31章-4
桜庭はやっとのことで、どうにか山守ダムのキャンプ場にある国際部隊の基地に着く事ができた。
「この人達に七瀬のせいにする暴徒を止めてもらおう」
そう考えた彼女は、学校で習った大国の言葉でどうにかこうにか、その場にいた兵士にこう伝えることが出来た。
「私は『霊の社』の信者です。貴方達にお願いがあってここに来ました」
それを聞いた兵士は、この国の言葉がわかる兵士を呼んだ。連れてこられた通訳の兵士は大国とこの国のハーフらしく、流暢な言葉で桜庭に質問した。
「お願いってなにかな、お嬢さん」
「私達『霊の社』の一部が暴徒化して、一人の人を集団でリンチしようとしているのです。お願いです、手遅れになる前に暴徒を鎮圧してもらえますか」
それを聞いた通訳の兵士は、困惑した顔で両腕を胸の中間まで上げた。
「そんな大げさな。第一、我が軍も先ほどの地滑りで損害を被っていてね。それどころじゃないんだよ」
これは桜庭も予想していた言葉だった。なので彼女は別のアプローチで兵士にお願いをした。
「じゃあせめて、彼がここに逃げ込んだら助けてあげてください」
通訳の兵士は不思議そうに尋ねた。
「その助けて欲しい人って誰?」
「相生七瀬っていう高校生の少年です」
それを聞いた通訳の兵士は、目を丸くして驚いた。
「アイオイ ナナセ」
そう言うと通訳は、近くにいた兵士とこそこそと何かを話し始めた。そして話し終えると桜庭にこう返答した。
「ナナセ、彼の事は放っておきたまえ。彼がどうなろうと我々に何の利益も無い」
それを聞いた桜庭は失望した。
「貴方達、それでも世界を守る軍人なの。人を守ろうともしない。もういい、私帰る。七瀬一人の為にここまで来た私も馬鹿だった」
桜庭は頭を抱えて踵を翻した。
その様子を見た通訳の兵士と、そばにいた兵士は益々困惑した顔を互いに見せた。
「あの娘は何を言ってたんだ」
「さあね。何か幻覚でも見たのだろう」
そう言えば、と通訳の兵士がそう切り返すと、こんな言葉を続けた。
「こんな噂を聞いた事ないか? この辺りには沢山の女の幽霊が出るんだとよ」
「はははっ。見たっていうそいつ、赤い藤の花の毒に侵されたんじゃないか」
「それがそうでも無いらしい。見たというのは赴任して一日目の兵士だ。あいつは元々霊感があるらしくて、この場所に来て以来、何度も焼かれる女達の夢を見たとか」
「止めてくれよ気味が悪い」
「はははっ、これは退屈しのぎのうわさ話だ。幽霊が出たところで我々は兵士だ。ゾンビでもなんでもこのライフルで撃ち殺せばいい」
そう言って通訳の兵士は平然と笑った。
だが彼が笑っていられるのも時間の問題だった。
その頃、この国の特殊部隊にはこんな噂が早くも流れ始めていた。
「相生七瀬の怨霊がでた」
その噂が流れたのには経緯がある。
山守ダムの頂上の記念碑前に着いた特殊部隊は、あるモノを見てギョッとした。
「何だこの血の跡は」
そう思った瞬間、崖から何か白い者が落ちるのが見えたと思ったそのとき
「ドンッ!」
と何かが落ちた衝撃音が聞こえた。
「誰か落ちたのか」
確かめる特殊部隊の兵士に、別の兵士がこう言った。
「ダイナマイトの形をした玩具がいくつか落ちている。子どもの悪戯か?」
「今落ちた人物の持ち物かもしれないな。お前、何か知っているのか」
そこには特殊部隊に捕まった森の姿があった。森は顔面蒼白になり歯をガチガチさせながらこうつぶやいた。
「七瀬だ。あいつ殺したのに生き返って、ここを這い回っていやがるんだ」
彼はワアワアと喚き散らして怯えに怯えた。正気を失った彼に、最初は特殊部隊の者は訳が分からなかった。
仕方ないので森と一緒に捕まえた信者に、ことの説明を聞いた。彼の説明は森の拳銃で七瀬は殺され、この場に倒れていたらしい。
「そんな馬鹿な」
「でも俺、誰かが落ちるところをはっきりと見たぞ」
「お前、赤い藤の花の幻覚でも見ているのか」
