生徒会選挙期間と一ノ瀬家の問題 7
そんな話をしている間に、藤堂家の車は一ノ瀬先輩のバイト先へと到着した。
所詮は一駅分の距離だ。道も混んではおらず、大した時間はかからなかった。
「今日は私の愚痴に付き合わせてしまって、悪かったわね。それから、送ってくださって、ありがとうございます、藤堂先輩。おかげ様で、時間には間に合いそうです」
車を降りられた一ノ瀬先輩は前に回り、運転手だった古澤さんにもお礼を言われて、夜の街の中へと姿を消していった。
バイト先の場所は知っていたけれど、さすがに今から訪ねる気にはなれなかった。
ライトノベルを読みふけっていて、自分でも創作しているとはいえ、一ノ瀬先輩の話は、ただの高校一年生である僕に受け止めるには、少々、重すぎる話だった。
世の中にはもっと大変な話はいくらでもあるだろうし、一ノ瀬先輩としてはすでに終わった話としてそこまで深刻に捉えていないのかもしれない。
しかし、知ってしまった以上、このまま忘れて終わりにはできそうになかった。小説のネタになる云々はおいておいても。
とはいえ、僕になにができるだろう。
両親の庇護下にあり、不自由なく暮らさせて貰っている、一介の十六歳でしかない僕に。
「空楽くん、悩み事?」
声をかけられて顔を上げれば。
「一ノ瀬さんのことでしょう」
直後の会話なのだから十分予想はできるだろうとはいえ、そうでなくとも見抜かれていたのではないだろうかと思えるように、日陽先輩は薄く微笑んでいた。
「そんなにわかりやすかったですかね」
「これでも文芸部の部長、つまり、空楽くんの上司ですからね。空楽くんがなにに悩んでいるのかなんてお見通しよ」
他人の気持ちを見抜くのに、先輩だとか上司だとかが関係あるとは思えないけれど。
とはいえ、ライトノベル的には、困っているヒロインを見過ごさないのが主人公であり、文芸部部長だというのは多少関係しているというのも事実かもしれなかった。
「そうでなくても、文芸部に入部してくれてから、空楽くんはいろんな人の助けになって、力になっているでしょう。そんな空楽くんだからこそ、一ノ瀬さんの話を聞いたら、きっとどうにかできないかと考えるんじゃないかと想像しただけよ」
「そこまで傲慢にはなっていないつもりですが……」
なんでもかんでも僕に解決できるだなんて、そんなに自意識過剰ではない。
所詮は高校生であり、できることには限界があるとわかっているつもりだ。一ノ瀬先輩だって、僕なんかに手出し口出ししてほしくはないだろう。余計なお世話というやつだ。
「でも、そうですね。日陽先輩の言うとおり、ライトノベルの主人公なら、ヒロインの困っている状況を放ってはおかないですよね」
一ノ瀬先輩がヒロインというつもりではなく、あくまでも、客観的に今の状況を判断した結果だ。
「まあ、それに、一ノ瀬先輩には文芸部も迷惑をかけていますからね。なにができるかなんて、やってみなければわからないわけですし」
行動を起こした結果、さらに事態が悪化する可能性もあるわけだけれど。
あのときやっていればなんとかできたのに、と言われるのと、あのときやっていてもどうしようもできなかったよ、と言われるのとでは、全然違うだろう。どちらが良いかは明白だ。やらずに後悔するより、やって後悔、だ。
それに、成り行きとはいえ、話を聞いてしまった以上、無視はできそうにもない。そんなに器用な性格でもないし。
「その意気よ、空楽くん。それに、直面している問題が大きいほど、小説にしたとき、読みごたえもあるものよ」
実体験こそ、なににも勝るネタ探しであるというのは、日陽先輩の行動方針でもあるからな。
