17章-2
美和と川崎誠が初めて面会したのは、料亭での会席の場であった。
名義の両親である親戚の青木夫妻に連れられて行った料亭の席には、既に川崎誠が座していた。
「ようこそ、よくぞいらしてくれました」
そう言って笑顔で迎える誠に、青木夫妻も
「こちらこそ、このような席をご用意いただき、ありがとうございます」
とお礼を述べた。
そして右も左も分からず戸惑う美和に、青木夫人が席へ座る様、彼女を促した。
「美和ちゃんはここよ」
そう言う婦人が指示した席は、誠と対面に座する中央の席だった。戸惑う美和に、青木の主人も彼女にこう説明をした。
「今日は美和ちゃんが主役だよ」
その言葉に、誠も多いに賛同してこう言った。
「そうだとも。今日は私の願いを聞き入れてくれた上、わざわざ出向いてくれたんだ。こんなに有り難いことは無いよ」
その言葉を聞いた美和は、やっと納得したかのように、促された中央の席に正座をして座った。
それを確認した青木夫婦もそれぞれの席に座り、こうして面会の席は進められることとなった。
「今日は私の願いを聞き入れてくれ、この場に参加してくれたことに深い感謝を述べます。そして改めまして、自己紹介を。私は川崎不動産会長の川崎誠です」
誠の挨拶を皮切りに、青木夫妻も自己紹介をし、美和も清楚なお嬢さんらしく品よく自己紹介をした。
「青木美和です。山守高校の二年生です」
こうして自己紹介が終わったころ、昼食である会席料理が次々と運ばれて来た。
「わずかばかりですが会席料理を準備しましので、思う存分味わって下さい」
そう言う誠の言葉とは裏腹に、どの料理も高級な食材を生かした美味なものばかりであった。青木夫妻も美和も、滅多にお目にかかれない美食の数々に、満足しながら品鼓をうった。
その中で、誠は青木夫妻と談笑していた。誠の話しでは美和との母との出会いを
「昔遊んだ幼なじみだったが、大人になって仕事上で再会することとなった。このときお互い異性として引かれ合い、関係を結んだ」
と説明をし、お互い別の人と結婚したことも
「それぞれの両親の意向にそって、私が結婚していたこともあり、不本意ながらも別の道を歩む事になった」
と非常に都合のいい解釈を、いかにもという体で青木夫妻に説明をした。青木夫妻は、後藤夫婦から美咲と誠の関係を一切聞かされていなかったため、すっかり誠の話しを信じ込んでしまった。
「そして先日、妻との間に出来た娘が亡くなりまして……。私達は娘の死の悲しさもあって、娘のことでお互いにいがみ合う様になりました。でもある日、妻から『いがみ合う私達を娘は望んでない。これを機会に離婚して、お互いに頭を冷やしましょう』と言われたのです。
そこでやっと私は、父親として不甲斐ない自分を知りました。
でも丁度その頃、私の部下がたまたま美和さんの存在を知り、私に教えてくれたのです。最初は美和さんに会う事を迷いました。だって私は父親失格者ですから。でも気持ちは会いたかった。そんな私に、親族達はこう助言してくれたのです。
『一目だけ見てくればいい』
と。この席を用意したのも、基はと言えば私の我が侭なのです。でもそんな我が侭を美和さんも、青木さんも了承して下さるなんて……」
誠は最後には、涙声で訴える様に言葉を口にした。
それを見た青木夫妻は、ついつい同情の涙を流し、会席の空間は湿っぽい空気に包まれてしまった。
その空気の中で、美和は当然のようにこんな言葉を吐いた。
「我が侭だなんてそんなこと無いです。親が子どもに会いたいのは私、普通のことだと思います」
その美和の言葉に、誠は驚いたように涙を止めた。そんな彼に美和は、とどめをさす『嘘』をついた。
「それに私、川崎さんの娘の美雪とは、学校で一番の仲良しだったの。美雪言ってたわ。『私のお父さんは世界一』だって。娘がそう言うのだから、川崎さんは絶対にいいお父さんだったはずよ」
その言葉を聴いた誠は、声を殺すように泣き崩れた。
「私は……世界一幸せな父です……。なのに娘を助けてやれなかった」
悲痛にもらす誠の言葉に、美和は周りの空気に流されるかのように、こんな提案を出した。
