23章-3
中沢財閥新エネルギー製造部門では、国際部隊と警察との激しい抗争が行われていた。
警察側の現場指示の拠点にいた、山守警察の川崎本部長は、一つの懸念を常に抱えていた。
(もしこの抗争で負け『霊の社』の性的虐待の事実や、それにまつわる数々の悪行が世界にバレたなら、もうこの山守はおしまいだ。その為にも塩洸の秘密、そしてそれを手に入れた経路は絶対に漏れてはいけない。その為にも、鍵になる塩洸の残りかすを、国際部隊に見つからせてはいけないのだ)
こう考え抜いた川崎本部長は、ふとある計画を思いついた。
(幸運にも現場には山守署の警察だけしかいない。やるなら今だ。そのために泳がせていた手駒も用意してある)
彼は無線で部下の上野に連絡を入れた。
「上野君、今直ぐエネルギー製造機の裏にある、四番倉庫前に来てくれないか」
「はい、すぐ向かいます」
そう返事をした上野は、急いで四番倉庫まで走って行った。その間にも、国際部隊の縦断は、工場のあらゆるところで走っていた。
「ここね」
彼女が四番倉庫に着いた頃、川崎本部長はすでにそこで待っていた。
「上野君、早速だがこの四番倉庫の奥にある、塩洸のカスをこの銃で発砲して燃やしてくれないか?」
それを聞いた上野は、目を見開いて驚いた。
「そんな事をすれば、この工場は爆発して全てが吹き飛びます!」
「それでいいんだよ」
川崎本部長は目を鋭く光らせた。上野はそんな彼をみて、よろけそうになりながら後ずさりをした。
「一体なぜ……。工場にはまだ中沢の社員もいますし、仲間の警官だっています、それに」
「かまわん。消せ!」
本部長の命令に、上野は視界が白くなり目眩をおこした。
「いや……イヤッ!」
気がつくと彼女はそう叫び、その場から走り去ろうとした。だが川崎本部長はそれを許さない。彼は逃げる彼女の腕を掴んで引っぱった。
「痛いっ! 止めてっ」
嫌がる彼女の耳元で、本部長はこうささやいた。
「私は知っていたんだよ。コソコソ私に隠れて、君は裏切り者の有馬君に、この警察の情報を漏らしていたことを。そうした君の理由はただ一つ。彼への恋心だ。警察官だというのに、何とも不埒な女だねえっ」
川崎本部長は下衆な笑い声をたてて、上野をなじった。彼女は下品な男に自分の羞恥部をみられたような、恥ずかしさと屈辱で、顔が赤くなるのが分かった。
「課長まで出世した女性刑事の恋の相手。それはなんと、愛する家庭がある男。もう不倫と言ってもいいんじゃないかな。それをマスコミが嗅ぎ付けたらどうなるだろうねぇ」
上野は涙をぽろぽろと流した。
「やめてください、お願いします」
「止めないよ。君が四番倉庫の奥で発砲するまではね。それとも君、もっと屈辱的なことをされたいのかな」
川崎本部長は彼女の胸元の開いたシャツに、片手を突っ込んだ。
「ヒッ!」
「はっはっは、嫌だろう。なら今直ぐ四番倉庫奥の塩洸のカスを燃やせ。さあ、いますぐ!」
本部長は掴んでいた上野の腕を乱暴に離し、その反動で上野は足からペタンッと地面に叩き付けられた。
彼女は顔を青くしながら、かたかた震える手で銃を手にした。
(明子、有馬さん、ごめんなさい)
彼女は心でそう言いながら、なんと銃の先を自分のあごの下へと向けたのだ。
「まさか、上野君っ!」
そう川崎本部長が叫んだときだった。
“パンッ!”
