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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第三章 歌満つる谷
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第十三話




「ジオはね、ほんとに腕が良くて、それで優しいの。この村は入り江漁がほとんどなんだけど、ジオは小舟を使って沖合まで出て、大型の魚をガンガン捕まえてた。8歳でシャチを仕留めたのは今でも語り草なのよね。またさばく手際もいいったら」


村の倉庫を案内する。倉庫はいくつか作られており、薬品や紙などの消耗品、綿や鳥の羽など防寒具の素材、馬皮や牛革などもあり、木材などもふんだんに用意されている。


「目がいいのね、あと耳もいいし頭もいい、決断力もあったし度胸もある。船大工としての腕もいいし、毛糸の手編みでセーターなんかもすぐ作っちゃうのよね。薬草なんかにも詳しくて、詳しいというかジオが薬効を発見した海藻なんかもあるのよ。あとやっぱり顔もよくて、声もすごくいいよね。網元のお父さんも村の大人たちもジオを頼りにしてたし」


イザンナはずっと一人で喋っている。


ニールは特に止めない。この村について情報を得られるなら有意義なことだ。そのジオという人物の様子が変だったことについて、彼の人物像を知ることにも意味があるだろう。


「それなのに、半年ぐらい前からよ、人魚の入り江に行くようになったの」

「人魚の入り江……ですか」

「正確に言うと村の下の方に大小たくさんの入り江があって、そのどこかってことなんだけど、おっと通り過ぎちゃった、ここよ」


食料の貯蔵庫にたどり着いたので、いったん話は保留になった。


「ここが第一貯蔵庫、第五まであるの」

「大変な量ですね」


村では取れない小麦と大麦、オイル漬けにされている果物。蜂蜜もあれば大量の砂糖もある。それらは湿気を通しにくい袋に入れられ、さらに木箱に納められていた。


「このガラス瓶の中身は肉と脂ですね、ペミカンですか」

「あらさすが越冬官さま、ご存じなのね」


干し肉を動物性のラードで固め、密閉容器に詰めた保存食である。低温環境なら数年の保存が可能とも言われる。ガラス容器は大きく重く、ずらりと並んでいる。


「こっちが羊の肉、これは牛、ゴーの肉もあるわよ。脂は村に飛んでくるカンジキカモメの脂が一番上等でね。これでペミカンを作ると何十年でも腐らないの」

「大変に充実した貯蔵庫です。冬守りは大勢おられるのですか?」


数秒の空隙くうげき

ニールの質問に、イザンナは数秒の間を置く、口の中を舌で漁って、言葉を探すような様子。


「私とジオの二人だけよ」

「そうなのですか」


第五まであるという貯蔵庫が、第一のそれと同規模とは限らないが、他の村に比べれば大変に充実していることはほぼ間違いない。冬守りたちが生活の基盤を整え、冬の間の細々とした自給自足を成立させるまでには十分だろう。


「燃料などの貯えはありますか」

黒槍樹ジンガルの丸太材をチップに加工したものが500キロ。ディエルトから買っておいた炭が700キロ。丘の上にはいくつか泥炭層もあって、場所は把握できてる。黒槍樹ジンガルは丸太材も用意してる。あとはカモメの脂なんかも照明に使えるんだけど、それが油壺に20ぐらいかな」

「この村では、冬の長さをどのぐらいと考えていますか」

「ここら辺の村では噂が広まってた、百年は続くって」


ニールは心底感心した様子で、ほうと息をつきながらワインの壺を撫でる。


「感服しました。いくつかの村では百年の冬を耐え抜くことを諦め、他の村に移ってしまった冬守りも多いのです」

「ま、このへんの食料は」


また沈黙。

ニールはその硬直を見逃さない。イザンナに何か言いにくいことがあるのは察した。だがあえて問いただすことはしない。


「このへんの食料は……あたしが村人たちを雇って用意させたの。防腐の措置は万全だし、滋養も高い、味も自信があるわよ」

「けっこうです。では念のために、腐らずの儀式をしておきましょう」


ニールは淡々と儀式を行う。行いながらも先ほどのイザンナの言葉の意味を考える。


人魚がジオをだめにする。


その意味を聞きだせたのは夜中だった。網元の家で大きめの炉を囲む。円形の炉であり、天井から吊られた鍋の中では魚介や、小麦を練った団子が煮えていた。


「越冬官さま、召し上がらなくて良いんですか」

「必要なとき以外は冬守りの食べ物に手を付けない、そういう決まりなのです」


それよりも、と話を向ける。


「人魚とは何なのですか」

「……ええと、ですね」


イザンナは頭の中で整理しているようだった。

それほど入り組んだ話なのか、それとも何かを隠しつつ話す必要があるのか。ニールは表情を変えず、ぱちぱちと燃える黒槍樹ジンガルの小枝に視線を注ぐ。


「この村……ライラザの村にはたくさんの入り江があります。海に近いところはアリの巣みたいな複雑な地形になっていて、細かい洞窟とか、一度海に入らないと行けない空間とかがあるんです。村の誰も、そのすべてを知り尽くしてる人はいません」

「そうなのですね」

「そして、村には言い伝えがあります。深みの入り江に人魚あり。その微笑みは魔性、その歌声は劇毒。勇猛なる漁師は人魚を求める。人魚の腕にて海の夢を見る。七日七晩くことなかれ」

