13 路地裏の友人
馬車に乗ってやってきたのは、薄暗い路地裏だった。ルーファスの手を借りて馬車から降りる。
今は昼間だが、建物に遮られて光がほとんど入らない。
夜はよからぬ連中の良いたまり場になることだろう。
「……やっぱりまだ信用しない方がよかったかしら。こんなところに連れ込んでどうするつもり?」
「君はどうしたら僕を信じてくれるんだ?」
「半分は冗談よ。さあ、案内してちょうだい」
もう半分のうちそのまた半分はほんの少しの警戒心、そして残るもう半分は悪戯心だ。
ルーファスはどうにもからかいたくなるようなところがある。
昨夜のことについてはまだ腹が立っている部分もあるので、こうしてこっそり憂さを晴らそうというわけだった。
「君の冗談は冗談に聞こえない。だがまあ、僕をからかうことで楽しんでいるならよかった」
しっかりばれていたようだった。
ルーファスは路地裏を進み、パブらしき店の脇にある、地下へと続く階段を降りた。
私もそれに続く。埃っぽい臭いがした。
階段を降りたところにはドアがあり、両脇は得体の知れないガラクタに埋もれている。
どうやら金属片やネジのようだ。
それをまじまじと眺めていると、ルーファスがドアをノックした。
「ライリー。僕だ」
「おお、待ってろ!」
威勢のいい声が聞こえる。
やがて出て来たのは、がっしりとした体格の青年だった。
シルバーに近い髪の色をしている。前髪がもしゃもしゃしていて目がほとんど隠れて閉まっていた。
シャツには機械油の染みがあり、片手には工具を握っている。
「久しぶりじゃねえかルーファス。もしかして、この子がお前の奥さんか?」
「ベラよ」
「よろしく! おっと、ご婦人にはあまり近づかない方がいいな。さっきまで作業してたからな。ドレスを汚しちまったら大変だ」
彼はいったん手を差し出しかけてから、おどけるようにして汚れた両手を私の方に見せた。ごつごつしていて、タコがある。職人の手のようだった。
「彼はライリー。僕たちと同じ変わり者だ」
「それは奇遇ね」
「ロンドンは変わり者同士が引き寄せ合うように出来てるからな」
冗談めかしてライリーが言ったその言葉は、あながち間違いとも言い切れない。
貴族であろうがそうじゃなかろうが、あぶれ者というのは自然と互いを認識するものだった。
私とルーファスも、間違いなく貴族社会のあぶれ者というわけなのだが。
「さあ、奥の椅子にかけてくれ。ちょうど湯が沸く頃だ。紅茶を入れてやる」
ライリーはドアを大きく開いて私たちを迎え入れてくれた。
玄関からすぐに工房のようなものが広がっていた。
わけのわからない大きな歯車やカチカチ音を立てている金属の中に、ちらほら人間の脚や手を模したものが見える。
私はそれらを見ながら、大きな木のテーブルの側に歩み寄り、ガタガタと揺れる椅子に座った。
テーブルの上に片付けきれなかった鉄くずのようなものがあるのを見る限り、普段は作業台として使っているのかもしれない。
「あなたはもしかして義肢装具士なの? でも、なんだか妙な機械もたくさんあるように見えるけど……」
私の言葉を遮るように、けたたましいベルの音が鳴り響く。
「失礼。湯が沸いたみてえだな。ちなみに俺は発明家だ。元は義肢装具士の弟子だけどな」
そう言いながら、ライリーは机の向こうにあるスペースまで歩いていった。
どうやらあそこがキッチンらしい。
ものが積まれすぎていて奥はよく見えないが、パイプのようなものが机のそばまで伸びてきている。
パイプの下には小さな台があり、キッチンから出てきたライリーがそこにカップを置いた。
「一応言っておくが、このパイプには触れるなよ。ヤケドするからな」
チン!と軽快な音が鳴る。
どうやらパイプの側面にベルのようなものが取り付けられているらしかった。
ベルの音から間をおかずに、パイプから湯気が立ち、まもなく琥珀色の液体がカップへと注がれた。
爽やかな甘さを含んだ紅茶の香りが立ち上る。
