16 美に惹かれるは魔性
――翌日。
私は出発を前にして、いつもと違う服に着替えていた。
「ベラ様……! なぜそんな格好を!?」
部屋にやってきたエミリーが、姿見越しに私を見て悲痛な声を上げる。
「なぜって、社交クラブへの潜入のために男装が必要だからよ」
私は髪を結って、帽子の中に隠しながら言った。
シャツとジャケット、パンツはなんとか小さめのものを揃えたが、紳士用としては小さめだからと言って私にとって小さいとは限らない。
つまりなんだかぶかぶかしていた。
紳士としてこの着こなしは問題がある。
どうにか誤魔化せないだろうか。
助言を求めようとエミリーの方を振り返ると、軽く予想の5倍は悲嘆に暮れていた。
「ああ……! 昨日一日私が側にいなかったばかりに、ベラ様が妙な格好をすることに……しかも、義足まで新調して……! 昨日はジャックにどうしてもと言われて屋敷内の仕事について打ち合わせをしておりましたが、こんなことなら無理を言ってついていけばよかった!」
ジャック、というのはルーファスの従者のことだ。
もしかすると、こっそりついて来かねないエミリーを見かねて引き留めてくれたのかもしれない。
ジャックは私たちの事情を知らないはずなのに、なんとなくルーファスの意思を汲んでそういった行動を取ってくれているのだろう。
後でお礼を言った方がいいかもしれない。
「エミリー、あなたが後悔することなんてなにもないのよ。私がルーファスと二人きりにしてほしいと言ったんだから」
実を言うと、昨日ルーファスと二人きりで出掛けたのは、意図あってのことだ。
本当に信じていいのかどうか、いったん協力すると返事をして油断させた上で、しっかり見極めたかった。
その結果、私はひとまずルーファスを信じてみることにした。
魔物としての性質はどうあれ、彼は善良な人物だという感想は変わらなかったから。
私は、もしかすると人ならざる者たちへの偏見があったのかもしれない。
この力を持っている以上、対峙するのはいつも人間を害する者たちだ。
彼らの中に人間との共存を望む者がいる可能性なんて、今まで考えてもみなかった。
私が考えを改めたのは、エミリーが正体を明かしてくれたおかげもあるのだろう。
ちらりとエミリーの方に視線を向ける。
エミリーは私の行動がよっぽどこたえたのか、いまだに床に崩れ落ちていた。
いつもの冷静な姿が嘘のようだ。
もしかすると今まで秘密にしていた心の内を明かしてくれたことで、感情の制御がうまくできなくなっているのかもしれない。
いつもが冷静すぎるのだから、せっかくなら今のうちに思い切り発散しておいた方がいいという説もある。
「それよりこの義足すごいのよ。見てちょうだい」
私はその場で軽くジャンプをして、さらに回し蹴りをしてみせた。
昨日よりも義足がしっくりと足に馴染んでいる感覚と、紳士用のズボンの動きやすさに軽く感動する。
わずかに聞こえる稼働音は、ライリーが施してくれた機械仕掛けが作動する音だろう。
エミリーはしばらく呆然とこちらを見ていたかと思うと、顔を両手で覆った。
「私のベラ様が機械に改造されてしまった……!」
「エミリー、落ち着いて。私は人間……と言い切っていいのかわからないけれど、元のままよ」
確かに以前の木製の義足よりも、機械じみた外見ではある。
けれどズボンをはけばドレスの時よりもさらに目立たず、特に問題はなさそうだ。
「…………そうですか。申し訳ございません、ベラ様に関する新しい情報が多すぎて取り乱しました」
なんとか立ち直ろうとしているらしいエミリーは、両手の指の間から恐る恐るといったていで私を見た。
「ですがベラ様、恐れながらひとつ申し上げます」
「なにかしら」
エミリーの眼光が鋭く光ったような気がする。
