デートの取材、という名目 2
自分で書いた小説、そして、何度も読み直し、噛みしめた内容だ。
書き直しはその日のうちにケリをつけることができた。
赤ペンの入っていない原稿は、当たり前だけれど、随分読みやすくなっていた。
「空楽くん。どう、できた?」
日陽先輩が、はやる気持ちを抑えきれないような様子で、上半身を机の上に伸ばしてくる。
「ええ。できましたけれど、そんなに乗り出してこないでください。慌てなくても、渡しますから」
僕は最終チェックにと、今書き直しを終えたばかりの小説を読み直す。
修正まで入れたのだ。この後、読んで貰う日陽先輩にまで、さらなる修正を出されたくはない。いや、製作者としては、それも半人前というのもおこがましい未熟者の僕としては、修正を入れてくれるほうが安心するけれど。
「それで、空楽くんは満足できそう?」
満足、か。
もちろん、できるはずもない。
文章作法は完璧に近い形で修正できたと思うので、そういう意味ではやり切った感はあるけれど、未熟だった点はいくらでも出てきた。
そもそも知識不足だったり、無理のあり過ぎる設定だったり、あるいは、人称が変わっているところなんて、修正のしようもない。話が根本から変わってしまう。
「いいえ、まったく。これっぽっちも、満足なんて、できそうにもありません」
「そうかしら。お話自体は面白かったと思ったのだけれど」
日陽先輩は、お世辞を言っているような感じでもない。
しかし、あらためて読み直した僕には、欠陥だらけのようにしか思えなかった。
「日陽先輩は、文芸部ということは、自分で書いたりもされるんですよね?」
読むだけなら、自分ひとりだけでもできる。
わざわざ文芸部を創部して、原稿用紙なんかまで用意しているということは、なにかしら、自分でも作品を作ろうと思っているということなのではないだろうか。
日陽先輩はそれについてははぐらかすように。
「私はね。やっぱり、面白い話を書くには、いろいろと体験してみることが必要だと思うの。もちろん、自分で体験していないことも面白おかしく書けるということが小説の魅力の一つだとは思うわ。たとえば、現実に空を飛ぶ魔法が使えたり、死んだ後のことにまで記憶をそのまま保持できるなんてことは、ありえないでしょう? 少なくとも、聞いたことはないわ」
日陽先輩の言うとおり、小説というのは、想像の産物だ。
自分で体験したことのないことであっても、想像という翼を広げることで、人はどんな物語でも創出することができる。
しかし、その想像するにしても、またっくわからないことまでは、力も及ばない。
あるいは、面白い体験をすることが、面白い話を作ることへの一番の近道と言ってもいいのかもしれない。
「というわけで、面白い話を探しに行きましょう」
「へ?」
どうしてそんな話に?
今のは、そんな面白い体験を直接しなくても、想像力を鍛えることが大切だという話だったんじゃ。
「その想像力の元になるものを探しに行きましょう、という話よ」
日陽先輩は文芸部の部室に置いてあった、白くて、つばの広い帽子を手に取った。
あれって、文芸部の置物じゃなくて、日陽先輩の私物だったんだ。
それより、あんな帽子って校則で許可されていたっけ?