「いやー、昨夜試運転をしたばっかなんだが、やっぱり俺は天才だな。温度も完璧だ」
「また変な発明をしたみたいだな」
ルーファスが呆れたような目でライリーを見る。
「変な発明じゃねえよ。自動紅茶淹れ機、名付けて『いつでも飲める君』だ」
「ネーミングセンスは置いておくとして、あまり妙なものを飲ませないでほしいんだが」
「心配ねえよ、味は保証する」
2人はどうやら気心の知れた友人同士らしい。
どこで接点があったのか不思議な関係だった。
ライリーはふんふんと鼻歌を歌いながら3つのカップに紅茶を注ぐと、私たちの前に置いた。
「ベラ、もし気になるのなら飲まなくても構わない」
「大丈夫よ、気にしないで」
ありきたりでないものには好奇心をそそられる。
それに何より、ライリーは彼なりに上機嫌で私たちをもてなそうとしてくれているらしいことが伝わってきた。
ここは有り難く飲んでおくべきだろう。
私は味にはあまり期待することなくカップを傾けた。
すると、想像していたよりもずっとまろやかな舌触りがする。
砂糖やはちみつの甘さでなく、茶葉本来の香り豊かな甘みがした。
微かに残る爽やかな後味はハーブをブレンドしているからだろうか。
武骨なパイプから出てきたとは思えないくらい繊細な味わいだった。
「……とても美味しいわ」
「だろ!?」
ライリーがわが意を得たと言わんばかりに身を乗り出す。
「俺みたいな上流とはほど遠い人間でも紅茶の良さはわかるんだぜ。この茶葉は安物だが、温度と保管にこだわってる。ハーブで香り付けもしてるしな」
「後でブレンドを教えてくれないかしら」
「おう! あんた、この光景を見ても動じないし、眉をひそめることもしねえ。なかなかに変わった貴族サマだな。気に入ったぜ……って、なんだよルーファス、襟首を掴むな」
カップから顔を上げると、ルーファスが険しい表情でライリーの襟首を掴み、私から遠ざけようとしていた。
「2人が仲良くなるのは良いことだが、僕より仲良くなるのは駄目だ」
「心の狭い奴だな。そう心配しなくても俺がこの淑女に取って食われることはねえよ」
「そうよ、あなたの友達を取る気はないわ。妙なことを気にするのね」
「そっちじゃない!」
ルーファスは堪えかねたように声を上げる。
この変わった友人も、ルーファスのからかい方を心得ているようだった。参考にしよう。
私は紅茶をもう一口飲んだ。
ルーファスも渋々といった様子でカップに口を付ける。
かすかに眉が動いたところを見る限り、味についての見解は私と同じようだ。
「それでだな……。ベラ。もしよかったら、こいつに義足を見せてみないか?」
「どうして急にそんなことを?」
「昨夜少し調子が悪そうにしていただろう。いつもは杖がなければ義足だということもわからないくらいなのに、歩きにくそうだった。それに僕に蹴りを入れたときも――」
「一体どんなダイナミックな夫婦げんかをしてるんだ……? 新婚だろ?」
ライリーが呆れたように言う。ルーファスは曖昧に笑って誤魔化した。
「ライリーは粗野な男に見えるが、医師としての知識も持ってる。もしかすると、君のかかりつけ医師とは違った視点から義足を調整してくれるかもしれない」
確かに、この下町の発明家なら、私の『仕事』のことも理解した上で調整してくれるかもしれない。
迷ったのは一瞬のことで、私はこの発明家に義足を見てもらうことにした。
用意してもらった台の上に右足を乗せる。
ライリーは私の義足を眺め、留め具を触り、最後に外した義足と生身の足を点検した。
一貫して不思議そうな顔をしている。
「どうしてこんな消耗の仕方をしてるんだ? 歩いてるだけで側面が削られるのはおかしいだろ」
私はちらりとルーファスに視線を向けた。
どこまで話していいのかわからなかったからだ。
ルーファスは小さく頷く。
魔物のことさえ避ければ大抵のことは大丈夫そうだ。