「それは私も同じ。親友なのに、美雪を助けられなかった。だからせめて私、美雪のお父さんの助けになりたい。彼女への罪滅ぼしみたいになるけど、私、美雪が大好きだったお父さんを近くで支えたいの」
美和はそう言った後、青木夫妻の方をチラと見て、小声で
「いいかな」
と、二人に尋ねた。もちろん青木夫妻は
「いいよ」
「寂しくはなるけど、美和ちゃんの決めた事を応援するわ」
と快く了承してくれた。
それを聴いた誠は、神様が目の前に来たかのように伏せていた顔を上げ、目を大きく見開いて驚いた。そして目の前にいる美和に焦点を当て、女神にすがるかのごとく彼女の瞳を見つめた。
そんな誠に、美和は優しい笑顔で答えた。
「私、正式に川崎さんの娘になりたい。美雪の分も親孝行させて欲しいの」
それを聴いた誠は、感無量になり泣き崩れ、何度も美和と青木夫妻に
「ありがとう」
と礼を述べた。
その会席の場は、一見はとても温かな気持ちに包まれていた。青木夫妻はその空気を素直に受け取り、父娘の再出発を祝福したが、美和の心の内はそうではなかった。
(誠の懐に飛び込めた。此れからが正念場だわ)
彼女は笑顔の裏でひっそりと、母の敵である誠の殺害に決心を固めた。
昼の会食を終えた四人は料亭を出た後、それぞれ別の場所へと移動となった。青木夫妻は、美和が川崎家の養子になる報告をしに、親族の家へと向かった。
そして美和と誠は、誠の提案で『親子水入らず』のティータイムを楽しむべく、彼の経営する高級ホテルへと向かった。
ホテルに入った二人を迎えたのは、ホテルの従業員達による歓迎の列であった。
「いらっしゃいませオーナー」
そう言って深々と頭を下げる従業員の様子は、まるで王様を迎える従者達の様であった。その中を誠はさも当たり前のように
「ご苦労様」
と笑顔で彼らに労いの言葉をかけ、堂々とその列の中を歩いて行った。その姿を見ながら美和もまた、自分がお姫様になったかの様な感覚に陥った。
(川崎家に入ったら、こんなお嬢様扱いを受けるんだ)
庶民暮らしの美和にとって、これらの扱いは新鮮でとても嬉しいものであった。
二人が案内されたのは、このホテルで一番のスイートルームだった。その部屋の広さと高級感に、美和は思わず目がくらんだ。
「凄い……」
そう言う彼女に、誠は笑顔でこう言った。
「気に入ってくれたかい」
「ええ。とっても」
美和は本心から笑顔でそう答えた。そんな彼女を見て、誠は満足そうに目を細めた。
「そう言ってくれて嬉しいよ。あとこれも気に入ってくれるかな」
誠はそう言いながら、壁にあるスイッチを押した。
“ガタン”
と小さな音がしたと思ったら、気が付くと部屋の壁が一面大きな窓ガラスとなった。その窓からは山守の町が一望出来た。
「わあっ。景色がきれい」
美和は有頂天になって喜んだ。そんな彼女を誠はエスコートしながら、景色のいいバルコニーへと案内した。
そこには既に豪華なアフタヌーンティーセットが用意されており、側には従者の様にホテルマンが立っていた。
数々の豪華な扱いを受け、呆然と立ち尽くす美和に、誠は優しく声をかけた。
「どうぞお姫様」
誠はそう言いながら、座り心地の良さそうな椅子を後ろに引き、美和に座る様うながした。
「ありがとうございます」
美和は品のいい、控えめな声を出してその座席に座った。椅子の座り心地は、彼女の座ったどんなソファーや椅子より素晴らしいものであった。
(本当に私、お姫様になったのかな)
この頃には、美和はかつて味わったことのないお姫様気分に、有頂天になっていた。
そんな彼女を誠は一瞬だが、じとりとした獣の目で見つめていた。だが人生経験の浅い美和はすっかり誠の術中にはまり、彼の危険な眼差しに気付かなかった。
その後、美和と誠はゆったりした空気の中で、それぞれの経歴などを話し合った。誠の会話は非常に巧みで、美和はすっかり警戒心を解いて誠の話しを聞き、自分の事もある程度ぺらぺらとしゃべってしまっていた。
ある程度話しが切り上がったところで、誠は美和にこんな提案をした。
