赤眼と紅月
俺は吸血鬼だ。
これを聞いたものは老若男女問わず直に逃げ出して仕舞う。
この世界では吸血鬼は恐れられる存在であり、忌み嫌われる存在ですらあるのだ。
何時からその風習があるのか分からない。だが俺が物心つく頃にはとっくにそういう扱いを受けていた。
だから後ろ指をさされるのも石を投げつけられるのも慣れ切っている。
俺は、そういう幼年時代を過ごした。
つまるところ、俺は逃げるようにして育て親の元を離れた。
肩身の狭い思いで暮らすのが嫌だったのかもしれないし、ただ反抗期をこじらせただけかもしれないが、ともかく俺は一人、放浪の旅に出ることにした。
そして今に至る。
前置きが長くなったが、俺は、各地を転々としながらその地で人々の生き血を吸って生活している。吸血鬼は血さえあれば、肉もいらない、野菜も食わない、水だって飲まないで生きていられる。寝床がない分、もともとの生活よりは多少酷くなったかもしれないが、束縛のない暮らしができるという面においてはいいものだろう。
故郷を離れてから20日余が過ぎた。
もうそのくらいの日々も経ってしまうと、不思議と寂しさも虚無感も感じなくなる。単にこの生活に慣れただけだろうが、この慣れというのも案外寂しいものである。
俺はこの旅で2つの都市を経た。
そこで俺は今まで見たことも聞いたことも無かったものを多く目にした。それは自然であったり、或いは人間の作り出した産物でもあったりしたが、俺が過ごしていた世界はごく狭かったのだということを教えてくれた。
そして何よりも人々が優しかった。
俺が過ごしていた地域では、俺たち家族が吸血鬼であることは周知の事実であったし、その為何度も謗られ、蔑まれ、酷い人間は俺たちの住居を焼き払ったりした。俺は生まれながらに人間の悪意ばかりを見て悪意ばかりを吸収して育ったのだ。
だが、俺は牙を隠してさえいれば、そんな扱いを受けることはなかった。ある者は、俺が旅人だと聞けば食事をおごってくれ、又ある者は、俺が今日泊まる宿がないと聞けば毛布を貸してくれた。俺は感動した。それが、吸血鬼の俺ではなく一人の人間に向けられた善意だとしても。
2つ目の都市の滞在を終えてから俺は日記をつけることにした。
俺の旅と、その思い出を記録するためだ。
人生は旅だ、と誰かが嘯いたそうだが、全くその通りだと今になって思う。
吸血鬼に生まれ、その無駄に長い寿命を使い果たして死ぬだけだ、と思っていた人生だ。
その人生に新たな価値観を与えてくれた。楽しみを与えてくれた。
ただその人生観を描きたいと思っただけだ。
これはあるひとりの吸血鬼の物語である。