目の前にチャンスが降りてきたのなら 4
「日陽先輩。来週末……あっ、再来週頭って言ったほうがいいのかな、今度の日曜日に予定ってありますか?」
書き終えた小説を渡しながら、文芸部の部室で対面に座っている日陽先輩に尋ねてみる。
「えっ? いいえ。なにもないけれど、どうかしたのかしら?」
日陽先輩は一瞬言葉を詰まらせる。
どこか緊張するような要素があっただろうか? まあ、気にしなくていいかと、話を続けた。
「実は、今、紫乃が奏先輩に演奏を習っているんですけど――」
それで今度、バンドのメンバーの人たちに混ざって路上ライブをすることになったのだという話をする。
「腕は、まだまだ未熟だということですけど、良ければ一緒に聴きにゆきませんか?」
紫乃は他に人がたくさんいると緊張するタイプでもない。
だからといって、より張り切るタイプでもないのだけれど。
「兄としては紫乃の演奏を、初めてのことですし、聴きにゆく必要があると――誘われましたし、それに、個人的にも奏先輩たちの演奏を聞ける機会というのは貴重だと思うのですが、どうですか?」
日陽先輩にも予定はあるだろうから、無理にとは誘うつもりはないのだけれど。
「それも楽しそうね。紫乃ちゃんも出るというのなら、ぜひ、聞きに行かせて貰うわ」
日陽先輩と紫乃って、そんなに会っていたっけ?
まあ、紫乃は人と仲良くなるのは得意だから、お祭りのときに会っただけでも十分だったのかもしれない。
それに、日陽先輩だって、奏先輩たちの演奏が好きだというところは同じなわけだし。
「観客は多いほうがいいみたいですから、連司と縁子ちゃんも誘おうと思うのですが構いませんか?」
連司はともかく、縁子ちゃんとも、紫乃と同じくらいの回数しか顔を合わせていないはずだ。
「もちろんよ。皆で応援に行きましょう」
タオルとか、ペンライトとか、持っていったほうがいいのかしら、と日陽先輩は随分楽しそうだ。
「水を差すようですが、タオルも、ペンライトも、必要ないと思いますよ。アイドルじゃないんですから」
いや、持っていってはいけない、ということではないのだけれど。
「一応言っておきますけど、この前のこども祭りとも、新入生歓迎会のときのようなものとも違って、ステージみたいなものはありませんよ。路上ライブということですから」
その説明はしたはずだけれど、勘違いしているかもしれないし。
「わかっているわよ。ちゃんと聞いていたから。それに、私はペンライトなんて持っていないわ」
「じゃあ、なんで言ったんですか」
わざわざ、そのためだけに買っていくとか? それはさすがにないだろう。
「えっと、漫画とかだとそういうアイドルのライブでは、ペンライト? とか、サイリウム? というのを振っているシーンが多いから」
どうやら、雰囲気だけで口にしていたらしい。
だいたい、疑問形になっていたけれど、日陽先輩はペンライトとかサイリウムがどういうものなのか、知っているのだろうか?
「えっと、それは……これよ」
日陽先輩は得意げにスマホを突き付けてくるけれど。
「それ、今検索していましたよね? まあ、個人の持ち物に関してどうこう言うつもりはありませんけれど、下手なことはせず、音楽に集中したほうが良いと思いますよ」
アイドルのライブと似ているとはいっても、まったく別のものなんだから。
いや、似ているって、僕はアイドルのライブを見たことがあるわけではないのだけれど。そういうものにはまったく興味がなかったからな。紫乃も同じだ。つまり、創作、あるいはニュース等からの知識しかない。
日陽先輩だって、漫画とかではそういうシーンが多い、みたいに言っていたということは、実際に見たことがあるわけではないのだろう。
「あっ、でも、新入生歓迎会のときとか、この前の子供祭りのライブは見たわ」
「それは僕も見ましたし、そもそも、そこから話が始まったんですよ。歩いてもいないのに忘れないでください」
「それって、私が鶏みたいだって言いたいのかしら?」
いや、日陽先輩は三歩どころか、椅子から立ってすらいませんよね?
