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ベロニカ・ベルドットはクロッシェン国の端っこに領地を持つ辺境伯の三女である。

そんな風に鏡を見つめながら思い返すベロニカは、昨日までのベロニカではなかった。

ライトノベルや携帯小説にありがちな展開で笑えてくるが、侍女のリリアンに胸を締め付けられてる最中に思い出したのである。前世の記憶というヤツを。

「いい具合に混じり合ってるっていうか、うん。あんまり違和感はないか」

鏡の中のベロニカが笑う。

艶やかな紫紺色の髪と柔らかいオリーブ色の瞳を持った絶世の美女、と言いたい所だが、非常に残念な事にその容姿は前世でも見慣れた姿だ。化粧映えのしそうな平坦な顔立ち。纏う色こそ違いはあれど、形だけ見れば日本人の頃とそう変わらない。

幸いな事に記憶の方もベロニカだった頃と、そうなる前とがきちんとお互いの領分を守りながら記憶と経験とを保っているようで、大きな混乱はなかった。むしろ、自然と受け入れられてる事実に混乱する始末である。

それはさておき。

前世の記憶を総浚いして分かったのは、この世界は恋愛ゲームとは無関係であるという事くらいだった。

前世のベロニカは恋愛ゲームに転生したヒロインや悪役令嬢を主人公とする物語を好んで読んではいたものの、恋愛ゲームそのものに興味はない。

そんなベロニカでもわかる。断言できる。

この世界は恋愛ゲームに似つかわしくない。ゲームの舞台にするには美醜の価値観が違いすぎるのだ。

贅肉を憎むあまり筋肉も脂肪も贅肉も一緒くたに嫌悪するクロッシェン国では、折れてしまいそうなほど細く薄い体が美しいとされているのだ。そこに男女の区別はない。

大柄の筋肉質な騎士系キャラなんて、恋愛ゲームの攻略対象には不可欠だろうに。そういったキャラクターの存在すら許されない国なのだ。

この国で美形とモテ囃されるのは、骨に皮が張り付いた骸骨のような風貌の男性と転んだら折れてしまいそうなほど薄い体躯の令嬢なのである。

前世で日本人として中肉中背で生まれ、ガタイの良い男性を好み、ちょっと振り回されるくらいが丁度いいなんて生きていたベロニカには到底受け入れ難い価値観だ。

「ここはきっと、美醜逆転モノの世界なのね」

ふむ、と。ベロニカは納得顔で呟くいた。

ベロニカはまだ読んだ事はなかったけれど、確かそういうジャンルもあったはずだ。何かのランキングで見かけた覚えがある。

腕を組んで考え込む仕草をしながら、ベロニカはソファーに腰を下ろした。辺境とはいえ伯爵家。柔らかなソファーは軋む事なくベロニカの体を受け止める。

さて、これからどうするべきか。

幸い恋愛ゲームの世界ではないから、ベロニカの破滅ルートはなさそうだ。だからと言って自由気ままに暮らせる程、ベロニカは前世の記憶にどっぷり浸かっているわけではない。きちんと貴族令嬢としての常識だったり、価値観だったりは残っている。

貴族に生まれた女の宿命として結婚は必須。

それは分かる。けれど、骸骨のような風貌の男と一生添い遂げられるか否かと問われれば悩んでしまうわけで。

「美醜逆転なら仕方がない。私は私の好みの男性を探そう」

うん、そうしよう。

ありがたい事に父であるベルドット辺境伯はあまり社交的ではなく、交友関係も狭いおかげでベロニカの婚約者になり得る存在は今のところ存在しない。

ならば貴族としてきちんとした身分で、尚且つベロニカの好みに合う男性を探し出して婚約出来れば良いのだ。

それは実に、素晴らしい考えだ。

ベロニカは自賛する。

前世のベロニカは良くも悪くも平凡で、平均的で、好みの男性とお近づきになるのも一苦労であったが、この世界は違う。美醜が逆転している分、ベロニカの好みの男性は嫌厭されがちなはずだ。

ベロニカが絶世の美女でなくとも、この国基準で嫌われる豊満な我儘ボディーの持ち主であっても希望はあるはず。

幸い、辺境は魔物や害獣が多く隣国との境にあるため騎士職につく者も多い。彼らは皆、立派な体格をしている。

それはそうだ。骨と皮では武器は振り回せないし、魔法の制御ですらままならないだろう。

生き残るために美醜の価値観を超えて体を鍛え上げる騎士。うん、良い。

「騎士と知り合うためには」

手っ取り早く、騎士団に入るのが良いわね。

前世のベロニカは行動派だった。今世のベロニカも、割と考えなしだった。

だから、令嬢の身でありながら騎士団に入隊するベロニカを、家族はいつもの思いつきかと温かい目で見守ったのである。



ベロニカが前世の記憶を思い出して早3年。ベロニカは18歳になった。

我儘ボディーの成長は止まることを知らず、無理やり潰しても自己主張の激しい凹凸は頭痛の種であったが、それ以外は割と充実した日々を送っている。

思いつきで入隊した騎士団であったが、ベロニカとの相性は良かったらしい。体術では劣るものの魔法の腕は騎士団の中でも随一で、得意の風魔法を駆使して縦横無尽に駆け回り、火や雷魔法で標的を沈黙させていく姿は「辺境騎士団のアリウム」と有名だった。

