体育祭 2
百メートル走に限らず、短距離走、長距離走等、走ることがメインの競技では、二年生、一年生、三年生の順番に走ることになっている。
いや、距離走に限った話ではなく、騎馬戦でも、棒倒しでも、それは変わらない。
団体競技で、各学年の代表者が集まるとはいっても、三学年が同時にフィールドに入るわけではない。
アナウンスで読み上げられる各レーンの走者が全員同じ学年なのはそういうことだ。
同じレースの順番で並んでいる走者は、体力測定の五十メートル走のタイムが近い人で並んでいるようで、あれは体力測定のときに手を抜いていたな、など傍目には丸わかりになる。もちろん、それをわざわざ指摘するようなことはないのだけれど。
全部で六コース、各色二人づつ並ぶ走者は、瞬く間にトラックを走り切って、あっという間に競技が終わる。
いや、本当に、気がついたときには、同じコースで二人三脚が始まっていて、参加人数が少ないそれもすぐに終了。借り物競争が始まり。
「そんじゃあ、ちょっと行ってくるわ」
体育祭の実行委員が『千五百メートル』『千メートル』と書かれた紙を張っているプラカードを持って生徒のいる客席の前を通り過ぎて行く。
つまり、長距離走に出場予定の生徒の招集である。
「空楽、行こうぜ」
「えっ、ああ、うん」
連司と、出場する他のクラスメイトと一緒に入場口へと向かう。
「はあ、走りたくねー」
「マジ面倒」
招集された生徒の中からは、そんな声が聞こえてきている。
陸上で、長距離が好き、という人でもなければ、大抵は同じ感想を抱くだろう。
もちろん、うちのクラスと同じように、体力測定の記録を参考にして選手選考を行ったのならば、得点の高い長距離には、それなりに記録の良かった人たちが集められていることとは思うけれど。
借り物競争は終わっていて、今はコースにハードルが並べられている。僕の文庫本がどうなったのかは、後で聞くしかないだろう。なにも、お題に一年生が当たるとは限らないのだし、同じ文庫本、つまり文芸部をあてにするというのなら、日陽先輩のほうが圧倒的に見つけやすいのだから。
これが終わってしまえば、いよいよ出番である。
しかも八十メートルハードルなんて、出場人数の関係で、百メートル走よりも終わるのが早いからな。
いや、そんなことを言い出したら、どの競技も待ち時間なんてそれほど変わらない(直前に行われる種目によって、招集される時間も当然異なる)のだけれど。
始まってしまえば、後は終わるだけだから覚悟もできるけれど、この、待っている時間というのはどうしても負の感情が沸いてくる。
しかも、他の距離走と同じく、長距離走出場選手は、全員が一度にグラウンドに入り、自分の番までそこで待機するのである。べつに、誰が僕に注目しているというわけでもないだろう――そこまで自意識過剰ではない――に、心臓の鼓動が高まる。もちろん、期待してのことではない。
まず、女子の千メートル走が行われ、いよいよ、男子の番である。
さっそく、二年生男子の出場者がトラックに並ぶ。
千五百メートルなんて、五分と少し走れば終わる距離だ。毎日走り込みをしている、うちから道場までの距離のほうが長い、あるいは同じくらいだ。正確に測ったことはないから、タイムからの概算だけれど。
つまり、総計で言えば、毎日走り込んでいる距離のほうが圧倒的に長い。
だから、この程度、なんでもない。
などと自分に言い聞かせつつ、ようやく回ってきた出番により、スタートラインの位置に並ぶ。
これは、前もってのくじ引きにより、スタート位置は決められていて、僕は一番アウトコース側だった。
長距離走は得点が高い。
スタートの合図で走り出した走者は、当然、全員最初から飛ばしていた――正確には、飛ばしていると思えるスピードだった。
トラックは一周が二百メートル。
陸上競技場とかになると、一周四百メートルのトラックがあるのだけれど、極浦学園の校庭のトラックは、より短く、七周半も回らなければならない。
もちろん、競技者は自分で周回を数える必要はなく、体育祭の委員が一周ごと、つまり、ゴール位置に差し掛かった際のタイムの読み上げと、それぞれ着せられているゼッケン番号での周回数を数えてくれている。
とはいえ、自分でも数えていたほうが、個人的には、気が楽になるので、僕は自分でも数えるようにしているけれど。
なにせ、走っていると、そんな外野の言っている声なんて聞こえてはこないし、周りにいる人のことなんて見えなくなるからな。
一周目(正確には一周半)を終えたところでのペースは一分を若干上回ったところだった。丁度五分ほどのペース。一般的な高校一年生男子のペースとしては、それなりには速いほうだろう。競技代表として――学内でのことではあるけれど――選ばれるくらいなんだから、当たり前か。それに、どうせなら、早く終わらせたいし。
それにしても、本当に、こんなペースで走り続けるの?