「あら、情熱的な伝承だこと」


ギンワタネコが窓べりに座っている。イザンナはニールが腹話術をしたことに面食らったが、その微動だにしない表情を見て何と言っていいのか分からず、ともかく話を進める。


「数か月前からジオの様子がおかしくなった。いつも潮が引くころに海へ降りて行って、満ちる頃に戻ってくる。何をしていたか聞いても答えない。それに体の様子もおかしいの。以前は筋肉がすごかったのに少しづつ痩せてる。こっちが話しかけても上の空でろくに聞かない、それに……」


ぱたぱた、と素足で岩の上を歩く足音が聞こえて、イザンナは素早く立ち上がると屋敷の外へ出ていく。


ニールが腰を上げようとするところへ、ギンワタネコが首を持ち上げて視線を向ける。


「ニール、気づいてたとは思うけど言っておくわね」

「なんでしょう」

「さっき見かけた子がジオみたいだけど、あの子はかなり憔悴してる。私の見たところ労働の疲労ではないし、病気にも見えない。端的に言えば女遊びの疲労に見えた。どうも相手はイザンナって子じゃないみたいね」

「他に女性が?」

「どうかしら、男って可能性もあるかも」

「ドナ」

「別にふざけてないわ。それにしても誰かしらね。魔法の本に入っていない人間かしら。なんにせよ、これは痴話喧嘩の予感がするわね、ニールに解決できるかしら」

「……やってみます」


イザンナの後を追って屋敷を出る。

そこは網元の家から三軒隣、普通なら足音が聞こえるような距離ではないが、この村に特有の音の反響のためだろう。海風が強いのに、あらゆる音がくっきりと聞こえる。

見れば、イザンナがジオの腕を捕まえているところだった。家に入ろうとしていたところを無理やり引き止めたようだ。


「ジオ! どこ行ってたの! 今日は燻製づくりを手伝ってくれるって言ったでしょう」

「ああ、ええと、そうだったっけ、ごめん」


ジオは先ほどよりもさらにふわふわとした目つきをしていて、イザンナの顔をまともに見ていない。


「今からやろうか?」

「……ううん、もういい。お鍋作ってるから、一緒に食べよう」

「ああ、ごめん、適当に魚とか、食べたから」


するり、と手をほどく。イザンナはさらに駆け寄ろうとしたが、抱き着きかける寸前で踏みとどまる。


「なるほど」


背後にギンワタネコがいた。窓枠にいたものと同じ個体かどうかは分からない。


「イザンナの服、サメの楯鱗が縫い付けてあるのはなぜかと思っていたけど、ふいに誰かに抱き着いたり、抱き着かれたりしないための服ね。おそらく未婚の女性が着る伝統的な服なんでしょう」

「二人は未婚なのですか」

「そうよ。雰囲気で分かるでしょ、まだ男女の初々しさが残ってるわ」


ギンワタネコはどこかに行ってしまう。ニールが猫の姿を目で追うと、ぴしりと戸が閉まる音がした。


軽い木製の引き戸である。鍵はついていないようだ。イザンナは引き戸を開けたくて手を震わせるも、それができない。おそらくは、異性の家にみだりに入らないというしきたりでもあるのか。


「……越冬官さま」


ふらりとこちらを見るイザンナ。

ニールは一歩、身を引く。


引いたことに自分でも驚く。そのイザンナの目には悲しみとか切なさというより、はっきりと怒りの色があった。あるいはニールから見て怒りだと思うような感情が。


「あんな感じです……私と食事もしなくなって、毎日ああやって、人魚のところへ通っている」

「イザンナ、ともかく移動しましょう、ジオに聞かれる」


彼女をつれて網元の家へ。


「人魚と言われましたが、そのようなものが実在するのですか」

「間違いありません」


イザンナは鍋の中身を器によそうと、もうもうと湯気を上げるそれに箸をつっこむ。


「入り江は海側からは回ってこれないんです。暗礁もあるし潮の流れも速い。入り江に海から入ってこれるとすれば、人魚しかありえません」

「崖の上から降りてくるという可能性も……」

「私はずっと村の中にいます。この村は左右の崖にあらゆる音が跳ね返るんです。私に気付かれずに入り江まで降りていくのは無理です」

「なるほど……先ほども、わずかな足音がはっきり聞こえましたね」


ニールはイザンナの様子をそれとなく見る。親の仇のように鍋の中身を平らげているが、まだどこか、ニールに対して慎重になっている気配がある。


「イザンナ」


名を呼ぶと、わずかに脇を締めて、肺の中で息を固める気配。


「人魚を見たわけではないのですね? それなのに人魚だと断言する」

「……」

「何か、根拠があるのですか」

「それは……この村には、人魚の言い伝えが、あるから……」

「分かりました」


何か事情があるようだが、無理に聞き出すことはしなかった。冬守りと対立しても仕方ない。それはニールなりの優しさというより、男女の機微に踏み込むことに慣れていないための遠慮だったかもしれない。


ニールとしては、ともかくも人魚がいるかいないか、それを確認すれば解決するだろう。彼にしてはやや安易に、そう判断した。



「明日、私がジオを追いかけてみましょう」


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