と銃声が鳴り響き、シーンとその場が静まり返った。思わず目を閉じた川崎本部長が、おそるおそる目を開けると、そこには銃を落とした上野の姿があった。
「上野、馬鹿なまねはよせっ!」
そう怒鳴ったのは、遠くから銃を撃った有馬であった。彼は拳銃を使って、上野の銃を撃ち、見事彼女の自殺を食い止めたのだ。
呆然とする上野と川崎本部長の方に、有馬は走って来た。我に帰った川崎本部長は、急いで四番倉庫奥の方に走っていった。
「させるかっ!」
有馬は川崎本部長の足を狙って打った。球は見事命中し、川崎本部長を阻止することが出来た。
「クソッくそっ……」
彼は負傷した足を両手で持ちながら、地面をのたずり回った。
そこに走って来た有馬が現れた。
「有馬か……私をどうする気だ。まさか殺すのか」
川崎本部長は有馬をギロリと睨んだ。しかし有馬はただ静かにこう打ち明けた。
「川崎本部長。もう終わりにしましょう。山守の秘密は、もう秘密には出来なくなったのです」
それを聞いた川崎本部長は、悔し涙を流しながら、地面をもだえる他なかった。
「では私は、一体なんの為にここまで来たというのか……。自分を殺してまで一体……」
有馬は悲しそうな顔を彼に向けた。
「貴方の心はすでに殺されていたのですね。だから自分の命を差し出してまで、この山守の秘密を守ろうとした。その目的はただ一つ。死ぬ事で自分を解放することだ」
川崎本部長こと川崎満は、顔を青くしていき「うっつっ」と嗚咽を漏らした。
有馬は何も言わず、スッとその場から立ち去った。そして呆然と立ち尽くしている上野の方へと近づいた。
「大丈夫か上野」
「私の心配なんかしないでっ!」
彼女はギロリと有馬を睨みつけた。そんな彼女に驚いた彼は、半歩離れて彼女の顔を見つめた。
「どうしたんだ上野」
「私は怒っているのです。自分の危険を顧みず、私を助けてくれたことに……。そんなことされたら私、また貴方に期待してしまう……」
上野はいつの間にか泣きっ面になっていた。ぽろぽろ涙を流す彼女に有馬があぐねいていた時だ。
[うざいババァね]
そんな少女の声があたりを響いた。二人は声の主を捜したが、姿はどこにも見当たらない。
[馬鹿、どこ見てんのよ。私がいるのは放送室よ]
驚いている二人に声の主は答えた。
[待ってな。私が直々にババアに説教してやる]
少しすると、メイド服を来た美少女が奥の廊下から現れた。その場にあまりにも似つかわしくない格好に、二人はあっけに取られた。
「貴女は誰なの? それになんて格好なの」
上野の質問に、西宮は簡素に答えた。
「私はただのストーカー女よ。服装は色々あってこんなだけど、同類としてそこのおばさん、アンタに一つ教えてあげる」
年上からの上からの物言いに、年功序列に厳しい上野はカチンときていた。
「貴女、さっきから聞いていれば年上の女性に『ババァ』とか『おばさん』とか無礼よ。それに私を『ストーカーと同類』ですって? 侮辱するのもいい加減にしなさいっ!」
上野はものすごい剣幕で上野に怒鳴り込んだ。そんな彼女に有馬は引き気味に驚いていたが、当の西宮は動ずることなく、上野を冷めた目で見ていた。
「侮辱じゃない、本当のことよ。私から見ればアンタは年を取ったおばさん。そしてストーカー女なのも同じよ」
「おだまりっ! 私は犯罪者を捕まえる刑事よ。それ以上侮辱するなら、侮辱罪で訴えるわよ」
普通の人間ならば警察官である上野の口から『侮辱罪』などという裁判用語を聴けば、犯罪者にされると考えて慌てふためくだろうが、西宮はなんと
「ふふっ」
と不敵な笑みを浮かべ、こう説明をした。
「侮辱罪は事実を摘示しないで、公然と人を侮辱した場合に適応されるのよ。ここには定義上、公然となる場所じゃない」
西宮の予想以上の知識の豊富さに、上野はただただ目を丸くした。
「貴女、何者なの?」
「言ったでしょ、私はストーカー女。貴女と同類よ」
唖然とする上野に、西宮はため息をもらした。
「やっぱあんた自分が分かってないわね。じゃあ私が言ってあげる『愛する家族がいる男性のことが大好きな私、可哀想』これがアンタの本心」
上野は口をあんぐりさせて顔を赤くした。
「失礼なっ! いくらなんでも私はこんなこと思ってないわよ!」
「嘘つけっ! これが証拠だっ!」
西宮は手に持っていたスマートフォンで先ほどの有馬と上野の会話を流した。
[私は怒っているのです。自分の危険を顧みず、私を助けてくれたことに……。そんなことされたら私、また貴方に期待してしまう……]
「この言葉なに? 貴女、自分の気持ちをこの男のせいにしてるでしょ。この男はアンタが危険だったから助けただけ。それをアンタが勝手に『私のこと好きかも』って解釈して、それを男に押し付けているだけでしょ!」
