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7 戸惑い

 ルーファス様が私の部屋を訪ねてきたのは、帰宅してしばらく経った頃のことだった。

 夕暮れを示す褪せたオレンジの日差しが部屋に差し込んでいる。


「入ってもいいだろうか」


 ドアの外から遠慮がちな声が聞こえてきた。

 ルーファス様はどうやら昼間の件で気まずさを感じているようだ。

 台に片足を乗せ、ドレスの裾を上げて義足の調子を見ていた私は、エミリーが返事をするより先に口を開いた。


「構いませんわ」


 ドアを開け部屋に入ってきたルーファス様は、私を見てから、はっとした様子で視線を外す。


「……すまない」

「謝ることはありません。義足を見るのは苦手な方もいるでしょう」


 傷は塞がっていても、痛みを連想する人はいるだろう。

 まるで人形のような片脚を見て気味悪く思う人もいる。


 それでもドレスの裾を直す前に返事をしたのは、ルーファス様がどんな反応をするのか見たかったからだ。

 夫婦になったのなら、この先体を見られることを避けることはできないだろう。

 その時が訪れるまでやきもきしてしまう自分にも耐えがたい。

 それなら今なんでもないこの時に見せてしまおうと考えたのだった。


「いや、義足が苦手なわけじゃない。それよりも、ご婦人の脚を見るのは失礼だろう」


 予想外の答えが返ってきた。

 確かに、殿方に足首を見せるのははしたないこととされている。

 でも本当だったら、すでに裸を見られていてもおかしくない間柄だ。


「あなたの妻ですよ。他人ではありません」

「それはそうだが、失礼な振る舞いをして君に嫌われたくない」


 そう答えてから、ルーファス様はためらいがちに言葉を続けた。


「だが……義足というのは、手入れが必要なものなんだろう? 僕ももし何かあった時に力になれるよう、君の体のことは知っておきたい。見ても良いだろうか」


 まただ。また誠実なことを言われた。

 ルーファス様が私に何かを隠していることがはっきりした今、私も開き直りたいものだったが、やっぱり絆されてしまいそうになる。

 これがまるきり演技だとしたら、この男性は相当の役者だ。


「ええ、どうぞ」


 私はばつの悪い思いでそう頷いた。

 エミリーがそっと私の側を離れ、壁際に控える。

 入れ替わるように、ルーファス様が遠慮がちに私の方へと歩み寄り、義足の右脚に目を向けた。


「もう痛みはないのか?」

「傷の痛みという意味ならありませんわ。脚を失ってからもうだいぶ経ちますから。ただ、定期的に診察と調整は受けています」

「なるほど。今日がその日だったんだな」


 ルーファス様が生真面目に頷く。

 今回はより衝撃を吸収できるように調整してもらったが、今までとは少し具合が違うようだ。

 慣れるまで少しかかるかもしれない。


 ちなみに頻繁なメンテナンスを必要としているのは、私がよく動くせいでもある。

 魔物を退治するにあたってはなるべく飛び道具を使用するようにしているものの、武器を魔力の媒介にしている以上、大人しくしているわけにはいかない。

 魔物に脚を捕まれた時、囮としてとっさに金具を外すこともある。

 つまり、やむを得ない理由で雑に扱っている。


 医者と義肢装具士は今回も私の義足の消耗具合に首を傾げていた。

 気の毒なことだ。

 どんなに丈夫で最新技術を使った義足だとしても、まさか戦闘に耐えるよう作られているわけではないだろう。


 とはいえ、私はこの不便な脚をどうにかして使っていかなくてはならない。

 私が自分自身で魔物を狩ることでしか、呪いを鎮めることも、両親の仇を討つこともできないのだから。


「一緒に出掛ける時に気を付けた方がいいことや、してほしいことはあるだろうか」

「いえ、特にお気遣いいただかなくても結構ですわ。杖がありますし、問題なく歩けるよう訓練しましたから」


 正確に言えば、この脚でも戦えるように訓練した。

 初めは歩くことも困難だったが、エミリーに付き合ってもらいながら、文字通り血が滲むような努力をし、今では杖と義足だからこそできる独特の重心移動も覚えた。


 自分の体の一部のようになってしまえば、生身とは勝手が違っても、義足だからこその特徴を利用して便利に使うことはできる。

 だから、必要以上に気遣われるのはいたたまれない。

 今すぐにでもルーファス様に私の戦い方を披露したいが、そういうわけにはいかないのがもどかしかった。


「そうか、わかった。僕はあまり詳しくないから、もし何かあったら教えてほしい」


 ルーファス様はそう言うと、今度はもう片方の足首に目を留めた。

 いばらの痣がある方だ。


「その痣は……」

「……ただの痣ですよ。生まれた時からあるんです。母と同じで」


 この痣もどうせいつか見られてしまう。

 詮索されないうちにそれらしい嘘をついておいた方がいいだろう。

 裾をめくって、赤みのある痣が見えるようにする。


「医師の話では、稀に痣が遺伝することがあるそうです。不思議ですよね」

「そうか……。君の叔父君から、母君のことについて聞いている。君をとても大切にしていたそうだな。こんな風に言うのは失礼かもしれないが、その痣は美しい。母君との絆を表しているようで」