「実はね、このスイートルームには『特別な仕掛け』があるんだ。その仕掛けを美和にも是非見て欲しいんだ」
いたずらっ子のようにはにかむ誠に、美和は何の警戒心も持たず
「うん、是非見たい」
と無邪気に答えた。その時の彼女はただ単に
(今度はどんな豪華な接待があるのかな)
と考えているだけだった。
誠はホテルマンに部屋を出る様指示し、スイートルームには美和と誠の二人だけになった。
誠は美和を部屋の中にある別室へと案内した。その部屋の中は大理石風の壁が全体を覆っており、部屋の真ん中にベッドにもなりそうな大きなL字型ソファーと、机がぽつんとあるだけだった。
不思議そうに部屋を眺める美和に、誠は声をかけた。
「真ん中のソファーに座ってごらん」
美和は誠に促されるまま、ソファーに座った。その次の瞬間、ぱっと部屋が暗くなると、壁一面に青くて美しい星々が輝き始めた。
幻想的なその光景に、美和はうっとりしながら周りを見渡した。
「綺麗……」
そんな彼女の隣に誠はゆっくりと腰を下ろし、穏やかな声で説明をした。
「ここの部屋の石は『塩洸』を使っているんだよ。塩洸は新エネルギーの原料でね、塩水を浴びるとこうやって光る性質があるんだ」
そう言われて改めて美和は部屋を見回した。天井には石の下を覆う様にアクリル板が張られて水が流れており、そのアクリル板を伝って、側面にも水の滝が流れ込んでいた。
じゃばじゃばと流れる一面水の音に隠れるように、誠は音も無く美和に抱きついた。
「キャッ! 何するのっ!」
嫌がる美和に、誠は力ずくで彼女を押し倒した。
「美雪の代わりをしてくれるのだろ。だったら私を慰めてくれ」
「え?」
顔を青白くさせる美和を説き伏せるように、誠は必死で言葉を並べた。
「美雪に変わってお前は贅沢したいのだろ。なにしろ美雪が『私のお父さんは世界一』って言ったと、嘘まで付いたのだからな。お前の話しぶりからして、美雪を良い様に思ってないのはお見通しだ」
それを聞いた美和は、みるみるうちに顔を青くさせた。
(バレたの? 私の企みが、美雪の殺害がバレたって言うの?)
だが誠はそこまでは深く読み取っていなかった。
「大丈夫だ。お前の目的が金や権力あれどうでもいい。私の要望に答えてくれればいいのだ」
誠はそう言うと、美和の着ていたワンピースを無理矢理引きちぎった。
「止めて、ヤメテッ!」
泣き叫ぶ美和に、誠は下品な笑いを浮かべてこう言った。
「大丈夫、最初は美雪も嫌がっていたが、すぐに素直になってくれた。美和も素直になってくれれば、いくらでも贅沢させてやるからな」
美和は力ずくで誠を押しのけようとしたが、力が入らなかった。どうやら先ほどまで飲んでいた紅茶に、なにか仕掛けを入れられていたようであった。
そんな非力な少女の力では、到底大の男に逆らう事は出来ず、美和は誠にいいように身体を使われた。
その間、美和は体中が汚されて、傷ついていくのがありありと感じた。汚い男のせいで自分の身体が壊れ、めちゃくちゃにされていく中で、心の奥の絶望とともに、美雪の悲しい瞳を思い出した。
『私を殺したって、自分の苦しみは取り除けないのよ』
美和は、この言葉に隠された美雪の悲しみを、今知ったのだ。
そう、美雪はお嬢様なんかじゃない。彼女の正体は『魂を殺された』哀れな女だったのだ。
だが不幸なことに、美雪の言いたかった本当の意味を、美和はまだ知らずにいた。
事を終えた誠は、満足そうにしてスイートルームを後にした。美和はしばし呆然としていたが、気が付くとホテルから外に出ており、人が居ない裏路地をとぼとぼと彷徨い歩いていた。
(どうやって出て行ったんだっけ……。そうだ、お風呂入って綺麗にしなきゃ。身体、汚くなったし……)
そう思った美和は、多分外にでているであろう同居人の稲月に電話を入れた。
[どうした]
彼の声を聞いた美和は、いつの間にか大きな涙を落としていた。
[何があった]
「……ごめん、稲月さん……今直ぐ私のマンションに帰って、お風呂の準備してくれない……」
平静を保って言いたいのに、声が震えて上手く言えなかった。
[今どこにいる、直ぐに向かう!]
