文化祭に向けて 15
小説、特に恋愛小説を書く上で重要なのが登場人物の気持ちなのだとすれば、あんな事件を起こした動機こそ聞いておきたかったけれど、先生に言われてしまっては引き下がらざるを得ない。
あとでこっそり九条さんに教えて貰えたりはしないだろうか。いや、さすがに自分の作品も台無しになったというのに、その話をしてもらうというのは失礼か。
いや、もしかしたら、僕たちの作品だって狙われていたかもしれないのだし、一応、第一発見者というか、そういう意味では関係者なのだから、聞く権利はあると思う。そんなことを言い出したら、全校生徒に権利はあるだろうけれど。
「ほらね。私の言ったとおり、人間の仕業だったでしょう」
文芸部の部室に戻り、扉をしっかり閉めてから、日陽先輩は得意げな表情を浮かべた。
「はあ。それはべつに疑っていませんでしたけれど」
人間でなければ、なにがあんな悪戯――そんなレベルで済まされることでもなかったけれど――をするというのだろうか。僕の書いた(それに限らず)小説ではないのだから、妖精なんかが出てきて、などというはずもないわけだし。
「美術部の方たちは大丈夫でしょうか?」
弥生先輩が気づかわしげな様子で振り返る。
文化祭までは、もうひと月を切っている。
美術部の人たちの作品は、氷彩さんの話によれば、夏休み前から取り組んでいた作品であるはず。これから文化祭までの製作期間はその四分の一以下だ。
「美術の展示作品は、僕たちの小説と違って、コピー、あるいはカラーコピーしてそれで終わり、というわけにはゆかないでしょうしね」
そもそも、物が無ければコピーだって不可能なわけだし、教科書とか、学内掲示のポスターのようなものを使う訳にもゆかないだろう。もちろん、データもないだろうし。
というより、自分の作品の代わりなんて、どこにも、なにもありはしないのだ。そんなことは、僕にだってよくわかっている。
それから、いくら心配したところで、僕たちにできることなどなにもないということも。
いや、まあ、日陽先輩とか弥生先輩になら、できることはあると思うけれど。
「なんですか、私たちにならできることというのは。空楽さん」
椅子に座り、自分たちの同人誌を手に取っていた弥生先輩が顔をあげる。
「それは、まあ、その、絵のモデルになるとかですかね」
人物画を描く際、どうせなら、綺麗な人を、と思うのは当然の欲求ではないだろうか。
その点、日陽先輩と弥生先輩なら、身内の贔屓目を抜きにしても、抜群だし。もちろん、他の人がそうではないということではないのだけれど。
「なにを言っているのよ、空楽くん。私なんかが絵のモデルなんて、務まるはずないでしょう」
日陽先輩は本当に、一度眼科に行くか、脳外科に行くか、鏡を買い直したほうが良いと思う。
「日陽先輩こそ、なにを言っているんですか。日陽先輩なんて、まさに、そうですね、異世界ものとか、ファンタジー小説なら、ヒロインになれそうな容姿をしているじゃないですか」
そりゃあ、たしかに、現代ものの小説を書くのなら、真っ白な髪というのは些か無理があるかもしれないけれど。それも外国が舞台なら十分あり得る話だ。
しかし、異世界、ファンタジーものならば、白い髪、あるいは銀の髪なんて、ヒロインによくある、言ってしまえば、ありふれている髪色で、珍しくもなんともない。
「現代でだって、ありふれているわよ。お婆ちゃんとか、お爺ちゃんになれば、皆こうなりますものね」
日陽先輩は少しツンとした感じで。
しかし、それに加えて少しばかり自虐的にも聞こえたのは、多分、それ以上、この話題を続けないほうが良いのだろうな。子供というのはある種、純粋で、残酷だから。
「わかりました。それじゃあ、百歳を過ぎたよぼよぼでしわくちゃになった日陽先輩がヒロインの小説を書きますね」
