28章-1
七瀬はしばらく、目的地である山守高校野球部のグラウンドへと歩いていた。目的地に近づくとともに、同じ部活のメンバーの顔ぶれが見える様になった。
その何人かは必ずと言っていいほど七瀬をなじるが、今日に限っては誰一人として七瀬をなじる者はいなかった。
彼らは仲のいい友人と、ある噂でもちきりのようであった。
「緒方のやつ、ついに子ども出来たって。ヤバくね」
「知ってる。相手は女子陸上部のエースだろ。名前はたしか」
「滝野明日香だ。モデルとしてもスカウトされたって噂の美女」
「うわ、いろんな意味でヤバいだろ」
彼らは下品な笑い声をたてながら、グラウンドへと足を向けていた。そんな彼らと一緒にいたくなかった七瀬は、わざと足を遅らせ、皆よりも遅めにグラウンドに着く様にした。
誰もいなくなり、グラウンドももう少しで着く頃だった。
ドンッ!
と誰かにぶつかった。
七瀬は不機嫌そうに相手を見てみると、そこには噂の緒方が倒れていた。
「イテテッ。誰だよボーッとしてる奴は」
苛ついている彼は、相手が七瀬だと知ると、もっと不機嫌になってなじってきた。
「相生、おまえ何ぼさっとしてんだ。邪魔だ消えろ!」
七瀬は無表情のまま緒方を見ていた。それを見た緒方はさらに苛ついて七瀬に毒を吐いた。
「お前って何考えているのか訳わかんねえよ。いっつも不満そうな顔をして俺たちを見下しやがって」
それに対し七瀬はこう答えた。
「僕は皆を見下していません。ただ人の不遇を喜ぶ皆が嫌いなだけです」
聞いた緒方はさらに腹を立てた。
「ふざけんな、それを『見下す』ってことなんだろうが! いいよなお前は。健康で器量も良い、おまけに成績優秀で部活のエースだもんな。それなのに、無表情で不服な顔をしやがって」
「それって、幸せなんですか?」
七瀬の冷たい問いかけに、緒方のいらだちは最高潮に達した。
「いいに決まっているだろ! 俺から見たら健康なだけでありがたいんだよ。それなのにお前はずっっっと笑いもせずに無表情。愛想もクソもねえよ。なんでお前が健康で、おれが病気なんだよ、俺の体と変わって欲しいぐらいだ」
そこまで一気言った緒方に、七瀬は冷たい声でこう問うた。
「本当に、僕の体と変わりたいですか」
何かを感じた緒方は少しひるんだが、少ししてこう答えた。
「ああ本当だ。俺がお前なら、もっと楽しく生きられるはずだ」
七瀬は少し瞬きをした後、彼に対しこう答えた。
【嬉しいなあ、緒方先輩。僕も友達と笑えて、彼女がいて、自分の体を心配してくれる家族ができるんですね。僕のこの氷の牢獄ぐらい、喜んで差し上げますとも】
ニタリと笑った七瀬の顔は、七瀬ではない沢山の不気味な笑みになって緒方に襲いかかった。
【ははは嬉しいね】
【私一人じゃなくなるのね】
【俺は孤独じゃない】
【暖かいご飯が食べられる】
【笑ってくれる人ができる】
【もう冷たい土の中にいなくてもいい】
はははははははははははははははははははは
「ヤメロッ!」
気がつくと緒方は叫んでいた。その目の前には、相変わらず無表情な七瀬がただ、突っ立っていた。
「緒方先輩、どうしたのです」
こちらに向かって伸びてくる七瀬の手に、緒方はギョッとなり尻餅をついて後ずさりをした。
「もういい、俺はこのままで十分だ。それより滝野知らないか?」
「いいえ、僕は知りません」
「そうか。ならお前は用済みだ、さっさとここから立ち去れ」
そう緒方が言うか言わぬかの前に、さっさと七瀬はその場から離れていった。
そして七瀬が去ったのを確認した緒方は、滝野を探す為にまた立ち去っていった。