 穏やかに伝えられた言葉に、目を見開く。


「絆?」


 この痣は確かに母から受け継いだものだが、絆などではなく、魔女の呪いだ。

 けれどこの痣は元の持ち主が一番愛しているものに受け継がれる。だから私は確かにこの痣に絆を感じていた。

 けれど、他人にそんな事情はわからないはずだ。

 まして美しいなどと言われたことは初めてだった。


「すまない。何か変なことを言っただろうか」

「ルーファス様は、私のことを不気味だとは思われないのですか?」


 この痣も、この脚も。性格だって、控えめな淑女とはほど遠い。


「誰かにそう言われたのか?」

「……直接言われたことはありませんが、哀れまれたり、嫁のもらい手がないのではないかと心配されたことは幾度もありますね」


 それは当然のことなので、どんな言葉を投げかけられようと私は特に気にもしなかったはずだ。

 貴族社会における女性の役割を思えば周囲の反応はもっともに思えた。

 私は自分を恥じる必要はないと考えているが、自分が自分をどう評価するのかと、周囲の人間が私をどう評価するかは別の話だ。


 両親と右脚を失い、普通の生き方を諦めた時から、そう割り切って考えてきたはずだった。

 それなのに、改めてこうして言葉にするとなぜかちくりと胸が痛んだ。

 ルーファス様と話していると不思議な気分になる。

 まるで、普段私が自分を守るために心に纏っている見えない鎧を、知らないうちに脱がされてしまうような。


「すまない、辛いことを思い出させた。だが、僕はそんな風には思わない。今まで君はたくさんのことを乗り越えてきたんだろう。その経験に敬意を払いたい」

「……ありがとうございます」


 向けられた優しい言葉にどう言葉を返せば良いのかわからなくなった。

 やはり、ルーファス様は善良な人間に見える。

 例え気に入ったお針子に粉をかけていようと、そこに彼なりの理由があるのだろうと想像してしまうくらいには。


 私はルーファス様に何を期待していたのだろう。

 自分は一生嘘を吐き続けるつもりだったというのに、身勝手な話だ。

 ルーファス様は今も私に穏やかな眼差しを向けている。そこに哀れみはない。

 ルーファス様といると、自分が弱く卑怯な人間になったような気分になった。

 こんな感傷は初めてで、自分には似合わない気持ちに落ち着かなくなる。


 結婚なんて、私にとってわずらわしく面倒なイベントだと思っていた。

 適当に義務をこなし、私にとっての本来の目的を淡々と遂行するつもりだった。

 それなのに、この人と出会ってから私はおかしい。

 幼い頃に切り捨てたはずの複雑で邪魔な感情が顔を出してしまいそうになる。


「イザベラ?」

「――すみません。少し気分が優れないようです。しばらく一人にしていただけますか?」


 これ以上同じ空間にいると何か余計なことを言ってしまいそうで、私はついそう口にした。


「大丈夫か? 何か必要なものがあれば言ってくれ」


 心配そうにこちらに一歩踏み出したルーファス様より先に、エミリーが私の側に来る。


「私がお世話いたしますので、ご心配なく。それよりも、もし風邪でしたら旦那様にまでうつってしまいます。今夜は別室でお休みくださいますようお願いいたします」

「……わかった。そうしよう」


 ルーファス様は少し迷うようなそぶりの後、頷いて部屋を出て行った。

 罪悪感がまたちくりと胸を刺す。

 エミリーと二人きりになり、私は溜息をついた。


「結婚生活ってこんな感じでいいのかしら。きっと駄目よね。もう少しうまくやれると思っていたのだけど」

