文化祭 16
とかく、落ち着きのない人だからなあ。
マグロは泳ぎ続けないと死んでしまうというけれど、日陽先輩の前世なのかもしれない。
「どういう意味よ」
日陽先輩の頬がフグのように膨らむ。
例によって、全然怖くはないのだけれど、一応、怒っていることを示そうとしている本人に向かってそんなことを言えば、さらにへそを曲げてしまうこと請け合いなので。
「そういう反応をするところが、僕がなにを言わんとしているのかを理解している証拠なのではないですか?」
本当に、本を読んでいるとき以外にはブレーキの壊れた人だからな。好奇心の塊ともいう。
「あの、日陽先輩。ひと言断っておきますけど、べつに、悪い意味で言っているんじゃないですよ。いや、落ち着きがないというのは少し改善してほしいかもしれませんが、それは、裏を返せば、好奇心旺盛で、積極的に情報や知識を得ようとしている、創作家の鑑みたいな性格ともいえると思いますから」
知識や体験に貪欲というのは、羨むべき性格だと思う。
僕だって好奇心が無いわけではないけれど、日陽先輩のように真っ直ぐ進んで行ける自信はない。
「本当にそう思っているのかしら。部長の御機嫌を取っておかないとなんて思っているんじゃないの?」
「部長の御機嫌を取ると、僕になにかメリットがありますか? というか、褒めているんですから、素直に受け取ってくださいよ」
機嫌が悪かろうが、気分が乗らなかろうが、小説に関しては真摯にいてくれるのが日陽先輩だと思っている。
もちろん、部の雰囲気が良いことに越したことはないし、積極的に日陽先輩と喧嘩したいはずもなく、できることなら仲良くしていたいけれど、こんな軽口程度をいつまでも根に持っているような人ではないと、そのくらいには、日陽先輩のことを信頼している。
「空楽くんがここのパフェを奢ってくれるなら、許してあげてもいいわ」
僕の返事を待たず、日陽先輩は店員さんにチョコレートパフェを追加で注文される。
本当に丸くなる日も近いな、これは。もちろん、それを口に出さないだけの賢明さを、直前のやり取りから学んだ僕は、黙って深く腰掛け直した。
まあ、四人もいて、それぞれ飲み物一杯程度で粘るのも悪いと思っていたところだし、今日に限っては、軍資金もたっぷりある。
チョコレートアイスにブラウニー、板チョコ、など、チョコレートのスウィーツがたっぷりと使われたそのパフェは。
「んー、おいしいわ。カカオの香ばしさと甘さのバランスが丁度いいわね。あっ、中にはフルーツとジュレまで入っているのね。味のハーモニー、オーケストラだわ」
と日陽先輩を幸せそうな顔にしていて、見ているこっちにも幸せにとろかしてくれそうな一品だった。
「空楽くんも食べてみる?」
そう言いながら、日陽先輩がスプーンを差し出してくるので。
「え? あの、えっと……いいんですか?」
「私はべつに、スプーン一杯くらいのことでへそを曲げたりしないわよ。私は海原日陽よ。名前のとおり、海のように広い心で、空楽くんにもこの幸せを分けてあげるわ」
いや、そういうことではなくて……。
しかし、ここで下手に視線を弥生先輩や氷彩さんのほうへ動かそうものなら、違う意味のことを気にかけているのではないかと怪しまれる……まではないにしても、小首を傾げられてしまうかもしれない。
「そうですか。ありがとうございます」
日陽先輩はスプーンを引っ込める様子を見せられないし、いつまでもこのままでいるほうが、逆に注目される。それほど混み合ってはいないとはいえ、学園近くのこの店に、ほかの極浦学園の生徒が、いつ来ないとも限らないのだから。
ままよ、と覚悟を決めて、日陽先輩の手持ちの細いスプーンからパフェをいただく。
「おいしいでしょう?」
「そうですね」
たしかにおいしい。
