12 仲直り?
エミリーの手を借りて身支度を調えた私は、ルーファスの書斎へと向かった。
昨夜の話の続きをするためだ。
エミリーには馬車の準備を頼んである。
書斎の前までやってきた時、ずきりと右脚が痛んだ。
昨夜無理をしすぎたのかもしれない。
隙を見てまた調整してもらいに行かなければ。
書斎の前で脚を止め、ドアをノックする。
すぐにドアが開き、現われたのは使用人服を着た男性だった。
背が高く、どことなく目つきが鋭い男性は、ルーファスの従者だ。
確か名前はジャックと言っただろうか。
物静かな男性で、直接話したことはあまりなかった。
「……奥様」
私が何かを言う前に、珍しくジャックの方から口を開いた。
「ルーファス様が何か粗相をしたようですが、あまり邪険にしないであげてください。この通り昨夜もしょんぼりしながらカウチで膝を抱えて眠っていらっしゃいました」
書斎の中からルーファスのものらしきくしゃみが聞こえてくる。
確かに、主人が毎夜新妻に寝室を追い出されているということは、従者として気が気じゃないだろう。
新婚早々夫婦喧嘩をしていると思われているのかもしれない。
「心配させてごめんなさいね。今朝は仲直りをしに来たの」
「……そうでしたか。安心しました。差し出がましいことを申し上げたこと、お詫びいたします」
ジャックがドアを大きく開け、私を書斎に招き入れる。
正面に大きなデスクがあり、そのわきにゆったりとしたカウチがある。
仮眠を取るために持ち込んだのだろう。
ルーファスはそのカウチの上に毛布をかけて寝転がっていた。
まるで私の反応を恐れているように、遠慮がちにこちらを見上げる。
昨夜のことを気まずく思っているのだろうか。
しゅんとした大型犬のような眼差しに、昨夜感じた威圧感や恐怖が嘘のように消えていく。
「ベラ、おはよう。できればさっきジャックに向けた優しい笑みを僕にも向けてくれないか」
「ベッドを独占したお詫びにそうしようかと思ったけど、その口ぶりからして余裕があるみたいだからやめたわ」
「……そうか、残念だ。ジャック、下がっていいぞ」
カウチの側に歩み寄った私と入れ替わるようにして、ジャックは無言で礼をして部屋を出て行った。
「もしかして、私に優しくされたいの?」
「愛しい妻に冷たくされたいと願う夫はいないと思う」
ルーファスは相変わらず私の機嫌を取るようなことを言う。
協力関係を築きたいがために結婚までしたのはまだ理解ができる。
婚前の男女が二人きりで話す機会などそうそうない。それに秘密が漏れないようにするためにはこの方法が一番だ。
もし私が魔物の血を引く美しい淑女であったなら、もしかしたら同じ方法を取るのかもしれない。
でも現状を鑑みたうえでルーファスの立場になってみれば、妻の役割を捨てて素っ気なく振る舞う私を今さら口説く必要もないはずだ。
こんな男性をどう呼ぶか、私は噂に聞いたことがあった。
「ルーファス。もしかしてあなたって女たらしなの?」
「違う」
ルーファスはすぐさま否定してから、はっと何かに気付いたような顔をする。
「それよりも今、ルーファスと呼んでくれたのか?」
「昨夜からそう呼んでいたと思うけど……気に障ったかしら」
とはいえ、今さら改めてルーファス様と呼ぶのも抵抗があった。
場合によっては今後敵対する相手だということを忘れないためにも。
「いや、むしろ逆だよ。もっと気楽に話してほしいと言っても、君は僕に敬称を付けたし、改まったような話し方のままだった。今後ともそうやって呼んでくれると嬉しい」
「……そう。それはよかったわ」
嬉しそうに微笑まれて、どんな言葉を返せばいいのか一瞬わからなくなる。
魔物の美しさは人間を欺くためにある。
こうして日の光のもとで会ってしまえばやはりルーファスは善良で無害な紳士に見えたが、
「そうだ、君に渡すものがある」
ルーファスは思い出したように言うと、立ち上がり、書斎の机に置いてあった大きな箱を両手で持った。可愛らしいリボンが巻かれている。
「喜んでもらえるかわからないが、開けてみてほしい」
「これは……?」
「乗馬用の小物だよ。君の叔父上から、乗馬が好きだと聞いたからな」
ルーファスはどこかそわそわとこちらの様子を見守っている。
私は戸惑いながらリボンを解き、箱を開けた。
そこにあったのは、乗馬用の帽子と、乗馬服に取り付けることができる小物入れのついたベルトだった。
どちらもシンプルなデザインで、私の好みに合っている。
「ありがとう。素敵ね。大切に使うわ」
帽子の滑らかな生地に触れ、自然と笑みがこぼれた。
「喜んでもらえたみたいで何よりだ。てっきり、もっと辛辣なことを言われると思ったんだが」