「実は悪者退治をしているの。銃を撃ったり、ナイフを振るったりしてね」
ライリーは一瞬驚いたような顔をした後、愉快そうに大きな声で笑った。
「は? おいおい、かっけーな! でも今の言葉で納得がいったぜ。軍人の義足みたいな痛み方をしてるもんな」
意外なことにライリーはすんなりと納得してくれたらしい。
銃を打ったりナイフを振るったりしたがる女なんて下町でもそうそういないだろうに。
「ルーファスお前、ガキの頃に妄想してたヒーローみたいな女と結婚したのか」
ライリーに言われて、壁際で様子を見ていたルーファスは頭を抑える。
「昔のことは話さないでくれ。いたたまれなくなる」
「ライリーはどこでルーファスと知り合ったの?」
ライリーはどう見ても社交界に出入りしているタイプではない。
それに子供のころを知っているとなると――。
「ライリーは、僕と同じ孤児院の出だ」
「……そうだったの」
驚きながらも納得する私の前で、ライリーは大きく目を見開いた。
「なんだなんだ、奥方にはそこまで話してあるのか?」
「色々あって、やむを得ずな」
「私も、ルーファスの昔の知り合いがこの街にいるなんて知らなかったわ」
立場上、口外されるとまずいのではないだろうか。
私の危惧を読み取ったように、ライリーが口を開いた。
「俺は貴族とはなんの関係もねえ。こいつが出生を隠して伯爵の後釜に収まったところで、誰かに言うつもりはねえよ。あんたも同じだろ?」
「ええ……。そうね」
ルーファスが語った過去を信じるなら、それは亡くなった前伯爵が望んだことだ。
部外者である私が糾弾する理由はない。
「まあ、うまくやってるみたいで安心したぜ。こいつが言った通り、俺も同じ孤児院にいた。でも、こいつはひょんなことから貴族様に気に入られて養子になった。まったく、すごい強運だよな。かたや俺は義肢装具士に弟子入りだ。ま、貴族よりこっちの方が性に合ってるから不満はねえけどな」
「今はもう独り立ちしているんだろう?」
「まあ一応な。散々勝手なことやって親方に破門されたから」
一体どんなことをやらかしたのだろうか。
「そう聞くと任せるのが少し怖くなってくるわね」
「心配ねえよ。勝手なことってのは、親方に言われねえことまでやっちまうってことだ。古い職人ってのは新しい技術を受け入れたがらねえ。自分では再現できねえからって拗ねちまうんだよ」
ライリーは私の義肢を外しながら愉快そうに笑った。
「お前が特殊なんだ。ろくに設計書も描かずに機械をくみ上げるのは、普通の人には難しい。リスクを心配されても仕方ないことだよ」
「そうかもしれねえな。別に親方を恨んじゃいねえよ。今はこうして好きにやれてるんだしな」
そう言いながらライリーは席を立った。
部屋を囲むようにあるガラクタの山から何かを探しているようだ。
「ちょっと待ってろ、ちょうどあんたに合うパーツがありそうだ。試作品を調整してすぐに使うことも出来る。ゆくゆくはあんたに合わせてちゃんと作らせてもらいたいが、どうだ、少しだけ試してみねえか?」
私はライリーの勧めに従って、義足を作ってもらうことにした。
ライリーは小一時間ほど待っていてほしいというと、甲冑らしきものやばねや歯車を持ってきて作業台の上でさっそく作り始めた。
そんなわけで私たちはひたすらライリーの作業を眺めることになったのだが、実のところ、じっと見ていても一体何をしているのか全くわからなかった。
専門外であることを考慮しても、まるで手品のように何かの仕組みを組み上げていくライリーに、理解が追いつかない。
「よし、できた! 付けてみてくれ」
ライリーに促されて私は新しい義足を装着した。
今までのものとは全く違う。
まるで初めから私の足だったような付け心地だった。
軽量化した甲冑をベースにしているようで、傾きに合わせて関節がほどよく曲がるようになっている。
シルエットはすっきりとしていて、金属で出来ていること以外は生身の左足とそう変わらなかった。
