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次の冬ごもりは百年  作者: MUMU
第二章 百枚の花園
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第十一話


「カッタヒル……」


少年を抱き起こす。彼の体には霜のようなものが張り付いていたが、不思議なことにはだんだんと体温が高くなっていく。心臓も鼓動を速めていく。


「う……あれ、ロジー?」


少年が目を開ける。少しめまいがするのか、ロゼレッタの顔を見る目がぶれて、焦点が定まらないようだ。


「ああ、カッタヒル、ようやく……」

「なんだ、どっかで頭でも打ったのかな。商人が丘に来てた気がしたんだけどな」


カッタヒルはロゼレッタの腕を押しのけ、立ち上がる。不思議そうに周囲を見る。


「あれ? なんか雪がすげえ多いな。それに村の感じもなんか変だし……あんな土壁なかったよな。なあロジー」


ロゼレッタは。


彼女は、どこか茫然とした様子でカッタヒルを見ていた。


不思議なものを見るような。驚くような、理解が及ばないような。ただ目を丸くして、幼なじみの顔を見ている。


口元のわずかな震え。小ぶりな少女の鼻は大気の匂いを嗅ぐかのように震える。


自分がいま、何を考えているのか分からない。そんな顔。


「なあロジー、商人は来たのかな」

「うん……来たよ。たくさんのゴーを与えてくれた」

「そうなのか? だめだ、頭が回らないや。なんか腹も減ってきたよ。なあロジー、何か食べるもんないかな」

「あるよ……一緒に行こう。村にはたくさんのゴーもいるし、食べるものもたくさんあるから」


二人は手をつないで、丘を降りていく。


その間も、ロゼレッタの顔はずっと揺らいでいた。戸惑いの色に染まっていた。


何に戸惑っているのか、何に驚き、動揺し、感情がひとつに定まらないような気がするのか。


ロゼレッタは頭を振る。

自分が考えようとしていたことを、心の奥底にしまい込む。


すべて元に戻ったのだと、その確信だけを考え続ける。

余計なことを考えない、それもまたロゼレッタの強さだった。


考えないようにしたことは、果たしてどこへ行ったのか。





「そら、がんばれ」


ゴーがヒヅメを地面にめり込ませて荒縄を引く。縄の先は切り株に結ばれており、やがて土を波打たせて切り株が抜ける。


「よしよし、だいぶ広がったかな」


カッタヒルはロゼレッタからひと通りの説明を受けた。自分が商人にさらわれていたこと。取り戻すためにタペストリを用意したこと。タペストリと引き換えに、ロゼレッタには若さが与えられたこと。


「考えてみりゃ運がよかったよな。冬ももう半分過ぎてるらしいし、俺が年とって死ぬまでに牧場が作れそうだ」


カッタヒルが開墾しているのは村から大きく離れた荒れ地。まず雪を取り除き、岩をハンマーで砕き、切り株をゴーの力で掘り起こす。のちのち植えるための牧草は温室で育てており、集めた種は大ぶりの壺に何杯分にもなっている。


牧場を作るとなれば何年かかる仕事か分からない。カッタヒルはゴーとともに働き、少しずつ牧場となる土地を広げていった。


懸命に働く少年と、その彼に従うゴー。


それが芥子の一粒のように見える距離。


二つの森をへだてた遠方。丈高い山の上には黒い馬。


大きな馬に乗った夜会服の人物が、カッタヒルを見下ろしている。


「おお、うるわしきことです。彼もまた善良にて壮健。誰に恥じることもない村の働き手。やがては立派な牧場が生まれることでしょう」


その笑顔には、しかしロゼレッタに対峙した時とは違う冷たさが張り付いている。蛙を食らう蛇の笑みか、あるいは吹雪や氷壁に笑みがあるならこのようなものか。


「しかし、あのタペストリは美しすぎました」


ほう、と息を吐く。熱い吐息のような音がして、吐き出されるのは氷の粒。


「果てしない優しさ。非の打ち所のないたくましさ。光にあふれた笑顔。およそ生きた人間のそれとは思えない。竜の討ち手か、海を歩く賢者か。人間のそれを超えた美しさでした。称えるべきはロゼレッタさまの創造力。人を超えるものすら生み出せる創意のすさまじさでしょうか」


皮肉げに笑う。彼の笑顔には人あたりの良さなどかけらもなかった。もしその笑顔を見たものがいたなら、彼を何と見ただろうか。仕事を終えた暗殺者か、あるいは囚人を拷問する刑吏か。


視界の果てで、カッタヒルは村へと帰っていく。今日の分の仕事は終わったようだ。


「ふ」


低く笑う。

直後にあわてて口元を押さえる。誰も聞いてるはずはないし、誰かが見ているはずもない。それでも隠す。


「あの凡庸な若者が、あれほどの、ふ、ふ」


隠してなお笑いを抑えられない。

この慇懃無礼で謎めいた商人が、その仮面をかなぐり捨てるような、腹をくの字に曲げての笑い。


「ふふ、お二人とも、どうぞすこやかに、むつまじく、互いを思いあってください。できるものなら。いえいえ、ロゼレッタさまならきっと可能でしょう。どうぞいそしみなさい。ひとときの油断もなきように。あの凡庸なれど素朴で慎ましい、路傍の石のような若者と共に過ごしてください。冬はまだまだ続くのですから」


どこかから一陣の風が吹いてきて。


風がやんだとき、商人の姿はどこにもなかった。





「ロジー、戻ったぞ」


ゴーを厩舎に戻し、温室のストーブに黒槍樹ジンガルのチップをくべる。


「ロジー、どこにいる?」

「ここだよ」


たんたん、と音がする。機織り小屋は温室の近くにあり、注意を向ければ機織りの音が聞こえた。


「そうかタペストリ織ってんのか。冬が明けたら俺が売ってくるよ。金も必要だからな」

「うん」

「何か食べるものあるか」

「食糧庫から適当に食べて、私はいいから」

「そっか」


ロゼレッタはあいも変わらず働き者である。


ゴーの世話も温室の世話もこなし、カッタヒルの服をつくろったり、村の周りを見回って雪崩や崖崩れの兆候を探すことも忘れない。その働きぶりに感心する。


「機織りしてる時間がだんだん増えてるよな。というかいつ寝てるんだろうな、ロゼレッタのやつ」


カッタヒルは小首を傾げたものの、心配するとまでは行かなかった。食糧庫にチーズと固く焼いたビスケットを取りに行く。


「でもなんか、あいつのタペストリ変なんだよな」


カッタヒルはつぶやく、つぶやきながらも牧場のことを考えている。


あの大きな岩をどう砕こうか。あの穴はどうやって埋めようか。ロゼレッタのことよりも、今は牧場の方が気がかりだった。


だからタペストリについての疑問はただ一度きり。その場限りのものだった。



「なんなんだろうな……歯車みたいな花とか、現実にはないような花ばっかり……」


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