デートの取材、という名目
翌日の授業中、というより、オリエンテーションの間。僕は睡魔との壮絶な戦いを繰り広げていた。
ね、眠い。
昨日は放課後、夕方を過ぎるまで物語を書くことに集中していて、その後、帰宅して夕食が済んでからすぐにお風呂に入って寝ようとしたのだけれど、物語の修正箇所が次々浮かんできて、なかなか寝付けず、結局、深夜を回る。
今朝は五時起きで、いつものコースを走ってから道場へと向かい、今後の時間の調節なんかの話し合い。早朝に来ても全然かまわないという許可をいただけたので、そのまま七時頃まで修行をつけていただき、七時過ぎに帰宅。シャワーと着替えを済ませ、朝食をとってから、紫乃と一緒に家を出る。
いずれはこのリズムにも慣れる必要はあるのだろうけれど。
「お兄ちゃん、大丈夫? 疲れてないの?」
そんなに心配されるほどの顔をしているのだろうか。たしかに、疲れてはいるけれど……まだ、ピークではないから?
僕は紫乃の頭を撫でて。
「大丈夫だよ。紫乃ももう高学年になったんだから、しっかりね」
「大丈夫だもん。今年も縁子ちゃんと一緒のクラスだったし」
それは、大丈夫の根拠になっているのだろうか。
たしかに、縁子ちゃんはしっかりした子だけれど。
「じゃあね、紫乃」
「うん。お兄ちゃん」
小学校、そして中学校へは、家を出てから東回り、極浦学園へは西回りのほうが近い。
僕は自転車を漕ぎながら、途中、一台、学園行きのバスに追い抜かれつつ、遅刻には程遠く、登校する。
まあ、家から十分くらいの距離で、遅刻するほうが難しいけれど。
まだ一年生はオリエンテーションの期間であり、本格的に授業が始まるのは来週からだ。席の近くなったクラスメイト(つまり、出席番号の近い順ということだけれど)が最初の話の相手だろう。
僕は苗字が秋月で、出席番号は一年一組一番だ。
一番廊下側の、一番前の席に座り、鞄を机の横のフックにかける。まだ授業も始まっていないし、それほど重くはなかったから、かけていても問題はない。
ホームルームでは、担任の先生から、昨日、日陽先輩に言われたような、入部届の件を含め、諸注意と、オリエンテーション期間の日程表が配られた。
どうやら今日は、この後新入生の歓迎会が体育館で開かれることになっていて、そこでは部活の紹介なんかも行われるらしい。
昨日、日陽先輩はそれに関してなにも言っていなかったけれど、大丈夫なのかな?
「新入生の皆さん。あらためまして、入学、おめでとうございます」
生徒会の人たちの挨拶から始まり、そこで少し驚いた。
生徒会長が二年生だったからだ。
名前は一ノ瀬理央、先輩。
見事な黒髪を額で切りそろえた、整った顔立ちに、少しきつい目をした女子の先輩で、どことなく、納得させられそうな品というか、風格がある。
どうやら周囲も驚いているらしく、微かなざわめきが広がる。
それから部活動の紹介が始まったのだけれど、一番気を引かれたのは、
「こんにちは。『昼休みデザートプリン』です」
なんだそれは、と思って、眠気が一瞬飛び、つい目を見開いてしまう。
二年生の先輩三人、ギターとベースとドラムのバンドで、軽音部らしい。
「ギター兼ボーカルの沖田奏です。あっちのベースは望月瑞穂、ドラム担当は大野和美でお送りします。皆、楽しんでいってねー」
ボーカルらしくノリの軽い先輩で、三人しかいないというのに、特にギター兼ボーカルだという沖田先輩は、音楽には疎い僕でも、本当に上手なんだということがわかるくらい、圧倒的だった。
具体的にどうと言われると困るのだけれど、心に響いてきたというか、顔が熱くなるというか、とにかく、気がついたら周りと同じように拍手をしていた。
僕は音楽なんて、リコーダーくらいしかできないけれど。
本当に、楽しそうに演奏するんだなあ、と感動させられた。それこそ、バンドの人たちが主人公の小説を書きたくなるくらい。