ここまで自分の言動を説明された上野は、自分の裸の心を知られてしまった恥ずかしさで、顔を真っ赤にして、おもわず両手でふさいでしまった。
「それにさ、あんた自分の恋心さえ見下していない? 刑事だとか年上に従えだとか言って、世間の目ばっか気にしてない?」
図星をつかれた上野は、目をそらして黙り込んでしまった。
「私があんたに一番ムカついてるとこは、自分の気持ちに自分で責任もてない所よ。なんで自分の恋心を認めない、なんで人を愛する自分をほめてあげないのよっ! そういうところが私と同じだから、大っ嫌いっ!」
西宮の顔は怒りの表情そのものだったが、目にはぽろぽろと大粒の涙があふれていた。それを見た上野は、全てが終わったかのように呆然となり、力をなくしてペタンと地面に座り込んだ。
有馬をそんな二人のやり取りを見て、ただそこに立つ尽くすだけだった。そこに
「おおい、有馬サン大丈夫ですかーっ?」
とお気楽な声が聞こえてきた。有馬は声の方に振り返った。
「日内君。どうしてここに?」
「詳しい事情は後だ。それよりもうここを出よう。野口さんも社員の人たちを引き連れて、国際部隊の保護室へ行ったよ。そこでは皆、丁重に扱われて傷の手当もうけてる」
それを聞いた有馬はホッと安堵の表情をした。
「それは良かった。じゃあここにはもう用は無い。上野君、川崎本部長、工場から出ますよ」
有馬は上野の背中をぽんと軽く叩き、そして奥にいる川崎本部長に肩を貸そうと彼の前に座り込んだ。
だが川崎本部長は動こうとしない。
「有馬、足を負傷している私は皆の避難に邪魔だ。それより上野を連れてここから逃げろ」
不安そうな顔を向ける有馬に、川崎本部長は笑ってこう言った。
「安心しろ。中沢財閥から何かあった時用にシェルターの場所を教えてもらっている。直ぐ近くだし、私はそこに行く」
それを聞いた有馬は、少し心配しながらも彼の言葉を信じることにした。
「分かりました本部長。お気をつけて」
そう言って有馬は上野のもとに行くと、放心した彼女を肩に乗せ、日内と西宮とともに、新エネルギー部門製造部を後にした。
外に出た有馬達は、上野を警察本部へと送ると、日内たちと共に野口のいる国際部隊の救護室へと向かった。
「野口さん、ご無事で」
「有馬さんも、日内君も来てくれたんだね」
野口は有馬と日内の顔を見て顔をほころばせた。だがその中に一人、見た事がない顔があったので、不思議な面持ちで彼女を見つめた。
「この娘は?」
「そういえば、彼女の名前を聞いていなかったな」
有馬が思い出したようにそういうと、日内がこう答えた。
「こいつは西宮真理子。七瀬を誘拐した犯人だ」
それを聞いた有馬は思わず一歩下がり、野口ものけぞるように西宮から離れた。
そんな大人二人に対し、西宮は口に人差し指をあて、愛くるしい瞳をウィンクさせた。
「ふふっ。七瀬様にはふられちゃったけど、もう彼に未練はないから安心して。ところで野口さん、あなたにお話があるの」
七瀬誘拐犯からのいきなりの呼び出しに、野口は少し引きぎみな体制で西宮の方を向いた。
「何かな、話って」
「新エネルギーの塩洸のことよ。貴方、あれに『解毒作用』があるのはご存知かしら」
それを聞いた野口は冷や汗をたらした。
「それは……多少あるのは知っていた」
「多少ね……」
西宮は目を細くして野口を見つめた。
「その解毒作用、人によって威力が違うってのはご存知?」
野口は目を見開いた。
「それは初めて聞いた。君は何故そのことを知っている」
「私は小さい頃から塩洸中毒だったの。前は症状を『ヘイドリット』を飲んで押さえていたけど、金井さんの治癒能力で完全に回復できたの」
「『ヘイドリット』だって!? しかも金井君の能力で回復したということは……」
「そう、この土地には『ヘイドリット』と同じ成分が存在するの。それが」
西宮は工場に沢山咲いている、ある花を指差した。
「この地方特有の、藤の花よ」
その時、夜空にふわっと風が舞った。その風に乗って赤い藤の花びらと、花の甘くて惑わすような香りがそこにいた西宮の周りを舞い、そして野口、有馬、日内の鼻孔を甘美にくすぐった。
魔女の申告に面食らった野口は、顔を青くさせ足を振るわせた。
「なんて……なんてことだったんだ……」
愕然となっている彼に、有馬と日内は不思議そうに彼の顔を覗き込んだ。
そんな二人の瞳を見た野口は唖然となり、助けを乞うように周りにいたかつての同僚を見た。だが彼らはさらに野口を地獄に叩き付ける現実を教えただけだった。
「二人ともっ! 皆も、今直ぐこの町から、山守から出るんだっ!」
泣き叫ぶように声を上げる野口に、周りにいた誰もが不思議そうな視線を送った。
「野口さん、どうしたんだ?」
日内が眉をひそめて彼を見たときだった。
“バガァァァンッッ!!!”
