3章-3
次の日、松田は佐渡と一緒に例の少年草野球チームの試合を見に行っていた。
彼らの試合の相手は強豪で有名な少年野球チームで、そこには有名な監督やコーチもついていた。
当然草野球チームが負けると誰しも思った。
しかし試合は互いに甲乙付けがたい好プレーで、両チームとも全力を出し切ったものだった。
激戦の末に草野球のチームは負けてしまっが
「おまえ達すげーや!」
「試合楽しかったぜ」
「また試合しようぜ!」
と強豪の相手チームの少年達は草野球チームの少年達を讃えた。
悔し泣きをしていた草野球チームのメンバーも
「おう!次こそは勝ってやる!」
「もっと凄い戦略を見せるからな」
と笑顔で言い、お互い手を取り合って固い握手をした。
それを見た松田は、涙目をごまかしながら笑顔になってこう思った。
(やっぱり野球はこういうのがあるから良いんだ。試合を通じてお互いを分かち合うから楽しいんだ)
しかしいつ頃だったか。
松田はそんな事よりも試合に勝つ事の方に重きを置いてしまっていた。
(俺はいつの間にか、大事な事を忘れていたのかもしれない)
「…私は、本当の野球の楽しさを、忘れていたのかも知れんな」
声の方を見れば、そこには寂しそうに笑う佐渡の顔があった。
「俺も、同じ事を考えてました」
松田がそういうと佐渡は「そうか」とうなずいた。
二人はしばらく少年達の輝かしい笑顔を見つめていた。
少年達を労い分かれた後、佐渡と松田はチェーン形式のコーヒーショップに来た。
佐渡は松田に尋ねた。
「直人君も野球をしていたのかね?」
「ええ。小中高とずっと野球をしていました」
「そうか。君のお父さんの東瀬戸君も野球をしていたよ」
「そうですか。父もですか」
そう話しながら二人は注文したコーヒーをカウンターで受け取り、空いていた席に着いて座った。
佐渡老人が松田を『東』と勘違いしたのは、松田の予想どおり彼の特徴ある声だった。
松田はそこを利用して『東の息子』と偽り、佐渡に取り入ったのだ。
(世の中、俺と同じ声の人物がいるんだな)
松田は自分と同じ声の人物なんていない。と思っていたものだから、その同質の声の人物が存在した事自体にとても驚いた。
そしてその『声』が、七瀬のウワサを利用した「黒幕おどし」の証言者を引き寄せたのだ。
現実は小説よりも奇なり、という言葉が、まさに当てはまっている。
松田は佐渡に怪しまれないよう、『東』という人物をだしに話を展開した。
「父はポジションはどこでしたか?俺には一切野球の話はしてくれなかったもので、興味があります」
「東君は投手をしていたよ。高速球のストレートが、彼の武器だった」
佐渡は楽しそうに東との思い出話をした。
佐渡の話をまとめると、佐渡は昔プロの野球選手をしていた。
しかし建設事故に巻き込まれ、足に大怪我をしてしまう。
そのせいで杖をついてでしか歩けなくなってしまった。
佐渡はプロ野球引退を余儀なくされた。
失意の底にあった佐渡は各地をさまよい、最後に山守の大きな崖にたどり着いた。
そこから彼は身を投げて自殺しようとした。
その時にちょうど「霊の社」の信者が通り過ぎ、自殺しようとした佐渡を説得した。
その信者はとてもいい人で、彼は悲しむ佐渡に寄り添って面倒をみてくれた。
佐渡はそんな彼を見て「霊の社」の教えに興味を持ち、ついには信者になって教団のPR職員になった。
助けてくれた信者はその後、半年もしないうちに老衰で帰らぬ人になった。
佐渡はその彼に感謝するように、より一層教団の仕事に力を入れた。
その頃の世間は、前の戦争のせいで職を失った人々があふれていた。
政府は彼らを救済する制作である「大型建設事業」に力を入れていた。
山守も例にもれず、その救済政策である「山守ダム建設」の話が上がった。
佐渡が「東瀬戸」と会ったのはその時である。
「東君の家族は山守ダムの建設に反対だった。それに対し『霊の社』はダム建設賛成派だったのだ。教団は反対をする東家を説得するという意味で、私を東瀬戸に近づけさせた。東君も高校野球をしていたので『元プロ野球選手である私の話なら耳を傾け、家族を説得するだろう』という魂胆があったのだろう」
そこから佐渡と東の交流が始まった。
東は投手として優れた技能を持っていた。
彼の技術を目のあたしにした佐渡は、一生懸命になって東に野球のノウハウを教えた。
そして佐渡はいつしか
「東君をプロの野球選手に育てたい」
と願う様になった。
しかしそんな楽しい日々は長くは続かなかった。
「ここからは他人にあまり聞かれたくない話になる。この話は『霊の社』の秘密に触れてしまうからな。ここではまずいので、場所を移そう」
