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月と太陽の交わるところ  作者: 白髪銀髪


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屋上で響く歌

「日陽先輩! 聞いてください!」


 暦でいえば、梅雨入りまではまだひと月以上あるにもかかわらず、なんとなく湿った感じの匂いのする四月の終わり。

 クラスメイトは少し早めのゴールデンウィークの予定を立てるとか、そんな楽しそうな話題も聞こえてくる中で、僕にとってはそんな黄金の日々などどうでもよくなるくらいの気持ちで放課後の文芸部のドアを開いた。

 

「どうしたの、空楽くん。そんな、発売日に限定の新刊目掛けて突撃するような顔をして」


 部室に置かれた一台の長机で、縁のくたびれかけてきた文庫本を捲るのが、僕の所属する文芸部の先輩にして、僕以外の唯一の部員、そして部長でもある海原日陽先輩だ。

 校内はもちろん、どころか、おそらくは国内のどこにいっても目立つだろう、日本人とはかけ離れた真っ白な長髪、ウサギのような真っ赤な瞳をしていても、れっきとした日本人である。

 

「突撃なんてしませんよ。店内で走って注意されたら余計に時間を取られるだけじゃないですか――って、違いますよ。そんな、日陽先輩の習性なんてどうでもいいんです」


 僕はスマホを取り出して、目的のページを見せつける。


「実は昨日、いえ、今朝早くかもしれませんけれど、僕の書いた小説にブックマークが一件、登録されたんですよ」


 今までゼロの並んでいた欄に、それ以外の数字を見つけたときは、夢なのではないかと疑ったし、ベタっぽく、頬をつねったりもしてみた。 

 しかし、こうして放課後の時間になってもまだ残っているということは、どうやら夢ではなく現実であるらしい。

 たかだか一件くらいでなにをはしゃいでいるんだと言う人はいるかもしれないけれど、僕にとって見たらそれは、もう、こうして放課後を待ち遠しく、一番に部室に飛んできてしまうくらいには、嬉しい出来事だったのだ。


「そ、そう。よかったわね、おめでとう、空楽くん」


 日陽先輩はぴくりと肩と眉を反応させたけれど、それだけで、すぐにまた読書のために本に視線を落としてしまう。

 なんだろうな。

 いや、べつに、喜んでくれることを期待したわけでもないし、実際に日陽先輩は喜んでくれたわけだけれど。

 なんとなく、普段よりも興奮の度合いが低いような。

 態度もどこかよそよそしいというか。


「……日陽先輩、なにか隠してますか?」


「な、なにも隠してないわよ。」


 返答までの時間は恐ろしいまでに早く、ついでに言葉も詰まらせている。

 これはどう考えても、なにか隠している様子だろう。


「日陽先輩」


 僕は机を挟んだ日陽先輩の前に座り、真っ直ぐにその真っ赤な瞳を覗き込むように、見つめた。

 本で顔を隠していた日陽先輩は、恐る恐るといった感じに、わずかに本の縁からその綺麗な赤い瞳を覗かせて、僕と目が合えば、すぐに慌てた様子で顔を本の向こうに隠してしまう。


「なにを隠しているのか、正直に話したほうが身のためですよ、日陽先輩」


「にゃにも隠してないわよ」


 静寂が部室を支配する。

 

「……つまり、あれは日陽先輩だということですね」


 ここまでくれば、小説に出てくるような、灰色の脳細胞なんて持っていない僕にだって、いや、本当はもう少し前からわかっていたことだけれど。

 つまり、ぬか喜びだったと、そういうことだ。

 

「で、でも、面白いと思っているのは本当よ。だってあれは空楽くんの魂の作品ですもの」


 日陽先輩があたふたとフォローしてくれるけれど、身内票を勘定に入れていいのかどうかは、一考の余地がある。

 日陽先輩が情けで登録するような人かどうかは、いや、この短い付き合いの中でも、日陽先輩が小説の創作に関して真摯であることはわかりかけてきているので、同情なんかでは評価をしたりはしないと、頭では理解しているけれど。


