42.怖い森を駆け抜けます!⑤
もしも私に恐怖があるとするなら、それはあの公爵邸に戻ることです。
それだけは絶対に嫌ですから。
「あれは……フェレント公爵夫人!?」
フェルトがハーマの幽霊に剣を向けるか、一瞬迷いました。
これまでの幽霊は特に誰とわかるものではなかったですからね。
その隙にハーマの幽霊は不気味に細長い腕を突き出し、私を捕まえようとします。
五メートルの身長とほぼ変わらない腕。
しかも図体は大きいのに、速い……っ。避け切れません。
「ぐぅぅっ……!!」
「リリアッ!!」
私は幽霊に鷲掴みにされ、持ち上げられます。
フェルトが剣を振るって幽霊の腕に斬り込みますが……駄目です。
霧のような腕は斬られてもすぐに元に戻ります。やはり頭部を狙わないと効果はなさそうです。
でもハーマの幽霊の頭部は遥か上です。八歳には到底届きません。
しかも幽霊の力も強くて、とても抜け出せません。
ギリギリと締め付けられて――胸が苦しいです。
「フェルト……!」
「今、助けるからちょっと待ってて!」
フェルトが剣を振るい、幽霊の脚を斬りつけます。
でもそれで体勢が崩れることもなく……。
打つ手は?
本当にあるのでしょうか。怪物に捕まってしまったら、私は単なる子どもです。
「怪物、怪物。お前は要らない子。私の言う通りにしなさい」
口角を広げた幽霊が、見飽きた顔で私に言い放ちます。
ああ、どのセリフも何十回も聞いたものばかり。
でもその幽霊の頭の向こう側、ずっと奥に私はしっかりと見ました。
輝く門があります。私は直感しました。
あれが出口です。
「フェルト……」
「くっ、これじゃ駄目なのかっ! 放せ、リリアを放せってば!!」
フェルトが見たこともないほど焦り、慌てて剣を振るいます。
美しかった構えは乱れ、めちゃくちゃです。
このままでは共倒れになります。
私はもう無理だとしても、フェルトまで失敗です。
それだけは避けないと……。
「……私のことはいいから」
「何言ってるの!」
「向こうに出口がある、から……っ!!」
フェルトが一瞬、私がナイフで指した方向を見つめます。
彼の視力ならこれで門が見えたはずです。
「諦めないで!」
でも、彼は私を見捨てないで幽霊に立ち向かいます。
ああ……彼は本当に良い子なのです。
「こういう時だけ諦め良くならないでよっ!」
それは本当にそうかもと苦笑するしかありません。
しかしもう出来ることがないのです。
幽霊のうめき声が耳障りに響きます。
「お前は私の子じゃない。言う通りにしろ。歯向かおうだなんて、考えるな――」
肺から空気が抜けていきます。呼吸ができません。
意識が薄れて……。
『ぴぃぴぃ』
腕のブレスレットから小鳥の涼やかな声が聞こえます。
これはローラ先生のリラックス魔道具です。
それ以外の効果はない、とローラ先生は言っていましたが。
この魔道具と意識を合わせることしか、私にできることは残っていません。
遠ざかる意識。フェルトの声。虚像の幽霊と森。
全てが暗く、静かになります。
その中で……意識の闇の中に影がいるのです。
『ぴぃ?』
闇の中に囚われた鳥。それはきっと私そのもので。
私を掴んでいるハーマの幽霊は檻なのでしょう。
『……自由になってやる』
私は、意識の手を宙に向けます。
魔道具の放つおとなしい旋律、届かない想いを掴み取るように。
ローラ先生と一緒にいた時は見えなかったノーツの羅列が、見えます。
螺旋のように私の周囲を舞って……。フェルトの周りにも浮かんでいます。
これは幻?
あまりにもはっきりと見え過ぎています。
ローラ先生は、私に一体何の魔道具を渡したのですか。
「リリア、これは……」
空を舞うノーツは私だけが見えるはずなのに、そのひとつにフェルトが触れました。
その瞬間、どくりと私の心臓が跳ねます。――熱い。全身が熱い。
この熱は……今の私にはわかります。
ノーツは今や、かがり火。
フェルトの魔力が火のように、螺旋を描くノーツへと燃え広がっているからです。
そして美しく蛍火に輝くノーツが私の持つ短剣に移ってきました。
大叔父様から渡された、高熱の付与魔法が刻まれた短剣。
そこから燃え盛る羽が生まれ出てくるのが見えます。
はっきりと間違えようのないイメージが私の心を満たして。
やっとローラ先生の魔道具と繋がった気がします。
『火の鳥……?』
『ぴぃ!』
ノーツの輝きはもう前が見えないほどで。
短剣に宿った炎の魔力は今にも飛び出しそうなほどでした。
幽霊は何の表情も見せず、私を罵っているだけ。
それは真実でもあり、そうでもなく。私の心の幻なのです。
『断ち切ってやる』
私の心の恐怖。
忘れた振りをしていても、忘れることはありません。
でも振り払うことはできるのです。
その証明のために。私はハーマの幽霊の顔へ、力の限り短剣を振りました。
『ぴいぃーー!!』
魔力が失われる虚脱感。振り抜いた短剣から火の鳥が舞い出ます。
火の鳥はそのまま幽霊の顔へと突撃しました。
火の粉が散り、幽霊の腕から力がなくなっていきます。
幽霊が絶叫しているようですが、激しい火に巻かれて私には聞こえません。
頭部を焼かれた幽霊が前屈みに崩れ落ちます。
途切れそうになる視界の最後。フェルトが鋭く幽霊を睨んでいました。
それは童話の一幕のようで。
光差す森の中、恐ろしい怪物を狩る騎士様でした。
大叔父様の長剣が闇を突き抜ける光と炎の破片に照らされます。
刹那、フェルトは首の高さに剣を構えていました。
この瞬間を私は絶対に忘れないでしょう。
「……あはは、カッコイイ」
フェルトが中空に剣を滑らせ、幽霊の首をはね飛ばし――私は意識を失いました。
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