出会い 3
小高い丘の上に建てられているこの極浦学園の南側には、水平線が一望できる。
バスで四十分ほどかけたところに海浜公園があることからもわかるように、それが名前の由来になっているのだろう。
だから別に教室の窓から水平線が一望できるといっても、この地域の住人にとっては、それほど珍しい景色ではなかった。
「へー。じゃあ、やっぱり連司は部活には入らないんだ」
「ああ。放課後は道場通いだからな。おまえも、道場に通いはするんだろう?」
僕と連司は小学校からの幼馴染で、中学校の傍の道場に通っていた縁で親しくなった。
もはや、武術を習う、というより、日課のようになっていたのだけれど。
「うん。毎日、というわけにはいかなくなるだろうけれど、多分、早朝か、放課後かな」
どちらのほうが都合がいいのかは、この後、文芸部の部室に行って、おそらくはいるだろう先輩との話し合い、あるいは情報収集の結果によるだろうけれど。
だから、放課後といっても、この場合は夜ということになる。
「そうか。まあ、頑張れよ」
「うん。それじゃあ」
今はオリエンテーションの期間であり、どこの部活も熱心に勧誘活動をしている。
運動部なんかは中学時代から続けている部活をそのまま引き継いでという人が多いだろうけれど、文化部はわりとそうでもない。それに、運動部であっても、中学時代にはなかった部活も結構あるみたいだった。
たとえば、うちの中学でいえば、合唱部はあったけれど、ブラスバンド部はなかったし、軽音部も存在していなかった。
あるいは、ダンス部、演劇部、料理研究部なんかもそうだろう。
そして、文芸部も。
「ここか」
どうやら、図書室からほど近い空き教室をもらっていて、そこで活動しているらしい。
なにせ、こうして廊下を歩いているだけでも、看板なんかを持って勧誘している部活はたくさんあるというのに、文芸部の文字はまったく見たことがない。
先生方に聞いてみても、なんとなく、反応は鈍かったし。
しかし、今年度も、活動してはいるらしい。
どうやら手作りにみえる、文芸部と書かれた看板も扉にぶら下げられているし、ノックをしてみれば、はあい、という気の抜けたような声が返ってきた。
「失礼します」
扉を開いた瞬間、ファンタジー小説の中に入り込んでしまったのかと思った。
空気の入れ替えのためか、開かれた窓から入る風に揺れるカーテンと同じように、真っ白がサラサラと靡いていた。
歳をとれば白髪にはなってゆくだろうけれど、声の感じからしても、どことなく幼い感じのする顔立ち、スレンダーな体格、あるいは制服を着ていることからも、ここの生徒なのだということがわかる。
本の妖精が具現化したのかとも思えたけれど、いや、そんなわけはないだろうと首を振り、目を擦ってみる。しかし、目の前の光景は変わったりしない。
「なにか御用ですか」
「え、あ、はい。その、ここは文芸部の部室ですよね。僕、入部希望で」
しかし、他の先輩方はいらっしゃらないのだろうか。
見渡すほど広くない教室の中には、真っ白な髪の先輩らしき女子生徒以外、他に生徒の姿は見受けられない。
「え? 入部希望?」
およそ日本人とは思えない、ウサギのように真っ赤な瞳が大きく見開かれる。
音を立てて立ち上がろうとされたその先輩は、バランスを崩されそうになりながらも、興奮した様子で駆け寄ってきて。
「本当に? きゃー、嬉しいわ。ささ、入って入って。初めての部員なの。去年は誰も入ってくれなかったし。まあ、私が始めたことだから、先輩はいないのは当たり前なんだけれど。ああ、私は海原日陽、二年生よ。この文芸部の部長なの。日陽先輩って呼んでくれると嬉しいわ。後輩にそう呼んでもらうのって、一種の夢よね。あっ、ええっと、あなたは一年生であっているわよね。大歓迎よ。それで、あなた、名前は? どんなジャンルを読むの? 好きな作家さんやイラストレーターさんはいるのかしら? ちなみに私はどんなジャンルも大好物よ。小説も、詩集も、エッセイも、もちろん、漫画も。それぞれ違った良さがあって――」