美和は出来るだけ稲月に心配をかけさせたくなかった。彼に心配をかけさせるのは、死んだ弟の聡に心配をかけさせるようにも感じ、心が痛んだ。
「いいから、心配しないで……。一人で大丈夫、だから……」
本当はもっときちんと言いたい。でも今の彼女にとってこれが精一杯の強がりの言葉だった。
(お願い、気付かないで)
そう願う美和の耳に、稲月の声が返ってきた。
[待っていろ]
ただそう言われた美和は、しばらく近くにあった建物の影に隠れて座り込んだ。
(ここ、今までいたホテルの裏側だ)
ぼんやりそう思っていた処に、一人の人影が見えた。
「美和……」
「稲月さん、なんでここに」
美和は不思議そうに、顔を青くさせる稲月を見上げた。
「美和、これは、まさか……」
稲月は恐る恐る美和に近付くと、座り込みながら震える手で美和の両肩に手を当てた。今の彼女の外見は、着ていたワンピースはボロボロにされ、そこから見える幾つもの痣が、彼女が男に襲われたことを物語っていた。
美和は気丈に振る舞って、何かを言いたかった。しかし口から出て来たのは、声にならない嗚咽だった。そしてやっと
「ごめんね……心配かけてごめんね」
と涙と嗚咽と共に謝罪の言葉を口にした。
稲月は必死で頭を横に振った。それを見た美和は、堰を切ったようにわあわあと泣きわめいた。彼はそんな彼女を必死で庇う様に、いつのまにか彼女の顔を胸元にうずめさした。
優しい行動とは裏に、胸の中ではかつて無いほどの『殺意』を覚えた。それは自分はどうなってもいいと思える程の、胸が焼ける程の激しい灼熱だった。
気が付くと周りは暗くなっており、ぽつりぽつりと大粒の雨が落ちて、いつの間にか大粒の雨がザァザァと降り注いでいた。
その大きな雨音に隠れるかのように、美和の悲痛な喚き声も夜の闇にかき消された。ただ、稲月の鋭い目が、闇夜の中にギラリと強く光った。
しばらくしただろうか、夜の夕立は小粒の雨となり静かになったが、代わりに雷が不穏にゴロゴロと鳴る様になった。
その中で美和は、稲月の胸元に顔を埋めたまま、静かにこうつぶやいた。
「そうよ、私、死ぬ覚悟で復讐するつもりだったの、すっかり忘れてた」
そう言って顔を上げた美和の表情は、冷静ながらも激しい殺気が漂っていた。
「そんなに欲しいなら、くれてやる。私の身体の一つぐらい。その代り、川崎誠を骨の髄までしゃぶりつくして、とことん利用してやる!」
美和は激しい怒りを込めて拳を握りしめた。
彼女の決意を聞いた稲月は、静かに美和にこう言った。
「俺も協力してやるから、だから……」
「ありがとう、そう言ってくれて。貴方の分け前も存分に用意してあげる」
そう言って美和は少し笑って、稲月の手を優しく握った。
(だから……この手を失いたく無い)
そう思った彼は、心の中でこう決意した。
(全てを犠牲にしても、美和を助ける)
こうして二人は、暗い闇夜を歩く決意をした。そこには多分、明るい未来は無いだろう。彼らに灯っていたわずかな良心は先ほどの雨に流され、怒りの轟だけが二人の心にこだました。