コーヒーショップを出た二人は佐渡老人の提案で、山守ダムが見える小さな公園に足を伸ばした。
「ここならいいだろう」
そういった佐渡に松田は答えた。
「はい。ここは藤平の外れの海側になります。このあたりは『霊の社』の信者も少ないです」
佐渡は山の上に小さく見える山守ダムを見ながら、話の続きをした。
………………………
ある日の事だ。
佐渡は「霊の社」の幹部に呼ばれ、教団施設の奥の奥に案内された。
そしてさらに奥に入った洞窟に案内された佐渡は、あるものを見た。
中央には何かの儀式の生け贄に使う台が置かれてあり、そこに誰かが横になり寝かされている様であった。
その人物を見た佐渡は驚いた。
「……東君!?」
それは、薬で眠らされたらしい東瀬戸であった。
「コレは一体どういうことだ?」
混乱する佐渡に、幹部はこう答えた。
「これは『儀式』ですよ」
「儀式?」
いぶかしそうな顔をする佐渡に、幹部はこう答えた。
「そうです。昔子どもの心臓を捧げる事で、山守の安泰を祈願した『神へ捧げる儀式』です。今山守は『ダム建設賛成派』と『ダム建設反対派』の二つに分かれて争っています。賛成派も反対派も一緒に儀式に参加する事によって、山守は一体になり平和が保たれるのです」
それをきいた佐渡は激怒した。
「まさか、東君の心臓を捧げるために、彼を殺す気か!」
幹部は首を横に振りこういった。
「いいえ。今の時代にそんな事をすれば殺人犯になってしまいます。儀式に使うのは彼の『魂』です」
「たましい?」
「そうです。彼の『魂』すなわち『生きて行く上での自尊心』を天に返すのです」
「それはどういう事だ?」
「ここまで言っても気づかないのですか。分かりました。説明しましょう」
幹部は東の来ていた着物を少しずらし、下腹部にすっと手を伸ばして体をさすった。
「こうやって無理矢理に性的興奮状態にさせ、面前でエクスタシーを起こすのです。こうすれば彼の『自尊心』すなわち『魂』は体から離れていき、天へと帰っていくのです」
そのあまりにおぞましい『儀式』の内容をきいた佐渡は、背筋が凍り付くほどの激しい吐き気に襲われた。
幹部はそんな佐渡に悪魔の誘いを促す。
「安心したまえ。東君も『皆が平和になるなら』と、この儀式の役目を了承してくれたよ。君もこの儀式に参加し、山守の平和を祈りたまえ」
佐渡は目の前が真っ暗になり、呆然としていた。
そんな彼を見た幹部も
「まあ、慌てることは無い。心が決まったら私に伝えればいい」
と言い残すと、洞窟を去って行った。
佐渡はしばらく台の上に寝ていた東を見ていた。
その時
「ううっ」
と、小さなうめき声を上た東が、ぼんやりと目を覚ました。
台に駆け寄った佐渡は
「大丈夫かい?東君!」
と血相を変えて東の顔を見た。
「ええ。大した事はありません…」
そういう彼を見た佐渡は胸が張り裂けそうになった。
東は多分「霊の社」の幹部達に脅迫をされ、こんな酷い役目を背負わされたのであろう。
純粋な彼は「山守の平和のために」と考え、自分の尊厳を捧げたのだ。
こんな純粋な少年を傷つけることなんて佐渡には出来なかった。
「東君、ここから逃げるんだ」
それを聞いた東は血相を変えた。
「やめて下さい!これは僕が選択した事です。佐渡さんこそ、儀式が嫌なのであればあの幹部に伝えてください」
「嫌だ!君をこんな酷い目には合わせたく無い。君は僕の夢だ。逃げ出して君はプロの野球選手になるんだ!」
佐渡は涙をこらえる様に、肩を振るわせながら叫んだ。
そんな佐渡に東はそっと手を差し伸べた。
「いいのですよ。佐渡さん。僕の野球人生は、あなたに教えられたことで十分に満足しています。そんなあなただからこそ、僕はこの儀式にあなたを呼んだのです。佐渡さんが相手なら、僕は全然大丈夫なんです」
佐渡は東の手を握り、決心をした。
彼はそのまま東の手を引っ張ると、力ずくで洞窟の奥の隠し扉に東を押し込めた。
隠し扉は外に繋がっており、佐渡は必死に東を逃がそうとした。
「佐渡さん!やめてください!」
叫ぶ東に佐渡は
「私の事はいい!君は外に出て生き抜くんだ!」
といい、嫌がる東を洞窟の外に出して隠し扉を閉めた。
しばらく東が扉を叩く音がしたが、彼は諦めたのであろう。
少しして去って行く足音が聞こえた。それはだんだん小さくなり、ついに消えていった。
その後、あの幹部が佐渡の様子を見に洞窟に入ってきた。
佐渡は全ての事情を話し幹部の叱咤を覚悟した。が、
「そうか…そういうことなら分かった。疲れたであろう。この茶を飲んで今日は施設に泊まるといい」
