文化祭
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん。紫乃も、あとで縁子ちゃんと一緒に行くからね」
それから、本当に飛ぶように時間が過ぎ、気がつけば文化祭の朝。
普段の登校よりも少し早い時間、僕は紫乃に見送られながら家を出た。
今日は土曜日で、小学校でも授業はあるけれど、午前中で終了する。対して、極浦学園の文化祭は夜にフォークダンスが行われるまで開かれていて、むしろ、午後からのほうが本番といえる。
文化祭への参加は有志であるため、教室を使う団体もそれぞれ決められている。
そのため、持ち物も特になかった僕は、入り口のところで完成版のパンフレットを貰い、財布と筆記用具だけの入った鞄を手に、一応、教室へは向かったけれど、中へは入らず、前の廊下に立ち往生する。
普段のホームルームでは、連絡事項の通達があるのだけれど、今日は出席だけを取ってその場で解散となった。
解散とはいっても、もちろん、帰ったりするわけではない。それぞれが、自分の参加団体の持ち場へ向かうだけだ。担任に申告すれば帰宅も自由だけれど、ここまで参加しておいて、帰ろうなどという生徒はいない。そんなに早く帰るのであれば、そもそも、文化祭に参加しなければ良いだけだ。
廊下や階段に貼られている、各参加団体の宣伝ポスター、広告を見ながら、中に文芸部のものが混じっていることにわずかに口元を緩めつつ、部室へ向かう。
「おはよう、空楽くん。今日は頑張りましょうね」
販売する同人誌を机に並べながら日陽先輩が僕に気付いて振り向く。
「おはようございます、空楽さん。私も販売係をしっかり務めさせていただきますね」
値札とか、看板を用意している弥生先輩も楽しそうだ。
「おはようございます、日陽先輩、弥生先輩。そうですね。絶対、売り切りましょう」
すでに、完売御礼の立て札も用意していることだし。
三人で決意を表明したところで、スピーカーからやかましいファンファーレに続き、一ノ瀬生徒会長の声が響いてくる。
『みなさんおはようございます。いよいよ本番です。今日のため、各団体とも頑張って準備してきたことでしょう。すべて出し切って、目一杯楽しみましょう。一日目を開催します』
廊下の向こう、階段の上から下から、割れんばかりの拍手の音が響いてきて、僕たちも負けないように手を叩く。
「いよいよね。絶対売り切って、打ち上げまでするわよ」
宣伝用のプラカードを手にした日陽先輩は、張り切って歩いて行った。
打ち上げをするのは明日の放課後なのでは……まあ、今日中に全部売れてしまったら今日でもかまわないけれど、さすがにそんな事態にはならないだろう。
「ドキドキしますね」
文芸部の前、並べた机の後ろに座り、弥生先輩が呟く。
机の上には、もちろん、全部なんて並べていない。数十冊と見本だけだ。
それでもひと山ふた山と言えるだけの高さはあり、これが開拓されて平地にされるかどうかは、まだわからない。
目指すのはもちろん完売、損益分岐点の突破だけれど、多分、一冊でも目の前で手に取って、購入してくれたなら、感激するほど嬉しくなることだろう。
「本当に。このためにひと月以上、準備してきましたから」
小説を書くのはいつもどおりだけれど、印刷とか、製本の作業まで行ったのは初めてだ。
「美術部の方たちも、無事に……ではないですけれど、展示もできるようになってよかったです」
美術部の展示も、情熱、やる気というのは素晴らしいもので、どうにか間に合わせられたらしい。
先生からも交渉があったのか、全員、それこそ幽霊が出るくらいの時間まで居残りが許可されたみたいで、帰りは先生の車で送ってもらいすらしたらしい。
文化祭、夜の学校、皆で居残りと、そこまでの要素が揃っていて盛り上がらないはずもなく、美術部は昼間ですら大層なテンションであり、いったいどんな作品ができあがったのか、見に行くのが楽しみだ。
まあ、今の僕たちの手元にも、美術部員の作品は輝いているわけだけれど。
新作ライトノベルの売れる理由の半分は表紙の絵と言われるくらい、表紙は重要なわけだけれど、この氷彩さんの描いてくれた表紙絵(もちろん、挿絵もだけれど)は本当に素敵だ。それ以外の表現はつけられない。
僕と日陽先輩と弥生先輩。三作品のヒロインが一緒に文化祭を回っているような絵柄だった。
僕の作品はファンタジーだから、しかも学園ものではないし、こんな光景はあり得ないのだけれど、いっそ、どうにかしてこういう番外編を書いてみたいとも思える。
実際、それをしてみようという話も出たのだけれど、さすがに文化祭には間に合わないということで流れた。
とはいえ、本当に、自画自賛するつもりはないのだけれど、それぞれの小説自体はよくできていて、感想のフィードバックでそういう意見があったなら、書いてみたいとも思っている。
文化祭ではないため、平日の販売になるとは思うけれど、軽音部だって定期ライブを行っているわけだし、需要があるなら、販売はしてみたいと思う。もちろん、問題はいろいろあるだろうけれど。
「ああよかった、店番していてくれて」
始まって、最初のお客さんは奏先輩と、軽音部のバンドメンバーの人たちだった。
「おはよう、空楽くん。これは私たちが一番乗りってことでいいのかな」
「おはようございます、奏先輩。それから、皆さんも」
僕と弥生先輩は立ち上がり、お礼を告げる。
「秋月少年。奏のことは個別に呼ぶのに、私たちはひとくくりにするんだね」
ドラムスの大野先輩が、悪戯っ子が獲物を見つけたように、瞳を細める。
ええっと、特に深い意味ではなかったのだけれど。単純に、奏先輩から挨拶をされたから、それに返しただけで。
「もう、和美!」
奏先輩が頬を赤らめて大野先輩に抗議の声を上げるけれど、もちろんそれに意味はなく、むしろ、望月先輩のほうも乗っかって。
「奏ったら、朝から張り切っていたのはバンドの演奏のためじゃなくて、ここに一番乗りするためだったのね」
「瑞穂!」
やれやれと望月先輩が肩を竦められ、奏先輩はくるくると顔の向きを変えて忙しそうにしていた。
「ええっと、ありがとうございます。一部、四百円になります」
このために、百円玉への両替も大量に済ませてある。
ぴったり出してくれればそれでいいけれど、おそらく、五百円玉、千円札が増えるだろうと予想してのことだ。もちろん、おつりが足りなくなるほどに売れてくれれば、それは嬉しいことだけれど、多分そこまでにはならないだろう。現状、製本できている数で考えれば、今両替できている分だけで足りるはずだ。
奏先輩が差し出された千円札を受け取って、おつりと商品を手渡せば。
「私たちも買わせて貰おうかな」
奏先輩に同人誌を差し出すと、他のメンバーの人たちも揃って千円札、五百円玉を取り出される。
「ありがとうございます。面白ければ、ぜひ、感想もお寄せください」
弥生先輩が感想受付箱を支えられる。
これは、文化祭が終わってからしばらく、部室の前の廊下(もちろん、机の上)に置かれる予定だ。
やはり、執筆と販売だけで満足してはいられない。そこから、次に繋がるものを得なければ。
「私たちのライブも聴きにきてね」
「はい。ぜひ窺わせて貰います。午後一番のステージでしたよね」
ステージのタイムテーブル、全てを把握しているなんて、そんなことはもちろんないけれど、『昼休みデザートプリン』の出番はしっかり覚えている。
「いいのかい、奏。一緒に回る約束はしなくても」
「そうそう。私たちのことだったら、全然、気にしなくていいのよ」