私は恐る恐る立ち上がってみる。
今までは杖を持っていないとうまく立ち上がれないことがあったが、椅子の肘掛けに少し手を置いただけで難なく立ち上がることができた。
「すごいわ……! これ、どういう仕組み?」
思わず興奮を隠しきれずに聞くと、ライリーは得意げに唇を
「人体の曲がる箇所には、必ず関節と腱がある。バネと歯車で擬似的にそいつらを作って、あんたの重心のかけ方に連動して適切に動くようにした。あんたの義足も元々普通の義足より精度の高いギミックが仕込んであったが、こういうのは職人の腕が物を言うからな。素材も柔軟性のある金属に変えてる。さすがに本物の手足と全く同じように動かすには時間がかかるだろうが、耐久性は大幅に上がったはずだ。激しく動いても問題はねえよ」
しばらくぶりに自分の脚と再会したような感覚に、気分が高揚する。
「そう? じゃあ早速試してみてもいいかしら」
「どうぞ、奥様」
ライリーが冗談めかした仕草で礼をし、私に場所を開けてくれる。
私は何度かその場で足踏みをすると、義足を軸にして、くるりと回ってみる。
――きちんと私の体重を支えてくれる。
次に左足を下ろし、体を回転させながら今度は義足で蹴りを繰り出す。
留め具が外れることもなく、軽い。金属が空を切る小気味良い音がした。
試しに義足に魔力を通してみようとしたところで、ルーファスから制止の声がかかった。
「ベラ、さすがにここではやめてくれ! スカートの中が見える」
ルーファスの方を見ると、ライリーの目を両手でぴっちり覆っていた。
どうやら余計な心配をかけてしまったようだ。
「大丈夫よ。念のため下に乗馬用のズボンを履いてきたから問題ないわ」
「それは本当に心から良かったと思うが、もう少し気をつけてくれないか。君が大丈夫でも、周囲が大丈夫じゃないことがある」
「……確かに、初めて訪問するお宅で少しはしゃぎすぎたかもしれないわね。ごめんなさいライリー。そしてありがとう、あなたって天才なんじゃないかしら」
私にも一応恥じらいはある。
けれどこんな感覚は初めてで、歓声を上げたい気分だった。
「いや、それよりも驚いた。俺が天才だってのはその通りなんだが、いくらなんでもそこまで動かせるのは俺のおかげじゃねえよ。あんたが前に使ってたやつよりも動きやすくしたとはいえ、金属だ。重いだろ」
「いいえ、まず貴族の令嬢はか弱い存在だという思い込みが間違いよ。毎日どれだけの重さのドレスを着てるかわかる? もう少し重くても大丈夫だわ。そうだ、武器は仕込めるかしら」
「お、おう。それは俺としてもやりがいのある仕事だが……いいのか? そんなことして」
「いいの。淑女に危険はつきものよ。護身用だとでも思ってちょうだい」
さすがにためらいを覚えているらしいライリーに、さも乙女の常識のように言って納得させようと試みてみる。
ルーファスが短くため息をついた。
「君も、ライリーと同じく自分が規格外の人間だという自覚があまりないようだな」
「この場にいる人間は誰一人他人にそんなこと言えないわよ。ルーファス、あなたもね」
「うっ……まあ、そうか」
図星を指されたように、青みがかったグレーの目が泳ぐ。
結局、この義足はそのまま使わせてもらうことにして、後日もっと正確な調整も兼ねてカスタマイズしてもらうことになった。
今まで使っていた義足はライリーが預かってくれるそうだ。
「僕からも礼を言うよ、ライリー。妻の義足を作ってくれてありがとう」
「いや、やりがいのある仕事だった。俺もわけあって孤児になっちまったが、先祖は錬金術師らしいからな。ゆくゆくは人間の手足を再現することもできるようになるかもしれねえぞ」
ライリーは誇らしげに胸を張る。
そんな馬鹿なと思ったが、魔女の魂などというものを引き継いでしまっている手前、何も言えない。
案外社会には、こうして不思議な力を持つ者たちが自然と紛れ込んでいるものなのかもしれなかった。