幻想は一瞬で崩れ去った。
いや、まあ、勝手に僕がそう思っていただけなのだけれど、最初に見たような儚げな雰囲気はどこへやら、それこそ、幻想、ファンタジーだったようにも思えてしまう。
「――って、あら、ごめんなさい。初めての部員だったから、つい、興奮しちゃって」
「いえ、気にしていませんよ」
誰にだって好きなものはあるし、語るときに熱くなったりもするだろう。
日陽先輩は赤くなった顔を整えるように、ひとつ咳ばらいをしてから。
「えっと、それじゃあ、自己紹介をして貰えるかしら」
「一年一組、秋月空楽です。好きなジャンルはライトノベル」
しかし、部活があることはわかっていたけれど、部員は日陽先輩ひとりだけか。
もっと、いろいろな先輩方、あるいは同級生と、意見を交換し合えるんじゃないかと期待もしていたから、そこだけは少し残念でもある。もっとも、さっきの日陽先輩の様子を見る感じでは、全然問題はなさそうだけれど。
「よろしくね、空楽くん」
「こちらこそ、よろしくお願いします、日陽先輩」
とはいえ、ひとりだけでも他に部員、それも、先輩がいてくれたというのは、心強い。
先生に読んでもらうのも嬉しいことではあるけれど、やっぱり、歳の近い、それも先人に読んで貰えて、感想まで貰えるというのは、かなり大きいことだと思えた。
「えっと、それで、日陽先輩。初めての部員とかって言ってましたけど、二年生、もしくは三年生には、他にいらっしゃらないんですか?」
「ええ。そもそも、この学園に文芸部はなかったの。去年、私が立ち上げたのだけれど、誰も入ってくれなくって」
去年立ち上げたって、それは、部員が自分ひとりだけでもできるものなのだろうか。
詳しくは知らないけれど、たしか、中学の部活だって、最低人数は三人くらいだったはず。
まあ、部活というより、同好会という感じなのかもしれないな。なんにせよ、僕ができることには変わりはない。
「他の部活の方たちは、外で勧誘とかしているみたいでしたけれど、日陽先輩は――文芸部としては、そういうことはなさらないんですね」
そう尋ねてみると、日陽先輩は、元々大きな赤い瞳をさらに大きく見開いた。
「勧誘? はっ、そういえば、昨日の部長会議でそんなことを言っていたかも。もしかして、去年もそうだったのかしら」
そんな風に尋ねられても、少なくとも、去年一年通われていた日陽先輩のほうが詳しいはずだろうに。
「あれ、でも、空楽くんは来てくれたのよね?」
「僕はもともと、この部活があると知っていて入学しましたから」
この部室は、廊下の隅。
たしかに、図書室には近いみたいだけれど、真正面と言えるほどでもない。
そもそも、図書室自体の利用も少なそうだし。
学院のホームページにも載っていないし、多分、文芸部という部活が活動していることを知らない生徒も大勢いるだろう。
「よく活動できていますね、この部活」
それとも、部を名乗っているだけで、実際は日陽先輩が勝手にやっているだけの、実質、同好会みたいなものなのだろうか。
「え、ええ、そうね……」
日陽先輩は、若干歯切れ悪くそう答えた。
「あっ、それで、日陽先輩。早速ですけれど、ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが」
ここの棚をざっと見てもわかるように、日陽先輩は様々なジャンルの本に手を伸ばしているみたいだけれど。
「なあに? なんでも言ってちょうだい。かわいい後輩の頼みですもの」
日陽先輩は薄い胸を張り、得意げな表情を浮かべる。
「文芸部というくらいなのですから、読むだけでなく、自分で書くのも構わないんですよね?」