ルーファスはなぜか私の笑みから目を逸らし、そわそわとした様子でそう言う。
「素敵なものは素直に喜ぶわよ。この贈り物にどんな意図があろうとね。もしかして、昨日言っていたグレイスとの約束というのは、これを受け取るというだけのことだったの?」
てっきり個人的な関係にあるのかと思った。
私が言葉にしなかったことまで汲み取ったように、ルーファスは物憂げに眉根を寄せる。
「……やっぱり妙な誤解をされていたのか。そうだよ。あの店は知り合いから評判を聞いていた。だから君に内緒で贈り物を作ってもらっていたんだ」
二人で秘密の約束をしているような言動はそのせいだったらしい。
私は自分の誤解が少し恥ずかしくなった。
「でも、別にこれを受け取ったからってあなたへの対応は変わらないわよ」
簡単に絆されるわけにはいかない。
きちんと見極めなければ。
「……そうだろうな。もとより僕が君に贈りたかっただけだ。だがベラ、護衛代わりと思ってくれるだけでもいい。どうか一人で調べるなんて危険を冒すのは――」
「ええ、あなたの言葉に甘えて、とりあえず護衛代わりにさせていただくわ。契約のことはおいおい考える」
「ん……?」
一拍置いて、ルーファスが小首を傾げた。
「それはもしかして、僕と手を組むことを承諾してくれているのか?」
「そうよ。まずはグレイスにあの日会っていた男のことを聞かなくちゃ。あなたも出掛ける支度をしてちょうだい」
行動は早い方がいい。あのレッドキャップと、男が纏っていた魔力を見る限り、これだけで何事もなく終わるとは思えなかったからだ。
急かすと、
「ありがとう。君がいてくれるなら、何よりも心強いよ」
「いいのよ、そういう言葉は。せいぜいお互いに利用し合いましょう」
「利用って……まあ、惚れた弱みだ。僕が君を利用するかどうかはともかく、君に利用されるのは構わないよ」
「今さら口説いているそぶりを見せて繋ぎ止めようとしなくてもいいのよ。私にとっては恋愛感情よりも使命の方が大事だもの」
ルーファスは私の言葉に目を瞬いた後、眉根を寄せて頭を抱えた。
「頭痛?」
「……いや。ただ、本当に君は手強いなと思っただけだ」
独り言のように呟いてから、ルーファスはすぐ気を取り直したように顔を上げた。
「そうだ。グレイスに会いに行く前に、君に紹介したい人物がいる」
「人物?」
「そう。心配しなくても人間だよ。それにきっと、彼なら君も気に入ると思う。早速だが、今からどうだろう」
「別にいいわ。でも……」
いったい誰に会わせるつもりだろうか。
一瞬また警戒心が頭をもたげたけれど、屈託のない笑みを向けられて不覚にも絆されてしまいそうになる。
「さあ、行こうか」
ルーファスが当然のように私の方に手を差し出す。
思わず戸惑うと、ルーファスははっとしたようにその手を引っ込めた。
「すまない。君と仲直りができたかと思うと嬉しくて。……まだ君に警戒されているということは、覚えておく」
しょぼ……となったその顔を見て、何か名状しがたい気持ちが湧いてきた。
ジャックには便宜上仲直りと言ったが、そもそもこれは喧嘩だったのだろうか。
私にとっては決してそうではなかったが、ルーファスにとってはそうだったらしい。
それはつまり――私を騙していたわけではないということなのだろう。
もちろん、まだ心を全て許してはならないという警戒心は残っている。
けれどこれでは、まるで私がよく懐いている大型犬にきつく当たり苛めているみたいだ。
私は手を伸ばし、ルーファスの腕を取った。
「……!? な、なんだ!?」
ルーファスは狼狽えたように私を見る。
動揺されるだろうとは思っていたが、なんだか予想とは違った反応だった。
「もしかして、この腕を支点にして僕を投げ飛ばすつもりじゃ――」
一体私を何だと思っているのか。
反論しようかとも思ったけれど、昨夜油断させておいて襲い掛かった前科があるので別のことを口にすることにした。
「残念ながらそれができるくらいの腕力はないわ」
「あったら投げ飛ばされてたのか」
ルーファスが神妙な顔で呟く。
「例えそうしたところで、あなたにそうダメージはないでしょう?」
「体は傷つかなくても心は傷つく。それよりも、どうして急に?」
「これから会いに行く人物は、私たちのことを夫婦だと思っているのでしょう? それなら、それらしく振る舞わなくちゃ。でも、もしあなたが嫌なら――」
「嫌じゃない」
腕から手を離そうとすると、ルーファスがもう片方の手で私の手をそっと押さえた。
熱い体温が伝わってくる。
力を入れすぎないよう気を付けているかのような優しい触れ方と、どこか拗ねたような表情に、落ち着かない気持ちになった。




