私が読むわ 3
◇ ◇ ◇
小説なんてもう書かない。
そう思い込むようにすれば、不思議と立ち上がる力は込み上げてきた。それが空元気と呼ばれるものだということは、意識の外へ追い出して。
人生の選択肢なんて、高校生になったばかりの僕には無数に存在している。むしろ、この時点で明確になりたい職業が決まっているほうが少数派だろう。
だからなにも焦ることはない。これからやりたいことを考えてゆけばいいだけだ。
ノリの良いクラスメイトに誘われるまま、遊びに出かけた。
DVDを借りてきて、映画観賞をした。
がむしゃらになりたくて、滅茶苦茶にランニングしたり、できる限り無心を装って、報告もせず、道場へと顔を出し、稽古をつけてもらったりもした。
しかし、どれも没入できたかといえば、そんなことはまったくなかった。
クラスメイトには、こういうところに来たのは初めてだと言って――実際それは事実だったし――うまく乗れていないことを誤魔化した。しかし、おそらく、これは相手に気を遣わせてしまっていた。彼ら(彼女ら)の表情を見ていればわかる。
映画鑑賞は、本当に無駄なことをしたと思う。
物語をみても、まったく集中できず、面倒になって途中で止めてしまったからだ。レンタル代は無駄になった。一番安い当日返却とはいえ、高校生には結構な痛手だ。
ランニングの足取りは、まるで鉛かなにかをつけているかのように重く、これはかなりハードなトレーニングになるのではないかとも思ったけれど、実際にはウェイトはつけておらず、ただ気持ちの問題というだけなので、あまり意味はなかった。
それどころか、道場へ向かえば、気合が入っていないと、師匠には思い切り投げ飛ばされ、心が乱れていることを咎められた。むしろマイナスだったとさえいえるだろう。
世界のなにもかもが色を失っているような気さえして、なにをしてもつまらず、できることといえば、布団に入って眠ってしまうことだけだった。
「空楽くん、やっぱりどこか調子が悪いんじゃない? 病院に行く?」
母さんにはそんな心配までされしまい、なんとか、精一杯の表情と態度を取り繕って、大丈夫だからと断った。
身体の調子が悪いのではなく、精神のほうの問題だから。
だからといって、精神科にかかっても、根本的な解決になるとは思えないし。
鬱なんて立派な――立派な病気なんてないけれど――ものでもないしな。
どうせ暇なら、生産的なことをするか、と思い、バイトをしようと思っても、両親に許可は貰えなかった。
「バイトも悪いことじゃないと思うけれど、高校生でいる間には、高校生でしかできないことがあるわ。お金が欲しいなら、お母さんが出すから」
「いや、大丈夫。時間が空くからせめてと思っただけだから」
小遣いが欲しくてやるわけではないし――欲しくないわけではないけれど――親に出して貰っても意味はない。
「空楽くん、本当に大丈夫? なにか困っていることがあるのなら、聞かせてね」
本当に、親というのは、いや、家族というのはありがたい存在だ。
こっちはなにも話せずにいるのに、無条件で心配してくれる。
「高校生でしかできないことか……」
いったい、それはなんだろう。
大抵のことは大人になってからでも、むしろ大人になってからのほうができることは多い。
免許が取れるとか、お酒が飲めるようになるとか、夜中に外出しても警官に引き止められなくなるとか。
それはたしかにそのとおりだけれど、そういうことではなく。
その答えはとっくに出ている。部活だ。
しかし、極浦学園では兼部は認められておらず、部活をやろうと思ったら、まず、文芸部を辞める必要がある。
となれば当然、退部届を出す必要があるし、日陽先輩にも筋を通す必要があるだろう。
日陽先輩の顔なんて、一番見られない。
しかし、それは逃げではないだろうか。
みっともなく部室から逃げだしただけに飽き足らず、怪我まで負わせてしまったことを、謝ってすらいない。
休日まで引っ張り回してくれた日陽先輩が、教室まできてくれないのも当然だ、というより、それはいったい、どこまで甘えれば済むのだという話だ。冗談でも、そんなことを期待してはいけない。
