小説を配ろう 3
配るのは一番最近書いた作品。つまり、奏先輩とのことを題材にさせてもらった小説だ。
もちろん、日陽先輩に以前読んでもらったものがひな形ではあるのだけれど、あれから添削もしてもらったし、もうすこしは『小説っぽく』なっていることだろう。
「じゃあ、まずは部室に保管用ですね」
一部、いや、予備を考えて、二部にしておこうかな。原稿もあるし、大丈夫だとは思うけれど。
「それから私の分もよ、空楽くん。空楽くんの書いた小説は、全部私が読むって言ったじゃない」
「それはそうですが、日陽先輩は全部、内容を知っていますよね?」
いわば、最初の読者兼編集者みたいな立ち位置だからな。
それに、部室でいつでも読めるわけだし。
「それとこれとは別なの。私だって、手元に実物を保管しておきたいわ」
なるほど、その気持ちはわからないでもない。
僕も以前、ネットで読んだ小説(ただし、一般販売はされていない)を、個人的にプリントしたことがあるからな。ちなみにそれは今でも、クリアファイルに挟んで僕の部屋の本棚のところに一緒に保管されている。
「わかりました。原本は、まあ、データなので差し上げられませんが。こちらを一部どうぞ」
印刷し、冊子に仕上げたうちの一冊を日陽先輩に手渡す。
「ありがとう、空楽くん。大切にするわね」
いずれ、商業誌として売り出された際に、そのときには、なんて約束はしない。
そんなの、何年後になるかわからないし、もしかしたら……いや、そんなことにはされてたまるか、と思って毎日書いているけれど。
「次は、連司……かな」
連司は僕が小説を書いていることを、当然、知っている。
以前、遠回しに励ましてくれたりもしたし、だからといって、僕の書いた小説を楽しみにしてくれるかどうかはわからないけれど。
「でも、連司は流石にもう帰っているよな」
部活はやっていないし。
「それなら先に軽音部に行ってみましょう」
「……そう、ですね」
すこし反応が遅れてしまった。
それは、奏先輩だけではなく、望月先輩や大野先輩、瀬名さんや佐々木さんも一緒にいるからなのだけれど。
いや、こんなことで怖気づいていてどうする。
実際、ネットに掲載している小説は、不特定多数……不特定の人に読まれている……いや、考えるのは止めよう。うん。知らない人のほうが忌憚のない意見を聞かせて貰えそうと、さっきそう思ったばかりだ。
部室を訪ねてノックをすると、
「はあい」
と中から聞こえてきていた演奏がいったん止まり、扉が開かれる。
「軽音部になにか……って、空楽くん、と海原さん」
「練習のお邪魔をしてしまい、申し訳ありません、奏先輩」
演奏途中だったらしいのに、よくノックの音が聞こえたなあ。きっと、耳が良いんだろうな。
「邪魔なんてことはないけど、どうしたの? ふたりが一緒にいるってことは、文芸部の活動かなにかかな?」
肩からギターを下げたままの奏先輩に、これは長話で時間を取らせてしまうわけにはゆかないと、僕はさっそく冊子を取り出して――
「おや、きみは秋月少年」
大野先輩がつられてやってきて、ひょいっと顔を覗かせる。
「ちょっと、和美、やめなさい。奏の迷惑になるでしょう。すこし休憩にしましょう。私たちのほうがここを離れたほうがいいでしょうから」
「えっ、ちょっと、待って、瑞穂。そういうことじゃないよね、空楽くん」
奏先輩がなにやら焦ったように確認してくるけれど、なにせ、今来たばかりの僕たちに軽音部の事情はわからない。
「ええっと、本当にすぐ済みますし、むしろ、皆さんにもいて貰ったほうが。こちらから頼みたいくらいですし」
そう答えれば、軽音部の皆さんはほっとしたように、あるいは、なあんだ、という感じにため息をついていた。
事情がいまいち呑み込めていない僕が首を傾げていると。
「本当になにもないから気にしないで、空楽くん。それより、用事を聞かせて」
なにか言いたそうにしている大野先輩のことは無視しながらそう言ってくれた奏先輩に、
「はい。実は、えっと、僕たちが文芸部だということはご存知のことと思うんですが、今度、僕たちが書いた小説を冊子にしましたので、それを読んで感想を――忌憚のない意見を貰えればと思って」
と持ってきた冊子を差し出した。
表紙もなにもない、原稿の束のようにも見えるけれど。
「えっと、それは構わないけれど、どうして私に?」
「ああ、それは、その、頼める親しい知り合いがこの学院にはそれほどいないということもありますが、実は、それ、この間奏先輩たちと一緒にいたときのことをモデルにして、ああ、モデルと言っても、ほとんど別物になっているのでそこは安心して欲しいんですけれど、つまり、その、ぜひ、奏先輩にも読んで貰いたいなあと思いまして」
そう言うと、軽音部のメンバーの皆さんの空気が固まったようにも感じられた。
なにか変なことでも言ったかな?