「ベラ様が落ち込む必要はありませんよ。とはいえ今のまま離縁するのは伯爵家が許さないでしょうから、ルーファス様を社会的に失墜させてからにしましょう。あの方には秘密があるようですし、他にも何か後ろめたいことがあるに違いありません」


 エミリーが私のことを棚に上げて真顔で恐ろしいことを言っている。


「エミリー。別に私はルーファス様のことが嫌いなわけじゃないのよ。むしろ申し訳なく思ってる」

「ええ、わかります。嫌いなわけじゃない、むしろ絆されそうになっているからこそ、複雑な感情に悩まされる。そういうものなのでしょう」


 そういうものなのだろうか。

 こんな面倒な感情に囚われるくらいなら、何かと理由を付けて結婚から逃げられないかどうかもう少し試してみるべきだったのかもしれない。


「ベラ様はクールなふりをしていらっしゃいますが、少々情に厚すぎるきらいがあります。特に善良そうに見える人間にはとことん弱くていらっしゃるのですが、自覚はなさそうですね」

「そんなことはないと思うけど……」

「いいえ。そんなことはあります。魔物に狙われている人を見つけて、危険を顧みずに助けたことは一度や二度ではないでしょう?」

「そう言われると、まるで善い行いをしてるようね。私はあくまでも自分の目的のために魔物を狩ってるだけなのに」


 私は皮肉めいた笑みを浮かべ、エミリーにそう返す。

 少なくとも、情に厚いつもりはない。

 ただ、善良そうな人間にとんでもない隠し事をしているということに対して、罪悪感を感じているだけだ。この決まり悪さも、複雑な感情も、きっと全部そのせいだろう。


「でも、とりあえず今日のところはこれでよかったのかもしれないわ。ルーファス様はもう今晩は私を訪ねては来ないでしょうし、こっそり外に出ることもできそうね」


 我ながら呆れる切り替えの速さだが、こういう時はするべきことをするに限る。


「どちらに行かれるんですか?」

「あの店よ。そろそろ閉店の時刻でしょう? 夕暮れ時以降は魔物の魔力が強くなる時間帯だもの。あの子にこびりついている魔力の持ち主を見つけることができるかもしれない」

「ですが……もしかすると、ルーファス様もいらっしゃるんじゃないでしょうか」


 逢い引きの現場を見てしまうことになるかもしれないと、エミリーは心配してくれているのだろう。

 確かに今夜約束をしているというようなことを言っていた。

 

 はしゃいだ様子のお針子――確か名前はグレイスと言っただろうか。

 女の私から見ても可愛らしい子だった。


「そうかもしれないわね。でも構わないわ。グレイスに纏わり付いている魔力の残滓を見る限り、できる限り早く魔物の存在を突き止めた方が良さそうだもの」


 それに、いっそルーファス様と鉢合わせしてしまった方がいいかもしれないという気持ちもあった。

 そうしたら、さすがにハンターであることを話すことはできないが、私にも相手がいると嘘の秘密を打ち明けようか。

 割り切った夫婦関係を早々に築くことができれば、今後楽になるに違いない。

 そんな企みを胸に、私はルーファス様と顔を合わせないように気を付けながら屋敷を出発し、再びあの店へと引き返した。

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[一言] イザベラもルーファスのこと全然好きじゃん……このもだもだ感、大好物です。
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