もうすぐ四月も終わってしまう。
もう書かないと思っていても、これだけは、せめて月の切り替わる前にけじめをつけておかなくてはならない。
たとえ、日陽先輩に見放されたとしても。
「空楽」
そんな風に思い立った昼休み、どう謝罪したものかと考える僕のところに連司が顔を見せた。
「どうかしたの?」
「ああ。レポートの課題が終わらなくてな。ちょっと付き合ってくれないか?」
レポートの課題なんかあったかなと思いつつ、放課後とくにやることもないしと了承する。
「ねえ、連司。それって――」
「さんきゅ。マジ助かる」
僕が尋ね返す間もなく、約束だからなと、連司はさっさと自分の机に戻っていってしまう。
なにしに来たんだろう? そんなの、放課後に言えばいいことなのに。
帰りのホームルームが終わってすぐ、連司は僕の机までやってきて。
「空楽。俺、トイレ行ってから行くから、先に行って待っててくれないか?」
「わかったよ」
教室で別れ、僕は図書室へと向かう。
この廊下を進むのも、なんだか久しぶりだな。
ちょっと前まで、といってもそれほど前ではないのだけれど、毎日通っていたというのに。
なぜなら図書室の隣は――。
「いや、行こう行こう」
部室の名前は見なかったことにして、図書室に入り、椅子について連司を待つ。
なにもすることはないし、本でも読んで待っているか。図書室だし。
学校の図書室なので、当然ライトノベルなんて置いてはいないけれど、日本の、あるいは海外の、名だたる文学作品が並べられている。
『羅生門』、『夢十夜』、『舞姫』、『伊豆の踊子』。
そんな、誰でも名前くらいは聞いたことがあるだろう作品ばかりだ。
いったい、どうしてこれらの作品は生み出されたのだろう。
あとがきや、解説だけではわからない。作者に直接尋ねてみたい。もちろん、故人に対して、そんなことは望むべくもないのはわかっている。
僕が書きたかったのはライトノベルだけれど、どうすれば、他人の心に届けられる作品を生み出すことができるのだろうか。
ところで、この図書室の本棚は、背板に隙間があって、隣の通りを覗くことのできる構成になっている場所がある。
パラパラと小説を捲り、戻そうとしたところで、向かいの列から赤い瞳が覗いているのが見て取れた。
目が合うとすぐに逸らされてしまい、真っ白な髪を靡かせて、その人影は僕の前から去ってしまう。
図書室で声を出すわけにもゆかず、呼び止めることはできない。
僕は読みかけの本を棚に戻し、走らないように追いかける。
しかし、すでに室内に白い髪は見えない。あれほど目立つ人を、見間違るはずも、見落とすはずもない。
なぜここに?
いや、部室は隣なんだし、いても不思議はない、どころか、部の意義を考えれば、むしろ普通のことだ。
「……いやいや、まさか、そんな、ありえない」
僕は頭に浮かんだ考えを打ち消す。
そんな都合のいい話があるわけがない。
第一、どんな顔をしてみせればいいというのだろう。
いや、僕だってもう高校生になったのだし、やらなければならないことはわかっている。
たとえ、他に用事はなくても、もう一度、誠意を込めて謝らなければならない。やっぱり、あんな風に逃げ出すような感じでは、礼儀をわきまえているとは、到底、言えないから。
「よう、空楽。こっちから誘っておいて、待たせて悪かったな」
それでも、どうしようかと考えているうちに、連司がやってきて。
「いや。そんなことはないよ。それより」
話しを進めようとしたところで、連司に頭を下げられる。
「空楽、こっちから誘っておいて悪いんだけど、急用ができた。今日は解散ってことで。すまん」
僕は目を瞬かせ、茫然とする。
しかし、すぐに再起動して。
「いや、全然。悪いなんてことはないよ。急用ができたというのなら、早いところ帰ろうか」
「……ああ」
顔をしかめていた連司を後に、僕は図書室を出る。
「……まだ無理だったか」
連司がなにか呟いていたみたいだったけれど、意味のある声として僕に届くことはなかった。