「へえー」
「ほおう」
二年生のおふたりは、なんだかにやにやとした笑顔で奏先輩のことを見ているし、瀬名さんと佐々木さんは、なんだか楽しいものでも見るように二人で頷きあって、なにごとか内緒話をしていたりする。
「どうしたんですか、軽音部は」
僕は、唯一、そういう反応をしていない奏先輩に尋ねてみたけれど。
「あはは……どうしたんだろうね……」
奏先輩は、思い当たる節はあるようだけれど、話してくれるつもりはないらしい。
「わ、わかったよ。これを読んで感想を言えばいいんだよね」
「はい。よろしくお願いします。あっ、それから、遠慮はいりませんから。つまらないならつまらなかったと、正直に言ってください。本当に、そちらのほうが助かりますから」
それは、音楽でも同じことだと思うけれど。
音楽にだって、上手下手はある。
奏先輩たちは軽音部、つまり、音楽に携わる人たちだからそうでもないかもしれないけれど、大抵、音楽より、小説のほうが、上手い下手はよくわかるはずだ。面白い、面白くないに、直結する話だから。
そう思うのは、僕が文芸部だからだろうか。
「わかったよ。どーんと任せておいて」
奏先輩が小説のコピーを持ったまま、胸を叩く。
「いいんですか?」
「もちろん。小説読んで感想を言えばいいだけでしょう? それとも紙に書いておいたほうがいいかな?」
それはたしかに助かる、というより、ありがたいけれど、それだと時間を取り過ぎてしまうのでは?
「全然大丈夫。じゃあ、待っててね」
練習のお邪魔をしてしまい、本当にすみませんでした、どうぞよろしくお願いしますと頭を下げて、軽音部を後にする。
えっと、次は……というより、あとは、かな。
「連司のところにも行きたいけれど、まあ、いいか。縁子ちゃんはきっと家にいるだろうし、縁子ちゃんに頼んでみれば」
ふたりは、いまさら言うまでもなく、兄妹だし、同じ家で暮らしているのだから、自然、冊子は渡ることになるだろう。
というわけで、いつもの散歩のついでに、今日は佐伯家のほうへ足を延ばしてみた。
「はい」
インターホンを鳴らせば、予想どおり、縁子ちゃんが出た。
紫乃の時間割で知っていたけれど、この時間に家にいてくれてよかった。
「えっと、僕、空楽だけど、縁子ちゃんだよね。連司はもう帰ってる? それから、縁子ちゃんにも、ぜひ、頼みたいことがあるんだけれど」
待つこと数十秒で、中から階段を下りてくる音が聞こえた。
「お待たせしました、空楽さん」
「ううん。急に押しかけてきてごめんね。えっと、こちらは、知っているよね?」
たしか、お祭りのときに顔を合わせているはずだ。
「はい。海原さん、ですよね」