「そんな訳ないだろ。俺たち今、山守に来たばかりだぜ。幻覚なんてまだ見ねえよ」
こうして特殊部隊の陣営は七瀬の話で持ちきりになった。
そこに大きな地滑りが来たのだ。森等の『霊の社』の信者達は
「七瀬の怨霊だ!」
と騒ぎまくり、上記を逸した喚きを繰り返した。それにはさすがの特殊部隊も耳を塞いだ。
「止めろ、そんなに喚きまわると、俺たちもその戯れ言を信じてしまいそうになる」
「そうだな、こいつらにはもう用はない、殺したところでこの混乱でうやむやになるだろう」
彼はそう言うとライフルを森に向け、打った。
「ドンッ!」
という音とともに、森の頭は砕け散り、彼の胴体はその場でばたりと倒れ込んだ。
「お前、流石にそれはおかしいだろ、止め」
特殊部隊の一人がそう言うのを言い終わらぬうちに、銃を撃った特殊部隊の男は、仲間まで打った。
「七瀬の怨霊せいか。これは良い言葉だ。俺は人を殺したくて仕方なかったんだ。またとない機会だ。七瀬の噂を流してどんどん人を殺そう」
殺人鬼の本性を現した特殊部隊の男は、こうやって次々と個別になった仲間部隊を回り
「七瀬の怨霊が人を殺した」
と噂をまき散らし、人目が着かないところで一人、二人と殺していった。
彼の撒く噂と、死体を目にした事、それと捕まえた『霊の社』の信者の言葉により、国の特殊部隊の中ではすっかり
「七瀬の怨霊が人を狂わせ、殺人鬼にさせている」
という噂になってしまった。
その噂を国際部隊の者達が聞いたのは、夜遅くになってからだ。
「なんだその噂。教団の信者だけでなく、この国の特殊部隊にまで電波したのかよ」
「でも特殊部隊の数人は七瀬がよみがえったところを見たって」
「死人が蘇るなぞ、ゾンビじゃあるまいし」
そんな噂を話しているところに、恐ろしい情報が入って来た。
「人骨がダムの底から出て来たぞ!」
国際部隊の野次馬の何人かが、乾涸びたダムの底の中心まで見に行った。そこには数えきれないほどの人骨が地表から露になっていた。
「なんだコレ、気持ちわりい」
「女達の霊の噂は本物だったんだ」
「だったらナナセの怨霊の事もありえるぞ」
こうして国際部隊の中でも怨霊の話で持ちきりになった。そのうわさ話を上司は
「しょうもない戯れ言を話すな」
注意したが、注意すればするほど、部隊内で怨霊の話は盛り上がった。
「七瀬を殺せと喚いていた信者が、七瀬の訃報を聞いたあと『怨霊が来た!』と七瀬の霊に取り憑かれて狂った」
「いや、女の霊のせいだ。女せいで信者は狂って、七瀬を殺せと喚いたんだ」
こんな根も葉もない噂が、国際部隊にも回っていくようになった。
噂も周りに回って来た頃、『霊の社』本部では萩彦達がやっとの思いで帰還してきた。こんなに時間がかかったのには訳がある。萩彦達は帰る途中に地滑りの被害に遭ったのだ。
そのせいで萩彦の部下の数人と、松田の部下の半分が土砂の中に埋まったのだ。残った者で助け出そうとしたが、それは出来ぬこととなった。
国の特殊部隊が萩彦達めがけて銃を撃って来たからだ。その銃で何人かが打たれて死に、萩彦は左の太ももを打ち抜かれ、歩く事もままならなくなった。
「三島、俺に捕まれ!」
松田の支えがあってどうにか近くまで来た『霊の社』本部まで帰ることができたが、その間に沢山の部下達が帰らぬ人となった。
「三島君、いえ、三島様どうしたのです」
駆け寄る桜庭に、萩彦は脂汗を流しながら答えた。
「俺の怪我はどうにでもなる。それより信者の数が少ないようだが……」
「みんな、七瀬を探しに行きました。あいつを殺せば全て収まるって言って」
呆れる桜庭に、萩彦も苦笑いを隠せなかった。
「ハハハッ。俺も少し前まではそう思っていたが……。でもあいつは死んだよ。俺の目の前で森に打たれた」
それを聞いた桜庭は背筋が凍った。
「だから今『七瀬の怨霊』とかいう噂が広がっているのね」