「とはいえ、なにができると思いますか? 選挙の手伝いは必要ないでしょうし、バイトの手伝いなんてできませんし、せいぜい、負担をかけないよう、早く帰ることくらいでは?」
ボディーガードくらいはできるかもしれないけれど、そんなこと、一ノ瀬先輩が望まれるとは思わないし。まあ、そんなことを言ったら、なにをしたところで余計なお世話と言われるのだろうけれど。
「とりあえず、選挙が終わる今週末までは、一ノ瀬さんの周りで波風が立たないようにしたいわよね」
それで僕たちにできることなんて、早く帰ることくらいだろう。
あとは、ボディーガードはいらないと言ったけれど、生徒会長代行を務めている一ノ瀬先輩は、生徒のことも気にかけていることだろう。
草壁浩一郎氏が、今後も学園周辺に現れる可能性は、かなり高いと思われた。なぜなら、まだ彼は目的を達したわけではないから。
一ノ瀬先輩に自分の存在を植え付ける、という目的もあったかもしれないけれど、それは目的のひとつでしかない、というより前段階でしかないはずだからな。
そうやって、一ノ瀬先輩たちにとっての、嫌がらせと思えるような行為を繰り返すことで、一ノ瀬先輩のほうから折れることを望んでいるのかもしれない。
一ノ瀬と草壁。名字が違うということは、一応、離婚はしているのか? それとも、元々別姓で?
いずれにせよ、親類縁者であるのか、赤の他人……にはなり得なくとも、他人と扱うことはできるのか、そのあたりも重要なはずだ。
「本当は、司法機関とか、相談所みたいなところに仲介に入ってもらって、法律で規制するのがいいんでしょうが……さすがに無理ですよね?」
僕たちが思いつくようなことを、一ノ瀬先輩が思いつかなかったはずもないだろうし、それは、一ノ瀬先輩の御母上も同じだろう。
「……血を分けられた家族なのですし、遠慮というか、躊躇いもあるとは思いますけれど」
弥生先輩も難しそうに額に皺を寄せられる。
離婚したとか、そもそも結婚していないとか、事情はわからないけれど、一ノ瀬先輩にとっては血の繋がった相手であり、一ノ瀬先輩の御母上にとっては関係を持った相手だ。今は別居というか、切り離して暮らしているとはいえ、そう簡単に割り切れるものでもないのかもしれない。
さっき話しかけられたときだって、一ノ瀬先輩は問答無用で警察を呼ぶこともできたはずだ。
しかし、そうはされなかった。
もちろんこれは推測にしかすぎないけれど、やはり、心の中では切り離せずにいるのではないだろうか。もしくは、警察を呼んでの事情の説明すら、あの男性のことを口にしたくなかったという可能性もあるけれど。
やはり、失礼、無礼を承知で、一ノ瀬先輩に話を聞くしかないか。
とはいえ、誠心誠意頭を下げるだけで、どうにかできる問題か?
さっき話を聞かせて貰えたのは、偶然の結果だし。
「一ノ瀬さんが無理なら、佳代さんのほうにお話しを聞かせてもらいに行きましょう」
「いや、でも、日陽先輩。話しを聞くとは言っても、一ノ瀬先輩の自宅も、佳代さんの働き先もわからないんですよ。なにか策はあるんですか?」
一ノ瀬先輩のバイト先なら知っているけれど、それだけだ。
学園では一ノ瀬先輩の住所も当然把握しているだろうけれど、そんな個人情報を聞き出せるはずもないだろうし。
「ええ。だから、尾行しましょう」
日陽先輩は、悪びれる様子もなく、またなにかおかしなことを言いだした。
「いや、尾行って……わかっているんですか、日陽先輩。一歩間違えれば、いえ、間違えずとも、犯罪ですよ?」
むしろ僕たちのほうが通報されかねない。
「そこは、ほら、空楽くんは武術を習っているでしょう。相手に悟られずにつける方法だとか、気配を消すやり方だとか、なにか知らないかしら」
「いや、無茶苦茶言わないでください」