「私が空楽くんの小説のファン第一号であることは、紛れもない事実ですからね」


 まあ、そうと言えなくもないのかな。

 他人に、真面目に読んで貰ったのは館先生が最初だけれど、あれは、小説とは言い難い出来だったからな。直したとはいえ、それは、館先生の赤ペンのおかげだし。

 

「そのためにわざわざ登録までしたんですか?」

 

 ブックマーク、つまり、お気に入りにするには、サイトへの登録が必須だ。

 たしか、日陽先輩は登録もしていなかったし、もちろん、小説を書いたりはしていなかったと思うけれど。


「ええ。可愛い後輩の書いた作品ですもの。どんなものだって、委細漏らさず、じっくり読み込みたいわ。それに、空楽くんの書いた作品は全部、どんなものでも私が読むって約束したじゃない」


 いや、登録はしなくても閲覧はできるんじゃ……。

 まあ、細かいことはどうでもいいか。

 

「これからだって、日陽先輩がブックマークを手放したくなくなるような、こんな、お情けでもらったようなものではない、心からの評価を貰えるよう、精進しますよ」


「べつにお情けなんて、そんなひどいつもりはないわ。私は本当に空楽くんの書く小説は愛に溢れていて素敵だと思うわ」


 愛に溢れてって、相変わらず、恥ずかしげもなくよくそんなことを口にできるなあ。

 

「とにかく、今日も張り切って部活をしましょう、空楽くん」


 そう言って、日陽先輩はまた文庫本に目を落とした。

 直前までの目の輝きはどこへやら、一瞬で物語の世界に入っている。

 はりきって部活とはいったい……いや、文芸部だということを鑑みれば、これは立派に張り切っての活動と言えるだろうけれど。

 

「じゃあ、日陽先輩。今日は一人で散歩に行ってきますね」


 散歩というのは、健康のためではない。

 文芸部に入ってからの活動のひとつで、日常生活、空間におけるネタ探しのことだ。

 そう声をかけても、日陽先輩は椅子の上から動く気配を見せないので、少し意地悪をしようと思ったつもりが、まったく無いとは言わない。


「日陽先輩も、今は少し太った日陽先輩になる前に、少しは運動をしたほうがいいんじゃないですか」


 ついこの間も、五月になったらメロンのパフェを食べに行きましょう、と目を輝かせていた。

 何キロカロリーかは知らないし、興味もないけれど、日陽先輩の場合は、本人の希望とは異なり、栄養は胸にいっている様子は見られないので、お腹周りのためにも少しは出歩いたほうがいいだろう。


「わかったわ。わかったから、すこし待ってちょうだい」


 部室に置きっ放しにしている白い帽子をかぶり、手には薄手の手袋まで嵌めるという、いつもどおりの、完全防備の格好で、日陽先輩は慌ただしく部室から飛び出してきた。

 まだ春先とはいえ、結構温かくもなってきた。長袖は、まあ、僕もそうだけれど、タイツは、女子のことだしわからないけれど、手袋はどうなんだ? と思ったりもする。

 個人の趣味趣向にどうこう言うつもりはないので、放っておこうと思うけれど。


「いずれ、空楽くんが学園小説も書こうと思うのなら、校内の様子も見ておいて損はないかもしれないわね。部活の――文芸部以外の部活の様子とか」


 なにも、外に出かけるだけが散歩ではない。

 そもそも、これは散歩ではなく、ネタ集め、情報収集なのだから。


「そういうのもいいですね」


 なんでもやっぱり、自分の目で見ることが描写の第一歩でもあるからな。

 

「校内探索ね」


 楽しそうな日陽先輩と並んで歩く。

 こういうのは、大抵、肝試しとかって、夜中にやるのが創作とかだと定番だけれど、夜中だと、人はいないし、そもそも普通は校舎に入れないからな。高校ともなると、僕は別にしても、家から遠い人も多いだろうし。


「あっ、みて、空楽くん。飛行機雲よ」


 窓の外、雲の切れ間にわずかに覗く青空に浮かぶひと筋の白線を指さし、日陽先輩がはしゃぐ。

 いまさら、飛行機雲くらいで感動できるなんて。たしかに、できている位置は奇跡的とも思えるけれど。


「屋上に行って、もっと見ましょう」


 言うが早いか、すでに日陽先輩は階段を上り始めていて、僕も追いかける。



 

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