生徒会選挙期間と一ノ瀬家の問題 15
たしかに、少し関わり合いになったくらいで、自宅まで押しかけてしまうのは、人として少し(いや、かなりか?)危ないかもしれないけれど。
「莉緒。あのね――」
「お母さんは黙っていて」
一ノ瀬先輩は視線で佳代さんの口を閉じさせると、あらためて僕たちに向き直り。
「……余計な事に首を突っ込むのが趣味なようね」
ちらりと目をやっただけの写真立てから、僕たちがここへ来ている目的を悟ったのだろう、本当に迷惑そうな表情を浮かべられる。
「あなたたちにも、触れられたくない部分の一つや二つ、あることでしょう? この間のことは感謝もしているけれど、それだけよ。だから、これ以上、うちのことに関わらないでくれるかしら」
はっきりとした拒絶。
佳代さんとは違い、説得するのは無理なように思えた。というより、取り付く島もない感じだ。
「私は疲れているから、早く休みたいの。明日も早く起きる必要があるし。悪いけれど、これ以上、あなたたちの相手をしていたくはないから、今日のところは帰ってくれるかしら」
今日のところは、と言われたけれど、明日以降、こんなことはしないでほしいという気持ちがありありと浮かんで見える。
たしかに、最初は好奇心だけだった。三者面談にいらしたときの佳代さんのことが気になったという。
でも今は……でも今は? その続きになんて言葉を継ぎ足して一ノ瀬先輩に伝えればいいだろう。
大丈夫ですかとか、心配なんですとか、力にならせてくださいだとか、そんな安っぽい、ふわふわの言葉しかひねり出せない。
なにをやっているんだ、僕は。文芸部だろ。文芸部なら、なんとかかんとか、上手い台詞をこねくり回して、一ノ瀬先輩の心を動かそうとしてみろよ。
そんな風に自分の心に発破をかけてはみるけれど、結局、一ノ瀬先輩に届けられる言葉を思いつけたりはしなかった。
「空楽くん、弥生さん、行きましょう」
最初に立ちあがったのは日陽先輩で、そうしてくれなければ、僕はみじめでもあの場から動くことはできなかっただろう。
「失礼いたしました」
最後に部屋から出た舞さんがそう言って扉を閉め、僕たちは音を鳴らしてアパートの階段を降りる。
それから車に乗り込むまで、僕たちは終始無言だった。
「なに黙りこくってんの、あんたたち」
沈黙を破ったのは、エンジンをかけ、アクセルを踏み込んだ舞さんだった。
「あんたたち、事前にすこしは話を聞いていたはずよね。それに、厄介ごとの気配がすることも感じ取っていたはず。それでも、関わろうとして、私まで引っ張ってきたのは、それだけの覚悟があったってことなんでしょう? それとも、あの話を聞いただけで、もう腰が引けた?」
あの話を聞いただけ、なんて言えるような軽いものでもなかった気がするけれど。
「そうよ。軽い話じゃない。だから、あんた達にもそれなりの覚悟がいるって言ってるの。それをあの子、莉緒ちゃんだっけ? 伝えられなかったから、こうして追い出されたんでしょうが。文芸部の好奇心でもなんでもいいけどね、人と関わるからには、その辺、しっかりしておかないと、そりゃあ、追い払われるわよ。なんたって、相手の急所をわざわざ抉りにきているんだから」
たしかに、気は緩んでいたかもしれない。
いや、僕は僕なりに真剣でいたつもりだった。小説には命を懸けるつもりでやっているから。
しかし、小説のネタ集めになるからと思っていなかった部分がなかったかと言われれば、そんなことはない。僕たちにとっては真剣でも、一ノ瀬先輩にとっては、部活の延長、ともすれば、遊びの範疇だと思われてしまっていたのかもしれない。だとすれば、あの程度の拒絶で済んだのは、むしろ、幸運だったということにもなる。
「とくに、家の事情なんて、相手の一生が関わってくる問題なんだから、自分たちだって相応の覚悟を持って臨む必要があるわよ。武術の試合じゃないんだから。そのくらい、わかるわよね?」
言われていることはわかるけれど。
「ただ、心配だからというだけではだめなんですかね」
さっきの話は途中で終わってしまったけれど、すくなくとも、佳代さんが一ノ瀬先輩を連れて家を出ようと決意されるほどのことはあったということになる。
生まれて数年は、ということは、家を出たのはまだ莉緒さんが幼いと言って過言ではない頃の話だったはずだ。
それにもかかわらずということは、余程のことがあったのだろうし、それを同じ学園の後輩として、あるいは、生徒として、知り合いとして――まあ、関係なんてどうでもいいけれど、心配するのは、人として間違っているとは言い切れないのではないだろうか。
「だからね、空楽。私は、理由を聞いているんじゃなくて、覚悟を聞いているのよ。理由なんて、なんだっていいのよ、そんなことは。人が困っていたら助けようとするのは、普通のことじゃない」
舞さんはバックミラー越しに僕たちのことをちらりと見て。
「あなたたちはどうなの?」
神妙な面持ちで俯いていた日陽先輩と弥生先輩にも、決して強いとは言えない語気で尋ねられる。
「空楽ばかりに表に立たせるものではないわよ。たしかに、空楽は男だけれど、あなたたちも一緒に来ると、自分の意思で決めたんでしょうが」
それは、僕が男であることとなにか関係があるのか?
「舞さんは一ノ瀬先輩たちが困っていると決めつけているんですね」
「当り前じゃない」
つい責めるというか、追及するような言葉になってしまったにもかかわらず、そんなことはまったく気にされていないかのような即答だった。
「空楽。あんた、さっき、なにを聞いていたの? その目と耳は飾り? あの話を聞いて、あの子たちの現状を見て、困っていないと思うほうがどうかしているでしょうが」
たしかに。
おそらく聞いた話は一部分で、話の内容からして、核心部分はもうすこし後だった、つまり、より悲惨――といっていいのか――な内容になることは予想できた。
依存させられていた、と言っていた(依存しているつもりはなかったとも言っていた)けれど、それだけを考えるのであれば、働かなくても良かったと捉えることもできる。しかし、裏を返せば、監禁されていたともとれる状況だったのではないだろうか。
真実はわからない。ならば、一ノ瀬先輩が、それから佳代さんがどう捉えていたのかが、この場合の真実なのではないだろうか。
「どうなの、弥生。言っては悪いけれど、あなたが一番、ふわふわしている感じがするわ。ただ、同じ部活のメンバーだというだけで、なんとなく、二人について来ているだけではないの?」
舞さんに容赦はなく、かけられる言葉はナイフよりも鋭い。
弥生先輩は膝の上で硬く拳を握り直されて、それから、肩の力と、一旦握り直した拳を解かれて。
「……私は、たしかに、空楽さんや海原さんのように、自主的に一ノ瀬さんに関わろうという気持ちはなかったかもしれません。ですが、先程の一ノ瀬さんの態度には余裕が無いように感じられましたし、決して現状に納得はしていない、憤っているようにも感じられました」
弥生先輩は一瞬、僕に視線を向けられて。
「私も空楽さんに背中を押していただいて、一歩踏み出すことができたように、おこがましいかもしれませんけれど、一ノ瀬さんの現状を抜け出す手助けをできたらいいと、今度は私が恩を返す番だと、それだけは、強く決めています」
舞さんはしばらくバックミラー越しに弥生先輩と目を合わせたのち。
「まあ、いいでしょう。それじゃあ、日陽。あなたのほうはどうかしら?」