それに、朝は苦手――正確には、強いほうではないと言っていたような気がするし、鶏からはかけ離れている。種とか、そういうことではなく。
なんだか、話がずれてきているな。
「それじゃあ、結局、その日は文芸部としては活動せず、一緒にライブを聴きに行くということでいいんですね?」
「ええ。楽しみね」
もともと文芸部は、休日に毎日集まるような活動の仕方をしてはいないけれど。
もちろん、休日に集まることがないということではなく、活動日が定日ではないということだ。
つまり、日陽先輩の気分ともいう。
「べつに、空楽くんが集まりたいときには連絡をしてくれて構わないのよ。むしろ、私は大抵、家で本を読んでいるか、スウィーツの表現力向上に努めているから、誘ってくれると嬉しいわ」
スウィーツの表現力向上って……物は言いようだな。その言い回し、気に入っているのだろうか。
「そうですね。ですが、日陽先輩がぶくぶくになっても困りますし、今度はどこか運動できるところに誘うことにします」
日陽先輩の体型が変わっているようには見えないけれど。
しかし、運動することは、気分転換というか、刺激を与えるというか、創作にもプラスになるはずだ。さすがに、道場での稽古には誘えないけれど。
そう提案すると、日陽先輩は少し困ったような様子で。
「そうね。でも、今の時季は暑いし、室内での運動なら、すこしなら、付き合うわ」
いや、暑いって、まだ五月の中旬、暑いというよりは温かい、あるいは、涼しいと呼ぶべき気候だろう。
まあ、たしかに、どちらかというのなら、寒いというよりは暑いと呼んだほうが近いだろうけれど……。
「日陽先輩って……」
暑がりなんですか? と尋ねようと思ったけれど、それなら、毎日長袖を着ているのは不思議だよなあ。なんなら、タイツまで履いているし。手袋は、いつもというわけではなさそうだけれど。
いや、今の季節を考えれば長袖でもまったく不思議ではない、むしろ普通のことなのだけれど、暑がりなのなら、という意味だ。
まあ、さすがに、薄いものだろうとはいえ、手袋はおかしいと思うけれど。
「どうしたの、空楽くん」
中途半端になってしまったせいで、日陽先輩が不思議そうな顔をする。
「いえ、なんでもないです」
それこそ、個人の趣味はそれぞれだろうからな。
中学時代にも、年中半袖の人とかいたし。
「なあに? なにか言いかけたでしょう」
「いや、なんですか。あれですか? 気になることがあると夜眠れなくなるタイプの人ですか?」
それとも、文芸部の部長として、日常の些細なことにすら気をつけていようという、職業――とは少し違うけれど――意識というやつだろうか。
まあ、黙っていることでもないし、聞いてしまうことにした。
「日陽先輩って、暑がりなんですか? それなのに、なんで長袖なんです?」
暑いなら半袖にすればいいのに。
たしかに、衣替えの時季は決まっているけれど、明確にこうと決められているのは式典(入学式や卒業式)のときだけだ。
「暑がりということはないけれど、私、半袖の服って持っていないの」
「は?」
なんだそれ。
それは、むしろ、寒がりということなのか?
「べつに、寒がりでもないわよ」
僕の心の内を読んだように日陽先輩が口にする。
「それはいったい――」
「実は私、吸血鬼なの?」
なんの話だ?
突然のことに僕は目を白黒とさせる。
「日の光を浴びると灰になって消えちゃうタイプの、弱い吸血鬼なの。デイウォーカーと呼ばれないタイプね。だから、極力、肌の露出を押さえるようにしているの」
「はあ」
えっと、これ、真面目な話? それともはぐらかされてる? いや、吸血鬼なわけはないので、どう考えてもはぐらかされているのだけれど。
そこまで気にすることでもないかと、僕はそこで質問を切り上げた。