アリウム。あの、丸い花である。どうせベロニカはあちこち丸っこい。

最初に言い出した愚か者は容赦なく雷魔法を喰らわせ、髪の毛をアフロにしてやった。翌日から「筋肉ダルマ」と呼んだらちょっと泣いてた。仕方なく許してあげた。

閑話休題。

騎士団での功績が認められ女だてらに副団長までのし上ったベロニカだけれど、ベロニカ好みの良い男にはついぞ巡り会えずじまいだ。いや、好みドンピシャの良い男はいたのだけれど、あれは無理だ。ベロニカ如きでは太刀打ちできない。

「よぉ、ロニー」

出勤後、振り分けられた班の待機室で大量の書類と睨み合っていたベロニカを気安く呼んだ男こそ、ベロニカが選ぶこの国一番の美丈夫な筋肉ダルマ、もとい我らが騎士団長レオナード・グラウディンである。

鍛え抜かれた立派な体格。奥二重の空色の瞳はほんの僅かに目尻が下がっていて柔らかいのに眉はキリッと凛々しく太い。通った鼻筋に薄い唇がどれもベロニカの理想通りの場所に収まっていた。筋肉のメリハリを見るに、今日も完璧に仕上がっている。

眼福。正に眼福。

王弟でもあるレオナードは王族の証でもある美しい金髪と澄んだ空色の瞳を持つのだが、骨と皮だけの兄王と分厚い肉の鎧を纏うレオナードが似ているわけもない。そのため、自ら進んで庶子を名乗り王族という肩書きをその辺に投げ捨て、辺境の地で騎士職に就いた当代きっての変わり者だ。

まぁ、身分を捨てたと思っているのは当の本人だけで、王宮からは定期的にレオナードの様子を伺う文が届いている。ベルドット辺境伯宛に。

親の心、子知らずとはよく言ったもので、自由気ままに振る舞うレオナードは王宮からの連絡は全て知らないふりを貫いているらしい。

「ベルドットです、グラウディン団長」

掠れたバリトンボイスに負けないよう、ベロニカは気丈に振る舞う。

こうして気安く声をかけ、親密な顔をして肩に手をかけてくるのがこの男のいつもの手だ。

気合を入れないと流される。流されたが最後、今日は残業が確定だ。

「つれないな、ロニー。俺とお前の仲だろう?」

190㎝はあろう大男が、小柄なベロニカの横にちょこんと座り、小首を傾げる。

椅子に座ったベロニカでもレオナードと同じ視線になれる貴重な瞬間であるが、流されてはいけない。絆されてはいけないのだ。

例え、雑に切られた前髪から覗く空色の瞳が、まるで捨てられた子犬のように見えたとしても、絶対に!

「いいえ、グラウディン団長。私と団長はそんな仲にありません。ですから、速やかに自室に戻り、締切が迫った書類を片付けてください」

貴方がサボるから、副隊長であるベロニカにまで皺寄せが来るのだ!

そう論外に告げたところでレオナードは聞く耳を持たない。

多くの騎士がそうであるように、レオナードは体を動かすことが好きだ。体に余分な肉がつき多くの令嬢から嫌悪の眼差しで見られようが気にならないほどである。

そして恐らく、産まれる時に才能の割り振りを間違えてしまったのだろう。体を動かす事と反比例するように、デスクワークが苦手だった。嫌いだった。

小賢しいベルナードは知っている。

騎士団の中でベルナードに異を唱えるのはベロニカだけだと。その彼女さえ頷かせてしまえば、自分は煩わしいデスクワークから逃げる事ができるのだと。

「頼むよ、ロニー。1時間で良いんだ。ちゃんと、すぐに戻るから」

だから、お願い。なぁ、なぁ。

精悍な顔を甘く歪めて、凛々しい眉を哀しげに下げて、全身全霊で哀れを乞う美丈夫を無視する。

ベロニカは何も聞こえない。何も見えない。

一回り近く年上の、ガタイの良い成人男性の可愛らしいおねだりなんて、聞こえないったら聞こえない!

「ロニー?」

「うっ」

耐えられのはわずか数十秒。

ベロニカは深く重たい溜息を零した。

本日の残業が確定した瞬間である。

「本当に、本当に、1時間だけですからね?」

ズキズキと痛む頭を押さえながら呻くように呟く。

チラリと隣に目を向けるが、そこには既に哀れな美丈夫はいなかった。

「副団長殿の許可が出たぞ!」

待機室の扉の向こう。喜び勇んだ野郎どもの雄叫びが聞こえる。

きっちり仕事が回るギリギリの人数だけ残して、レオナードは演習場に駆けて行った。

「副団長……」

「うん、分かってる。分かってるのよ、甘やかしてるって事くらい」

残された部下の生ぬるい視線が辛い。

でも仕方がないじゃない。好みなんだもの!

そんな事を部下に当たり散らすわけにも行かず、ベロニカは重い腰を上げた。

「どこへ?」

「仕事を取りに、ね……」

行先は一つ。隊長室だ。

山積みになっているはずの書類は、今から仕分けをしなくては終わらないだろうから。

「世の中にはね、分かっていても抗えない事なんて五万とあるのよ……」

遠い目をして呟いたベロニカの懸念通り、レオナードが戻ってきたのは夕日が傾き始めた頃だった。

レオナードにみっちりしごかれた団員たちは精魂尽き果てた状態で返却され、ベロニカの手助けにはなりそうもない。

遅くまで詰所に缶詰になったベロニカは、それから暫くレオナードを筋肉ダルマと呼んだ。

返事をする代わりに潤んだ空色の瞳が切なげに揺れたけれど、今度は許しはしなかった。

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