「やめて頂戴!」
日陽先輩が叫んで、机に手を叩きつけた。
「冗談ですよ」
「空楽くん。冗談でも女性に歳の話をしたらいけないのよ」
ああ恐ろしいわ、なんて言いながら日陽先輩は自分の肩を抱く。
冗談だと言っているのに。だいたい、フィクションを書くのが仕事の僕たち小説家が、冗談のひとつも言えなくてどうするというのだろう。
「良かったですね、お化けの仕業ではなくて」
「べつに私はお化けなんて怖くはないわ。人間のほうがよっぽど恐ろしいもの」
それは、この前も言っていたな。
「お茶が入りました。今日はガトーショコラを焼いてみました」
本当、弥生先輩の作るお菓子もファンタジーだよな。よくまあ、毎日、こんなにおいしいお菓子を作れるものだ。
本当にすごい。
「……空楽さんだって、毎日小説を書くことを苦にされてはいませんよね」
「それはまあ、そうですが」
しかし、小説を書くのとお菓子を作るのとでは、全然、労力が違うというか。
「……そうでしょうか? それは、空楽さんが小説を書くことに慣れていて、私がお菓子を作ることに慣れているという、つまり、得意分野が違うというだけのことなのではないでしょうか。私が空楽さんと同じ分量の小説を書こうとしたら、今回の同人誌でもお分かりいただけたと思いますが、倍以上の時間がかかりますし」
それは、だって、僕は去年から小説を書き始めたけれど、弥生先輩はまだ半年も経っていないわけだし。
しかし弥生先輩は微笑まれたまま。
「同じことですよ。私だって、お菓子作り――お料理だけではなく、裁縫などもそうですけれど、空楽さんが小説を書き始められるより、ずっと以前からやっていますから」
それはそうだ。
僕の小説を書いているキャリアなど、弥生先輩の、料理園芸裁縫などの、家事歴と比べようとすることすら、おこがましい。
つまり、僕が一流の小説を書くには十七年の時間が必要ということか?
「そんなことはないわよ、空楽くん」
なぜ日陽先輩が、僕のことでそんなに自信満々の態度をとれるのだろう。
「聞いてしまってもかまわないかしら、弥生先輩は何人でお菓子作りをしていました?」
「え? それは、はい、私は一人でやっていました。もともと、一人の時間をどうにかするために始めたことですから」
日陽先輩は僕へと向き直り。
「弥生先輩は一人でお菓子作りをされていた。けれど空楽くんには、読者という、私たちがいるわ。人数だって、私と弥生先輩以外にも、奏さんや、縁子ちゃん、紫乃ちゃん、ほら、こんなにたくさんいるじゃない。それだけ、力が合わさって、修練速度も五倍以上になっているはずよ」
どういう計算だろう。
励ましてくれているのはわかるけれど。
「だから、空楽くんは二十年もかけずとも、傑作小説がかけるわ。私が保証する」
「どういう理屈ですか」
日陽先輩の言っていることにはまったく根拠が見受けられなかったけれど。
だいたい、その二十年という数字はどこから。ああ、さっきの弥生先輩の話からかな? 例えにあげるなら、きりがいい数字のほうが良いし。
まあ、僕だってそんなに時間をかけたいとは思っていない、というか、誰だって、早く書けるのならばそれに越したことはないと思うのは、普通のことだろう。
しかし、どことなく、説得力があるのはどうしてだろう。多分、この半年ほど、一緒に小説を書いてきたという経験からくる、なんだろう、信頼かな。自分で考えておいて、こっぱずかしくなってきた。
「それに、今回の小説は――あっ、いい意味でよ? いい意味で、空楽くんの力だけの小説ではないわ。弥生先輩も、九条さんも、それから印刷所の方も、たくさんの人の力が合わさって作られた作品なんだから」
きっと大丈夫よ、と日陽先輩は笑顔を浮かべた。