と幹部は佐渡に、温かい茶を一杯勧めた。
「申し訳ありません…」
佐渡はそういって茶を口に含んだ後、意識がもうろうとなった。
………………………
その後の佐渡は、まるで夢遊病にかかった様に「霊の社」の裏の仕事に手を染めた。
そんな日々が続いたある日、誰かが佐渡に対抗し、電気ショックの攻撃を仕掛けた。
その衝撃で佐渡は夢遊病が解けたらしく、ふと我に返った。
自我が戻った佐渡は「霊の社」から逃げる様に、山守やその周辺を点々をした。
それはもし東が山守に帰って来たら、彼を助けてあげたいと願っての事だった。
そんな日々を過ごしていたときに、松田の詐欺の電話がかかってきたのだ。
「あの時は本当にびっくりしたよ。しかも息子にまで会えるなんて。人生とは何が起こるか分からんな」
佐渡の言葉に、松田は返事をした。
「はい。あのときに頂いたお金で、父は助かったと言っております。本当にありがとうございます」
佐渡の解釈とは別物だが。
事実。本当の松田の父は、松田の出世のおかげでなんとか暮らせる様になったのだ。
このお礼は松田の心からの感謝には間違いなかった。
「そうか。それは良かった。しかし君の声は本当にお父さんにそっくりだね」
「ははは。よく言われます」
松田はこの件に関しては言葉を濁した。
実はこの声は松田の母方の祖父の声にそっくりらしい。
死んだ母の旧姓も「東」だったのを思い出した。
(もしかしたら東瀬戸の親族なのもあながち間違いでは無いのかもしれない)
松田はついそう思ってしまった。
「そうだ!こう悠長なことをしている時ではなかった。この儀式のことなのですが、実は外部に漏れそうなのです」
松田は真剣な顔になって、佐渡に忠告した。
「それは本当かい!」
佐渡は驚いて松田を見ており、松田はさらに不安をかき立てる様にこう続けた。
「はい。やつらは『儀式』の証拠を集めていてそれをダシに『霊の社』を脅し、金品を巻き上げようとしているのです。父はやつらに見つかってしまい、母が人質にとられたせいもあって彼らに証言をしてしまったのです」
それを聞いた佐渡は青ざめた。
「その、脅している者は何者だね」
「『阿修羅』という半グレ集団です」
「半グレ集団だと!私が初めて耳にする言葉だ」
「そうでしょう。彼らは最新のネットワークとビジネスを基盤とした裏組織で、いわばヤクザの最新版です」
「そんな恐ろしい組織に狙われていたとは…」
「父は母が人質に取られたショックと、交通事故の心労が重なって寝込んでしまいました。俺は父の力になろうと『証拠』を持っている人間を助けるために『阿修羅』にもぐりこみ、彼らより先に証拠を手に入れるよう奔走しているのです」
もし佐渡がどこかで松田が『阿修羅』と行動を共にしているのを見た時のために、松田はあらかじめ布石をたてておいた。
そして佐渡は松田の話しを信じ込んでしまい、ある人物の名を漏らした。
「それなら『金井』が危険だ。彼は元幹部で、儀式の時に小型カメラを持って行くのを見た事がある。ぼんやり覚えている噂だがあいつは『少児性愛』ともいわれておった。もしかしたら儀式の様子を写真に収めているのかも知れん」
「なら『金井』さんが危険です。直ぐにでも見つけ出して保護をしないと『阿修羅』に捕まって拉致されてしまいす!」
「大変だ!直人君、すぐに『金井』を助けてくれ。彼の住所を教えるから、私に付いて来てくれ」
佐渡はそういって松田とともに現在の住まいに行った。
そこはかなり古い小さな平屋の一軒家であった。
佐渡は居間にあった小さな机から、昔の「霊の社」教団幹部の住所録を取り出して松田に渡した。
「この住所録は十年以上前のものだ。古くて申し訳ないのだが、私が今持っている金井の情報はこれだけだ」
「有り難うございます。必ず金井さんを助け出します」
そう言って佐渡の家を出て行く松田に、佐渡は
「ああ。奴は悪人では無い。必ず助け出してくれ」
と声をかけ、松田を見送った。
松田はただ黙って、血のような茜に染まった空の下を黙々と歩いて行った。
「……佐渡さんはもう見えないな……よし」
松田はケータイを取り出し、部下に何かを命令した。
『ピッ』
ケータイを切ると爽やかな好青年を装っていた松田は、悪人の本性を剥き出す様にニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
「待っていろよ『金井』お前を見つけて、証拠をあぶり出してやる」
クククっと笑ったその顔は、佐渡に「守る」と言った事とは真逆の「奪う」者への表情に変貌していった。