザンナが言う。


「フィーナには渡せない、ジオを取り戻さないと」

「いえ、イザンナ、私と一緒に来てください」


ニールも立ち上がり、音で村の様子をうかがう。吹き荒れる風の音、びゅうと鳴る音が石との摩擦のように思える。


「フィーナの家を調べます」





「越冬官さま、こんなことして意味あるんですか」


フィーナの家は三部屋あり、それなりに広い建物だが、ほとんどが物入れや書物で埋まっていて足の踏み場もない。

ニールは本を一つずつ手に取り、ぱらぱらとめくって中身を調べている。


「事態の手がかりがないか探しています」

「事態って……この村には人魚がいて、フィーナが人魚に生まれ変わってジオをさらった……そういう話でしょう?」


口に出してみると突拍子もない話である。しかしイザンナは半人半魚の娘たちを見ている。今はあの人魚たちにどうやって対抗するか、それが第一の問題に思える。


「イザンナ、このライラザの村において、異変はいつから始まってると思う?」


ギンワタネコは寝台の上に座っている。海辺の村では猫の存在をいちいち意識しないが、今日はやたらにあちこちにいる気がする。


「また腹話術……。異変がいつからって、それは、ええと、人魚の伝説がいつからあるのかってことですか? 私はお祖父ちゃんから聞いたけど、お祖父ちゃんが誰から聞いたかは……」

「少し違うわ。異変の始まりというのは、人がこのライラザの村に住み始めたことよ」

「え……」


ニールはいろいろなものを手に取っている。この村の産業の記録、地形図、納税の記録など。教師であるフィーナの父がそれらを管理していたようだ。


「このライラザの村は少しおかしい。いろいろ調べてるけど、干潮時に魚が拾えるというのは村の人々が飢えをしのいで、税を納めたら無くなってしまう量よ」

「……? じゃあ、別にいいんじゃ」

「それだと人口を増やせない。この村の生産能力はギリギリ一杯なの。普通はこういう村は範囲を拡大させるんだけど、その様子が見えない。川の近くに農家の住む村が新しく生まれそうなものなのに」


イザンナはきょとんとしていたが。

ふいに、前のめりになって口を開く。


「そ、そう。確かにそう。村の現金収入として干し魚と海鳥の恵みがあるけど、大した額にはならなかった。私は水辺の近くに農地を作ろうとか、遠くの森を切り開いて材木を売ろうとか提案したけど、村の大人たちは受け入れなかった。村から出ようとしなかった」

「もう一つ。都市の学者であるフィーナの父親が村に居着いたのも奇妙なこと。村の娘と結婚してフィーナをもうけるのはドラマチックではあるけど、学者の行動としてあまりにも不自然。しかも調査したことを都市に送りもせず、学者としての活動をやめてしまうなんて」

「それは、確かに」

「この村には何か秘密があります」


ニールが言う。いや、今までもずっとニールとイザンナの会話だったのだが、急に男の口調が割り込んでくることに軽い混乱を覚える。


「その秘密に触れたものは村から離れがたくなってしまう。伝説にあるように人魚との逢引に溺れてしまうのでしょうか。もし人魚では無いとしたら何なのか。それを調べています」

「……分かりました」


イザンナも書物の束を紐解き、中身に高速で目を通し始める。


「大人たちは何かを隠していた。それを探せばいいんですね」

「はい」

「あとで私の家も調べます。大人たちが何か書き残してるかも……」


夜は更けていき、風の音はいよいよ強まる。

いつしか風には雪が混ざり、あらゆるものを凍りつかせる風となる。



雪と風と闇。その中ではすべてのものが曖昧になる。

あるいは無秩序に、乱雑に、混沌にーー。


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