「さきほど社交クラブに潜入するためにその格好をしているとおっしゃいましたね? ベラ様を男性に見せるのは無理があります。なぜならとても可愛らしいからです」
「ありがとう」
「いえ、今は褒めているわけではなく――ベラ様が可愛らしいのは本当ですが」
エミリーは何か言いたげにしつつもその先の言葉を飲み込んだ。
代わりに私が唇を開く。
「あなたが言いたいことはわかるわ。私は背も低いし、男装は似合わないわよね。でも、どうしましょう。変装をしないわけにもいかないわ。招待されていない女が集会場所に近づくのは目立ちすぎるし、きっと怪しまれる。早々に追い出されてしまうかも」
「……どうしても行く必要があるのですよね」
「そうね。いばらの呪いもあることだし。これは私のためでもあるのよ」
言い聞かせるようにすると、エミリーは悲壮な覚悟を滲ませて鏡台の上のブラシを手に取った。
「では、この私にお任せください。私の美意識にかけて、ベラ様を立派でおかわいらしい紳士に仕上げてみせましょう」
その後、私は出発の時間までエミリーに散々もみくちゃにされることとなったのだった。
しばらくしてようやく身支度を調えた私は、ルーファスの書斎のドアを叩く。
そして改まった口調でこう言ってみせた。
「ルーファス様。お迎えに上がりました」
「……? ベラか?」
ドアが開き、ルーファスが私を見て驚いたような顔をする。
今の私は、エミリーの手によって紳士的な衣服をはぎ取られ、かわりに使用人見習いの少年になっていた。
ぶかぶかのシャツは見えないところをピンで留め、髪も丁寧に整えて後ろで縛ってある。
どこか野暮ったかったさっきとはシルエットが変わり、洗練された印象があった。
「……ずいぶん可愛い少年だな」
ルーファスが感心したように言う。
「そうでしょうね。エミリーの力作だもの」
私は胸を張った。
エミリーの美的センスはいつも目を瞠るものがある。
変装の手伝いをお願いするのは初めてだったが、これはもしかするとエミリーの新しい才能が開花してしまったかもしれない。
「これならあなたの従者見習いとして違和感ないわ」
満足している私をよそに、ルーファスは軽く首を傾げた。
「……従者を演じるのは気が進まないとか、淑女としてのプライドがとか、そういう気持ちはないものなのか?」
「ないわ。むしろ、普段しない格好をして、普段入れないところに入るというのはわくわくするわ」
意気揚々とそう言うと、ルーファスがふっと笑った。
「僕の妻は勇敢だな」
「……」
ルーファスは一体どういう気持ちでこの軽口を叩いているのだろう。
そして私は今、どうしてこんなに落ち着かない気持ちになっているのだろう。
何か、もぞもぞというか、そわそわというか、妙な心地がする。
じっと見つめたまま妙な感覚の正体を探っていると、ルーファスは照れ隠しのように咳払いをした。
「ところで、少し事前に話しておきたいんだが……今回関わっている魔物がレッドキャップの他にいるとしたら何だと思う?」
「そうね……」
心を落ち着かせて、少し考える。
「まだ何の手がかりもないけれど、芸術に関係する魔物はいるわね」
「そうなのか? なんだか意外だな」
「本来、美は魔なるものの分野だもの」
まさにその美しさを引き継いでいるであろうルーファスを見上げる。
「美しすぎるものは、人を虜にして惑わし、魂を抜き取ってしまうことさえあると言われているわ。魔物が自分たちと似た性質を持つ芸術に惹かれるのも無理はない話なんじゃないかしら」
頬に手を添えてその顔を覗き込むと、ルーファスが見るからに動揺した。
「……ち、近いんじゃないか?」
「別におかしいことではないでしょう? あなたの妻だもの」
さっきの軽口の仕返しだということが伝わったらしく、ルーファスは拗ねたように眉根を寄せた。
その顔に溜飲が下げ、私はすっと彼から離れる。
「さあ、行きましょう。社交クラブ『女神の楽園』へ」