と大きな爆発音があたりに響いた。
「爆音もとは、今までいた第四倉庫だっ!」
日内は驚愕の声をあげた。
「川崎本部長は、無事にシェルターに入れただろうか」
有馬のつぶやきを聞き、野口は顔を白くして振り返った。
「シェルターなんて無いよ。むしろこの工場自体にそういう設備は無いんだ」
今度は有馬が血相を変えた。
「では中沢は警察に嘘をついたというのかっ!」
そこに新エネルギー部門の製造部長が声をかけた。
「いいえ、私は確かにこの地図を本部長にお渡ししました」
彼から渡された地図の中に、シェルターなどどこにもないことが、有馬は見て取れた。その事実を知った彼は遠い目をして第四倉庫の方を眺めた。
「あの人は世間の波に飲まれたまま、自殺を選んだのか」
「違うわ。あの人は死ぬ以上に何かを守りたかった。それが唯一、自分であることを守った行動だったのよ」
西宮の瞳は川崎本部長と同様、神聖な泉の様にどこまでも透き通り、星のような命の煌めきが備わっていた。_
呆然とする男三人に、西宮とは別の方角から少女の声が聞こえた。
「西宮さーん、使えそうな資料を家から持って来たよ」
その声の主は那奈だった。彼女は剛を引き連れて皆の方へと歩いて来た。
「さすが中村ちゃん。行動が的確で早いわ」
「でしょ。まあ西宮さんの努力には負けるけど」
「ふふっ。お互い敵だと手強いけど、仲間だと心強いわね」
「言えてるっ」
ふふっと笑い合う少女二人は、なんだかんだで気が合っている様だ。
「皆さん、無事でしたか」
そう声をかけたのは、那奈に付き添っていた剛だった。
「君は?」
野口の質問に剛はにかっと笑って答えた。
「俺は正田組の下田剛だ。前の組長からの縁もあって、須藤さんに協力することを決めた。よろしくな」
大柄で筋肉質、しかも色黒の出で立ちは一見怖いものがあるが、それ以上に彼の笑顔には人としての温かさが備わっているように見えた。
野口は剛に手を差し伸べ、固い握手を交わした。
「よろしく下田君」
同じく有馬も彼に手を差し伸べた。
「協力感謝する」
剛は有馬の握手にも快く握り返した。
「いいってことよ」
大人三人、高校生三人になった面子は、とりあえず中沢の工場を離れることにした。
日内に代わり剛の運転する車に皆乗り込むと、そのまま須藤の家へと車を走らせた。
それを遠くから一人の女性が見ていた。
「野口さん、貴方も気がついてしまったのね」
彼女は美しい金髪を、遠くにある炎から上がる風になびかせていた。風は彼女の髪だけではなく、工場に沢山咲いていた、この地方独特の大きな赤い藤の花びらも、まるで火の粉のように夜空に舞い上がらせていた。
その赤が舞う中で、彼女は言う。
「山守の秘密。すなわち世界の終わりに」
その瞬間赤く染まった夕刻の世界は、空間を切った様に止まった。風が止まったのだ。
だが直ぐに、今までに無いほどの強風が山守の町に吹き荒れた。
それを確認した金髪の美女こと、リア・ロージャスは、風が吹きすさぶその町を、振り切る様にして去って行った。