日陽先輩のように、グルメ番組のような感想をひねり出すことはできないけれど、間接キスだとか、そんなことは気にならないくらい。
自分の小説を売り切った資金で食べているのだと思うと、おいしさも何倍にも感じる。
まあ、それなりには恥ずかしかったけれど、ほかには弥生先輩と氷彩さんにしか見られていないし。
そう思っていたら、弥生先輩と氷彩さんは、じっとこちらを見つめていた。
いや、その、さすがにそんなに見られると困るというか、恥ずかしいというか。
「あの、なにか顔についていますか?」
「い、いえ、なんでもありません……」
弥生先輩は慌てたように身体を引き、立てかけのメニューを見てから、小さくため息を漏らされた。
弥生先輩もチョコレートパフェを食べたかったのだろうか。日陽先輩があまりにおいしそうに食べるので、自分も気になったとか。
いや、それなら自分で注文されるはずだしな。日陽先輩と違って、まだ弥生先輩は紅茶しか頼まれていないわけだし。
「氷彩さんもなにか頼まなくて大丈夫? 今日の集まりは、文芸部の集まりではなく、文化祭で小説集を売ったグループでの集まりで、氷彩さんの働きは僕たちの誰より大きいんだから、遠慮しないで」
今日の売り上げは四等分されるものだ。
誰が、どのくらい貢献したのかなんて関係なく。もっとも、それで言っても氷彩さんの貢献度はかなり高いのだけれど。
「そうよ。このベリーのタルトなんかもとってもおいしそうよ」
それは日陽先輩が食べたいだけでは……?
「いえ。帰ったら夕食もありますし、文化祭でもおいしいものをたくさんいただきましたから」
これが普通のお腹だよなあ。
本当に、日陽先輩は、あの細い身体のどこに栄養を保管しているのだろう。胸ではないことだけは確実だけれど。
「空楽くん? なにか失礼なことを考えていたでしょう」
「べつにそんなことありませんよ?」
僕はポーカーフェイスな笑顔で日陽先輩からの追求を誤魔化す。
「空楽くんは考えごとをしているとき、ここに皺が寄るのよ」
日陽先輩が自身の眉間を指さす。
「それは誰でも同じだと思いますが……」
「それに返答までの時間もとても短かったし」
じぃっと見つめる日陽先輩の視線と、張り付けた僕の笑顔の睨めっこがしばらく続き。
「まあいいわ。せっかく、スウィーツを目の前にしているんですもの。楽しまなくちゃ損よね」
日陽先輩は幸せそうな笑顔でチョコレートパフェを食べ切り。
「ご馳走さま、空楽くん。とっても美味しかったわ」
「それはよかったです。ですが、お礼を言うのは僕にではないのでは?」
作った店員さんに告げるべき言葉だと思うけれど。
「空楽くんが小説を書こうと言い出さなければ、今日、こうして一緒にスウィーツを食べることはできなかったわ」
僕が小説を書く書かないにかかわらず、日陽先輩はよくスウィーツを食べていると思う。
あれかな。人の金で食べる飯はうまいというやつだろうか。しかし、この場は奢りというわけではなく、僕たち、文芸部プラス氷彩さんの売り上げた資金で注文しているわけで。
なにも、僕だけのおかげなどということは、決してない。
「僕だけじゃありませんよ。日陽先輩も、弥生先輩も、同じように小説を書いてくれたじゃないですか。素敵な物語を読ませてもらって、むしろ、感謝したいくらいですよ」
本当に。
同じ文芸部員だからという特権で、無料でこの同人誌を貰ってしまって。
「それから、日陽先輩も言っていたじゃないですか。氷彩さんの功績がなにより大きいって」
「えっ?」
氷彩さんは不思議そうな顔をするけれど。
「文芸部員ではないのに、無茶な依頼を引き受けてくれて、しかも、こう言ってはあれだけれど、期待以上の絵を描いてくれて。本当にありがとう、氷彩さん」