もしかして、長距離走に出る人って、全員、マゾなんじゃないの? と、自分のことは棚上げにして考えてもしまう。
いや、僕は連司に強制的に参加させられただけだし。うん。
鉢巻はきちんと巻いていてよかった。下がってくると本当に邪魔だからな。
捕らえられた友人も、病気の先生も、次に繋ぐバトンを持っているわけでもないのに、なんでこんなに走る必要が?
そもそも、教育委員会だかどこだか知らないけれど、なんだって学生がこんなことを毎年するように定めているのだろう。絶対、自分たちがやったときに苦しかったことを、後輩にもさせようという、そこ意地の悪い考えからに違いない。
いや、普段走り込みをするのは自分のためだけれど、こんな、衆人環視の中でぐるぐると同じ場所を走り続けるなんて、馬鹿みたいじゃないか。
聞かれたら、全ての陸上競技者に怒られ、袋叩きにあいそうなことを考えながら、そういえばと、日陽先輩が体力測定のときに同じような文句を言っていたときにかけた言葉が思い出される。
どうも、走るうえで、気持ちの乗る考え方とは言えないな。
もう適当に、なにか頭の中で歌でも歌って、足を動かすか。早く足を動かすのに役立ちそうな歌って、なんだろう。
なんてことを考えていたら、先頭集団から少し離されそうになってしまった。
慌てて、ペースを上げる。
好きではないとはいえ、負けるつもりは少しもない。
しかし、さすがに相手も(おそらく)運動部だ。
もちろん、全員が全員ではなく、周回遅れになっている、つまり、抜かしていった人もいたけれど、上位陣はさすがに早い。
サッカー部か? 陸上部か? それとも野球部?
とはいえ、僕も、物心ついたころから走り込みをしてはいる。
武術をやるにも、体力、それに、足腰の強さは重要だから。
それにしても、本当にばらけず、こんなに団子状態でいる期間が長いということもあるんだな。それも、先頭集団として。
大抵、飛びぬけて速い人がひとりくらいはいるものだろうけれど。
ラスト一周の声がかかり、フリップボードの表示もあと一周になっている。それを見て、僕も、それから他の走者も、さらに一段、ギアが上がる。
千メートル以上走ってきて、さらにペースを上げるとか。こっちは文芸部なんだから、少しは手加減して欲しいところだ。
ほとんど全力疾走だろうと思えるほどのペースで、トラックを駆け抜け。
結果は残念ながら二位だったけれど、まあ、十分によく頑張ったと言える結果だろう。なにせ、全力でやったのだから、後悔はない。
「おまえ、早いな」
一位で駆け抜けた、おそらくはどこだかの運動部の人に声を掛けられ。
「それはどうも。でも、もうへとへとだよ。そっちはまだ余裕そうだけど」
笑いながら健闘をたたえ合い、あー、疲れた、と僕は待機場所である二番の旗の列に並んで腰を下ろした。