どうやら、バンド名の『昼休みデザートプリン』というのは、たまたま、学食で一緒になったクラスメイト(去年は同じクラスだったらしい)が、たまたま三人ともプリンアラモードを買っていて、それで話しているうちに意気投合したから、ということらしい。
もちろん、その場でステージまで駆け寄って取材する、なんて度胸というか、そんな失礼な真似はできるはずもなかったのだけれど。
はっきりいって、そのバンド名の衝撃が大きすぎて、他の部活の紹介なんて、ほとんど頭に入ってこなかった。もっとも、すでに文芸部に所属している僕には、あまり関係のない行事ではあったのだけれど。
「そんなことないわ、空楽くん。日常のどんなことからでも、インスピレーションは貰えるものよ」
放課後の部室で、同じ二年生の先輩だしということで、日陽先輩にその話をすると、そんな風に諭された。
「現に私はいつもメモを持ち歩いているのよ」
と、得意げな顔で、制服のスカートのポケットから小さなノートを取り出して見せてくれる。
そこには日常のちょっとしたこと――校庭に猫が入り込んだとか、トイレで花火が焚かれたとか――から書かれていて。
「――って、いやいや。トイレで花火って意味がわからないんですけど」
「それは、去年の夏、一学期の期末試験の最終日にね、ちょっと、その、ね? やんちゃした同級生の男の子が」
言いにくそうに、言葉を選んで日陽先輩が説明してくれた。
事実は小説より奇なりというけれど、どんな人が、なにを思ってそんなことをしたのだろう。
「その人は?」
「もう辞めちゃったわ」
話しを聞きに行くこともできないか。
いや、そもそも、そんな話をほじくり返すのはどうなんだという抵抗感もある。
「それより、空楽くん。今日も続きをやりましょう」
「そうですね。よろしくお願いします、日陽先輩」
正直、トイレで花火の真相を聞きたかったのだけれど、まさか、先生に尋ねに行くわけにもいかないだろうしな。
「そういえば、日陽先輩は部活紹介をされませんでしたね」
ペンを動かしながら、それとなく気になっていたことを尋ねてみる。
「ええ。だって、文芸部なんて、ステージに立って宣伝するようなものでもないでしょう?」
言われてみれば確かに。
基本的に日陽先輩は本を読んでいるだけだし、僕は小説を書いているだけだ。
舞台でなにか、それこそ『昼休みデザートプリン』でもないけれど、映えることができるわけでもない。
「けど、それなら、部員が増えないのも当然じゃないんですか?」
日陽先輩は僕がこの部に入ったとき、初めての部員だと喜んでくれたけれど、まあ、去年は仕方ないにしても、増えたほうが嬉しいというのなら、周知していくことも必要なのではないのだろうか。
「今年は空楽くんが入ってくれたから嬉しいわ。それに、新入生には部活動の一覧もプリントで配られているでしょう? その隅っこには文芸部の名前も書かれているし、本を読むとか、空楽くんみたいに小説が書きたいと言ってくれるような、興味のある子がいれば来てくれるわよ」
「そうですね……」
まあ、人を集めるだけというのなら、日陽先輩がステージに立てば、誰かしらの興味は引くことだろう。
平均的な日本人の容姿からは離れた、真っ白な髪と、真っ赤な瞳。
もしかしたら、ご家族のどちらかが外国の方とか?
日常の不思議というのなら、日陽先輩こそ、まさに一番の興味の対象ではないだろうか。
「日陽先輩」
「なにかしら」
思い切って尋ねてみようかとも思ったけれど、好奇心よりも、その向けられた日陽先輩の表情に、僕は口を噤んでしまう。
「……いえ、なんでもありません」
多分、そのことには触れて欲しくないのではないだろうか。
僕はその直感に従い、またペンを動かし始めた。