「なにしているのよ、空楽くん。ずっと座っていると、そういう置物になっちゃうわよ」
その疑問を口にするよりも早く、日陽先輩に急かされて。
「え? あ、はい」
さっさと部室を出て行ってしまった日陽先輩を慌てて追いかける。
想像力の元になるものを探すって、いったい、なにをするつもりなんだろう。
「散歩よ、散歩」
日陽先輩は楽しそうにくるくると回りながら。
「そういえば、空楽くん。紙とペンは持っているわよね?」
「いや、急にそんなこと言われても……鞄の中になら入っていますけど」
日常的にポケットに紙とペンを突っ込んでいることは、まずないだろう。
普通はスマホと財布で左右が埋まる。まあ、財布は鞄の中であることも多いけれど。
「空楽くん。私はこう思っているの。『紙とペンは私の命』」
それが日陽先輩の座右の銘なのだろうか。
「日常の至るところに話のネタになることは転がっているわ。名探偵は歩けば事件に当たるけれど、私たち作家は歩けばストーリーの素に当たるのよ」
そんなネタを逃すわけにはいかないと、日陽先輩は常にポケットにメモ帳とペンを忍ばせているのだという。
「そんな日常の中で遭遇したちょっとした出来事が、のちのち、創作におけるなにかの役に立つこともあるわよ。だから、空楽くん。これからは、いつもメモ帳とペンを持ち歩いて、なにか気になったことを、次の部活のときに報告し合うことにしましょう。なんでもいいのよ、それこそ、駅中のパン屋からいい香りがしたとか、似たような行先のバスに間違って乗ってしまったとか、眠って電車の駅を乗り過ごしたと思ったら、すでに終点まで行って折り返して戻ってきたところだったとか」
最後に日陽先輩は「べ、べつに今のは私の実体験ってわけじゃあないのよ」と付け足した。
こういうのを、自爆というのではないだろうか。
「あっ、空楽くん。今、私のこと、間抜けだなって思ったでしょう?」
「べつに思ってませんよ」
創作の元ネタになるなとは思ったけれど。
メモしておこう。僕はスマホを取り出す。
「あっ、なにをメモしているの、空楽くん。先輩の失敗をそんな風に残しておくことはないでしょう」
なんでもメモしておくようにと、まさに今、言われたばかりなはずだけれど。
「大丈夫です、日陽先輩。現実にそんな間抜けなことをする人は、ほとんどいませんから」
「あー、間抜けって言ったわね。先輩へのリスペクトが足りないわ」
日陽先輩は腰に手を当てて、頬を膨らませる。
これも、創作のために、わざとやっているのだろうか。そして、やはり、あの話も日陽先輩の実体験だったみたいだし。
「ほら、行きますよ、日陽先輩。今日は僕もいるので、寝てしまっても起こしてあげますから大丈夫ですよ」
「いいえ。きっと空楽くんは私を寒空の下の放っておいて、ひとりで暖房の効いた室内に戻ってしまうに違いないわ。それで後から、よだれを誑した顔とかって、写真を送って来るのよ」
春先に暖房なんて使うはずないだろう。
それに、寒空というほどでもないし。
それにしても、本当に想像力が逞しいというか。
そこまで言われると、本当にそうしてやろうかという気にもなる。
しかし。
「それは無理ですよ、日陽先輩。僕、日陽先輩のアドレスを知りませんから」
日陽先輩は瞳をぱちくりとさせ。
「そういえば、そうだったわね。空楽くん。部活で連絡することもあるでしょうし、番号とアドレスを交換しておきましょう」
それから僕たちは職員室に寄り、ネタ集めに少しばかり学院から出ることを報告した。
そんなに遅くなるつもりもないけれど、一応、そうしておかないと、部室の荷物を移動させられたりとか、問題も起きそうだったから。
「それで、どこまで行くつもりですか?」
「そうね。とりあえず、駅のほうまで歩いてみましょうか。あっ、でも空楽くんは、定期を持っていないから帰りがすこし大変かもしれないわよね」
極浦学園は丘の上に建てられている。
この場合、行きはよいよい、というか、下り坂でも、帰りはわりと急勾配の上り坂だ。
「大丈夫ですよ。鍛えていますから」
とはいえ、僕にとってはその程度、大した苦にはならない。
「それより、先輩は定期を持ってきているんですか?」
散歩のつもりなら、鞄の中に入れっぱなしという可能性も……いや、さすがに言い出しっぺでそれはないか。
「もちろんよ。このとおり、私はポケットに……」
と、ポケットに手を突っ込んだ日陽先輩の身体が静止する。
「空楽くん。その、一緒に取りに戻ってくれたりは……」
「僕が戻ってどうなるんですか。いいから、早く取ってきてください。時間が無くなりますから」
「うぅ。空楽くん。意地悪だわ」
パタパタとスカートを靡かせながら、ゆっくりと駆け戻る日陽先輩を、僕は校門のところに寄りかかって見送った。
そもそも本数が少ないのに、上手くそこにはまるとは、なんてことは、わざわざ言わなかった。日陽先輩はご存知のことだろうから。