「なんだ、そんな噂が広まっているのか」
「ええ、私達教団だけでなく、国際部隊も、国の特殊部隊にも噂は広まっているみたい」
そういう彼らに一報が届いた。
「国の特殊部隊と国際部隊との戦闘がついに始まったぞ」
そう報告したのは教団の諜報部員だった。
「ついに始まったか」
萩彦は待ち合いのソファーにぐったりと座った。
それより少し前である。
国の特殊部隊の小隊長の一人が嘆いていた。
「クソッ混乱した一人の部隊員のせいで、国際部隊との本格的な戦闘になってしまった」
「でもそいつ、実際に『七瀬の死体が起き上がるのを見た』とか言ってますよ」
小隊長の部下である小柄な部隊員が、怯える様子でそう言った。
「俺、呪いとかそんなの信じないんですが、今回ばかりは何かありそうで怖いんです。赤い藤の花の毒のせいで、俺も見たくない者を見ちゃうんじゃないかって、気が気でありません」
小隊長は怯える彼を叱咤した。
「それでもお前は国の特殊部隊の一員か! 今はそれどころじゃない。目の前の国際部隊との戦いに気持ちを向けるんだ」
そのとき、茂みの影から一人の人影が現れた。
「なんだ、仲間か」
そう思って安心した小隊長は、人影が撃ったライフルで頭部を打たれて即死した。
「わぁぁぁっ!」
小柄な部隊員は声をあげて驚いた。そして大慌てでその場を逃げ去った。このとき彼は思った。
「相生七瀬の呪いだ。仲間の一人がその呪いでおかしくなったんだ。俺たちを裏切ったんだ! そうだ、俺たち大人が相生七瀬を裏切ったように、あいつも死んでなお、俺たちを裏切り始めたんだ!」
彼はわあわあと喚きながら、どことは分からぬ真っ暗な山道を走った。
(そうだよ、俺は何人もの人間を裏切った。親父の期待、イジメに遭った友人への裏切り、妊娠させ子どもを中絶させた彼女、それ以外にも沢山の人間を裏切った)
そのとき、ぱっと草むらが開けたところで遠く、人影が見えた。
「お前は……うわあああっ!」
彼は無我夢中で銃を撃った。打たれた一名はバタリと地面に倒れ、残りの何人かは散り散りになって逃げた。
「来るな、来るなぁっ!」
喚く彼に『パンッ!』と一発の銃声が浴びせられた。彼はその場で倒れた。
打ったのは同じ特殊部隊の人間だった。
「あいつ、なんで混乱なんかしていたんだ? まあいいや。楽しい人殺しができたのだからな」
そう、彼の正体は「七瀬の呪い」のデマを吹きかけている、快楽殺人者だった。
その一方で
「なんだ、何が起こったのだ」
と叫んだのは、散り散りになって逃げた『国際部隊』の人間だった。
「この国の特殊部隊が打って来たと思ったら、後ろの茂みから仲間らしき奴に打たれやがった」
「なんで特殊部隊は同士討ちをしているんだ」
国際部隊の生き残りは必死で逃げた。
(諜報部の我々は、敵である特殊部隊の奥地まで来て情報を聞き出そうとしたが……見つかって失敗したということか? だが、敵の同士討ちが気になる。それを含めて上官に報告しないと)
彼らは必死に逃げながら、部隊の基地まで引き上げることが出来た。彼らは上司に面会すると、今遭った出来事について説明をした。
「なんと、敵同士で殺し合いか……。だが我々が狙われたことも事実だ。これでこの国と戦争ができる本格的な理由ができた。上部に知らせて、戦闘開始の命令を待とう」
こうしてこの国と国際部隊の戦争が開始した。
そんな危ない状況の中、一人山道を歩く少女の姿があった。
「三島君、無事ならいいんだけど」
そうつぶやいたのは那奈だった。
「私は三島君と一緒に『塩洸』を飲む。そして、ちゃんとした未来へと二人で歩んで行くんだ」
彼女は山の上部から、チラッと中腹を見た。下では沢山の銃弾が飛び交っているようで「パララッ、ドドンッ!」という音があらゆる方向から聞こえて来た。
「多分、国際部隊と特殊部隊との戦争が始まったのね。早く急がないと」
彼女は駆け足で『霊の社』の本部へと走って行った。